第2話 葵と恭一 その1
「珍しいね、恭一が親子そろってお参りなんて」
にやにやしながら葵は瞳をきらめかせた。
目の光が特徴的で幼いころから「猫娘」のあだ名とともに育った彼女は神社の娘だというのに信心の欠片も感じさせない。
だが幼馴染の少年にはそのこだわりのなさが好もしいようだ。学校では圧倒的に
「俺はただのオマケさ。おじさんに用があったのは親父の方だ」
高二の
元はといえば互いの父親同士の縁で、葵もあまり詳しい事情は知らないのだが、その話になると父親はいつも苦笑いを隠せない。どうも縁というより腐れ縁と称した方がよさそうな気配である。
恭一はなにか聞いているらしいのだが葵には話したがらない。話したくなければ聞かない——そう割り切ってくれる相手だからこそ恭一は葵を別格だと思っているらしい。
「それにしても珍しいね、忙しい人でしょうに」
「ワンマン社長というのは思い立ったらすぐの人間だからな、あれでけっこう信心深いところもある人だし」
「信心深い? 大企業の社長さんが?」
「だからこそ、かもしれんぞ。俺が言うのもなんだがストレスも半端じゃなかろうしな」
「意外ね、スマートだし神頼みってイメージにも見えないのに」
二人がそんな話をしているここは葵の父が宮司を務める小さな神社の境内である。
一八五センチの長身で体格もよい彼は、大人びた雰囲気のせいもあって二十歳過ぎの大学生くらいに見える。二年連続でインターハイ個人戦を制した高校剣道界の逸材で公式戦無敗記録を更新中だ。
ただ、稽古熱心なのはいいのだが、葵に言わせると「高校生がいつも木刀を持ち歩いてるってなんか危ない人にしか見えないよ」ということになる。言外に「たまには映画やライブに行こうよ(連れてってよ)」と言いたいらしいが通じた気配はない。
そこで話が途切れて葵はしばらく無心に木刀を振る恭一の姿を眺めていた。
均整の取れた体つきで筋肉もよく発達している。動きにも一切無駄がない。彼の試合は何度か見たことがあるが、体躯を活かした剛剣はパワフルで常に相手を圧倒していた。
力があって技も切れる。フットワークも軽い。高校在学中の全日本優勝も確実という評判も聞こえるほどだが、本人は公式戦にはこだわっていないらしい。
見ている間に恭一の剣先は徐々に速くなり、木刀が風を切る音も少しずつ鋭くなってきた。どんな競技でも一流の動きというのは美しい。そして葵にはそれを見る目があった。
「ねえ、恭一」
「うん?」
「それってもしかして普通の木刀じゃないの?」
「ほう、なぜそう思う」
「うーん、なんか音が違う……ような気がする」
恭一は動きを止め、面白そうに目を光らせた。
「さすが葵、いい耳してるな」
そういって恭一は手にしたそれを葵に差し出した。なにげない仕草だったが受け取った葵は「えっ」とその重さに驚いた。とても木刀とは思えない重量である。
「うそ、なにこれ、どうなってんの」
「うちの下請けの町工場に頼んで作ってもらった。炭化タングステンの刀身を木質の硬化樹脂でコーティングした特注品だ。手触りは木刀と変わらないだろ? 頑丈だし腕も鍛えられる。まあ稽古には最適だ」
「呆れた。さっきからこんなもの振り回してたんだ。それで息も上がらないってどんな心臓してんの」
「竹刀や木刀じゃ軽すぎてな、空振りしてるようで気持ちが悪い」
こともなげに言う恭一だが、葵の内心の評価は「剣道バカ」で確定した。これで社員十万人の巨大企業の跡取りだと言うのだから世の中わからない。
今、社務所で彼女の父と懇談している恭一の父なる人物は、若くして町工場を世界有数の総合電機メーカー高城エレクトロニクスに育て上げた創業者社長である。その一人息子には幼い頃から「帝王学」を授けているというもっぱらの噂だ。恭一本人は「後継者を世襲で決めるようになったらおしまいだろ」とうそぶくが、既定路線の変更は難しいだろう。
剣の腕を磨くことにしか興味のない少年に大企業の跡継ぎが務まるかは葵にもわからない。想像もつかない、というのが正直な感想だ。
「超合金の刀を持ち歩いている高校生ってやっぱ危ない人にしか見えないぞ」
葵がそう言って木刀(?)を返すと恭一は屈託なく笑った。葵もそうだが実は恭一もこだわらない性格の若者なのだった。
だから二人は気が合うのだ。
***
二人の父親が社務所から出てきたのはそれから一五分ほどあとのことであった。
葵の父は仕事柄いつも和装だが、恭一の父、
「やあ、待たせてしまったな、葵ちゃんもご無沙汰」
恭一の父親評はともかく、葵の知るこの人は常に物腰穏やかで、大企業のトップというより博物館の館長が似合いそうな人物である。ワンマン社長と言われながら息子に対しても上品な言葉遣いを崩さない。それが演技でないことは恭一も証言していた。
「こちらこそ。おじさまもお元気そうでなによりです」
「ありがとう、今日は久しぶりに先生とお話ができてよかった」
型どおりの挨拶だが、葵はふと軽い違和感を覚えた。なぜかこの場の空気が自分を除いて三者三様であることに気がついたのだ。
父は微妙に困ったというか苦笑を禁じ得ないという風情であり、恭一は先ほどと比べるとどことなく居心地が悪そうな顔だ。そしてその父親は……。
彼らはさして中身のない世間話を交わしていたが、葵は唐突に口を挟んだ。
「おじさま、なにかよくないことを考えてません?」
父親たちはおろか恭一までぴくりと顔を引きつらせたのがおかしかった。葵が黙って見つめると宮司は天を仰ぎ、社長はへどもど、そして幼馴染は手元の剣に目を落とすという反応である。
「みなさん、とってもわかりやすいことで」
葵がそう皮肉ると恭一が「親父」と顔を上げた。
「わかるだろ、葵がこういう目をしてるときは万能嘘発見器だぞ、おとなしく吐いちまえよ、元々それが欲しかったんだろ」
「う、それは……」
「恭一は知ってるんだ?」
「悪い、立場上、俺の口からはいいづらくてな」
見ると葵の父はしかたがないという顔で頭をかき、浩一氏は盛大にため息をもらしている。事情は不明であるものの、要するにこの三者は「共犯」というわけだ。
結局、父親二人が折れた。
「一言でいうとだな、今すぐという話ではないんだが、高城さんは葵を恭一君の嫁に欲しいと、そういうことのようだ」
「……ずいぶん唐突なお話に聞こえるけど?」
「唐突というか以前からそういう申し出は受けていたんだ。お前はまだ小学生だったし、まさか高城さんがそこまで本気だとは思わず受け流していたんだが」
神社の境内で立ち話する話題とも思えなかったが、葵は黙って「おじさま」の顔を見つめた。
浩一氏はそれこそ青くなったり白くなったりという顔で口ごもっていたが、とうとう見かねた一人息子が口を出した。
「葵、いつだったか親父の前で占いをやってみせたことがあっただろ? どうもあれがまずかったらしい」
「どういうこと? ただの遊びだよ、それも小学生の時の」
「親父のやつこっそり葵を試したんだよ。あの時葵が『感じ悪い』といってはじいた三人はその後の調査で悪質な産業スパイグループの一員だと判明したんだ。当時開発中だった新製品の情報を持ち出される寸前だった。つまり……」
「それで占い師が欲しくなったって?」
「身も蓋もないが」
葵はつくづく呆れたという顔で傍らの紳士を睨んだ。このスマートな実業家がまさか本気でそんなことを考えていたとは。それとも恭一がいうようにそんなものに頼りたくなるほど大企業トップのストレスというものは甚大なのかとも思った。
「よりによってテクノロジーで売ってる会社がオカルトですか」
「葵ちゃんに断りもなく先走って申し訳ない、経営判断の重圧は時として神仏にすがりたいほどでね……」
氏としてももっとじっくり話を進める気だったのかもしれない。大企業にコンサルタントという名目で入り込んでいる「占い師」の例は聞いたことがあったが、まさか自分にそんな話が飛び込んでこようとは。笑っていいのか嘆かわしいのか。それにオカルトはともかく、今どき親に決めてもらうようなことだろうか。結婚だよ、結婚。そういうことはまず本人の……。
そこまで考えて「あれっ」と思った。
本人? じゃあこの話を知っていたらしい恭一本人はどうなんだろう?
「恭一はどうなの、あたしでいいの?」
「異存はない、葵次第だ」
「あたし大学まで行くつもりだよ?」
「承知している」
「専属占い師が欲しい?」
「合理的経営を学ばされている最中だ、今さら非合理的要素を持ち込む気はない」
妙な問答に父親たちがぽかんとしている間に当人たちは家族計画だの選択的夫婦別姓だのワークライフバランスをどう考えているか、などとやたら現実的な話を進め、最後に葵がこう尋ねた。
「恭一はあたしを愛している?」
「にわかには答えられない、だが大切な相手だとは自覚している」
「正直ね、それでいいよ、結婚しましょう」
「了解した」
あまりの急展開に父親たちは呆気にとられていた。とっさに言葉が出てこないところへ葵はこういってとどめを刺した。
「聞いてのとおり、あたしたちは結婚します。ただし、占いだのカリスマだの変な役目を押しつけられるのはお断りです。夫はそんなものに頼らないと明言してくれましたから。よろしいですね」
「あ、あぁ、もちろんだ。これは君たち二人の合意に基づく決断だからね」
「嫁にしてしまえば後でどうとでもなるとか考えてますね?」
浩一氏は「うっ」と言葉に詰まった。まさにそのとおりのことを考えていたのだろう。
「親父、覚悟しとけよ、霊能者と一緒に暮らすというのはこういうことだぞ」
父親の青ざめる顔に冷徹な宣告を下した恭一はそこで宮司に向き直り、深々と一礼した。
「すみません、成り行きとはいえ性急な結論で。むろん今以降、葵に関するすべてのことについて全責任を負うことを誓約します」
「あ、あぁ、よい覚悟だね。まあ時間はたっぷりあることだしゆっくり……」
言葉こそ穏やかだがこちらの父親も相当狼狽しているらしく、娘の次の宣告で息の根が止まった。
「決まった以上、やるべきことはさっさと済ませてしまおうよ」
「済ませるってなにを?」
「結婚式」
「は?」
「お父さん、ここは神社で神前結婚の舞台、おまけに神主と新郎新婦と両家の親族代表が今この場にそろっているの。この意味わかる?」
「……」
わかる? と言われた神主はたっぷり三十秒も沈黙したあと、盛大に取り乱した。傍らの「親族代表」も同様だ。
「いや、ちょっと待て、なにをいい出すんだお前は!」
「待て、恭一、いくらなんでも」
「母さんを外してそんなことをしたら!」
「そうだ、こんな大事なことを一存で! 女房はラスベガスに旅行中なんだぞ、勝手にこんなことをしたら」
紳士と神主が同時に慌てふためくさまは滑稽だったが、またも「新婦」が一言で黙らせた。
「勝手なことを企んでいた人がそういうことを言いますか?」
ぐっと詰まった父親二人に葵は言い渡した。恭一は既に「配偶者」の言葉を妨げる気はないようだ。
「お母さんたちに叱られるのはお二人の責任です。甘んじて受けてください。どうせ入籍は後回しなんだし、その時に 精一杯のご機嫌とりをすればいいでしょ」
「親父たち、こうなったら葵には逆らえんぞ。知ってるだろ? 神託と思ってあきらめろよ」
結局その一言が決定打になった。父親たちは顔を見合わせるとひとつ大きくため息をもらし、そこで踏ん切りがついたようであった。
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