2-3 猫獣人バステト

 翌日。朝から二時間ほど、俺とリアンは森を散歩した。鬱蒼と茂った大木の並ぶ大森林から開けた広葉樹林帯、そして森にぽっかり開いた真円形の不思議な広場とか。


「疲れた? エヴァンス」

「いや。……リアンは」

「私は平気。だって休み休みだったし」

「だなー」


 実際、休憩を頻繁に挟んだから、そう疲れはしなかったよ。切り株があると休憩にして草露くさつゆを飲み、リアンからこの世界のことを教えてもらった。この世界にも四季があり、食べ物はもっぱら果物や野草。鳥や虫、小動物はいるが、「それを食べる子はいないよ」という話。


 リアンは自分の年齢も、ここでいつから暮らしているのかもわからないようだった。ただ、気がつくと今の姿で世界に立っていたという。スライムという種族特性なのかもしれないが、離れた土地への興味がなく、この周辺で毎日のんびり過ごしているらしい。


「えーと……」


 小さな滝壺のある川のほとりで、リアンは立ち止まった。


「遠出をしてないときは、だいたいここに居るんだけどなー」


 見回している。


「リアンの友達か」

「うん。バステトちゃん」

「やっぱスライムなのか」

「ううん」


 首を振ると、手を上げてみせた。ひっかくような形に指を曲げている。


「がおーっ」

「……なんだそれ」

「こういう子」


 なんだ。猛獣系かな。


「大丈夫か、そいつ。まさかガチの獣形態じゃあ……」

「違うよ。私とおんなじで、女の子だよ」

「ならまあいいけど……」


 とりあえず初手で殺されることはなさそうだ。リアンだって止めてくれるだろうし。


「おい、リアン」


 声がした。


「変な奴、連れてるな、お前」


 のっそりと現れたのは……女の子。木陰から顔だけ出して、俺を睨んでいる。


「おい。お前誰だ」

「俺はエヴァンス。お前は」

「……」


 黙っている。


「大丈夫だよ、バステトちゃん」


 リアンが手招きする。


「エヴァンスはいい人。外の世界から来たんだって」

「外の世界……だって?」


 姿を現すと、警戒するかのようにゆっくり近づいてきた。


 バステトは獣人だった。……といっても、俺が授業で習ってきたダンジョンの獣人とは姿が違う。だって体毛に覆われているわけでもなく、獣っぽい顔つきでもない。ちょっと髪の量が多いだけの、普通の女の子に見えるからな。


 肌は日焼けしたようなやや濃い色。髪と瞳は茶色。リアンと同じく十五歳くらいに見える。顔は普通にかわいい。頭にネコミミが動いているし茶トラの尻尾が揺れているから、やっぱりまあ「獣人」という分野なのだろうとは思う。


 現実世界で狩人や木こりが着るような、動きやすそうな服を着ていた。ショートパンツから、脚がすらりと伸びている。胸はリアンより少し小さい。


 奇妙なことに、猫の手といった形の、もこもこファー手袋をしている。肉球まであるからな。だから獣人というよりむしろ、祭りでコスプレした村娘のようだ。


「エヴァンスとかいう奴。お前、外の世界から来たって本当なのか」


 すぐ近くまで来ると、腕を腰に当てて俺を見上げた。睨まれたときは威圧感があったせいか大きく感じたが、実際は意外に背が低いな。俺の目の高さくらいまでしかない。


「そうだ」

「ふん。……お前、変な形してるな」


 じろじろ眺め回す。


「胸はどうした。動きの邪魔だから切ったのか」

「そんな怖いことしないわ。俺は男だからな。女の子とは体が違う」

「おとこ……」


 首を傾げた。


「なんか……どこかで聞いたことあるな」

「エヴァンスはねえ、この世界を冒険して、宝物とかを探したいんだって」


 リアンが解説してくれた。


「バステトちゃん、そういうの得意でしょ。鼻が利くし」

「それより……」


 リアンの言葉を無視すると、俺を見つめる。


「エヴァンスお前、いい香りするな」

「そ、そうか……」


 一応毎日風呂には入っている。それにリアンというかわいい女子に会うんだから、今日は特に念入りに洗ってはきたが……。


「なんだこれ……たまらん」


 じれったそうに、手袋を外して足元に落とす。なんだやっぱり普通の人間の手だな、中身は。――と思う間もなく、バステトは抱き着いてきた。


「えっ……その……」

「じっとしてろ。今すぐは食い殺さない」


 俺を睨むと顔を着け、俺の体の匂いを嗅ぎ始めた。胸や首筋、それに脇の下……。


「どうしたんだ……あたし」


 くんくんしながら、なぜかうっとり瞳を閉じた。


 密着したから、バステトの体温を感じる。女子だけに体は柔らかいが、リアンよりは筋肉質。スライムだからか、リアンは天使のような柔肌だ。


「はあ……はあ……」


 バステトの鼓動が速くなってきた。それに発熱している。じっとりと、額に汗が浮かんできた。ネコミミがぴくぴくと動き、尻尾は激しく左右に揺れている。


「ああ……」


 立っていられないのか、へたり込んでしまった。俺の脚を抱えたまま、はあはあ言っている。


「バステト」


 しゃがみ込むと、そっと寝かしてやった。


「リアン、大丈夫かこれ。急病とか」

「平気……多分」


 そばに女の子座りして、リアンはバステトの額を撫でている。


「またたびを食べたときのバステトちゃんとおんなじだし」

「またたびだと……」


 荒い呼吸に激しく上下する胸を、俺は凝視した。


――ケットシー♡バステト――


 やはり名札があった。


「ケットシーだったのか……」


 いややっぱこのダンジョンおかしいわ。知られているケットシーは、もっと動物に似た外見をしてるからな。こんなコスプレ女子とは違う。


 とはいえまあケットシーは猫獣人。ならまたたびで酔うのも当然だ。でも俺、別にまたたびの匂いはしないと思うが……。昨日の晩飯で食べたとかもないし。そこは謎だ。


「そうだよ。バステトちゃんはケットシー。噂好きで友達も多いんだよ。だから近所に宝物があれば、知ってると思うんだ」

「なるほど」


 たしかに頼りになりそうだ。


「バステトちゃんはねえ……、私と違って退屈が嫌いなんだって。いつも山に登ったり川で泳いだりしてるよ」

「泳ぐときは水着になるのか」

「水着……って、なに」


 知らんのか。


「泳ぐときに着る服。水に濡れても動きやすくて、動作の邪魔にならないような服だよ」

「うーん……」


 上を向いて黙った。バステトの水泳姿でも思い浮かべてるんだろう。


「バステトちゃん、泳ぐときはいっつも裸だからなあ……」

「へえ……ワイルドってか、猛者だな」

「服は邪魔なんだって」


 だから水着になるんだけどな。でもまあ裸でいいなら、たしかにそれがいちばん楽か。


「バステトは獣人だろ。裸ももふもふなのか」


 とりあえず手足は人間同様、無毛だ。でも服の中の胴体はわからない。


「なんと言うか……」

「――あたしの裸は、リアンと同じさ」


 むっくり。バステトが起き直った。


「でもエヴァンス、お前には見せない。……なんだかわからないけど、見せちゃいけない気がするんだ」


 いや別に見たいわけでないけどな。興味があっただけで。


「気がついた? バステトちゃん」

「ああ、リアン。ここのところまたたびが見つけられなかったからな。久しぶりで気持ち良かった」


 俺を見る。


「おいエヴァンス。お前、またたびの精霊なのか」

「違うわ。ただの男だし」

「男……。どうやらそのあたりになにか秘密がありそうだな」


 じっと見つめる瞳は、しっとり濡れていた。


「エヴァンスと一緒に宝物を探すの絶対、楽しいよ。私も一緒に行くんだよ」

「そうか……。リアンと一緒なら面白そうだな。……ならエヴァンス、あたしもリアンと共にガイドになってやる」

「おう、助かる」


 願ったりだ。


「ただし……条件がある」

「な、なんだよ。俺の指を食わせろとか言うなよ」

「そんなまずそうな体なんかいらないよ」


 笑われた。


 吐息を感じるくらいまで近づいてくると、バステトは俺を見上げた。さりげなくまた、俺の匂いを嗅いでいるようだ。触れ合った胸が柔らかい。


「仲間になる代わりに、毎日一回、お前の匂いを嗅がせろ。またたびいらずだ」


 バステトの体のほうが、よっぽどいい匂いだけどな。思わず抱き締めたくなるような、甘くて不思議な香りがする。リアンと同じだ。

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