第88話 第三部 エピローグ


エピローグ



 世界大陸の中央を支配する大国、王天連邦皇国——。


 満天の星空が銀の光を降らせる夜、帝都冠華都クワンカートはすでに秋も深まり、木々の葉も空中庭園の花々も彩りを変える。冷たく乾いた風が吹く季節も遠くない。


 世界樹と見紛う蒼天宮そうてんきゅうの頂上、みかどの座す御所の離れに再び五人の幻影が集まっていた。


「ふむう、玄女どのの話がまことなら『夢伝い』の可能性があるな」


 考え深げな老人の声に若者の声が応じる。


「『夢伝い』? 聞いたことないけど」


「古い術じゃからな。今ではその名が残るのみで誰も実態は知らん。わしも遠い昔に当時の古老から聞いただけじゃ。むろん現存する使い手はおらん」


「何百年も前の魔法ってこと?」


 少女の無邪気な問いに老人は首を振る。


「いや、少なくとも五千年以上前の話じゃ。超古代文明の時代じゃな。当時の魔法士たちは夢を媒介にして遠い星辰の世界や次元を異にした世界にまで魂を飛ばすことが可能であったという」


「それが『夢伝い』……」


「可能性としてはな。わしとしてはありえんと思いたいが」


「ですが彼女ははっきりと名乗りました」


 自らの不可思議な経験を報告した九天玄女、サクラ・アマミヤが断言する。彼女にはあの夜の記憶が鮮明に残っている。あの少女の謎は深まるばかりだ。世界に五人しか存在しない超級魔法士の彼らにとっては夢の話ひとつとってもおろそかにはできない。そこにどのような真実が隠れているかを考えるからだ。


「アオイ・キサラギ……何者であろう」


 ジン・ダダが不審げにつぶやく。サクラの言葉に対する疑念はない。九天玄女の言葉は信頼するに足る。


「もし本当にそのような超古代魔法の使い手だとするなら先日の『あれ』とも関係があるのやもしれん」


 あれ——世界に散らばる彼ら全員が同時に関知した巨大なルフトの擾乱。なにごとかと彼らを驚かせた異常現象であった。


「我は知らぬがあれも何らかの魔法なのであろう?」


「おそらく。治癒魔法の匂いを感じたがあの規模はありえん。ルフトが嵐のように激動するなど」


「間違いなく東だよね。今度はあたしも感じたもん」


 少女の言葉に全員が軽く首肯した。続けて老人が言う。


「これは本格的に捜索範囲を絞る必要があるな。誰かが直接赴くのが最善じゃが」


 期せずして全員の目が若者に向いた。五人の中で立場に縛られずに動けるのは彼だけだ。


「え、僕? めんどくさいなあ……じゃジンさんとこの転移陣借りていい?」


「問題ない」


「お兄さん、出口だったらあたしんとこの使っていいよ。東の端の端、もう海のそばだけど」


「ありがたく使わせてもらうよ。なにかあっても少なくともここよりは関知しやすいだろうし」


 青年は肩をすくめながら了承し、老人が締めくくった。


「ではしばらく若いのに捜索を任せてわしらはその報告に合わせて動くとしようかの」


 全員が了解の意思を示すと幻影たちは姿を消した。


     ***


 最近のキサラギ館は静かである。


 館の主が長期の旅に出て不在であることが原因だが、それに伴う来客の減少も理由のひとつだ。毎日のように遊びに来ていた第二王女ルシアナは正式に遊び相手認定されたダンテス侯爵家長女レニとともに葵のいない退屈な日々を王宮で過ごしている。


 アルが所用で王宮に出かけるたびに「葵はまだか」「いつ帰ってくるのか」と責められるのである。旅立つ前の予定では二ヶ月くらいだろうと言われていたが、頭に「たぶん」の一言がついていたのでこればかりは「未定」とあきらめるしかなかった。


 同様の問いは街の商人たちからも頻繁に聞かれる。


 葵と恭一はフレンドリーな相談役として信頼を得ていたのでご機嫌伺いの客も今は来ない。


 ただ、ひとつ変わったことといえば貴族家の財政を管理する立場にある家宰や使用人頭といった人々がアルを訪ねてくるようになった。少年が恭一に伝授された複式簿記の教えを請うためだ。


 アルが葵たちの代わりに商人組合の会合に顔を出した際、こういう帳簿があると便利ですよと見せたところ、すごい勢いで食いつかれた。どこも出納管理の煩雑さに頭を悩ませていたらしい。


 ぜひ教えてくださいと懇願されたのでサンプルを示しながら丁寧に教えたところ、またたく間に首都の商人たちに広まってしまったのである。


 むろん、少年が厚く感謝されたのは言うまでもない。しかも話はこれで終わらなかった。出入りの商人からこのことを聞いた貴族の館の財政管理を受け持つ家宰や執事長、その直属の者たちからぜひに、と教えを請われることになった。


 以前の少年なら萎縮して尻込みしていただろう。だが今の彼は違う。葵や恭一に鍛えられ見違えるほどタフなメンタルを持つに至った彼はキサラギ館の応接用の広間を臨時の教室にして貴族階級の人々にも手ほどきを始めたのである。その結果アルは「キサラギ館の算術の達人」という二つ名を頂戴することになった。今では王宮の財務官吏たちからも将来の宰相候補などと過分な期待を抱かれているらしい。


 そんな彼に旅の途上にある葵から一通の手紙が届いた。畏れ多くも近衛第七隊の隊長自ら「預かってきたよ」と渡されたときはさすがに恐縮してしまった。


 要約すると——。


 二人とも元気だ。


 これから南岸を通って南東地方を経て帰還の予定。


 留守中にミリアム・サンド、メルア・メリルの少女二人が自分たちを訪ねてくるかもしれない。その時は丁重にもてなし、自分たちの帰還までキサラギ館に滞在してもらうように。そのために空き部屋を客人用に整えておいてほしい。


 といったところである。


「お客さまか……」


 少年はひとつうなずくと、さっそく空き部屋の様子を確認するために席を立った。


     ***


 デッカを後にした葵と恭一は街道を南へ折れ、そのまま南進して二日目には南岸に到達した。こちらへ来て初めて目にする雄大な海が眼前に広がっていた。


「わあ、やっぱり海っていいねえ」


 葵はテンションが上がったのかはしゃいで楽しそうである。


「とうとうここまで来たか」


「旅に出てよかったねえ」


「確かに。ここから太平洋と思うと感慨もひとしおだな」


 湾岸に高層ビル群こそないものの、おおざっぱな地形は向こうとほぼ同じなので多少は里心もわく。少し黙り込んだ葵はなにを思ったか足下になにかの魔法陣を呼び出した。恭一の視線に気づいて照れながら「おまじない」と笑ってみせる。


「気休めだけどね。メルさんの占い用の魔法陣。あれって時間も空間も無関係みたいだからお父さんたちに一言でも届かないかなって思って」


 そう言うと葵はパンパンと柏手を打って「二人とも元気でやってるから」とつぶやき、これは口の中だけで「いつか帰るから待ってて」と付け加えた。


 普段は口に出さない葵の思いを受け止めた恭一はそっと彼女を抱き寄せ、口づけを交わした。


「では行くか」


「うん」


  二人の旅は続く。いつかは故郷の土を踏むその日まで。



     ***************



これをもちまして第三部「魔法使いの旅路」編は終了です。ご愛読いただいたみなさまに感謝いたします。次回より第四部「闘技場の娘」編へと移行します。別名「葵ちゃん激闘編」とも言います。どうぞお楽しみに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る