7 孤児の俺、国王に謁見する

7-1 速駆け馬車の激走

「そろそろじゃのう……」


 イドじいさんが、速駆け馬車の窓から外を眺めた。今日は新月。街道も真っ暗だ。魔導トーチで照らしているが、それでも心許ない。そこを激走しているのだから、御者は相当の腕前と見た。それに馬もかなりの度胸だ。草食動物である馬は、本能的に暗闇を嫌がるからな。夜行性の肉食動物が多いから。


「今、一本樫を過ぎました。ここからは街路に入るので、もうすぐでしょう」


 近衛兵パーシヴァルが応じる。


「うむ……」


 頷いたじいさんは、俺達を見つめた。


「では、段取りどおりに……」


 俺達を乗せた速駆け馬車は、王宮に向け、暗い街道を矢のように飛ばしたんだ。速駆け専用、しかも王属の馬車なので造りはしっかりしており、しかも振動抑制の魔導処理がされている。だから見たこともないほどの高速移動を続けていても、気分が悪くなったり揺れで舌を噛むこともなかった。


 とはいえ遊びの馬車道中ではない。俺とアンリエッタは、ほぼほぼ放置されたまま。学園長とイドじいさん、近衛兵パーシヴァルの間でああでもないこうでもないと、謁見戦略が練られていた。


 学園長室でそこまで詰めなかったのは当然、時間の余裕がないからだ。広い敷地が必要な冒険者学園コーンウォールは、王都郊外にあるからな。防衛上の必要性から、王宮はもちろん王都中心に位置している。かなりの距離だ。


 パーシヴァルが魔導通信で謁見申請と理由概要を送ってあるので王宮でも準備が進んでいるはず。とはいえ俺にはひとつ、懸念があった。馬車は飛ばしに飛ばしたが、もう真夜中近い。国王は待っているだろうが、眠いだろうし機嫌は悪いはず。あんまりいい条件ではない。


「もう王宮の塀が見えましたね」


 グリフィス学園長が、儀礼服の襟を整えた。


「皆さん、準備をお願いします」

「うむ……」

「はい」

「わかりました」


 ――といっても、儀礼服姿は学園長だけ。パーシヴァルは学園に来ていたままなので、普通の近衛兵平装。イドじいさんは儀礼服すら持っていないのか、あろうことか薄汚れた用務員制服だ。もう少しなんとかならないんかね、あれ。


 ああ、俺とアンリエッタは学園制服だよ。学生にとっては、それが正装だからな。意味があるか不明だが、手で引っ張って皺が伸びるか試してみた。やっぱダメだったけど。


         ●


「おう。待っておったぞ」


 慌ただしく謁見の間に案内されると、きらびやかな椅子に座ったおっさんが、手招きしてきた。仰々しい椅子に金を編み込んだらしき豪勢な服だから、きっとあれがタラニス国王だろう。


 なんせ孤児の俺はもちろん、国王の顔など知らないからな。見たところ、脂の乗り切った四十代くらい。幸い、機嫌が悪くはなさそうだ。……というか、最悪でもそのように取り繕っているようには見える。


 現デーン王朝は、二百年近く続いている。タラニス国王が、第八代。伝承では、家系十代めに大きな変動が起こり、王家は第二の黄金期を迎えるという。


 玉座の背後には、何人もの男や女が立ち並んでいる。格好からして、参謀や学者らしき存在。玉座が位置する段の下には、侍従や女官。あと国王を守る位置に近衛兵が陣取っていた。


「早うこっちに案内せい。噂の天才を」


 俺を見つめてにこにこ顔だ。だが瞳は笑ってはいない。笑顔を作りつつ、鋭く俺を観察している様子。孤児院育ちの俺は、周囲の大人の顔色を読むのが得意だったからな。そうしないと生き残っていけなかったから。


 こえーっ……。


 心の中で、俺は溜息をついた。相手は国王。絶対権力者だ。


「さて、参りましょうか……」


 俺の心など読めないはずだが、グリフィス学園長が、俺の背中をそっと押した。一緒に歩いてくれる。学園長と俺の後ろに、みんなが横並びでついてくる。馬車の中で決めてあったことだ。なにせ学生の俺を紹介するのは、正式には学園長だからな。学園総代として。


「我が君タラニス様。こちらが例の学生、エヴァンスです」


 学園長に瞳で促され、俺は頭を下げた。儀礼としては通常、立場が下の者を上に紹介し、それから上の者を下に紹介する。上の者が先に全貌を知るべきだという思想があるからだ。


 しかし学園長は、俺に国王を紹介しなかった。それはもちろん、王国民である以上、国王のことを知っていて当然――という建前があるためさ。


「ようやく会えたのう……。噂は聞いておる」


 大仰に、国王は顎を撫でてみせた。


「エヴァンスとやら、名字はなんと申す」

「その……」


 学園長を横目で見ると、瞳だけで頷いている。


「俺には名字がありません。産まれたての姿で産院前に捨てられていた孤児です。名前は孤児院の婦長様が付けてくれました」

むごいことじゃ……」


 国王は、溜息をついてみせた。仕草が大げさなのは、部屋にいる人間全てに自分の意思や感情を伝えるためだろう。なんせ玉座に近づけるのは、ごく一部だからな。自然に身に付いた、王者ならではの習慣って奴さ。


「我が国にはまだまだ、解決すべき課題が多い。余の力、到らずじゃ。……のうエヴァンスよ」

「はい」

「余がその方に名字を与えようか」

「えっ!?」


 想定外も想定外。まさかの提案に、俺の脳は固まった。


「いい名字を考えるぞ。我が王朝神話に由来する」

「その……」


 困った。国王に名字を授かるなんて、一般人には夢のような僥倖ぎょうこうだ。王室由来の家系となるので、働くにも縁談にも極めて有利に働く。しかし反面、国王にとてつもない借りを作ることになる。下手に答えると、とんでもない事態を招くだろう。


 どうすればいい。どうやって切り抜ければいいんだ……。


 俺の脇を、冷たい汗がつたった。

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