第50話 第二部エピローグ



 夏の日差しに秋風が混じり始めた頃、高城エレクトロニクスファーラム支社は初めての配当金を得た。収支にはちゃんと目を通していたが、それでも予想外の高額だった。


「いいのかな、こんなにもらって」


「商人組合からの礼も含まれているだろうからな、ご祝儀相場のようなものだ。ありがたく受け取っておくさ」


 社員(?)として手伝ってくれたローグとアルには相応の給料をはずんだが、ローグがすんなり受け取って礼を述べたのに対し、アルには「労働の対価」という概念がなかったのかしきりに恐縮していた。


「生計を立てるというのはこういうことだよ」


 そうローグにからかわれて「勉強になります」と真剣にうなずいていた。


 本格的に売り出されたルフトレンジは期待以上に好評で、商人組合の店主たちは配送や設置におおわらわの様子だ。当分は飲食店や 富裕層を中心に売り込んでいくつもりだったが、葵が企画した店頭デモが話題を呼び、一般家庭からも引き合いがあるらしい。


 特に黒鳥亭とタイアップしたのが当たって客が店まで見物に来るほどだという。料理人たちはさすがに本職だけあって出力《ひかげんと加熱時間の塩梅をすぐに工夫するようになった。彼らの間では「あれもできる」「これはどうだ」というノウハウが広まっているようだ。


 今日も挨拶に訪れた黒鳥亭の主人と先ほどまで話がはずんでいたところだ。


「ご主人はずいぶん『あれ』が気に入ってたみたいね」


 葵の言葉に使用人のジェシカが「ええ」とうなずいた。彼女と葵が作ったちょっとした食べ物が実はひそかに話題となっているのだ。


「アオイさま、よくあんなのご存知ですね」


「意外だったよ、あんな簡単なものが今までなかったなんて」


「パンにもお菓子にも合うからって、今じゃあちこちの家でも作ってるみたいですよ」


 二人が話しているのは葵がフィントの実で作ったジャムのことである。神殿を訪れた時に何気なく話題にしたものだが、作ってみると、予想以上に上品な甘さが美味で、アルカンに届けさせたところ「名物にしたい」と言われ、ジェシカが一日指導に出向いた。これが本当に神殿の土産として重宝されているらしい。


 こちらにもビスケットに似た焼き菓子があるので、黒鳥亭の主人が訪れた際にジャムを挟んでふるまうと「こ、これは」と驚かれた経緯があった。今では店でもデザート代わりに出しているという。


「なにが当たるかわかんないねえ」


 面白がる葵に恭一は「それがわかれば企業経営も楽だがな」と苦笑した。


 そんなこともあってか、挨拶やご機嫌伺いでキサラギ館を訪れる商人や店主はあとを絶たない。商売のアドバイスを求められたり、ちょっとした工夫を相談されたり、とそれ自体は些細なことなのだが、応対する葵は快活で飽きない話題の持ち主なのですっかり頼りにされる身になっていた。


 葵と恭一は謎めいた魔法士や強力な騎士としてではなく、ウルマン子爵のような街の相談役として人々の間に溶け込んでいるようであった。


 その一方、葵自身は今回の騒動で魔法士としての経験の浅さを痛感していた。


 獣は否定も肯定もしなかったが、もし相手がヤグート・ギザなら数十年対数ヵ月、経験値の差はおいそれとは埋められない。自身の魔法を馬鹿力と称したのはあながち間違いではないだろう。確かにパワーだけなら捨てたものではない。だが力まかせに単純な魔法を振り回してもこの先どこまで対応できるかわからない。


 それに——。


 葵の危惧はもうひとつあった。敵の魔法士が一人とは限らない。それどころかこの先もああした戦いが頻発する可能性だってある。


 やはり、こちらにも対抗できる人材が欲しい。


 クーリアがあの短剣を手にしたことは同時に彼女が戦場へ向かう運命への第一歩でもある。避けられない運命ならば彼女には力が必要だ。彼女のためだけの、戦力としての魔法士の集団が。


 これまで漠然と考えてはいたが、本気で人探しを始める時がきたのかもしれない。型にはまらず自由に動いて判断のできる魔法士を探すのだ。そのためには——。


 旅に出てみようかと思った。


 葵も恭一もまだオルコット周辺から離れたことはない。地方を見てみたいという思いは以前からあった。有能な魔法士のスカウトを兼ねて国内各所の実情を見て回るのもいいかもしれない。


 ルードワン公爵たちの動向は気になるが、イアンたちがマークしている以上、彼らもしばらくは身動きが取れないはずだ。


 今度はこちらが動く番だ。敵への対応、魔法の研究、そして旅の計画。葵は様々な思考をめぐらせながら次の一手を考え始めていた。


     ***


 キサラギ館に身を寄せるようになってからアルは多くのことを学んだ。


 館の二人の主人は彼がこれまで全く知らなかった知識や世間知の宝庫であり、学院では決して学べない体験の連続であった。今ならわかる。自分は世間知らずというより世間から逃げていたのだと。確かに書物を開いて学ぶ時間は楽しかった。だがそれは本当の学びとは別物だった。


 そこには色がなかったのだ。


 現在のアルには自分を囲むすべてが鮮やかに色づいて見える。華やかな彩りばかりではない。奇怪な化け物や血まみれで絶命する兵の姿もだ。それでも目を塞ぐことはするまいと思う。


 葵と恭一が導いてくれた多くの出会いが彼の中にささやかな強さを生んだのだ。逃げる必要はない。人と会うことは楽しい。誰かと語ることは喜びなのだと。


 あれほど苦手だった社交の場も平気になった。夜会や舞踏会から逃げ回っていた自分はいったいなにをしていたのだと自分自身に呆れるくらいだ。人を見、人を知る好機ではないか。葵が冗談交じりに教えてくれた人間観察は実は人の世の機微を知ることでもあったのだ。


 少年は一歩前に踏み出す楽しさを知ったのである。


     ***


 キサラギ館には様々な来客がある。街の食堂の店主がご機嫌伺いに訪れたかと思えばその翌日にはわが国の第一王女が従騎士とともに顔を出す。そして最近のアルはそれら応接の場に葵や恭一とともに同席するようになった。もういちいち怖気づいてなどいられない。


 客人たちの話はすべてこの社会の断片であり、彼らとの語らいに加わることで少年は鍛えられ、成長し、得難い経験を重ねているのだった。


 そして今日もキサラギ館は客人を迎えていた。


 庭のテーブルについて恭一と談笑しているその人にはまだ少し緊張するが、アルは自分から近づいていった。


「こんにちは、侯爵さま。奥方さまも、いらっしゃいませ」


「うむ、寄らせてもらったよ」


 先日、オルコットの別邸に居を移した侯爵シュトルム・ダンテス二世とジーナ夫人は時々この屋敷を訪れるようになった。というのも——。


 庭ではいつものように葵とルシアナが駆け回っている。もう一人の少女もだ。


 ダンテス夫妻の一人娘、レニはルシアナがそうであったように葵を相手に遊ぶ時間が楽しくてたまらない。ルシアナという歳の近い友だちができたことも大きな喜びであったようだ。王宮の回廊を走り回ると侍女たちがやんわりと止めに入るが、この庭では遠慮なく駆け回ることができる。おまけに葵は二人が知らない遊びをいろいろ心得ていて一緒に遊んでいるとびっくり箱のように楽しませてくれる。


 三人でお手玉をしたり、魔法陣に似せた幻影を地面に浮かべて石蹴りのような素朴な遊びに興ずる。ルフトの光球を使ったモグラ叩き(?)ではしゃぐ少女たちの姿に従騎士のエリーザや堅物の侯爵までが相好を崩していた。


「アオイさまは本当によく子供の喜ぶ遊びをご存知ですね」


 感心したようにジーナ夫人の笑顔がこぼれる。


「葵の家は神社といって小さな神殿のような場所でした。庭が広いので近所の子供たちにとっては格好の遊び場所でしたから」


「あぁ、それで」


 その葵はアルの顔を見るとその手を引いて少女たちに「さあ、キータンの時間だよ」と告げ「あたしはひと休み」とアルに押し付けてしまった。いつものことである。幼い少女たちは格好の獲物を得てまた走り回る。ルシアナ一人でも大変なのに今はそれが二倍だ。体力に自信のない少年はたちまち息が上がる。


「アルー、だらしないぞー」


 葵がそう囃すと少女たちが声をそろえる。


「ないぞー」


「ないぞー」


 そうしてまた笑い転げるのである。クーリアの後ろについて回っていたルシアナが今はレニになつかれる立場で、幼いと感じていたルシアナがちゃんと歳上らしく見えるから面白い。


 侯爵がわが娘にこうあってほしいと願った光景が今、目の前にあった。


 暗躍する者たちの動きは予断を許さないが、取り戻した娘の笑顔を見ているとふつふつと力が湧いてくる。どのような企みであろうと叩き潰してやるという闘志だ。


「そういえば貴公らは旅に出るそうだな」


「あぁ、葵は王女のために才能ある魔法士を探すつもりだし、俺は以前から地方の様子も見てみたいと思っていた。よい頃合だ」


「あてはあるのか?」


「いや、特には。とりあえず南から回ってみようと考えている」


「南か、ならばアルドロウやビコーズの城主にはつてがある。私からも紹介状を用意しよう。滞在するなら貴公らに不自由はさせん」


 四大騎士の紹介状とあれば国王の通達に準ずる権威がある。葵たちにとってもありがたい助力である。


「足はどうする? 馬車なら貸そうか」


「いや、葵も遠乗りに慣れてきたからな、馬でのんびり行ってみるつもりだ」


「そうか、道中気をつけてな、いや、これは貴公らには無用の心配だったか」


 恭一たちは普段は酒を口にすることはないが、今日は侍女に言って軽い果実酒を運ばせた。


「出立はいつだ」


「近日、準騎士隊の対抗戦があるのでうちの連中の出番を見届けてからにする」


「わかった。では貴公らの旅が実りあるものでああるように」


「では皆の明日に幸多かれ」


「それは?」


「キサラギ館の乾杯のかけ声です」


 葵が答えると侯爵はこの人には珍しく柔らかい笑みを浮かべた。あの騒動を乗り越え、娘の笑顔を取り戻した彼には心に響くものがあったのであろう。


「よい言葉だ、私らも使わせていただこう」


 一同が「幸多かれ」とグラスを捧げ持ったその日から七日後、葵と恭一は旅立った。


     *********


 これにて第二部「光と影の円舞曲」編は終了です。お読みくださった方々には心より感謝を。この後は第三部「魔法使いの旅路」編へと物語は進みます。


 旅に出た葵と恭一は様々な人と出会い、幾多の事件に遭遇します。物語のずっと先の方でからむ予定のキャラクターもちらと顔を出します。旅ということであれこれイベントを入れてたらだいぶ長くなってしまいました。気長にお付き合いいただければさいわいです。 


 では乞うご期待。


                              






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