第76話 国境 その5
(承前)
つぶやくダリルに「誰?」とアオイが短く問う。答えたのはメルのほうだった。
「ドラカン・クーンツ。問題の第三守備隊の隊長さん」
「ガトーさんと仲が悪いのね」
「とびきり」
「だと思った。とすると第五と第三の兵士同士もしょっちゅう揉めてるでしょ。でもなぜかそのたびにご城主にお小言を喰らうのはガトーさんのほうなんだよね」
ダリルとメルが同時に息を呑む。
「どうしてそんなことを……」
驚きに目を丸くするダリルにかまわずアオイはこう続けた。
「それなのにスタッグス公はなんとなくガトーさんを信頼してる様子がわかるものだからことあるごとに些細な嫌がらせを仕掛けてくる。違う?」
「あなたは……占術使いなの?」
メルはかろうじてそう答えた。アオイの言葉の正しさを認めているのだ。
隠された真実を見通す占術の魔法はかなり稀有な才能だ。メルが師に見出されたのもわずかにその才を有していたからだ。彼女が二十歳そこそこで占い師の看板を掲げていられるのもそのためである。
むろん、ダリルに話したように占いには詐術に近い様々な手管がある。占いとは霊感によって統合された観察力、洞察力、想像力、推理力などによる総合技術なのだ。それをよく知るはずのメルが驚嘆していた。
この
自分もダリルも絶対にそこまでの材料を与えていないはずだ。占い師のハッタリや手管が入り込む隙はなかった。なのに彼女が言い当てたのは紛うかたない真実であった。一般の兵らが知らない内情だが、メルはダリルの愚痴を通じてそうしたことをよく知っていたのである。
「困るな、うちの連中にかまうなといつも言っておるだろうが」
それが第三守備隊長ドラカン・クーンツの第一声だった。
***
「貴公はどうしてそう揉めごとばかり引き起こす。こいつらにはちょっかいを出すなとあれほど」
困るな、と言いながら一向に困った様子が見えないのはダリルにも明白だった。ドラカンの嫌味にはいつも不快な思いをさせられている。ガトーへの身びいきを差し引いてもこの男の性格にはよい記憶がない。
「言いがかりはよしてもらおう。あんたのほうこそ少しはこいつらにものを考えるということを教えたらどうだ」
迷惑しているのはこっちだ、と返したガトーは先ほどまでの困惑した様子から表情を読ませない顔になっている。
「相変わらず口の利き方がなっておらんな。こいつらがいったいなにをしたというのだ」
「査察にみえた中央からの客人だぞ、王宮や近衛隊のお墨付きだ。城主が滞在と行動の自由を保障した御仁に妙な騒動をふっかけられてはデッカと城主の名誉にかかわる」
正論だが、その程度の理屈は相手も承知の上だったようだ。口元をわずかに吊り上げる。
「言われるまでもない。だからこそだ。査察だと? たった二人で? そんな話を真に受けるわけにはいかん」
「身分証は本物だ。俺が確認した。疑義はない。城主にもそのように報告した」
「あてになるのか? 城主に取り入って久しい貴公のことだ、大方手飼いの役人にでも細工させたのではないか」
「馬鹿を言え、そんなことをして俺にどんな利があるというんだ」
ガトーの表情がわずかに動いた。相手の屁理屈にうんざりしているのだろう。
「とにかく、ただの噂に乗せられて城の正式な客人に妙な言いがかりをつけるのはよしてもらおう。栄えあるデッカ守備隊の名折れだ」
らちもない騒動はこれで打ち切りとガトーは言い渡したのだが、そこで兵士たちが騒ぎ出した。自分たちの隊長まで侮辱されたと短絡したのだ。上司にいいところを見せようという思いもあったかもしれない。
「ならば!」
一人の兵士が進み出ると剣を抜いた。よく筋肉の発達した大柄な体躯を持ち、手にした長剣も一般的な兵士のものより肉厚で重量もありそうな豪剣だ。そうとう腕に自信があるに違いない。
「ガーラさまの名誉にかかわるのだ、噂の真偽は俺が確かめる!」
「馬鹿野郎、やめんか! 城のど真ん中で剣を抜くなど言語道断だぞ」
にわかにガトーの表情も険しくなった。城の男たちの揉め事はしょっちゅうだが、さすがに刃傷沙汰はまずい。しかも城の大門のすぐ傍なのだ。城主に知れぬはずがない。
「よいではないか、噂半分としても腕の立つ騎士に手合わせ
「本気か? この御仁は仮にも近衛隊の剣術師範だぞ」
「その肩書の真偽もついでに確かめてくれよう。引け、ガトー」
馬鹿はよせ、となおも説得しようとするガトーだったが、そこで肩に人の手を感じた。背後で沈黙していた黒ずくめの騎士が音もなく歩み寄ったのだ。
「これ以上はつきあいきれんな。馬鹿の相手はおれがしよう」
「待て、客人、それでは」
「おれたちもそれなりの権限を与えられている。あんたに迷惑はかけん」
「しかし……」
渋るガトーを退けて黒衣の騎士は勇み立つ兵士の前に立った。男の肩が盛り上がるのが野次馬たちにもわかる。こんな所で騒動を起こされるのは彼らにとってもまずい事態なのだが、騎士と守備隊の猛者の手合わせなどめったに見られるものではない。彼らも兵士だ、これを見逃す手はない。
「ひとつ言っておく」
黒衣の騎士は低い声で告げた。
「おれは査察官としてここへ来た。この城の名誉も不名誉も報告する権限を与えられている。お前が稽古を望むなら近衛隊師範として相手しよう。無礼は問わぬ。だが、ただの言いがかりで剣を抜いたのなら覚悟はしておけよ」
無表情にそう言い放った黒衣の騎士に相手は軽く身震いしたが、自らを鼓舞するように「上等だ」と剣を構えた。
「だが、あんたのそれは木剣だろう、それでは話にならん」
「気遣い無用、これは木剣に似せた鉄剣だ」
「そういうことか、ならば!」
本気の斬り合いではなくとも無傷では済むまいと誰もが期待を込めて囃し立て、ドラカンは薄笑いのまま腕を組んで見物していた。困惑しているのはガトーとダリル、メルたちだけだ。そしてアオイは——。
「さ、準備して、あなたの出番だよ」
いきなりそう言われてまたしてもメルは意表を突かれた。
「え?」
「すぐ終わるから。あなた治癒魔法得意なんでしょ」
いったいなにを、と思う暇もなかった。
守備隊の男はそうとうな猛者であったはずだが、最初の一歩を踏み込むことができなかった。それどころか剣を構えたまま蒼白になっている。黒衣の騎士は黒い剣を片手で無造作に持っているだけで構えてさえいない。そして——。
黒騎士が剣を振るうところは誰にも見えなかった。ガトーでさえかすかに残像を感じただけで文字どおり瞬きする暇もなかったのだ。
キン! という乾いた甲高い音とともに半ばから折れた男の剣先が地面を転がった。一瞬、なにが起きたか野次馬たちの誰にもわからなかった。当の男でさえ呆然と自分の手元を見て絶句していた。おのが目で見ているものが信じられないのだ。
「この未熟者!」
黒衣の騎士は一喝とともに再度剣を振るった。
「うぎゃっ」
筋骨がひしゃげる異音と男の悲鳴が重なった。激痛にのたうちまわる男はほとんど白目を剥き、ありえない形に折れ曲がった右腕を押さえて絶叫をまき散らしていた。野次馬たちは唖然として声を忘れ、ドラカンは薄笑いを顔に貼りつけたまま石と化していた。
「お前たちの未熟はこの黒騎士がしかと見届けた。デッカの兵は信ずるに足りぬと王宮には報告しておく」
それだけを冷徹に言い放つと黒衣の騎士は「邪魔だ、どけ!」と男たちの間に踏み込んでいく。誰もが飛び退くようにして道を空けた。
「さ、行って、あなたの仕事だよ」
アオイ・キサラギはメルの肩を押しやり、軽い足取りで黒衣の騎士に続いた。
はっと我に返ったメルが慌てて治癒の魔法陣を広げるまでしばらくかかった。
***
ファーラムは国全体が平坦な地形だが、国境の山岳地帯を至近とする西端地域はその限りではない。デッカも起伏のある土地に築かれた都市で、市内には坂や高台も多い。ログワント城自体、中央の台地の上に建てられている。他の都市と違って高低差の目立つ立体的な街なのだ。
「おかげで見晴らしはいいけど」
そう言いつつ葵は軽く肩をすくめた。
「その分、街の構造は複雑ね」
「砦としては都合のいい地形だがな。城からだと死角も少ない」
しばらく市内を歩き回った葵たちは西側の丘陵の上から市街を見下ろしていた。背後には街を囲む城壁が万里の長城のように連なっている。こんなキナくさい土地でなければちょっとした観光地並みの眺めだが、周囲にそんな呑気な人影は皆無だ。
「やっぱり牢屋は多いね、城の中だけで七つもあるよ」
「地下牢もあるな。北に監獄らしい施設も見える。まあ、戦前提の砦なら当然といえるが……この数ではひとつずつ当たるのは面倒だな」
「ざっと数百人はいるもんね。さすがにここからじゃ探しようがないなあ。全員に面接でもできれば別だけど」
葵は恭一の手を取ったままそうぼやいた。瞳は輝き、その尋常ならざる視力は隣の若者にまで及んでいる。二人は葵の遠見の術を介して特殊な視界を共有する技術を我がものとしつつあった。本来、人間の視界ではない。
まともに受け入れることは恭一には難しい。だが、霊感が見せるヴィジョンに慣れている葵の感覚がフィルターとして機能しているらしく、溢れた視覚情報で混乱することを免れていた。その上で視点を固定しろという葵のアドバイスで恭一は超広角、超望遠の視覚を扱うコツを会得していた。親機である葵の視界内を自由に移動できる子機のような感覚、とでもいおうか。この状態では恭一の視覚は葵のそれに包含されているため互いがどこを見ているかといった感覚も共有される。
肉眼で見ているわけではないので目を閉じていても見えるしアングルも自由だ。恭一にはこの「見え方」の自由度が最も驚異で、かつ、混乱する経験であったらしい。なにしろ数百メートル先の壁の向こうで人が広げている手紙を覗き込むことさえ容易なのだ。葵の「反則」を我が身で体験した恭一は大仰に苦笑したものだ。
これではプライバシーもへったくれもないな、と。
探せば遠見の術そのものの使い手は他にも存在するかもしれないが、体内に投影された魔法を知る一般人はおそらく高城恭一ただ一人であろう。借り物とはいえ体感した魔法士の感覚は彼自身の勘をも大幅に底上げしつつある。それは剣士としての大きな可能性につながるものであり、彼もいずれはその事実を知るはずだ。
とまれ、二人はこの特異な城塞都市の全容を読み取ろうとしていた。デイル伯爵たちとの約束もあるが、葵たちにとっても荘園の動きをこのまま看過はできない。もっと本質的な部分でその正体に迫る必要性を感じていた。
彼らはどのように浸透してくるのか。指揮系統は存在するのか。最終的になにを目指しているのか。
ドーレスと荘園の対立は単なる街道経済の覇権争いではない。このまま放置すればいずれは目に見える形となって国内のあらゆるところに軋轢を生むだろう。そうなれば疲弊するのはファーラムのほうであり、そこにインガルの意志が介在しているとなれば今後の武力衝突は非常に厄介なことになる。
国が割れていては他国と争うことなどできないのだから。
「さてどうするか……。あえてストレートに揺さぶってみる手もあるが」
「あたしはお城の人間関係に興味があるな」
「城主か?」
「どっちかというとダリルさんのほうかな。彼女の周りではこれから動きがありそうな気がする」
「ほう?」
「ここでなにかあるとすれば起点は彼女だと思う。守備隊、魔法士、城主、あともしかすると噂の盗賊も」
「盗賊? 葵は実在すると思うのか」
「まだはっきりとは見えないけど、昨日今日でそんな感じがしてきた」
ふむ、と恭一は考える顔になった。最初は城主の周辺から荘園の気配を探ろうと思っていた。具体的にはセリアのカットナー城で会ったミース男爵と似た雰囲気の人物がいれば、と考えていた。
だが、葵の口ぶりではなにか漠然と見え隠れしているものがあるらしい。ならば彼女が指し示す方へ向かうのが近道だ。如月葵に訪れる不可視の示唆は紆余曲折があろうとも最後には必ず恭一を正解へ導いてくれる。
「なら、あのご令嬢をお茶にでも誘ってみるか」
「お友だちの魔法士さんもね。彼女は面白いよ」
「わかった。ではひとまず城に戻るとしよう」
二人はゆるやかな傾斜を彼方の城に向かって歩き出した。
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