10-9 アンリエッタの涙
「疲れた……」
教員寮の部屋に戻ると、思わず弱音が漏れた。
「一週間分の仕事をした後みたいだ」
「お疲れ様、エヴァンスくん」
てきぱきと、アンリエッタが収蔵庫に荷物を仕舞った。王宮に持ち込んだ例の王冠や鋤、種を。
「とっとと寝よう」
「ええ」
往復数時間にも及ぶ馬車の旅。それに国王謁見での緊張――。俺はもうへとへとだった。固有ダンジョンで風呂と晩飯を済ませてあるとは言うもののの、あれからもう半日になる。緊張の汗でどろどろだし、食事で補給したエネルギーもすっかり枯渇している。
「アンリエッタ、今日は自分の部屋で眠れ」
「嫌よ」
首を振った。
「エヴァンスくんと一緒に寝る。……向こうの世界では、毎日のことでしょ」
「まあ……そうだけど。俺今日、汗まみれだし」
「大丈夫、わたくしも同じよ」くすくす
「ならいいやそれで」
もう色々考えたくない。面倒だ。
「途中で嫌だったら、構わないから部屋に帰れよ。朝……つってもあと二時間しかないけど、とにかく朝にまたここに来い」
服を全部放り投げ下着姿になって寝台に潜り込む。アンリエッタがランプを消してくれたのか、部屋は暗くなった。もぞもぞとした衣擦れの音がして、温かな体が俺の隣に潜り込んでくる。
「……お前」
「エヴァンスくん……」
アンリエッタは裸だった。夜着を
「いいよね。もうお風呂だって一緒に入ってるし」
「お前がいいならいいよ」
腕を回し、肩を抱き寄せてやった。ふたりの裸の胸が密着する。
「汗でべたべたするだろ。ごめんな」
「ううん。いつもよりエヴァンスくんの匂いがして、嬉しいわ」
俺の脇に顔を突っ込み、頬を擦り付けてくる。
「わたくしの大好きな……」
「よしよし」
左腕でぐっと抱き寄せ、右手で優しく背中を撫でてやる。半ばのしかかるような形になり、アンリエッタは俺に身を預けてくれた。
「エヴァンスくん……」
アンリエッタは、俺の胸に唇を着け、熱い呼吸を続けている。撫でていると時折体が震えるが、嫌がることなく、俺の手が背中を動くのを受け入れている。
「好き……誰よりも」
「ありがとうな、アンリエッタ」
「エヴァンスくんになら、なにをされたっていい」
「……」
どういう意味だろうか。まさかとは思うが、今日この場で……なのか。一瞬、その選択肢を検討したが、止めておいた。明日からまた探索の日々だ。体力は温存しておきたい。ここでなんかしたらオール確定だし。
それにもうふたりの気持ちは確かめ合っている。いつだってその先には進めるはずだ。それに進むなら、貴族のひとり娘というアンリエッタの立場に、俺は配慮しなくてはならない。
その準備をするのには、俺はまだ社会的地位がない。たとえ貴重なアイテムを大量に掘っている男とはいえ、社会的にはただの孤児、底辺の存在だ。ふたりが急いで踏み込めば、ろくなことはないだろう。
「わたくし、エヴァンスくんのためなら――」
「その先は口にするな。自分を縛ることになる」
「……わかった」
「今はこうして、ふたりで心臓の音を聴き合える幸せを味わおう」
「そうだね……」
俺の胸に、熱いものが落ちた。アンリエッタが泣いているのだ。
「エヴァンスくん……わたくしのことを考えてくれるのね。優しい……」
頭を起こすと、俺の胸にキスをし、それから俺の唇を求めてきた。
「わたくし……いつまでもエヴァンスくんのことを……」
その先は言葉にならなかった。ふたりの唇が重なったから。長い時間が流れ、唇が離れる。
「これはもう……この間の約束のキスじゃあないの。今晩のは、男の子と女の子のキスなの」
「声に出さなくてもわかってるよ、アンリエッタ。心が通じ合っているから」
抱き寄せると、今度は俺からキスを与えた。瞳を閉じて、アンリエッタは俺の唇を受け入れている。
呼吸につれ、アンリエッタの胸の先が、俺の胸を優しく撫でてくれていた。まるで母親が赤子を愛おしむかのように。
この幸せがいつまでも続いてくれと、女神に祈った。
●業務連絡
次話から、第11章「ヒエロガモスの地」に入ります!
三つの宝を入手したエヴァンスは、最終目的地「ヒエロガモスの地」を目指す。それはあまりにも意外な場所にあった。だがここに来てなぜかその地は、エヴァンスの侵入を拒む。そこには想像を絶する理由があった……。
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