第77話 占い師 その1

第六章 占い師



 城主の間から出てくるガトーにダリルとメルが駆け寄った。二人ともやきもきしながら男の姿を待ち構えていたのである。


 予期したとおり、今朝方の騒動は城主の知るところとなった。証言者には事欠かないが当事者であるガトーらが呼ばれたのは当然のことといえた。


「どうだった?」


 問いかけるダリルの声はさすがに不安げだ。早い段階から成り行きを見ていた彼女からすればガトーの立場はなんら責められるものではない。むしろとんだ災難だったと同情すべきところだ。一方的に迷惑をこうむったのは彼のほうである。


 肝心の黒騎士は査察に訪れた中央からの客人であり、状況からして降りかかる火の粉を払っただけである。


 結局、兵たちを束ねる守備隊長という立場上、ガトーとドラカンが城主に呼ばれることになったのだが——。


「メルには感謝する。あの馬鹿が『軽傷』で済んだってことでたいしたお咎めはなかったよ」


 そう軽く肩をすくめながらダリルに向かっては珍しく愚痴めいたことを言った。


「あの野郎、責任を持つとか言いやがったくせに城主の前では部下が勝手にやった、止めようとしたが間に合わなかったとな、平然と抜かしやがる」


「……目に見えるようだわ」


「んなこったろうと思ったよ、いちいち言い返すのも馬鹿らしい。謹慎三日で手を打った」


 ええー、と女たちが抗議する。父親の決定は不動と信じるダリルでさえそんな理不尽な、と口を尖らせた。指導者の決断には時として理解に苦しむものもあるとわかってはいても感情はまた別だ。


「そう言いなさんな、形だけです。ここで査察官の心証を悪くするわけにもいかんでしょう? 誰かが責任を取らねば示しがつかんってことです」


「それにしたって……」


 城主のそばで育ったダリルにはそうした「政治的判断」の必要性も理解できるのだが、ガトーへの身びいきがまだくすぶっていた。


「まあ、大事にならなかっただけでもよかったんじゃない?」


 メルはそう友人をなだめ、その肩を抱いた。ガトーが言うように城主の怒りがその程度で済んだのも彼女の働きのおかげだった。


 あの兵士の腕は骨が完全に粉砕されていた。おそらく二度と剣が振れないほどの重傷だった。それをあの場で「骨にヒビが入った」程度にまで回復させたメルの治癒魔法はまぎれもなく一級品といえた。ドラカンが城主の前で平然ととぼけてみせたのもそのせいであったろう。


 実際には激痛にのたうちまわる男を数人がかりで魔法陣の下に押さえつけ、なんとかその場で治療できたのである。あの男の仲間たちも若い治癒魔法士の手際に素直に頭を下げることになった。無残に折れ砕けた腕が目の前で「痛みに顔をしかめる」程度にまで回復したのであるから当然だ。急いで適切な処置を施さねばあの男は兵士として再起不能になったかもしれない。


「五日は腕を動かさないようにしてくださいね」


 そう告げるメルの言葉をその場の全員が神妙な面持ちで聞いていた。若年であっても有能な治癒魔法士の存在は軍の財産なのである。ここは戦のための砦、自分たちもいつか彼女の魔法にすがる日がくるかもしれないのだから。


「あっちの隊長さんは?」


 そのメルはダリルをなだめながら「まだ中に?」と小首を傾げた。


「ああ、ご城主の目は節穴じゃない。こっちはすぐに放免だがあいつはあいつで今頃あの人に絞られてるだろうよ」


「だそうよ、さ、もう機嫌なおして」


 どちらが歳上だかわからない口ぶりだがダリルも渋々という感じでため息をもらした。満足ではないが妥協するという顔だ。その表情だけでメルにもガトーにもこの「お嬢さま」の気分は丸わかりである。


「ガトーさん、これから?」


「まあせっかくの休暇だ、三日ならちょうどいい骨休めさ。じゃあな」


 世話になった、と一言残して男は回廊を歩み去った。ダリルとしてはまだ言いたいことがいろいろあったが、結局その背中を黙って見送った。自分らしくないとわかっていながらメルの前では妙に不甲斐ない自分を感じてしまう。アオイ・キサラギに言われたことが心の隅に引っかかってガトーのことになると素直に言葉が出てこないのだ。逡巡したあと口をついて出たのは考えてもいなかった台詞だった。


「あなたはどうするの、メル。あのと話して気は済んだ?」


「全然! ますます興味が湧いてきた。絵札キカハが迷うわけだわ。もっと話をしてみたい」


「そんなに凄いの?」


「彼女はああ言ってたけど、一級の看板は伊達じゃないと思う。才能もあるんだろうけど一体どんな修行をしたのかしら? しかもあの若さで」


「あなたがそこまで言うなんて……」


 話題があの魔法士のことになった途端、メルの目の色が変わった。常にダリル以上に冷静なこの相手がまるであの娘に夢中だ。あの不可解な少女のなにが、そこまでメルの心をとらえたのだろう?


「じゃあ、お茶にでも誘ってみる? 二人とも昼前には帰ってきたから。たぶん侍女たちが昼餉を用意してる頃だと思う」


「それは是非。一緒にお邪魔しちゃおう」


 これもメルらしくない積極性だ。普段ならこんな申し出は上品に辞退する彼女が一刻も待てないという様子である。ダリルはいつにない親友の態度に半ば呆れながら「じゃあ」と客人にあてがわれた部屋へ足を向けた。


     ***


 金剛の間というのはいくつかある上客用の部屋のひとつで、特に身分ある客人を想定した豪華な客室である。内心はどうあれ、これ以上はないほど権威ある身分証を所持する葵たちには城主としても形をつけねばならなかったというところだ。それでも貴族ではない人間に提供されるのは異例といえた。


 その金剛の間にダリルとメルが向かっていると何人かの女たちがそこから出てくるのが見えた。こちらに気がつくと皆丁寧に会釈する。


 彼女たちは城内におけるダリルの側仕えの侍女たちである。ダリルが査察官の応接役となったことで、侍女たちも客人の世話係として働いているのである。台車ワゴンに食器類などが重なっているところを見るとどうやら客人たちの昼食は済んだ頃合のようだ。


 すれ違うところまで来ると先頭の一人が笑顔で主人に一礼する。


「あぁ、お客さまというのはダリルお嬢さまたちのことだったんですね。すぐにお持ちいたしますから」


「なんのこと?」


「これから金剛の間にいらっしゃるのでしょう?」


「そうだけど……」


「アオイさまが食後のお茶は四人分とおっしゃるのでお客さまがおいでになるのだと。珍しい茶葉が入りましたので直ちに」


「そ、そうなの。じゃあお願いするわね」


 内心驚きながらもメルが袖を引くのでそうごまかした。侍女たちは皆なぜか上機嫌で厨房のほうへ向かっていく。


「……どういうこと?」


「私だってあなたが愚痴をこぼしにくるときくらい予知できるわよ」


 メルもまた面白そうな顔で「このくらいで驚いてちゃだめよ」などと言っている。


「わざわざお茶に招待する手間が省けたわね」


 ダリルはまだなにがなにやらという顔だったが、メルはそんな友人の手をとって目の前に見える最上級の客間へと誘うのだった。


「いざゆかん、黒衣の旅人たちの御許に」


「……あなたもなんだか楽しそうね」


「楽しいわよ、とってもわくわくしてきた」


 そうして二人は豪華な扉の前に立ったのだが、メルがノックの手を挙げる前に扉は内側から開かれた。


 そこに立ったアオイ・キサラギが笑顔で「いらっしゃい」と出迎えてくれたのである。ダリルは一瞬息を呑んだが、メルは慌てることもなくこう言って挨拶に代えた。


「こんにちは、今日はお招きありがとうございます」


「うん、ようこそ。さ、ダリルさんも入って」


 まるで最初から打ち合わせでもしていたかのようなやりとりである。もちろんそんな事実はない。魔法士同士の会話は手順をいくつも飛ばしていてにわかにはついていけない。それでもメルは臆することなく豪華な室内に足を踏み入れ、長椅子でくつろいでいる様子の若い騎士に「お邪魔します」と会釈した。


「あぁ、ようこそ、先ほどは挨拶もせず失礼した。キョウイチ・タカシロだ。部屋の主人でもない俺が言うのもなんだが楽にしてくれ」


「あら、意外。もっと怖いお方かと思いましたのに」


「自室で肩肘張るのは性に合わない。くつろいでくれると葵もよろこぶ」


 ダリルのほうはこのやりとりにも驚いていた。メルが初対面の相手とこのように打ち解けて接するのも珍しいが、それ以上に黒騎士の穏やかな声音も印象的だった。城主と対面した時とはまるで違う。


 二人はアオイに促され低いテーブルを挟んでこちらも長椅子に腰を下ろした。よく来てくれたわ、とアオイも若者の隣に腰掛けた。ダリルはまだぎこちないがメルのほうはすでに友人の茶会にでも出向いたように自然な笑顔である。


「今朝は後始末を押し付けちゃってごめんなさいね」


 アオイが軽く頭を下げると若者も「そうだったな」とこちらもダリルに「迷惑をかけた」と謝罪した。


「そちらの魔法士どのがいるから大丈夫と葵が言うのでいささか手加減が足りなかったようだ。あれからどうなった?」


「その、あの兵士はメルのおかげで一応軽傷ということで」


「ほう、あれを軽傷まで持っていくとは」


「ええ、おかげで大事にならずに済んだわ」


「優秀ね、メルさん。ガトーさんはとんだ災難だったと思うけど」


 途端にダリルの顔が曇る。まだ納得はしていないらしい。


「はあ、それが守備隊長という立場上、その、形だけ謹慎三日ということに」


「あらぁ、ごめんなさい!」


「それは申し訳なかった。あとで頭を下げておこう。お二人にも手間をかけさせてしまったようだ。すまん」


 黒騎士が素直に頭を下げるのでダリルはまたしても意外の感を強くした。城主との謁見や今朝の態度から傲慢で冷淡な若い騎士、という印象しかなかったのだ。だが目の前にいるのは落ち着いた物静かな青年だった。


「いえ、あの人もちょうどいい休暇だと言ってましたし、お気になさることは」


「ほんとにごめん、軍の規律を甘く見てたわ」


 アオイもそう謝ったが、現金なもので黒騎士の素直な謝罪の態度でダリルの気分は急速に復調していた。その様子がわかるらしいメルは口元を押さえている。


「ガトーどのにはあとで一言詫びるとして、では朝の件はこれで手打ちにしてもらえるかな?」


 ダリルは「こちらこそ」とうなずき、メルモ「改めてよろしく」と応じた。


「実は私たちもお二人をお茶にお誘いしようかって話してたんですよ」


「じゃあちょうどよかった。あたしオルコットじゃ魔法士と話すことなんてほとんどないから」


「そうなんですか? ちょっと意外」


「商人組合や工房のカプリア職人の人たちとはよく会ってるけど魔法士の知り合いってクーリアくらいだから」


 ダリルがぱちりと瞬きしたのは自国の第一王女をさらりと呼び捨てにしているのにアオイ・キサラギにはなぜか不敬なものを感じなかったからだ。自身がメルの名を呼ぶときの親しみと変わらない響きだ。


「姫さまと親しくしてるなんて想像がつきませんね。どんな方なんですか」


「優雅で優しくて、ときに凛々しくて。そう、雰囲気は少しあなたに似てるかも。機会があったら紹介してあげるね。でもお二人ともデッカから外に出ることなんてあるの?」


 わずかに互いの顔を見た二人だったが、メルのほうが「そうですね」と首を傾げた。


「リラまでは時々カプリアの小道具を探して。占い用のものは市販されてないので顔見知りの仕入れ屋でないと。でもそれ以上足を伸ばすことは」


「じゃあ首都へは?」


「一度も。ぜひ訪れてみたいとは思いますけど」


「そうなんだ。ダリルさんはどう?」


「年に一度は父が王宮に挨拶に上がるので何度か供をしたことは。でも途中でセリアに寄るくらいね。メルにつきあってリラまではたまに。あとは何年か前に母と一緒にエコーズの城に招かれたことがあったわ。そちらは?」


「あたしたちはオルコットを離れるのは初めてなの」


「え、そうなの?」


「普段は商売とルシアナの遊び相手で忙しいから」


 これは明らかに冗談らしかったが、黒騎士も軽く吹き出したところを見るとまるっきり作り話というわけでもないらしい。第二王女の遊び相手というのはクーリア姫のそばに控えるこの少女にはありそうな話だ。それがなぜ急に査察官などに?


 ダリルとしてはそう問いかけてみたかったが、この場でいきなり、というのが性急にすぎることもわかっていた。どう話題を転がすかと考えていると軽いノックの音とともに侍女たちが入ってきた。

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