10-2 三つめの宝箱

 数時間後。リアンを抱えながら前を飛ぶルシファーが突然、旋回し始めた。


「どうやら、このあたりらしいのう……」


 俺の頭を、グウィネスが優しく回してくれた。


「見よエヴァンス」


 眼下はるか下に、険しい斜面が見えている。これまで飛んできた高山連峰から垂直の崖になって落ち込む先が。谷底は湖になっていた。四方を囲む山からの降雨がそこに溜まっているのだろう。なにせどっちを見ても高い山で、川になって海へと向かう道筋が無い。


「おそらく、あの湖のほとりであろう。ルシファーが下降に入るでのう」


 グウィネスの言ったとおり、目星を付けたのか、ルシファーは急降下し始めた。


「続くぞ、エヴァンス」

「ああ――って、おおっ!」


 崖から落ちるくらいの速度で、グウィネスは下降を始めた。体の中心がすうっと気持ち悪くなって、なにかが頭に抜けていくかのようだ。


「ひゃああああーっ!」


 情けない声が出た。恐怖は永遠に続くかに思われたが突然、ふっと体がまた浮いて楽になった。と思うと、グウィネスはふわりと着地した。湖のほとりへと。俺をグウィネスに吸い着けていた謎の力が消えると、思わず尻餅をついちゃったよ。へなへなと。腰が抜けたっていうかな。脚に力が入らない。


「こ、怖ーっ」


 思わず泣き言が出た。


「ほら、立てるか、エヴァンス」


 手を差し伸べて、俺を立たせてくれる。


「気にするな。初めて飛んだともだちは、みんなお前のようになる」


 立った俺を、優しく抱き締めてくれた。


「よしよし……。お前は頑張った。余の自慢の婿であるぞ」


 いやまだお前ら、「けっこん」のことよく知らんだろ。まあ……この世界の「けっこん」がガチ結婚のことを指すのか、まだ決まったわけじゃないんだけどさ。


「なんだエヴァンス、きゃあああーって」


 グウィネスに抱かれる俺を、バステトが冷ややかに見つめてきた。腕を腰に当てて。


「『おとこ』ってのは、頼りになる力強い存在かと思うと、意外に弱いところもあるんだな。あたしにはよくわからん」

「バステトちゃん、エヴァンスは強いよ」


 リアンがフォローしてくれた。


「そうそう。わたくしも最後、叫んじゃったし」

「アンリエッタもか。……なら、外のヒトの反応なのかもな」


 飛んでいる間に着いた体の汚れを、バステトはぱんぱんと払った。


「ここはなかなか興味深い場所ですね」


 ソラス先生の眼鏡が輝いた。


「この山脈は険しすぎて、飛べる子しか越えられなかったし。先生も初めてです」

「見て、エヴァンスくん。石がきらきら輝いている」


 湖畔に、アンリエッタがしゃがみ込んだ。


「これ、宝石ではないかしら」

「うおっ……本当だ」


 湖の波に現れ丸くなった小石に交ざり、透明な石がそこここに転がっている。赤かったり緑だったり。どれも数センチほどもある、巨大な物だ。


「この紫のは多分……アメジスト。赤いのはルビー。それにこれ……」


 限りなく透明に近い石を、アンリエッタは摘み上げた。


「ホワイトサファイヤかしら。それともまさか……ダイヤモンド」

「そのサイズのダイヤなら、とてつもなく高いだろ」


 知らんけど。なんせ孤児には無関係だからな、宝石とか。


「そうね。うちの領地の収穫、一年分くらいの価値はあるわ」

「マジかよ……」


 アンリエッタの実家はガレイ地区長官。現地にとてつもなく広大な荘園を保有している。そこの収穫一年分ってことは、何千万ドラクマってレベルだろ。


「きれいでしょ。知る限り、ここにしかないのよ」


 自慢げに、ルシファーは微笑んでいる。


「だから初めて見つけたときにたくさん持ち帰って、石投げゲームに使ったのよ、エヴァンス様」

「石投げゲームってあれか、川や泉で石ころ遠投げして遊ぶ奴か」

「ええそうよ」

「もったいなーっ!」


 それならこいつら、何千万ドラクマ、下手したら何億ドラクマとかの宝石をそこらに捨てて回ったってことか。


「そんなに欲しいのなら、後でたくさん持って行くといいわよ。私もまた持ってくから」

「ならあたしもだ」


 しゃがみ込むとせっせと拾った宝石を、バステトが服のポケットに詰め込み始めた。


「石投げゲーム、面白いからなー」

「……まあいいか、見渡す限りあるみたいだし」

「考えたら贅沢よねえ……。宝石で遊ぶとか」

「しかもぶん投げて捨てる遊びだからな」

「それより……」


 イグルーが周囲を見回した。


「肝心の宝箱は、どこにあるの」

「そうそう。それを忘れていたわね」


 魔帝ルシファーは、背後の山を見た。湖の四方には平坦な岸辺がわずかに広がるのみで、すぐに急峻な山壁に呑まれている。ほぼほぼ絶壁と呼べるほどで、中には垂直に切り立った一枚岩の部分すらある。これは絶対に徒歩では近づけまい。


「あの垂直岩の下にあったんだよ」

「ならすぐね」


 俺達は歩き始めた。途中みんな、しゃがみ込んでは気に入った宝石を拾っていく。俺とアンリエッタも一応「おみやげ」を確保した。俺は選ぶのも面倒だったから、透明な奴だけ。アンリエッタはいろんな色を採取してたよ。


「ほらあそこよ、エヴァンス様……」


 ルシファーは駆け出した。例の垂直岩の下に。


「この岩の下か……」


 近くまで来て見上げると、垂直岩ははるか上まで続いている。おそらく……数百メートル。こんなどでかい一枚岩とか、見たことも聞いたこともない。


「少し危ないわね」


 アンリエッタが眉を寄せた。


「たしかに」


 上部から剥離して落下してきたと思われる岩が、湖畔に大量に散らばっていた。でかい奴は直径数メートルもある。たとえ十センチの岩でも、頭部に直撃を食らったら即死だろう。


「とりあえず宝箱確認は急いだほうがいいな。すぐ離脱したい」

「ほら、ここよ」


 ルシファーが指し示す場所、落下岩の間に半ば埋もれるようにして、その宝箱はあった。何度も岩が直撃したに違いないのに、宝箱自体にはなんの凹みも、傷すらも無い。


「よく見つけたな、隠れてて見えにくいのに」

「金属製でしょ。きらりと輝いたのが、上空から見えたの」

「なるほど」

「これはまた……宝箱らしいサイズよね。なんというか……古代ドラクマ金貨が山盛りで入っていそうな」

「そうだな、アンリエッタ」


 実際そうだ。宝箱は大きめのケーキ箱くらいのサイズ。他の奴同様、黒光りする金属製で、びっしりと紋様が刻まれている。


「どれ……」


 しゃがみ込む。宝箱の表面に銘板があった。




――イナスの宝箱――




 やっぱりか……。


 みんなが見守る中、俺は手を触れた。三つめの「イナスの宝箱」、その宝物を手に入れるために。

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