第18話 剣と魔法 その3


 使用人からその報告を受けた時、ウィレム・カーストンはぞくりとした。


 屋敷の外を警護している兵に増援があった模様、というのである。これまでもこれ見よがしな警備で男爵の焦慮を煽っていたのだが、もはや警備というより兵の一隊が駐留しているようなありさまである。


 噂というものはある段階を過ぎるとあたかも事実であるかのように語られる。カーストン家の使用人たちも額を寄せ合ってはひそひそと不安を口にしていた。


 旦那さまは本当にお命を狙われているのではないだろうか。


 兵の増員は近々よからぬ事態が起きる前触れではないか。


 このままお屋敷にいても大丈夫だろうか。


 男爵にもその気配は伝わる。面と向かって言われなくとも彼らの顔にはっきり「不安だ」と書いてあるからだ。


 その思いは彼とても同じだ。なにより自分を取り巻く状況がわからない。警備の責任者は「外出はご自由に」と言うものの、いざ出かけようとすると警護のためと称して数名の護衛が常に付き従う。


 いったいこの物々しい警備はなんのためだと質しても「知らされておりません」の一点張りだ。しまいにはつきまとわれるのが嫌で外出する気も失せた。警備といい警護というが、これでは事実上の軟禁状態である。


 ここは男爵の身分にしてはかなり大きな屋敷なのだが、それでも閉じこもっていれば内心の負荷は大きい。


「おのれ……」


 誰に対しての罵言か、吐き捨てながら自室を苛々と歩き回る。彼の不快はすでに隠しようもなく、使用人たちも察して近づこうとしない。すべてが不愉快であり、なにもかもが腹立たしかった。


 そしてそれは彼の抱えた不安と恐怖の裏返しでもあった。


 今にも誰かが彼の肩を掴んで「ご同道願いたい」と言ってくるのではないか、玉座に座る国王の隣であの王女がほくそ笑んでいる光景が心に浮かぶ。彼にはすでに破滅の足音が聞こえるような気がしていた。


 そしてくり返される葛藤。


 確かに自分は不始末をしでかした。露見すれば死罪は免れない。だが、周到に練った計画であり、事件を自分と結びつける証拠など存在しない。密かに接触した元執事はもう何年も前に地方に隠居した身だ。現在の使用人にその名を知る者はいない。その元執事にも因果を含めて身をひそめるように命じた。大丈夫だ、問題ない。誰もあの襲撃事件の真相など知り得ようはずはないのだ。


 だが、そう思ってもこの心に忍び寄る不安はなんだ。仲間たちの態度も気になる。噂ではあの奇妙な二人連れは王宮に招かれたという。そして「あの方」は彼の失策を咎めこそしなかったが「今は動くな」と言ったきり面会もできぬままだ。


 考えているうちに何もかもが混沌としてきた。これからどうすればよいのかわからない。将来への展望もなくあんな企てに参加したことが間違いだったのだろうか。


 そうして頭を抱えている時、その報せは届いた。


「近衛隊の方が旦那さまに面会なさりたいとのことでございます」


 執事がそう告げる声を彼は確かに聞いたのだが「支度をするのでしばし待たれよ」と伝えるよう指示する自分の声がずいぶん遠くから聞こえた。くらりと軽いめまいを覚えて頭を振る。すると——。


 目の前にそれがいた。


 白い毛並みの中型犬に見えたが、細い鼻面、笑っているような目、そして特徴的な幅広の尾——狐だ。白い狐がなぜか部屋の中央に座ってじっと彼を見ていたのである。


 一瞬、心の片隅に「なんだ?」という疑念が浮かんだが、目が合ったと感じたその時にはもう気にならなくなっていた。


 白い獣は立ち上がると彼の前に歩み寄り、口にくわえていたものを床に置いた。


 手のひらほどの大きさの丸い薄板である。表面に円と幾何学模様が描かれており、その中央に意味不明な文字列らしきものが刻まれていた。


 これは魔法陣か? とわずかに心が逸れた時にはもう獣の姿はなかった。彼はぎこちない手つきでそれを拾い上げると懐にしまった。そうしなければと思ったのだ。頭の中に誰かの声が響いてくる。彼はその声を知っているような気がしたが、ほんのひと呼吸する間にどうでもよくなった。


 さて、始めようかね。


 声はそう言っていた。彼はうなずき、そうだな、とつぶやくとドアを開けた。


     ***


 近衛隊は国王直属の軍隊であり、軍そのものを統括する最上位組織である。直接戦闘に参加する騎士や一般兵の他に組織運営を担当する官吏や事務方、また内部の規律維持のための警務隊などいくつかの下部組織で構成されている。


 治安のよい街といっても犯罪は発生するのでそれらの取締りに当たる、いわゆる警察組織に相当する部隊もその一部だ。近衛隊内部では騎士の矜持が高いのでそうした犯罪捜査のような地味な仕事を敬遠する向きも多いが、これはこれで重要な務めである。


 出世した騎士の大半は一度は経験している。剣を振り回すしか能がない人間ではしょせん一般兵どまりなのだ。


 現在その部隊——近衛隊第七隊の長はイアン・グールドという男である。男爵家の次男だが、親の見栄で近衛隊に放り込まれたものの、剣を振り回すのは性に合わんと言ってあえて地回りのような仕事を選んだ変わり者だ。


 今、彼は部下から重大な報告を受けたところだった。


「確かか?」


 ラダルというその部下は、内偵中だったとある案件について事実を簡潔に報告した。


「裏も取れました。この元執事は隠居先の村から姿をくらましていましたが、ふたつ隣の町の借家で見つけました」


「すると例の姫の客人だという」


「はい、結局あの時の自供どおりに」


 イアンは「やれやれ」と頭をかき、どっと椅子に背を預けた。


「魔法士はずるいねえ、俺たちがこれだけ歩き回って掴んだネタをなんの苦労もなく見抜いちまうんだから」


 そのまま目を閉じ、ひとつ大きく息を吸うと「よし」と身を起こした。


「すぐに動くぞ。俺はこれから陛下のご裁可をいただいてくる。一応、相手は貴族だからな。現場には何人いる?」


「はっ、先日からの警護で二十名ほどかと」


「なら十人でいいだろう、連れていけ。俺もすぐに合流する」


 部下が飛び出していくのを見ながらイアンは手早く身支度を整えた。貴族の邸宅に押し入る以上、こちらも形はつけなければならない。クーリア王女にはこうなることがわかっていたのかと思うと、王宮うえはめんどくさいと敬遠しておいてよかった、と本音がかすめた。あんな可愛い少女でも無垢ではいられないのだから。


     ***


 クーリアは父王の傍らでその報告を聞いた。


 王には衝撃だったらしいが、彼女には「そうか」という印象しかなかった。葵たちには「図太くなった」とからかわれているが、彼女自身には自分が変わったという自覚は薄い。いちいち気を揉むのはよそう、と思うようになったのは事実だが、ことさら成長したと実感しているわけではない。


 ただ、階段を一段昇って今までより少し見通しのきく位置からものを見られるようになった気がする。成熟したものでなくとも、今の彼女には物事をなるべく客観的、俯瞰的に見ようとする視点が生まれつつあったのだ。


 だからカーストン男爵が自分の襲撃を画策したのだと判明しても「わかりました」というのが感想の全てであった。そんなことは葵の啓示を受けた時からとうに承知済みだ。


 彼女も葵たちも考えているのはその先である。恭一はカーストンが「仲間」に見捨てられるだろうと予測した。つまり、これで終わりではないということだ。むしろこれは端緒に過ぎない。


 この陰謀に加担している者が他にどれだけいるにしてもカーストンはおそらく末端であろう。尻尾を切られる前に本体にたどり着けるか、それとも……。


 思いのほか冷静な王女に対し、国王の方はこの報告に困惑と怒りを覚えていた。


 王女襲撃という暴挙にそんな小身貴族の名が絡んでくることが解せない。下級貴族と第一王女では身分が違い過ぎて恨みを買うような因縁さえ生まれないはずだ。露見すればむろん死罪であり、男爵家は家名も断絶だ。そんな愚行に走らせるほどのどんな理由があったというのだろう。


 もし王女と男爵家に深い因縁がないのであれば、他の誰かが男爵をそそのかした、とも考えられる。王の怒りはそこからきていた。これが思った以上に根の深い陰謀である可能性が出てきたからだ。大貴族の中には現国王の治世に対して皮肉な目を向ける者もいる。選民意識の強い者たちにとって開明的な王を戴くことは不愉快そのものなのだ。


 国王として立つということはそうした者たちとの戦いでもある。剣や弓での戦いとは違う厄介な戦だ。王宮が影の戦場であることを彼はよく心得ていたし、王女も薄々気がついている。


 不憫だとは思うが、彼女がその立場から逃げることはできまい。それは第一王女として生まれたクーリアの宿命なのだ。


 そこまで考えてふと思った。


 あの二人。


 魔法陣の異変とともに現れたというあの二人は、ひょっとしてそんな王女のために運命が授けた助力なのではないか。四大騎士に匹敵する剣と未知の呪術を退ける魔法。彼らが真実、王女の友人として側にいてくれたら——。


 それは都合のいい幻想にすぎないかもしれない。だが、そうであってほしいと思った。いずれあの者たちとはもっとよく話をしてみよう。


 心の一方でそんな思いを抱きながら、国王は目の前の事案に裁可を下した。


「あいわかった。ウィレム・カーストン男爵の拘引・捕縛を許可する。家人や使用人の移動は禁止、弁明の機会は与える。報告は密にせよ」


 イアンがかしこまって一歩下がると国王は臨席するウィアード・マクスに助言を求めた。


「すまんが一応は貴族だ、形をつけてもらえんかな」


「ではガーラに頼みましょう。四大騎士の一人が出向けば文句はありますまい。一件以来、彼の名は市井にも轟いておりますからな」


 そこで岩のガーラことガーラ・バルムントがすぐに王の下に呼ばれたのだが、謹んで拝命いたしますと言いながら巨漢騎士は妙に居心地の悪そうな顔をしていた。ウィアードが「どうした?」と首をかしげる。


「いや、その、あの娘を同行させるというのは陛下のご意思なんでしょうか」


「あの娘? というとまさか」


「はい、そこに」


 そう言ってガーラは王の間へ通ずる扉を指差した。


「扉の前で俺を待ち構えていまして自分も連れていけと、陛下も姫さまもきっとそうおっしゃるだろうと」


 王とウィアードは「はて?」と顔を見合わせていたが、イアンは賢明にも沈黙を守っていた。内心は「これだから魔法士はずるいんだよ」とぼやいていた。それを読んだかのように王女が口を挟んだのはその時である。


「アオイさまがそうおっしゃったのですね?」


 ガーラがうなずくとクーリアは控えめに父王に進言した。


「父上、元々カーストン卿の不始末を暗示したのはアオイさまです。あの方は人の顔を見ただけでなにがしかの天啓を得る才をお持ちです。きっと思うところがおありなのでしょう」


「そなたがそう言うのなら、まあ、同行するくらいは……かまわぬか、ガーラ」


「はあ、別に戦にいくわけじゃありませんから、おとなしくしてるならあんなチビの一人くらい」


「黒騎士どのは?」


「あいつは準騎士隊の稽古につきあってるんで自分だけだと申しておりました」


 国王は一度クーリアを見、娘がうなずくのを確かめてから「ではそのように」と出立を命じた。

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