第75話 国境 その4
(承前)
そうした内面がすぐに顔に出るのでメルもくすくす笑う。友人は気分を持ち上げるのに成功したようだ。
「ねえ、メル」
「うん?」
「占いって目の前に占う相手がいなくてもできる?」
それだけでメルは友人の来訪の目的を察したようだ。きらりと瞳が光った。
「ふふん、さてはそれが狙いか。もちろんできるわよ。精度は保証できないけど」
「じゃあ、占って、あの
「やれやれね、回りくどいこと」
わずかに苦笑してメルは茶器を片づけ、テーブルの端に積まれた絵札を取り上げた。
占いにも様々な術が存在するが、彼女が使うのはキカハと呼ばれる四十八枚で一組の絵札を使うやり方だ。エルムの十二宮を基本とし、星座や魔法陣の記号を加えたもので一般人にとっては室内での遊戯によく使われる。
「私はその人を知らないからあなたはなるべく明瞭にその人の姿を心に浮かべるようにして」
そう言うとメルの表情はにわかに真剣になった。目の光もまとった雰囲気も先ほどまでとはまるで別人だ。彼女の魔法士としての資質が輝き出す瞬間であり、何度見ても引き込まれそうな魅力を感じる。
テーブル中央のカプリアから小さな魔法陣が浮かび上がるとそれを囲むように裏返した
次いで幾何学模様が不規則に明滅し、円陣の一部が明るく輝く。それがメルにとっての閃きの表れらしく、その度に
「その人は……」
普段とは声音の変わったメルが告げた。
「一級魔法士ではないわ」
「えっ、まさか偽者なの?」
「……待って、まだ先が……」
メルはまた
「……独立、孤高、神域、未踏……わからない、どういう意味かしら……」
「メル?」
どうやら
「ごめんなさい、
そう言うとメルは再び魔法陣と
「……その人は偽者ではない。……けれど階梯に属さず。……とても、とても強い。この世の者では……。わからない、その先が……」
途切れがちなその声は揺れ、戸惑い、そして悩ましげであった。
「……ミア……、ミア・カルナック? え? オケイアを?」
そして「まさか」とつぶやいたメルが少し震える指で次の
「あっ」
「えっ」
二人同時に小さな悲鳴をもらした。
いきなりパン! となにかがはじけるような乾いた音が鳴り、テーブル上の
二人は呆気にとられ思わず互いの顔を見合わせた。驚きに目をみはった顔がそこにあった。
「今のなに? どうしたの?」
「わからない、こんなことって……」
テーブル上の魔法陣は消失し、あろうことかカプリアまで真っ二つに割れていた。
メルは恐る恐る割れたカプリアに手を伸ばし、うそ、ともらした。ダリルが友人のこんな表情を見るのは知り合った少女時代以来のことだ。そのダリルも言葉が出てこない。
二人とも絶句していたが、ややあってメルが大きなため息とともにこうもらした。
「前に先生から聞いたことがあるわ」
「……」
「
「……どういうこと?」
「分をわきまえろ、ということらしいわ。お前にはそれを見る資格がない……。てっきり未熟者をたしなめる意味かと思ってたけど」
「じゃあ今のは」
「私は覗いちゃいけないものを覗こうとしたのかも」
「まさかあの
それには答えず、代わりにメルはこう続けた。
「その人たちは城に滞在してるの?」
「ええ、金剛の間に」
「そのアオイって人だけでも紹介してもらえないかな」
「え、あなたを?」
「ぜひ会ってみたいの、頼める?」
有能な治癒魔法士のメルは城内への出入りも自由だが、どちらかといえば市中にこもりがちだ。その彼女がこんなことを言い出すのは珍しい。
「占いじゃなく自分の目で確かめたいの」
ダリルにはこの顛末が今ひとつ釈然としなかったが「頼んでみるわ、とにかく登城してみて」と答えてその日は帰宅した。
***
翌日、ダリルとメルは思わぬ状況で問題の二人と遭遇していた。
メルが登城したのは午前中の早めの時間帯だった。噂の客人が朝食を済ませた頃合を狙ってダリルを訪ねたつもりだったのだが、なにやら城門の脇が騒がしい。なんだろうと目を向けると十数人の兵が一人の男に詰め寄ってかなり殺気立った雰囲気である。
しかも周りを囲んだ大勢の野次馬たちの中には当のダリルも混じっているのだ。
いったい何事だろうと騒ぎのほうに目をやったままダリルの傍に歩み寄る。兵たちは口々に「取り消せ」「謝罪しろ」などと叫んでいる。ただしもっと荒々しく下品な言葉でだ。城の男たちの喧嘩は日常茶飯事なのでメルもその程度で怯えたりはしないのだが、彼らの矢面に立っているのが彼女もよく知っているガトーなのが意外だった。ダリルが心配げに見つめているのもそのためらしい。
ガトーは若い頃から城主の指揮下でインガルとの小競り合いに参戦する機会も数多く、今の第五守備隊長という地位も城主の引き立てによるものだ。口が悪いので城主とぶつかることも多いが、実力はそのスタッグス公《も認めている。……というのはダリルの言葉だが、彼女がガトーの男らしさを憎からず思っていることは確かだ。ダリルは決して口に出したりはしないがメルにはお見通しである。
そのガトーがなぜか兵たちに詰め寄られて困惑しているように見えた。
「なにがあったの?」
「見てのとおりよ、気がついたらこうなってたの」
「原因は? あの人たちはガトーさんの部下じゃないの?」
「違う、他の守備隊の兵士らしいわ。原因は——」
ダリルはガトーの後方に軽く目をやって「あれ」と答えた。そこには全身黒ずくめの若い騎士とゆったりとした男装の若い娘が並んで立っていた。ともに黒いマントをまとって見るからによそ
と、娘のほうがちらりとこちらに目をやり、明らかにダリルたちに会釈をしてみせたのである。
「……もしかしてあの人が?」
「そう、噂の一級魔法士さん」
「ふうん、で、これはどういう状況なわけ?」
「私にもよくわからないの。あの二人が出かけようとしたところに彼らがなにか、その、噛みついたというか言いがかりを……」
「なんでまた? 一応は査察官なんでしょ、城のお客人じゃない」
「そうなんだけど……言ってることがよくわからなくて。さっきからガトーがなだめてるんだけど、よその隊の兵士たちだから頭ごなしに命令もしにくいみたいで」
彼女自身は城主の娘として誰知らぬ者とてない有名人だが、騎士でもなければ正式な城主の側近でもない。男たちの揉めごとに口を挟める立場ではないので先ほどからやきもきしながら見守っているのだった。
「お前たち、いい加減にしろ! こんなところで暴れるつもりか。相手は城主が客人と認めた御仁だぞ。無礼が過ぎるだろうが!」
ガトーの一喝は至極もっともな叱責だったが兵たちはまだ収まらない。よその隊とはいえ守備隊長格の騎士に食ってかかるのだから連中もそうとう気が立っている。
「けどよ、あいつは四大騎士の名を侮辱したんだぜ、許せるかよ!」
「そうだそうだ、いくらあんたの言うことでもこいつは聞けねえ」
「あんただってそう思うだろうが!」
口々にわめき散らす男たちに閉口したガトーがなにを言ってもこの調子でさっきから納まりがつかないのだ。彼らの直接の上司が飛んできて怒鳴りつけてくれない限り彼らは引こうとはしないだろう。
「ね、あの人たちはなにをあんなに怒ってるんですか? 四大騎士がどうかしたって?」
メルは野次馬を決め込んでいる兵士の一人に尋ねてみた。すると——。
「いやね、どうも変な噂が流れててあいつらそれを真に受けて息巻いてるんだよ、なんせここじゃガーラさまの悪口なんて許されないだろ? 特にあいつら第三守備隊の連中は前の戦の時、ガーラさまのおかげで命を拾ったようなもんだからな」
「悪口? ガーラさまの?」
「悪口っていうか噂だよ、噂。あの若い騎士がガーラさまと立ち合って勝ったっていう」
男も自分の言葉を全然信じてない口ぶりだ。そんなことはありえないと思っているのだ。
「噂? たったそれだけで? 確かめもしないで?」
そんなくだらない理由で怒りを燃やす男たちの単純さに呆れてしまった。こんなことが城主の耳に入ったら全員こっぴどく叱責されるに違いない。スタッグスは兵や騎士たちの規律にはことのほか厳しい城主なのである。
「ガーラさんてここじゃそんなに慕われてるの?」
いきなり耳元で言われて二人は飛び上がった。なんといつの間にかあの一級魔法士だという娘がすぐ横に来ていたのである。ダリルだけでなく、魔法士として常人以上に気配に敏感なメルにさえ気づかせずにだ。
「あなたは……」
よほど驚いたのかダリルが喘ぐように言う。そんな彼女にかまわずアオイ・キサラギはメルに向かって旧知の仲のようにこう続けた。
「ガーラさんは面白い人だし男気のある騎士さんだと思うけど、それだけであんなに怒る?」
虚を突かれた気分だったがメルはかろうじて内心の動揺を抑えてこう返した。
「ガーラさまは二年前の戦の時、この城の騎士たちの先頭に立ってものすごい強さで敵を蹴散らしたの。特に一時劣勢だった守備隊に加勢して一気に盛り返したと。さすがは音に聞こえた四大騎士が一人ということでご城主さまは大喜び、助けられた兵たちはあの方をもう神さまのように尊敬、というか崇拝することになったの」
「ふうん、さすがね。ところで自己紹介が要る?」
「いえ、お名前はダリルからうかがいましたから。私はメル、メルア・メリル、城の三級魔法士ですが、普段は城下で占い師をやっています」
傍のダリルはアオイ・キサラギの唐突さに口が挟めないでいる。
「今日はもしかしてあたしに用があった?」
「……ええ、噂の一級魔法士がどんな人だろうかと」
「一級というのはただの方便、あたし試験なんて受けたことないし」
声をひそめることもせずそんなことを言い出すものだからダリルは目を白黒させている。いったいどういう人なのよ、と呆れ返っているのかもしれない。
「いいんですか、そんなこと言っちゃって」
「クーリアがそう名乗れって言うから。まあ肩書きがあるとそれなりに便利だしね」
「ずいぶん率直なのね。でも魔法は使えるんでしょう?」
少しはね、と笑ったアオイ・キサラギはメルの目の前で手のひらを広げてみせた。
そこに浮かんだ小さな幻影はなんの変哲もない火起こしの魔法陣であった。どんな未熟な魔法士でも修行時代に学ぶ基礎の基礎だ。ところが——。
「!」
もう少しで悲鳴を上げるところだった。
その小さな魔法陣が見る間に別の魔法陣へと変化していくのだ。それも瞬時に。火、水、風、光、流れ、雨乞い……。途切れることなくどんどん変化し続けるのである。二つの魔法陣を切り換える技術はそうとうな集中力を必要とする。起動し直すための時間もかかる。なのにまるで遊んでいるような手際だ。
魔法陣の変化には次第にメルの知らないものも混じるようになり、最後に少女が軽く手を振ると一瞬、ルフトの光点が飛び散って消えた。
「信じられない……」
「そんなに難しくはないよ、心の持ち方にちょっとしたコツがあるけど」
「あなたはいったい……」
「それよりどうなると思う? あれ」
あれ、とアオイが瞳を向けたのは色めき立つ兵たちを押しとどめているガトーと彼がその背でかばう形になっている黒ずくめの騎士であった。どう見ても「困った」という顔ではない。
「そんな、他人事みたいに……」
「変な噂を聞きつけたのは第三守備隊の人たちだけなのかな?」
「どういうこと?」
「別に。ただ、あんな単純な人たちを焚きつけるのは簡単だったろうなと思って」
「まさか、わざとけしかけたって言うの? 誰がそんなことを」
まるで階段を数段ずつ駆け上がっているように話が飛ぶのでついていけない。この人はなにが言いたいんだろう?
「そうねえ、あの人なんかどうかな?」
あの人、とアオイが目で示したのはガトーと同じく騎士の身なりをした一人の中年男であった。城の大門の陰からこちらへ向かって歩いてくる。細い眉、鋭い目つき、ぴんと横に張った鼻下の髭、そして軽装の鎧の胸には黒い蜥蜴のような紋様が刻まれている。
とたんにダリルの顔が曇り、メルの表情も心なしか硬くなった。
「ドラカン隊長……」
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