第78話 占い師 その2


(承前)



 お茶を出すのに四人も要らないだろうと思ったが、皆、さっきと同じく笑顔がこぼれている。普段はもっと楚々とした所作の彼女たちを知っているダリルは「なにかあったの?」と尋ねたくなるほどだった。


「お待たせしました。先日、ブージュの商人から珍しい茶葉を仕入れましたのでぜひ」


 そう言って侍女たちが優雅な手つきで注いでくれたのは一般的な紅茶ではなかった。葵は「あら」と瞬きして「ハーブティーね、珍しいな。ファーラムに来て初めて」と微笑んだ。


「ご存知でしたか。お国ではそう呼ばれるのですね。こちらではミル茶と称しております。まだ一般的ではありませんけどこの香りが心地よくて」


「ほんとにいい香り。ちょっとメルが出してくれるお茶に似てる」


「あれもそうなのよ。香草の微妙な混ぜ具合で香りを変えて楽しめるの」


「心を落ち着かせる秘密はそれ?」


「そう。人間の気分は味よりもほのかな香りに影響されやすいから」


 ダリルたちがそんなやりとりをしていると茶を注いだ侍女が笑顔で告げた。


「アオイさま、お教えいただいたジャムを使った飲み方、厨房で早速いただきました。どうしてもすぐに試したくなって」


「ロシアンティーね、どうだった?」


「素敵です。ジャムにはあのような使い方もあるんですね。よいことを教わりました」


 ダリルたちがなんの話だという顔だったので葵は濃い紅茶にジャムを合わせる飲み方について話した。


「へえ、あれがお菓子やパンに合うのは知ってたけど」


「ちょっと気取った飲み方だと思うけど貴族の女性たちのお茶会では喜ばれるかも」


 女たちがにこやかにそんな話をしている間、黒騎士は穏やかな笑みで静かに茶を含んでいた。その仕草が実にもの慣れた優雅さでダリルはまたも意外の念を覚えた。この若者は強力な騎士というだけでなく、上流階級の雰囲気も併せ持っている。いったいどういう人なんだろう、と。


 侍女たちが引き下がるとしばらく当たり障りのない話題で歓談が続いた。アオイ・キサラギは翳りを感じさせない快活な少女で、ダリルたちを飽きさせない話し手であった。初対面のときのもやもやがいつの間にか消え去っている。侍女たちがあれほど楽しげにしていた理由がわかった気がした。


 アオイというこの少女は見かけよりはるかに「大人」であり、座の雰囲気をさりげなく支えているのだった。


「メルさんも先生について修行とかしたの? 魔法士の修行、どんなことするの?」


「え? どんなって、アオイさんの方こそどんな修行したんですか? 今朝は本当にびっくりしました。この国に一級魔法士は七人しかいないっていわれてるんですよ、その中のどなたかについて学ばれたんですか?」


 訊かれたメルのほうが驚いている。それはこっちが尋ねたかったくらいだ。


「ううん、あたしのは独学。古い文献とかで」


「まさか」


「おかしいかな?」


 これには心底驚いたらしくメルの目が丸くなった。そんなばかな、と言いたい心境らしい。


「あたしの国では魔法文化は発達しなかったの。霊力のある人間はいたけど魔法という技術体系がないから『霊感がある』とか『通力がある』とか言われて珍しがられるくらいかな」


「信じられない……」


「でも魔法ってけっこう理詰めに組み立てられてるでしょ、そこがわかれば意外ととっつきやすいと思ったんだけど」


 その言葉に嘘はないようだったが、メルが師匠から学んだ過程はとてもそのような単純なものではなかった。


「それやっぱり変ですよ。普通はルフトの流れを見取るところから始まって基本の魔法陣を浮かべるまで三年、並行して顕現呪の読み方と呼び出す要領、心の中の幻像をルフトで保持する技術、それらを総合して効力のある魔法陣を発動させるところまで進んでやっと基本の五つくらいの魔法に到達、なんですけど」


「そこまでで何年くらい?」


「弟子入りから五年、というところですね。私は先生のおかげで二年ちょっとくらいで通過できましたけど」


「優秀なんだ」


「そんなことは。ただ私の先生は少し変わった人で、あんまり伝統やら秘伝などは気にしない方でしたから。作法なんか後回しでいいと。実践あるのみ、ということで」


「面白そうな先生ね。なんて人? 今もこの街に?」


「ラシル・ハーメトという方です。私が独り立ちしたので次のお弟子さんを探すと街を出られました。昨年の春に」


 話しているうちに師の懐かしい顔が浮かんだ。十一歳のときから六年を共にした彼女の師は飄々としてものにこだわらない人物であった。小さいときはダリルもよく一緒に遊んでもらったものだ。メルの両親は現在もこの街で健在だが、その両親とも親しく交流があり、彼女にとっては気安い叔父のような存在だったのだ。それだけに街を出ると言われたときは別れがつらかった。


「あのときは父も残念そうにしてたわ。ラシル先生は城で一番の治癒魔法の使い手だったし」


 ダリルもちょっと遠いところを見る目になってつぶやいた。


「今のメルと同じで普段は街で医者として細々と営業してらしたんだけど、二年前のインガルとの戦のときには城の治癒魔法士たちを率いて飛び回ってた。先生のおかげで命を取り留めた兵も多かったわ」


「ご城主も熱心に引き留めてくださったんですけど」


「それでも出ていかれた?」


「ええ、ここも少し空気が悪くなったと言って。私にはそうは思えないんですけど」


「いつまたインガルとの衝突があるかわからないところでしょう? キナくさい雰囲気がお嫌いだったのかもね。のんびりした方だったし」


「ここには魔法士は何人くらい?」


「メルのように普段は城外で暮らしてる人も入れると十……二人、かな。前回のような小競り合いが起きそうなときは召集がかかる契約になってるの。常駐してるのは五人、だっけ?」


 ダリルの問いにメルがうなずく。


「ラシル先生が出られてから父が呼んだレプトル・ゼンという人が今は治癒魔法士班の班長。まだ三十そこそこでも腕はいいし穏やかな人なのでよく兵たちの相談にも乗ってくれて」


「信頼されてるんだ?」


「ええ、父もよい人材が来てくれたと」


「でもメルさんはあまり近づきたくないのね」


 なにげない口調だったが葵のその一言にメルの頬がぴくりと震えた。和やかな談笑の席に一瞬、なにかが閃いた。それまで楽しそうに会話していたメルがふいに黙り込み、二人の魔法士は無言のまま見つめ合った。


「占ってみたのね」


「……ダリルの気持ちがよくわかる気がします。凡人に向かってオケイアを見る魔法は反則ですよ」


 後半はつぶやくようであった。彼女自身も微弱な占術の才の持ち主だが、ここまで見抜かれてしまっては返す言葉もなかった。


 それまでの快活さが嘘のように押し黙ってしまった友人の表情はダリルの知らないものだった。物静かではあっても 彼女がふさぎ込んでいる姿などを見たことがない。アオイ・キサラギは一体なにを言ったの?


 占ってみた? なんのこと?


「そんなに嫌な感じがした?」 


 重ねて問われたメルは無言のまま仕方なくうなずいた。


 すると葵は「そう」とだけ言って長椅子に背を預けた。本人が話したくない話題でそれ以上追求する気はないらしい。そう思うとなぜかダリルもほっとした。


「 ごめんね、変なこと聞いちゃって。この話はもうおしまい。それより……」


 はい? と顔を上げたメルに葵はこう続けた。


「 占いの魔法ってどうやるの? クーリアも占いは得意らしいんだけど見せてもらったことないんだ。専用の魔法陣とかあるの?」


 完全に話題が逸れたとは言い難かったが、占いの技法全般についてなら、とメルモ気持ちを切り替えたらしく、それなら、と手持ちのカプリアと絵札の束を取り出した。


「占いの技法は占い師の数だけ存在すると言われるくらい多種多様ですけど、先生が選んでくださったのはこのキカハという絵札を使う方法です」


 テーブルの上に広げられた絵札キカハを見た恭一は「ほう、こちらにもタロットらしいものがあるのか」ともらした。


「どっちかって言うとトランプじゃない? ベリンダたちが遊んでるのを見たことあるよ」


 ものといたげな顔のメルたちも「あたしたちの国にも 似たような小道具があってね、占いとか家族で遊んだりするの」と聞いて納得したようだ。


 うなずいたメルが「何を占いますか」と尋ねるので葵は少し考えて「じゃあファーラムの来年の農地の収穫はどうかなとか……漠然としすぎ?」


「やってみましょう」


 メルはテーブル中央にカプリアを置き、慣れた手つきで絵札キカハを並べていく。カプリアを囲むように並べ終わると一つ深呼吸をしてから小声で顕現呪らしき呪文を唱え始めた。


 しばしの沈黙。そして——。


 浮かび上がった魔法陣の明滅に合わせるように絵札キカハがめくられ、半眼となったメルが語り始めた。


春告はるつげから先よく雨が降り、夏至祭以降は好天が続いて実り多い秋を迎えるでしょう」


「豊作か」


「らしいね、よかった」


葵は まだゆっくり回転している魔法陣を見ながら尋ねた。


絵札キカハの選択には何か規則があるの? 魔法陣と連動してるように見えたけど」


「わりと曖昧ですよ。大昔の術者たちから連綿と受け継がれてきた経験則のまとめみたいな資料集があるんですけど実際には魔法陣の輝きが閃くと声なき声が聞こえるというか」


「冴えてるときってやっぱ魔法陣の調子がいいとか?」


「そう……ですね、体調ももちろんですが 回転軸がぶれないように保ったまま魔法陣を大きくできたときとか」


「要は安定したルフトの制御ってことね」


 メルがうなずくと葵は「じゃ、これでどうかな?」とテーブル上の魔法陣に軽く手をかざした。


 すると一拍の間を置いて魔法陣が拡大された。直径にして三倍にもなったろうか。まばゆいほどに輝き、もはや幻像というより確固とした実体を思わせる。


「うわ」


 ダリルが驚きの声を上げたが集中を乱さなかったメルはさすがだった。内心の驚きを隠してみはった目を葵に向ける。


「魔法陣はあたしが支えるからこれで術を試してみて」


 数ある占いの技法のいずれにおいてもその原動力となるのが魔法陣によって召喚されるさまざまな心像ビジョンである。時間軸を含む世界の在りようを暗示する無数の欠片。それらを人の言葉に翻訳する作業が占いの本質であった。


 そのためには強固で純度の高い魔法陣を必要とする。高度なルフト制御、巧みな心象操作、 ビジョンを読み解くひらめき……。


 故にメルは常に上級魔法士の強い霊力に憧れていた。クーリア姫の噂に接する度に羨望の思いを抑えきれなかった。


 だが今——。


 メルは葵の作り出した魔法陣の強靭さ、堅牢さに感嘆していた。周囲から大量のルフトが渦を巻いて流れ込んでくる。それでいて最初の発動者であるメルと魔法陣の共感は途切れていない。葵は文字どおり支えることに専念し、メルに強力な足場を提供しているのだった。


 これなら——。


 息を呑む思いでそっと心の手を伸ばして魔法陣に触れる。


 一瞬、瞼の裏に無数の星が散った。周囲の光景が目まぐるしく変わっていく。


 普段、占いの術中に身を置いているときに見える光景とはまるで違う。抽象絵画のような暗号的イメージではなく具体的な光景の数々が乱舞しているのだ。


 周囲には誰の姿もなく、まばゆい光の大河のほとりに呆然と佇むおのれを意識していた。


 視界のすべてが万華鏡のように煌めき、膨大な情報量にメルは圧倒され、そして混乱した。もはや自分が何を見ているかわからない。


「落ち着いて。あたしはここにいるから」


 その声と同時に誰かの手が自分の肩に置かれるのを感じた。


「あ、アオイさん」


 さっきまで誰の気配も感じなかったのに気がつくとアオイ・キサラギの輝く瞳はすぐ傍にあり、優しくこちらを見ていた。


「すごいね、これが占いの魔法士の視界なのね。初めて見たよ」


「いえ、私もこんな派手なのは初めてです。いつもはもっとおとなしいというかこんな大規模な幻想は……」


「なら魔法陣を手伝った甲斐があったかな。きっとこれがあなた本来の力なんだと思うよ」


「まさか」


 いまだに周囲の光景に圧倒されながらもメルは満ちてくる内心の歓喜に震えていた。そうだ、私はこれが見たかった。強力な魔法陣を駆使して隠された世界の真実に触れたかった。

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