10-8 世界開闢の秘密

「エヴァンスよ、この世界はいつ、どうやって生じたと思う」


 王宮から学園へと戻る深夜の馬車の中で、イドじいさんが俺に語りかけてきた。


「神話では、虚無空間に神々が炭のしずくを垂らして生まれたとか」

「そうじゃ。そしてしずくの中に世界と生命が生まれ、蔓草が無定見に蔓を伸ばすようにして広がった。互いに成長したり時には衝突して殺し合ったり」

「魔族も人も、エルフのような亜人も、世界の運命ストリームの渦の中で生まれたのです」


 学園長が付け加えると、じいさんは続けた。


「そうして神々は、外から世界を観察しておるのじゃ。もし……この世界に危機が訪れるなら、対処せねばならないと。そのための『種』を、神々は原初から世界に埋め込んでおる」

「種……ですか」


 意味わからん。昼も夜も人が詰めて火事発生を見張る、王都の火見櫓ひのみやぐらのようなもんかな。


「そもそもこの世界は、とあるひとつの『核』から生まれたのです。長寿種族エルフには、『種』や『核』のことを直接知っている古老がおり、はるか古代、そのことを叙事詩として残した」


 学園長はハーフエルフだもんな。親から伝え聞いたのだろう。


「それが古エルフ語の伝承って奴ですか」

「そうです。ただ……数千年にも及ぶ時の流れに、さすがに古エルフ語を知る存在が消え、後には曖昧な解釈だけが残ったのです」

「グリフィス様、その種というのは、とある人間ではありませんか」

「アンリエッタ、そこは曖昧なのです。なにしろ古エルフ語なので」

「わたくしの家にも伝承があります。ある……存在、そう、世界開闢に関わった一族の」

「あなたはただの人間の家系です。その伝承は、よくある一族の縁起えんぎでしょう。言い方は悪いですが、上流階級が先祖を持ち上げているだけですよ。先祖が英雄だったとか偉かったからこそ今、こうして支配階級の地位にいるのが正当化されるという。そのためのデタラメです」

「そうかもしれません」


 アンリエッタは口を結んだ。


「でもわたくしは信じております……」

「それでよい。いずれわかるはずだから」

「それで、それとヒエロガモスの地に、どのような関係が」

「ここから徐々に曖昧になってくるのじゃ」


 イドじいさんは溜息を漏らした。


「だが、世界が危機に陥ったときにと神々が考えておるのは、世界の立て直しではないらしい」

「つまり、どういうことです」


 思わず口を突っ込んだ。


「世界が見捨てられるってことなのか」

「悪い言い方をすれば、そういうことじゃろう」

「馬車と同じですよ、エヴァンス。小さな故障なら直せばいい。しかし長年酷使した馬車があちこち壊れかけ、走るのも危険、しかも直すのはとてつもなく難しいとなったらどうなるか」


 俺の手から受け取った瓢箪を、学園長は腰に戻した。


「苦労して直すより捨てて、新しい馬車を作った方がいい。そういうことです」

「そうして新しい世界は、ヒエロガモスの地から始まる。ヒエロガモスの地は、欠番ダンジョンに生じると」

「……なんてこった」


 そういや、俺のダンジョンは「欠番」扱いだった。そういうことなのか。


「だから俺のダンジョンが前代未聞と知ったときに、ヒエロガモスの地を探せと言ったんですね。もしかしたらその伝承にあるダンジョンかもしれないから」

「そういうことよ。その地で何が行われるのかは、わしやグリフィスにもまだわからん。曖昧が過ぎてな」

「そもそもエヴァンス、この世界に固有ダンジョンがあるのはなぜだと思いますか」

「なぜ……? なぜってどういうことです。そんなの当たり前だ」


 考えたことすらなかった。それは「なんで人間には眉毛がある」と問われるのと同じ。あって当然の話だ。


「私とイド様は、ひとつの仮説を置いています。固有ダンジョンシステムは、世界再生ダンジョンを生み出すための、無限の試行錯誤なのではないかと」

「はあ……」

「世界の危機に新たな世界を作るには、ダンジョンを人々の暮らしに取り込まないとならない。……でないと、肝心のダンジョンが誰にも発見されませんからね。だからこそ固有ダンジョンが前提の世界に設計されているのです。加えて、世界再生ダンジョンを生み出すための練習台のような存在でもある。――それが固有ダンジョンなのです。次々生まれては死んでいく人々の数だけ、試行錯誤できますからね」

「こう考えてみよ、エヴァンス」


 じいさんが髭を撫でた。


「世界危機の萌芽を感知すると、世界に組み込まれた警告システムが、再生ダンジョンを生み出す。無限のダンジョン生成パターンの中のひとつとして。それは欠番で、ガチャで引ける人間は誰もおらんまま、どこぞの異次元に存在し続ける」


 あの場所で「ともだち」と何百年も遊んでいたらしいリアンやバステトの姿を、俺は思い浮かべた。


「そうして世界がいよいよ危機になると、新世界の核となる存在に、神々がそのダンジョンを与えるのじゃ」

「それが俺か……」

「最初に言ったように、あくまでひとつの解釈じゃ。毎日毎日ああでもないこうでもないと文字列をひねくり回して置いた仮説よ。グリフィスと緊密にやり取りするために、近くにおられて時間の融通も利く用務員という仮の身分に、わしは身を置いたのだからのう……。じゃがさすがに長すぎる」


 溜息をついている。


「長寿たるハーフエルフのグリフィスにとっては短い時間でも、人間であるわしにとっては無限にも思える年月としつきじゃ。わしはもう、古エルフ語など、見るのも嫌だわい」


 豪快に笑ってみせた。


「そういうことだったのか……」


 なら俺があの世界で「婿になる」ってのは、次の世界を生み出すための婿って話なのかもしれん。これはいずれもう少しはっきりしたら、婿の話とかもじいさんたちに明かさないとならないな。


「だからおふたりは、エヴァンスくんとわたくしの行為が『必ずしもこの世界のためになるとは限らない』と、おっしゃったのですね」

「おう。覚えておったか。さすがはマクアート家自慢の娘じゃわい」


 にやりと笑って。


「もしこの解釈が正しいなら、一年後か十年後かあるいは千年後かはわからんが、この世界は滅びに面する……ということじゃからな」

「なら俺、もうヒエロガモス探索とか止めたほうがいいのでは」

「危機だから起動したのじゃ。どっちにろこの世界は滅びる。放置すれば新たな世界の芽も作られず、ここも滅亡。最悪の結末としか言いようがないのう」


 人類滅亡、世界滅亡の話をしているというのに、じいさんは涼しい顔だ。


「探しましょう、エヴァンスくん」


 アンリエッタに手を握られた。


「それが神々のご意思なら、人智を超えた大きな狙いがあるはず。忌むべき行為では、決してありません」

「そうだな」


 アンリエッタの言うとおりだわ。


「いいですか、エヴァンス」


 グリフィス学園長は、真剣な眼差しになった。


「前に言ったように、ヒエロガモスの地に到達し、ある種の決断を迫られたなら、どちらかを選ぶ前に、必ず一度戻ってきなさい。そうしてイド様や私に相談するのです」


 エルフの血がもたらす澄み切った瞳が、俺をまっすぐ見据えている。


「決して忘れてはいけませんよ。たとえ……戻る決断でどのような代償を払うことになるとしても」

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