13-6 旅立ちの日

「どうしてお前がここに……」


 絶句した俺に、マリーリ王女は微笑みかけた。


「エヴァンス様との冒険が待ち切れず、準備を急ぐよう、お父様をさんざっぱら急かしました」


 くすくす笑う。


「しまいにはお父様、お前の顔を見るのも嫌だと仰って」

「はあ……」


 朝から晩までせっつかれて辟易しているタラニス国王の顔が思い浮かんだ。


「ですのでもう準備万端。わざわざ王宮に出向いてもらうのも……と、グリフィス学園長に無理を申して、エヴァンス様の部屋でお待ちしていたのです」

「マリーリ様はね、もう五日ばかりここにご滞在です」


 グリフィス学園長が補足した。てか、マリーリ王女にばかり目がいって、学園長やイドじいさん、カイラ先生、それに近衛兵のパーシヴァルまで部屋に詰めているのに気づかなかったわ。今日が約束の日だからみんな、俺とアンリエッタの帰還を待っていてくれたんだな。


「ならこの短剣をタラニス国王に返還しないとな」


 剣帯にげた「デイモクレイスの剣」を、俺は叩いてみせた。


「それはエヴァンス様が持っていて下さい。そのように、父も申しておりました」


 マリーリ王女が、剣にそっと手を重ねた。


「冒険するのです。護身用の剣は必要なので」

「でもこれ、貴重な剣なんだろ。王室に代々伝わった」

「いいのです。父の判断なので」

「でも……」

「頂いておきましょう、エヴァンスくん」


 アンリエッタが俺の袖をそっと引いた。


「エヴァンスくんはこれから、姫様を守る騎士になるのです。剣があって困ることはありません。ましてこれは特別な品。戦闘力も高いでしょう。……姫様のためでもあるのですよ。タラニス様は、そこまでお考えかと」


 なるほど。言われてみれば、その通りだ。


「なら遠慮なく、預かっておくよ」

「よかった……」


 マリーリ王女は微笑んだ。


「それよりどうですか。わたくしの旅人姿、なかなか似合うとは思いませんか」


 くるっと回ってみせる。


「たしかに……」


 本音だ。さすがに良家の子女っぽく、体の線があまり出ない旅人服。俺達の偽装は「修行の旅に出ている中流階級の子女」と決めてある。だから素材もそれほど高価には見えないように、うまく算段してあるようだ。


「エヴァンス……」


 アンリエッタにまた袖を引かれた。


「もっとこう……きれいだとか言いなさい。あなたを婿に取る御方よ」

「き、きれいだ」


 言われて口にするのが情けない。


「ありがとうございます」


 それでもマリーリ王女は微笑んでくれたよ。


「エヴァンス様やアンリエッタお姉様と旅ができるなんて……、わくわくします」


 うっとりしている。王宮で会ったときと印象がかなり違う。あのときは冷静で賢い王女といった感じだったが、今はもっとこう……なんというか……感情を素直に表している。十三歳という年齢からして、こっちが素だろう。王宮では自分の立場をわきまえて行動してるってことだ。


「さて、言葉遣いを直さんといかんのう……」


 イドじいさんは髭を撫でている。


「そもそも、外でマリーリ様……とか呼ぶわけにもいかないですしねえ」


 グリフィス学園長も苦笑いだ。


「マリーリ様の顔を知る人がほとんどいないとはいうものの、名前は知れ渡っているわけですし」

「それもそうっすね」


 たしかに言う通りだ。


「では、わたくしは旅の名前を使いましょう。エヴァンス様、わたくしに新しい名前を下さいませ」

「えと……」


 王女は俺の言葉を待っている。


「そうだな……マリリンってのはどうだ。マリーリとちょっと似てるし」

「まあ、かわいらしい名前……」


 王女に手を握られた。


「エヴァンス様に頂いた名前、大切にします」

「エヴァンス様も止めましょう、姫様」


 カイラ先生が口を挟んできた。


「エヴァンスと呼び捨てで。はい、練習」

「エ……エヴァンス」

「はい、こっちも」


 瞳で促された。


「マリリン」

「エヴァンス……」

「はい。よくできました」


 カイラ先生が手を叩いた。


「三人だけのときは、呼び方は自由ですよ。外では間違えないように。……これなら大丈夫ですね、イド様」

「うむ」


 じいさんがハゲ頭を叩いた。


「にしてもうらやましいのう……。こんなかわいい娘ふたりと旅ができるとは。しかも……ひとりはすでに実質嫁、もうひとりはやがて嫁という」

「まあそのへんは……」


 とりあえず制止した。あんまりそのへん、突っ込まれたくない。恥ずかしいし。


「馬車は表に用意してある」


 近衛兵パーシヴァルが口を開いた。


「古びて見える、目立たない家族馬車だ。しかしその実、頑丈に作られていて、魔導士の力で防御魔法が掛けてある。……もちろん馬も地味ながら最上級だ」

「なるほど」


 一か月でしっかり準備できていたってことだな。


「王領内にそれほど危険がないとは言うものの、山賊も出るし、モンスターだっている。だから本当は俺が御者役で同行したかったんだけどな……」


 苦笑いを浮かべている。


「ムキムキすぎて偽装と整合性が取れない。かえって怪しまれると反対されてな」


 そらそうだ。


「なので姫様には特別の護衛をつけることにした。……姫様」


 マリーリ王女……旅立ってからはマリリンだが……が、頷いた。


「出てらっしゃい、ピピン」

「はーいっ」


 王女の胸元から、なにかが飛び出した。十七歳くらいに見える娘。異国風の、エキゾチックな服を着ている。……ただし体長は三十センチもない上に、羽もないのに飛び回っている。


「妖精……」


 アンリエッタが息を飲んだ。


「この大陸にはもう、ほとんどいないという話なのに」

「初めましてエヴァンス。それにアンリエッタ。ボクはピピン。姫様とエヴァンス、アンリエッタを守るよ。ボク、こう見えて強いからね」

「妖精は魔法が使える。それに勘が鋭く、霊力もある。王家が大事にしてきた客人だ」


 パーシヴァルが解説してくれた。


「ねえねえエヴァンス。ボクと一緒に旅できてうれしい。ねえねえ」


 俺の頭の上をくるくる飛んでいる。


「そうだな。うれしいよ、ピピン」

「ねえねえ、アンリエッタと姫様だけでなく、ボクも恋人にしたい? ねえねえ」


 余計なお世話だ。てかひとこと多いな、こいつ。


「まあ今後よろしく頼むよ」


 適当に流しておいた。


「では参りましょう、エヴァンスさ……エヴァンス」


 ぺろっと舌を出した。あやうく「エヴァンス様」って言いそうになったからな。


「もうかよ」

「ええ。当座必要なものは全て、馬車に積んでありますし」


 アンリエッタの手を、俺はきゅっと握った。


「……いいか、アンリエッタ」

「ええ」


 アンリエッタは涼しい顔だ。


「わたくしはいつでも心の準備ができています。エヴァンスくんと一緒なら、なにも怖くないもの」

「度胸があるのう……」


 イドじいさんが顎を撫でた。


「さすがはマクアート家の才媛だわ。マリーリ王女とアンリエッタがおれば、いかにドハズレ枠の馬鹿者といえども、なんとか旅をできることであろうよ」


 ひどいわ、俺の扱い……。


「わしも続いて旅に出る。辺境で世界の危機を探るとしよう。いずれエヴァンスとはまた出会えるであろうよ」

「ほら、エヴァンス様……」


 マリーリ王女に手を引かれ、中庭に出た。二頭曳きの小振りな馬車が、たしかに用意されている。覗いてみたが、荷室には大量の荷物があった。きちんと整頓して置かれている。それに、三人が横になれるだけの寝台スペースだってある。女ふたりと雑魚寝ってのはちょっとアレだけど、考えたら嫁みたいなもんだしな。


「いい馬……」


 アンリエッタは、鼻面を撫でている。


「さすがは王属の馬ね。感心するわ」


 馬の良し悪しとか、俺はわからない。なんせ孤児育ちだ。地べたを這い回る日々で、馬を使うことなんか、なかったからさ。


「じゃあ出発するか」

「……エヴァンス様」


 マリーリ王女は、俺の首に腕を回してきた。アンリエッタに勝るとも劣らない、いい匂いがする。それに触れ合った胸を感じる。姫様、俺との婚姻はまだ先だってのに、大胆だな。

「わたくしを乗せて下さいませ」

「ああ」


 抱きかかえて、御者席に乗せた。


「エヴァンスくん……わたくしも」

「任せろ」


 ふたりを座らせると、その間に俺も陣取った。


「ボク、ここがいい」


 姫様の服の襟から飛び出したピピンが、俺の胸に潜り込んできた。なんだこいつもあったかいな。それに生意気に女子の柔らかさだ。


「ここならよく前が見えるし。なにかあってもボクが守れるよ」

「頼んだよ、ピピン。みんな……」


 振り返った。馬車を囲むように、イドじいさんたちが立っている。


「じゃあ俺は出発します」

「これからどう進むつもりですか、エヴァンス」


 グリフィス学園長は微笑んでいる。


「気の向くまま」


 答えてから考えた。


「それに……三日に一度は固有ダンジョンに潜ります。向こうで聖婚の儀式を進めないと」

「体がいくつあっても足りんのう」


 イドじいさんは、にやにやしている。


「エッチなことじゃ」

「余計なお世話です」


 つい口に出ちゃったよ。


「たまには学園に、魔導手紙を飛ばしてね」


 カイラ先生は少し心配顔だ。


「そうします」

「姫様を頼むぞ、エヴァンス」


 パーシヴァルは真剣な瞳だ。


「姫様になにかあれば、お前を殺す」

「近衛兵の冗談は、笑えないんだってば」

「行きましょう、エヴァンス様」


 マリーリ王女が、俺の腿に手を乗せてきた。見送りのみんなに手を振ると、俺はゆっくり馬車を進めた。学園の門を、すぐに潜る。


「どっちに進むの、エヴァンスくん。学園を出ると、道は二手に分かれるよ」


 アンリエッタも、腿に手を乗せる。……だけでなく、姫様に気づかれない程度に、ゆっくり撫でてくれたよ。俺達、恋人だからな。もう身も心も確かめ合った。


「右だな。そっちは陽が当たっていて気持ちいい。姫様に広い世界、楽しい世界を見せて回る旅だ。楽しく行こうじゃないか」

「嬉しい……」


 俺の肩に、頬を寄せてきた。


「わたくし、エヴァンス様と婚約できてよかった。わたくしきっと……すぐにエヴァンス様が大好きになる。正式な婚姻式の前に、わたくしは幸せになるわ。そうして……」


 じっと俺を見つめてくる。つと顔が近づくと、唇を重ねてきた。


「エヴァンス様も幸せにする、命を懸けて。……誓うわ」

「わたくしも同じよ。姫様と気が合うわね」


 アンリエッタもキスしてきた。


「なら行くか」


 ふたりの腰を抱き、抱き寄せる。俺達の馬車は、陽のあたる草原の道を、ゆっくり進み始めた。未来に向かって。




●第一部はここで完結です。引き続き、第二部連載に入ります。

ここまで応援・完読ありがとうございました。おかげさまで無事、第一部の最後まで突っ走れました。最後1日5話更新とかよせばいいのにしちゃって、死ぬかと思ったけど。


評価がまだの方は、★みっつにて評価を頂けると、第二部でも馬力が出ます。現在、応募中のコンテストの読者選考期間中ですので、よろしくお願いします。


次話、第二部予告。その次からが第二部です。お楽しみにー!

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