第87話 光る城 その3
(承前)
いつしかガトーの意識は相手の動きに固定され、周囲の状況二対する注意がわずかに散漫になった。ぶつかり合って互いに飛びすさった瞬間、ガトーはおのれの失策に舌打ちした。
互いの立ち位置が入れ替わり、かばっていたはずの城主たちの傍らに相手が立っていたのだ。振り上げられた剣が城主の首元に襲いかかる。
「野郎!」
ガトーは無理な体勢を承知で男と城主の間に体をねじ込んだ。どうあっても城主をやらせるわけにはいかなかった。
「ぐうっ」
「ガトー!」
ガトーの抑えた苦悶の声とダリルたちの悲鳴が重なった。
剣を掴んだままのガトーの右腕が肘の先で切断され、血しぶきとともに転がった。不覚にも受けが間に合わなかったのだ。
だがガトーの執念も凄まじい。片腕を失いながら残る左手に腰の短剣を引き抜き、とどめを刺しにくる相手の剣を受け止めようとした。互いの技量を思えばガトーの勝機はほぼ失われていた。
ラプトルの薄笑い、ガトーの憤怒、ダリルたちの悲壮な表情、それらが交錯した次の瞬間、一条の光が後方から飛来した。
それはややオレンジがかった光の筋であり、一直線に伸びてラプトルの剣を直撃した。
その勢いはかなり激しく、男は剣を取り落とすことこそなかったものの、押されて二歩、三歩と後退した。
更に二本の光が飛んでくるとさしもの男も避けきれず、一本がまともに胴体に命中した。
「がっ」
跳ね飛ばされた男の衣服が燃え上がり、火を消そうと転げ回る。ガトーたちはなにが起きたかわからず唖然としてその光景を見ていたが、よろめきながら男が立ち上がるとはっとして城主の下へ駆け寄った。
そして全員がこの争いに割って入った者の正体を知った。
城主の間の扉の向こうから現れた少女は厳しい目をしていた。傍らに立つ若者と短く目配せを交わすと若者の姿は黒い影となって流れた。動きが速すぎてそのように見えたのだ。
影は一瞬でラプトルとの距離を詰めたかと思うと筋骨がひしゃげる不気味な打撃音が鳴った。ぎゃっという短い悲鳴とともにラプトルの体は壁際まで吹き飛び、数度バウンドして沈黙した。服の上からでも肩口から上半身にかけて異様にゆがんでいることがわかる。砕けた肋骨で傷つけたか、大量に血の泡を吐いて完全に意識を喪失していた。
ガトーも城主も傷の痛みさえ忘れたように呆然とこの成り行きを見ていることしかできなかった。まるで時が止まったように。
「アオイさま!」
ダリルの叫ぶ声でようやく全員の呪縛が解け、事態が動き出した。
「……お客人」
ガトーが腕を押さえて声を振り絞り、城主は足の傷が痛むのかその場に座り込んだ。指された太股の傷はかなり重く、大量の出血で顔色も蒼白だった。
メルは本格的に魔法陣を立ち上げたが、片腕を失ったガトーのことも気になって上手く集中できず、かなり焦っていた。
駆け寄ってきた葵の「大丈夫、落ち着いて」という励ましの声がなかったら初歩の治癒魔法で失敗していたかもしれない。
「ガトーさんの方はあたしがやるからメルさんはご城主の治療に集中して」
葵はガトーをその場に座らせると臆せずに拾い上げた彼の右腕を傷口に押し当てた。戦闘中は気力で耐えていたガトーも出血と激痛で苦悶し、低いうめきがこらえきれない。
「ガトー、しっかりして」
ダリルの声は気丈だがその顔は泣きそうであった。すがるような目で葵を見つめている。メルが父親の治療で手が離せない以上、目の前の少女の力に頼るしかないのだ。
騎士が片腕を失うこと がどれほどの痛手か彼女にはわかっていたが、今は一刻も早い止血と手当を願うばかりだった。
葵の目がきらりと光をはじくと座り込んだガトーの頭上に鮮やかな魔法陣が浮かび上がった。まばゆいほどの黄金の輝きは治癒魔法を見慣れたダリルでさえ覚えのないものだった。霊力のない彼女にさえ渦巻くルフトの輝点が見えるほどの力感である。
息を呑む彼女の目の前でガトーの腕の切断面が消え失せ、見る間に傷口が消滅していく。ガトーもダリルも呆然としていた。それは治癒魔法を見慣れていた彼らにも信じられない光景だったのだ。
「ありえねえ……いくらなんでも……」
驚嘆するガトーにすでに痛みはない。たとえ切断を免れても再訓練に数ヶ月、それでも元どおりに券を使えるようになるかは運任せと諦めていたのに、つながった腕には何の違和感もない。今朝目覚めたときと変わらない状態だ。
「どう? 痛むところある?」
「いや……信じられんが万全だ。古傷まで消えちまってる。一級魔法士ってのはとんでもねえな」
夢から覚めたようなつぶやきだった。その思いはダリルも同じだった。惚れた男が再起不能になるところを救われたのだ。涙目で喜んでいた。
一方、葵の強力な魔法陣の余波は傍らのメルにも及んでいた。城主の治療に当たっていた彼女の治癒魔法は普段の何倍もの効果を発揮し、メル自身も驚くほどの短時間で城主の傷は完治してしまった。何年も治癒魔法士として活動してきた彼女にも覚えのないことだった。
***
「重ね重ね貴殿らには世話になった。感謝する」
ひとまず落ち着いたところで城主とガトーは葵と恭一を前に「このとおりだ」と頭を下げたが、若い二人は首を振った。
「いえ、まだ終わっていません。むしろこの混乱をどう収めるかです」
葵の言葉に恭一がうなずいた。壁際で完全に意識を失っている男の方をちらと見やって言う。
「そもそもあいつはなにをやったんだ? 外の連中全員に催眠術でもかけたのか」
「案外それに近いかも。メルさんの話じゃあの人の目には特別な力があるそうだから」
「それにしたってあの数は……」
「いちいち暗示をかける必要ないのかも。目を合わせるだけで心の奥のたがが外れるとしたらね」
「荘園側の大量リクルートか」
「たぶんね。たがの外れた人たちは欲望のままに動くから統制なんかとらなくても放置しておくだけで城も城下も混乱する。デッカが荘園の一大拠点になったらインガルはどうするかな」
「間違いなく攻め込んでくるな。それが最終目標か」
「こうなると近衛隊の出番かな。とりあえずイアン隊長に急使を出してもらいましょう」
傍らで二人の話に首をひねっていた城主たちにこれまでの荘園やドーレスの経緯を手短に説明すると、スタッグス公もガトーもことの重大さに愕然とした。荘園側の周到な浸食とこのままではインガルへの最大の防壁が連中を迎え入れる拠点になってしまうという事実が彼らを打ちのめしたのだ。
「するとラプトルのやつはその荘園とかいう勢力の先兵か」
ガトーの問いに恭一は「たぶんな」と答えた。あの男はおのれの特殊な影響力を利用してこの砦を変質させようとしたのだろう。乗っ取る必要さえない。兵たちがデッカやファーラムへの忠誠心を投げ捨て、勝手気ままに振る舞うようになればそれだけで城は落ちたも同然なのだ。インガル兵が攻め寄せてきてもわれさきにと逃げ散ってしまうだろう。
今が瀬戸際だった。すでに見えない攻防戦が始まっているのだ。
「どうしたもんかな、この数で内乱になったら最悪全滅だぞ」
恭一は腕を組み、城主やガトーも青ざめた顔だ。兵たちの混乱はすでに数千人規模に膨れ上がっている。もはや城主が直接命じても効果はあるまい。
ふと恭一と葵の目が合った。
見つめ合って数秒、葵が軽く肩をすくめる。
「どこまでできるかわかんないよ」
「ああ、その時はその時だ」
「じゃあとにかく屋上へ」
恭一はうなずき、城主たちに屋上へ向かうと告げた。
「どのみちここにいても混乱の全貌がわからん」
「なにをする気だ」
「葵に考えがあるようだ。うまくいくと保証はできんが」
倒れている家臣たちをメルに任せて葵と恭一は扉の向こうへ去った。
***
兵たちの混乱は徐々に場内にも波及しつつあるようで、屋上へ向かう葵たちの前にものも言わずに立ちふさがる者も増えてきた。剣を抜く者は恭一が容赦なく打ち倒す。後顧の憂いのないよう手加減なしだ。
「さっきのはあの子の技だろう? いつ覚えたんだ」
「見よう見まねだけどね。あたし戦闘用の術って知らないから」
「本家と変わらん威力だったと思うぞ」
「風と炎の組み合わせって原理はわかってても魔法陣で再現しなくちゃならないから超能力者はいいなあって思っちゃった。どうやって曲げるかなんてまださっぱり」
屋上に出ると兵たちの混乱ぶりがよく見えた。座り込んでいる者、うろうろと歩き回っている者、抜き身の剣を持って走り回る者など様々だ。滞在中に兵たちの規律ある訓練風景などを見ていた葵たちには目を疑いたくなるでたらめさだった。
「これはひどいな」
「日ごろの規律とどっちが本性なんだろねー」
「こっちがそうだとは信じたくないな。今攻め込まれたらひとたまりもないぞ」
恭一があきれたように言う。文字どおり烏合の衆を見ている気分だ。葵にはなにか考えがあるらしいがこいつらの目を覚まさせるのは容易なことではあるまい。
「じゃあやってみるね」
「あまり無理しなくていいぞ」
「ありがと」
***
城の中で右往左往している兵たちはむろんそのすべてが異変にとりつかれたわけではない。比率的には半々といったところだろう。いきなり職務や訓練を放り出して好き勝手に振る舞い始めた仲間たちに唖然とし、目を覚ませと頬を叩いているまともな者もいる。
そうした者たちの幾人かがふと気づく。
目の端になにかがちかっと光ったような気がしたのだ。ん? とそちらを目で追った彼らは一人の例外もなく絶句した。見上げた空に途方もないものが出現していたのだ。
「魔法陣だと……」
誰かが呆然と口走った。周囲の者が一人また一人と見上げた城の上空に信じがたいほど巨大な魔法陣が浮いていた。それは城の真上に現れ、ログワント城そのものを包み込むほどの大きさだったのだ。
黄金の棋戦で形作られた美しい文様はゆっくりと回転しながら無数の輝点を振らせている。この魔法の国にあってさえ未だかつて誰も見たことのない神秘的な光景であった。
あたり一面に降り注ぐ光の粒はどんどん濃密さを増し、ついには誰もがその異様さにどよめき、感動、畏れ、驚嘆といった様々な感情から声が上がった。その場に跪いて祈り始める者も少なくなかった。
その正体がルフトの輝きであると気づいた者もそうでない者も今や呆然と空を見上げて立ち尽くしていたが、異変は更に驚くべき変化を見せ始めた。
雪のように静かに降り注いでいた光点がまるで風に吹かれたようにざあっと舞い始めたのである。
霊的存在であるルフトは通常カプリア以外のどんな物質にも影響されない。風に吹かれることも雨に流されることもないのだ。なのに今、ルフトの輝点は一斉に動き始めている。強風に吹き寄せられるように渦を巻いているのだ。渦は次第に勢いを増し、やがて
光の嵐。
そうとしか言いようのないものがログワント城を中心に発生していた。震えて立ち尽くす者、闇雲にその場から逃げようとする者、理解が及ばずへたり込む者など反応はまちまちだったが、先ほどまで頭の芯に霧がかかったように感じていた者たちはいつしかすっきりとした覚醒感とともにおのれを取り戻していることに気がついた。
あれれ、おや、とあちこちで首を振っている者が目につく。やがてかれらはなにか気恥ずかしさでも感じているような表情で本来の自分の持ち場へ向かうのだった。そして——。
光の嵐は時間にしてほんの数分で終熄したが、はっきりとその瞬間に気づいた者はいなかった。
確かなことは原因不明の異変の中で我を忘れていた者たちがことごとくおのれを取り戻したということだ。兵たちの大半は日常的にものを深く考える習慣を持たないので城主がいつものように「たるんどる!」と怒鳴ると経緯など頭の隅から消してしまった。
その城主は葵と恭一に託された書状を最速の早馬で近衛第七隊に届け、一隊を率いて駆けつけたイアン・グールドと城側の主立った者たちの間で詳細な報告がなされた。
席上明らかにされた荘園とドーレスの確執はことが単なる経済問題ではなく隣国からの侵略にもつながるということで直ちに国王に上奏されることとなった。
とらわれていたドーレスの幹部はなぜか完全な健康体で救出され仲間たちと再会したが、気がついたら拷問の跡が影も形もなくなっていたと言われたクストーはなんとも言いがたい微妙な表情だったという。
ただ、カットナー城の城主代行やその仲間とおぼしき何人かの幹部はいつの間にか姿を消していた。
「臆病なやつは危機察知能力だけは高いからな」
イアンはそう苦笑して彼らの捜索を手配した。荘園の具体的な組織力は不明だがその中に逃げ込んだのだろうということだ。
カットナー城の城主ハーラン・デイル伯爵はその正体を明らかにした上でドーレスを率いる過程で多少国法を犯す行為をしたことをイアンに告白し、進退については国に一任すると申し出た。後の話になるが国王は彼の行いが結果的に長年にわたり隣国の侵略を防いできた事実を鑑みて不問とした。
経済団体としての荘園とドーレスの対立はまだ当分は続くと見られるが、過激派にこの得体の手が入ったことで、人死にが出るような軋轢は影を潜めることになるだろう。イアンたちがその存在を知った以上、今回のような工作は見逃されることはあるまい。
荘園の存在が王女を狙った一連の事件と関わっているのか否かは葵たちにもわからない。想像以上の大きな背景があるのかもしれないが、インガルの国内事情が不明の今は憶測の域を出ない。
いずれにしろ葵たちが関わったことで大きな闇がひとつあらわになった。イアンのぼやきはまだまだ続きそうである。
それらとは別に葵はメルとミリーをオルコットに誘った。まだ構想中のクーリア専属の魔法士集団への勧誘である。
「ゆっくり考えて。その気になったらキサラギ館を訪ねてきて」
住居あり、厚遇保証と笑いながら彼女たちに別れを告げ、恭一と二人、馬を引いた。
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次回「エピローグ」にて第三部「魔法使いの旅路」編は終了となります。その後は第四部「闘技場の娘」編へと移り、二人の旅の後半のお話となります。乞うご期待。
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