3-2 初めての夜

「そろそろ、寝る準備しようよ」


 リアンが天空を見上げた。夕陽は山裾に姿を消し、残照が徐々に消えつつある。東側には藍色の夜空が広がり、星がまたたき始めている。例によって果実と根菜の晩飯を終え、片付けと夜の水浴を終えたところだ。


 腹もいっぱいだし、体も清めた。たしかに寝床を用意する頃合いだろう。どういう寝床を作るのかは知らないが、真っ暗な中で作業するとテンション下がるしな。


「そうだな、リアン」


 立ち上がったバステトが、きゅっと体を伸ばした。そうすると、服を通して体のラインがよくわかった。


「リアンと寝たことは何度もあるけど、エヴァンスとは初めてだ」


 残照に瞳が輝いている。


「へへーっ。寝ながら代用またたびの香りを一晩中嗅げるとか、天国かよ」


 いやそれは俺も同じだわ。学園旧寮、雨漏りでカビ臭いでこぼこベッドより酷いことは、絶対ないだろ。おまけにかわいい女の子ふたりと話しながら眠れるんだからな。しかもふたりとも、いい匂いだし。


「どこにする、バステトちゃん」

「そうだな……」


 見回すと、草原の一角を指差した。


「あそこに寝綿草の群生がある。あれでいいんじゃないか」

「いいね」

「寝綿草って、なんだ」

「柔らかくてねー、いい匂いがして、あったかいの」

「寝ればわかるさ。ほら来いよ、エヴァンス」


 バステトが手を引いてくれた。


「ここだよ」

「へえ……」


 そこには、綿毛のようにふわふわの草が生えていた。すごく密生していて、押すと手を押し返してくるくらい弾力がある。最上質の羽毛で作られた寝台のようだった。しかもたしかに温かい。


「ここに寝るのか」

「うんそうだよ」


 リアンはにこにこ笑ってる。


「虫に刺されたりとか」

「この世界に刺す虫はいないよ。それに肌に上ってきたりしないし」


 行儀のいい虫だな。


「あと、葉っぱと枝で屋根とか作らなくて平気なのか、夜中に降雨したりとか」

「寝てる場所には、雨つぶは落ちてこないんだよ。一度もないもん」

「ああそうだ。誰も居ないところにしか、雨は降らない」

「へえ……」


 植物とか川の流れに必要だから、雨自体は降るわけか。ただみんなを避けてくれるだけで……。面白い世界だな。とことん住人に優しくできてやがる。


「とはいえこの草の範囲だと、ちょっと狭いかな、三人だと」


 腰に手を当てて、リアンが眉を寄せた。


「バステトちゃんとふたりだと、ちょうどいいサイズだけど」

「平気さ」


 なぜかバステトはうきうきしていた。


「三人でくっつけばいいんだよ。あたしはそっちのがいいな。エヴァンスを……いや……」


 例の手袋を外し俺の手を取ると、きゅっと握ってくる。


「いや、あり得ないくらいでっかいまたたびを抱いて眠れるなんて、ケットシーの夢だよ」


 そりゃまあそうか。一日一度の約束以外にも「はあはあ」できるんだもんな。幸せなんだろ。


「ほら寝るぞ、エヴァンス」


 すとんと腰を下ろすと、そのまま俺の手を引っ張る。


「早く、早くぅ」


 もう欲しくて仕方ないといった様子。


「寝間着とかないんか」

「このまま寝るんだよ、みんな」


 俺の隣に、リアンも腰を下ろした。


「そうそう。あたしたちの服は汚れないんだ」

「へえ……」


 毎日同じ服だし、そうなんだろうなあとは思ってた。


「でも俺はどうかな」


 このダンジョンの影響を受けて、ふたりのように清潔なままなのかもしれないが正直、自信はない。


「なんだ心配なのか。男って奴は心配性だなあ」


 バステトに笑われた。


「なら脱げよ。別にいいだろ」

「……そうするか」


 ふたりが気にしないなら、それでいいや。実際、この「寝床」、裸でも温かそうだし。なんての、ふわふわの巣で親鳥に抱かれる雛鳥みたいな感じよ。この寝綿草って奴、マジ役立つな。


 制服とシャツを脱ぐと、パンイチになった。というか、どうせこれからは週一でしか戻らないんだから、律儀に制服なんて着る必要すらないな。必要装備は全部もらえるって話だし、野外行動服を揃えてもらおう。金曜に帰ったときに頼めばいいわ。そのほうが動きやすいし、疲れ方も違うだろうからさ。


「エヴァンス……お前、やっぱり胸、平らなんだな」


 珍しいものでも見るかのように、バステトはまじまじと俺の裸を見つめている。まあ実際珍しいわけだけどな、この世界だと。


「筋肉の塊じゃないか。うらやましい」


 信じられないといったような声。バステトは、活発に動き回る獣人だ。筋肉至上主義なんだろう。


「といっても一応、胸が付いてはいるんだな。不思議だ」


 手を伸ばしてくると、おずおずと乳首を触ってくる。


「触っていいか、エヴァンス」


 いやもう触ってるだろ――。そう突っ込みそうになったわ。とはいえ呆れたが、俺は黙っていた。バステトもリアンも、男という存在を知らないんだ。純粋な興味を、別にからかう必要はない。


「あたしの胸の先と、感触が違うな。なんだかコリコリしてる。木の実みたいだ」

「お前のはどうなんだよ」

「どうって、そうだなあ……」


 自分の服に手を突っ込んで、なにかごにょごにょ動かしている。


「あたしの胸の先はもっと柔らかいし、それに大きい」


 女の子の体の形くらいは、俺だって知ってる。触ったことがないだけで。なんせ俺、底辺孤児だからな。寄ってくるはずないじゃん。例の騒ぎ以降、私利私欲から近づいてくる女がいるだけで。


 そういや、あの子……。


 脳裏にふと、SSSクラスの女子が浮かんだ。アンリエッタって言ってたっけ。俺と友達になりたいって言ってたな。あれはあんまり嘘には思えなかった。


「おいエヴァンス、お前……」


 バステトの視線が、下に移った。


「お前それに……なんだか膨らんでるんだな。腰のところ」

「ポケットに、なにかしまってあるんだよ。……おやつかなんか」


 興味津々のバステトと異なり、俺と自分の体の違いについて、リアンはあまり興味がないようだ。


「おやつだと! それは許せないな。あたしにも食べさせろ。がおーっ」

「あっ」


 止める間もなく、パンツの上から握られた。


「……なんだこれ。ぐにゃぐにゃしてる。ヘンな果物だな」

「食べもんじゃない」


 バステトの手を、そっと外した。


「これはな、呪いの装備だ」

「呪いの……装備だと」


 眉を寄せて絶句している。


「だから今後、一切触るな。バステト、お前が不幸になるからな」


 実際、これが暴れたら不幸になるだろ。使ったことないから知らんけど。


「わ、わかった。二度と触らない」


 きゅんと手を引っ込めた。


「それより早く寝ようよ、バステトちゃん。私……もう眠くなってきたし」


 ふわーあ……とあくびをすると、リアンは横になった。


「そうだな。ふたりとも、もう寝るか」


 俺が体を倒すと、待ってましたとばかり、バステトが抱き着いてきた。


「へへーっ。またたびゲットーっ」


 俺の腕を勝手に枕にすると胸を抱き、首筋に頬を押し付けてくる。


「はあーあ……天国の香り」


 バステトが囁くと、唇の当たった首がくすぐったい。


「はあ……はあ……」


 バステトの体は、どんどん発熱してきた。吐息も熱い。いつもの「またたび効果」だ。これがあれば寝綿草とかいらないんじゃないかってくらい。バステトの体から、俺を誘うような香りが立ち始めた。


「あっずるい、バステトちゃんだけ」


 反対側から、リアンも体を寄せてくる。


 バステトは、抱き着くといってもあんまり色っぽくはなく、格闘技の絞め技のような感じ。でもリアンは違った。スライムだからか体は特に柔らかいし、俺を包むように抱いてくれる。そっと伸ばした手で、俺の胸を優しく撫でてくれて。大きな胸が、横から俺の胸を包んでくれる。


 母親って、こんな感じなのかな……。


 ふと思った。俺は母親の顔すら知らない。産まれたての姿で捨てられていたそうだから。


 ふたりの体を抱き寄せた。またたびに夢中のバステトは、気にもしない。それにリアンにも嫌がられなかった。


 ふたつの鼓動を感じる。柔らかな胸から。両側から女の子に包まれ、吐息と寝息を聞いているうちに、俺も眠くなってきた。


 それは少し不思議な体験だった。


 だってそうだろ。俺は男だぞ。変な話、この状況に興奮して、ふたりに手を出してもおかしくはない。考えようによっては、むしろ自然だ。なのに今はそうした欲望より、どちらかといえば安らぎを感じる。体に変化だって起こってないしな。


 なぜだろう……。


 すっかり闇に溶けた空を見上げ、俺は考えていた。


 これも、この世界がもたらす不思議のひとつなのだろうか……。


 またたく星は、何も答えてはくれなかった。


 いつの間にか、意識が薄れてきた。夢魔に誘われたかのように。幸せな眠りの世界へと、俺は導かれた。

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