3-2 前世界の土地神

「……」


 暗転した視野が明るい光に満たされると、俺は固有ダンジョンの草原に立っていた。いつも通り。万年晩春の暖かな優風が吹き渡り、頬をくすぐってくれる異世界に。前回ログアウトした場所、つまりいつもの寺小屋すぐ前の丘だ。


 マリーリ王女は、俺に抱き着いたまま。歴史を通し本人以外絶対帯同禁止の固有ダンジョンに、アンリエッタ同様、連れ込めたことになる。「道標みちしるべ」の言葉通りだ。


 現実世界で寝台を共にし、男と女の関係になった。あれで「俺の聖婚相手」として、この世界に認識されたということだろう。


 もちろん、アンリエッタも並んで立っている。


「またしても全然来なかったな、エヴァンス」


 目敏く……というか鼻敏く俺達を察知したバステトが飛んでくる。腕を腰に当て、頬を膨らませた。


「どういうことだ。……てか、こいつ誰だ」


 瞳を細め、胡散臭げにマリーリ王女を睨んでいる。


「わたくしは……」

「待て」


 顔を寄せると、マリーリの匂いを嗅ぎ始めた。髪、首筋、胸の隙間、それにへそのあたりまで。


「……お前、エヴァンスと仲良くしたんだな。昨日の晩」

「えっと……その……」


 王女の頬が赤くなった。この場合の「仲良し」はもちろん、そういう意味だろう。


「ならまあいいか」


 笑ったバステトが、王女の肩をぽんぽん叩いた。


「名札も無いよそ者とはいえ、もうあたしやリアンの仲間だ。それより……」


 俺に向き直る。


「わかってるだろうな、エヴァンス」


 また瞳を細め、睨んでくる。


「ああ。好きにしろ」

「よし。許可が出たぞ、コマ」

「わーいっ」

「がおーっ」


 話が着くのを行儀よく待っていたネコマタのコマが、バステトと一緒に飛びついてきた。押し倒された俺の上で、くんくんし始める。もう勝手知ったる行為だ。ふたりを抱き寄せて、背中をゆっくり撫でてやった。


「さあ行きましょう、姫様。みんなにご紹介します」

「は……はい、アンリエッタお姉様」


 またたび行為について、アンリエッタは慣れてる。背の低い草原に寝転んだ俺達を置いて、ウエアオウルのソラス先生、それに興味津々の「おともだち」が待つ「てらごや」に、マリーリ王女を案内していった。


         ●


「ではマリーリさんが、このてらごやの新しい塾生になってくれるのですか。嬉しいです」

「そういうことだ。よろしく頼む」


 ようやく解放された俺は、ソラス先生に頷いた。あーちなみにまたたび行為に満足したコマとバステトは、ふたり抱き合ったまま、草原でうっとり余韻を楽しんでいる。


「エヴァンスくんの頼みなら、聞かないわけにはいきませんね。それに……これはまた……かわいらしいおともだち……」


 眼鏡を直すと、上から下まで、マリーリを観察している。太陽を反射した眼鏡が、きらりと輝いた。


「はーい、皆さーん」


 ぱんぱんと手を叩いて、ソラス先生が教室を静めた。


「私達と同じく、エヴァンスくんの『およめさん』ですよ。仲良くしましょう」

「……」


 みんなから興味津々の視線を浴び、王女の頬がまた赤くなった。まあ……まだ十三歳だしな。


「かわいいーっ」

「これはおともだちにならないと、じゃん」

「向こうの世界も、エヴァンス以外はおんなのこだけなのかな」

「ちょっと向こうも覗いてみたいかも……」

「それよりこっちでまだ行くとこあるしな。うみべ地方とか」


 まあ、わいのわいの楽しそうだ。


「み……皆様、よろしくお願い致します」


 マリーリがぺこりと頭を下げると、拍手と歓声が巻き起こった。


「わあ、かわいい娘だねー、エヴァンス」


 スライムのリアンも楽しげだ。


「そうそう、リアン」


 リアンの手を掴むと、皆から離れた。木陰で向き合う。遠くから、アンリエッタが俺達を見ていた。


「なあに、エヴァンス。またふたりで蜜吸いする? 木のストロー、また拾ったよ。多分……ザルバさんが置いてくれたんだと思う」

「そう、そのザルバに聞きたいんだ。……まだ、お前の中に居るんだろ」

「居るよー。今もエヴァンスくんのこと、私の目を通して見てるの感じるもん」


 ザルバは現世界を創造した神々のひとり。世界を創造し、次世界の準備としてここ聖婚の方舟世界を構築してから、リアンの魂に間借りする形で何百年も眠りについていた。方舟の聖婚相手として、俺がこのダンジョンに顔を出すまでは。


「なら教えてくれ、ザルバ。現実世界で俺達は、『道標』と名乗る存在と会った。……というか声を聞いた」

「『道標』……」


 リアンの青い瞳。その奥に、黄金の光が宿った。女神ザルバの。


「ああ。正体は不明だ。だがそいつは警告してくれた。アシュルに気をつけろと。今日連れてきたマリーリ、あいつがアシュルに死の呪いを懸けられた。解呪のため、俺が次元の間に踏み込むように。そこでならアシュルは、俺の存在を抹消することが可能だと」

「アシュル……ですか……」


 声も変わった。無邪気なリアンの声色でなく、落ち着いた女神の声に。


「ああそうだ。信じられないなら、この世界にマリーリを連れ、お前……ザルバに見せろと」

「なるほど……」


 リアン……いやザルバは、アンリエッタと並ぶマリーリ王女に視線を飛ばした。マリーリは今、いろんな「おともだち」の質問攻めにあっている。


「ああ……」


 ザルバの瞳が、悲しげに陰った。


「たしかに……アシュルの呪い……」

「なら呪いは本当なのか」

「ええ、エヴァンス。死の呪い。近々、発動するでしょう」

「くそっ!」


 マリーリに聞こえないよう、小声で罵った。


「教えてくれ、ザルバ。アシュルってのは何者なんだ。それに……『道標』って奴のことも」

「アシュルというのはですねエヴァンス、前世界の土地神です」

「今の世界の、もうひとつ前の世界ってことか」

「ええ」


 頷くと、リアンのきれいな青髪が、さっと流れた。


「現世界創造の折に神格を失い、地下に幽閉されたのです」




●業務連絡

前話から新章に変更しました



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