8-5 冒険者の血

「……そうだといいな」


 それだけ口にした。たしかに、その可能性はある。だが期待させて違っていたら、アンリエッタが傷つく。だから確定的な言い方は避けておいた。


「わたくしのダンジョンが融合して、あの世界に来られたのはなぜ?」

「マクアート家の伝承にあったとおりだろ。歴史の闇に消えたマクアート家の主公、世界開闢せかいかいびゃくの秘跡を受け継ぐ一族は、いつか必ず蘇る。世界再生を果たすために。その兆しは、誰もが知らない、封印されたレアリティーダンジョンの蘇りから始まるって」

「そうよ。だからわたくしのダンジョンが、エヴァンスくんの謎ダンジョンに繋がったんだと思った。それに……主公様の末裔が、エヴァンスくんのダンジョンのどこかにいるかも……と思っていた」

「うん」

「でも……お婿さんの話があってから、考え直したの」


 アンリエッタが、俺の体を強く抱いてきた。


「エヴァンスくんがあの世界で特別な存在だというなら、主公様の一族は、あの世界に隠れているんじゃないのかも。もしかしたらエヴァンスくんが……主公様の末裔なのかもって。もしそうなら、わたくしがダンジョンに導かれたのも……わたくしが……その……お嫁さんのひとりになるのも、話の筋が通る」

「マクアート家は摂政の家系。歴史に消えた主公の末裔を助けるために、アンリエッタが俺の嫁になるってことか」

「ええ……ええ。エヴァンスくんが主公様の末裔なら、パズルのピースが全て揃う」


 考えた。俺は親の顔すら知らない捨て子だ。だから一族の過去がどうなのか、さっぱりわからない。だから過去の王族の子孫という可能性だって、なくはない。でもまあ普通に考えてありえない話だ。


「まあ……そう先走るな。それはあくまで、ひとつの可能性。それもかなり薄い線だ」

「ねえ聞いて」


 もう一度、抱かれた。


「わたくしは貴族のひとり娘。いずれはどこかの貴族を婿に迎えることになる。個人の気持ちなんて関係ない。それは家を背負う身の宿命だもの。でも……でももしエヴァンスくんが主公様なら……」


 俺の胸に、ちゅっと口を着けてくる。


「もし……そうなら、お父様だって許してくれる。孤児であるエヴァンスくんのお嫁さんになることだって。いずれ蘇る主公様をお守りするのが、我が一族の決まりだもの」


 話に興奮したのか、アンリエッタの体は熱くなっていた。背中がしっとりして、いつものいい香りが俺を包んでくれる。


「ごめんね……エヴァンスくん。急にこんなことを口走って。……混乱したよね」

「いや。俺はなアンリエッタ、お前が不幸になる道は認めない。もしそうなるなら、俺が全力で守ってやる」


 本音だ。婿云々は不確定要素が多すぎてなんとも言えないが、これだけは言える。好きでもない嫌味な貴族を婿に迎えるとか、アンリエッタがかわいそうすぎる。


「うれしい……エヴァンスくん……好き」


 俺の胸に、熱いものが落ちた。アンリエッタの涙が。


「今日は……後ろからもだっこして……」


 涙を拭うと、俺に背中を押し付けてきた。


「リアンちゃんもバステトちゃんもいないふたりっきりだもの。今晩だけはわたくしが独り占めしてエヴァンスくんに甘えても、みんな許してくれるわ」

「ああ」


 腕を回すと、きゅっと腹を抱いてやった。


「未来のことは、ふたりでゆっくり考えよう。なんたってあのダンジョンの謎はほとんど解けてないからな。婿だのなんだの、マジでソラス先生の勘違いかもしれないわけで。先走って期待しすぎると、俺もアンリエッタも不幸になる」

「そうね……。でもわたくし、今の想いを、エヴァンスくんには聞いてもらいたかったの。わたくしの……気持ちを」

「ありがとうな、アンリエッタ」

「エヴァンスくん……」


 脇に挟むと、アンリエッタは俺の腕を胸に抱えた。手の先が、かわいらしい胸を覆うような形に。


 そのままふたり、じっとしていた。アンリエッタの呼吸に合わせ、胸が上下するのが感じられる。……と。


 アンリエッタの手が動いた。ぷちぷちと、ボタンを外していく音がする。


「……」


 黙ったままのアンリエッタが、俺の手を夜着の中に導いた。裸の胸へと。


「……アンリエッタ」

「肌と……肌が触れ合ったほうが、落ち着く」

「そうだな」


 アンリエッタが安心するなら、それでいいや。温かな体。肌は絹のように滑らか。胸は信じられないほど柔らかく、そこだけは硬い胸の先が、俺の手のひらを健気に押し返してくる。まるで天国だ。


「早く寝ろよ、アンリエッタ。明日も早い」

「うん……エヴァンスくん」


 やがて、アンリエッタは寝息を立て始めた。俺の腕を裸の胸に抱えながら。俺に抱かれて安心しきったのだろう。


「アンリエッタの分析も、一理あるな」


 闇夜に独り取り残され、俺は呟いた。


 ソラス先生がドジっ娘だったこともあり、嫁云々について俺はそれほど深く考えてこなかった。だがアンリエッタの話を受け真剣に考え直してみると、俺があの世界で嫁を取るというのも、あながち荒唐無稽とは思えなくなってくる。


 まず思い付いたのは、名札のことだ。最初に出会ったリアンやバステトだけでなく、女の子は全員名札を着けていた。名札ってのはどういうものだ? それは「知らない人に自分のことを教える」機能を持つ物体だ。


 だがあの世界のみんなは仲良くて、ご近所さん中心に互いのことを知る、緩い繋がりがある。なら名札なんて本来、いらないよな。初見のときに名乗り合えば、もうあの世界では「お友達」だし。


 ならなんでみんな律儀に名札なんて着けている? それは「外から来る存在」に、自分を知ってもらうためじゃないのか。外から来る……と「きょうかしょ」神託古文書にある、「おとこ」に。


 そう考えると、「スライム♡リアン」とか、名札にハートマークが入っているのも意味深だ。恋愛を想起させる。


 それに、なんでモンスターが揃いも揃って人型化している。それは「人間の男の嫁になるため」じゃないのか。


 スライムやドラゴンが本来の姿のままでは、人間の男とつがって結婚し、子を成すなど無理に決まっている。だが女子化した「ハイドラゴン♡グウィネス」の姿ならどうだ。そう。それなら俺の嫁になって子作りだって可能だろう。


 ――そういうことなのか。あの世界は俺だか俺の一族だかを迎えるために注意深く設計され、何百年もあそこで待っていたというのか。外の世界の誰ひとりからも、知られることなく……。


 あの世界の長い歴史を考えると、気が遠くなりそうだ。


 だが、仮にそうだとして、大きな疑問がいくつもある。まず、誰があのダンジョンを創って、固有ダンジョンの大海にそっと紛れ込ませたのか。俺の一族をモンスターの婿に迎えるとして、そもそもそれになんの意味があるのか。それに、なんで「今」なのか。


 だってそうだろ。いくら俺が孤児だとしても、生まれた以上、過去何千年も、俺の一族は途絶えずに続いていたことになる。当然全員、ダンジョンガチャを引いているはず。なんたって孤児の俺ですら引いたわけで、人間である以上、絶対に逃れられないイベントだ。


 だが、何十代だか何百代だかにも及ぶ俺のご先祖様は、あのダンジョンに招かれなかった。普通にノーマルとかSSRとかのダンジョンを引いてそのダンジョンと共に生き、やがて生涯を終えたはずだ。


 一族であのダンジョンを引いたのは、俺だけだ。なぜなら他に同類のダンジョンがあったのなら、レアアイテム続出で大騒ぎになり歴史に残っていたはず。そんな過去が無い以上、今回が史上始めてのイベントに決まってる。


 そもそも、このダンジョンは、俺を待っていたわけじゃない。それなら教科書に「いつの日がエヴァンスという人物が現れる」と記述されていたはず。そうではなく「おとこが現れる」だった。俺の一族の誰か――ということだ。


 つまり「なにかの条件が揃ったから、俺がこのダンジョンに選ばれた」んだ。俺がガチャであのダンジョンを引いたんじゃない。俺がガチャに挑むタイミングで、たまたまあの世界が俺を選んだんだ。


 なら、なんで今、俺が導かれたんだ。そこにはなにか、切実な理由があるはずだ。たまたま宝くじに当たったという、安易な話ではなく。


 謎だ。ヒエロなんとかに行けばわかるんだろうか……。


「なんて……謎だらけのダンジョンなんだ……」


 思わず声が漏れた。


「そしてあの世界の謎を探れるなんて、なんて楽しいんだ」


 心の底からわくわくした。アンリエッタやリアン、バステト、そしてあの世界のみんなを引き連れ、俺はいつの日か謎を必ず解き明かす。男として、こんな喜びがあるだろうか……。




 冒険者としての俺の素質は、この瞬間に真の意味で開花した。後で振り返っても、実際にそうだったと思う。


 アンリエッタを横抱きにして眠ったこの夜を、俺は後々まで忘れなかった。



●業務連絡

次話から、第9章「けっこんの謎」に入ります!

冒険のヒントを求め、「てらごや」に戻ったエヴァンス。そこで待っていたのは、次なる宝箱の情報と、「けっこん」の謎を解いたと語るソラス先生だった。この場で自分と「けっこん」しろと迫るソラス先生に対し、エヴァンスはとんでもない行動に出る……。

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