第51話 第三部プロローグ


 拙作「晴れ、ときどき冒険」はこれより第三部「魔法使いの旅路」編に入ります。首都を離れて気ままな旅に出た葵と恭一の前に現れるのは果たして? 乞うご期待。


     *********


 午後の乾いた風が大通りを吹き抜けてゆく。


 夏の熱気はとうに去り、しばらくすれば冷涼な季節が街を包み込むであろう。それでもこの地の空は深く青い。初めて訪れた者は蒼穹とそれを映し出す水路のあまりにも澄み切った青さに感嘆する。この街が誰言うともなく「青の都」と呼ばれるようになったのも名画のごとき天と地と水の眺望があったればこそだ。


 ここは冠華都クワンカート、大陸の中央を統べる大国『王天連邦皇国』の首都である。古代より街道の要衝として栄え、現在は皇国の帝都として繁栄を謳歌している。人、物、富、そしてあらゆる文物が流れ込む「青の都」はまさに大陸中央に咲いた華麗で豪奢な花の冠であった。


 周辺は土と岩だらけの乾燥地帯で緑も少ないが、冠華都クワンカート一帯は背後の岩山が巨大な貯水池として機能しており、豊富な地下水が縦横に走る水路を支えていた。潤天壁じゅんてんへきと呼ばれる岩山の頂上近く、ほぼ垂直の絶壁から降り落ちる瀑布は天界と地上をつなぐ大河のごとしと形容される絶景である。


 その幻想的な眺めを背景に蒼天宮そうてんきゅう——帝都を見下ろす王宮が鎮座していた。他国の城や宮殿とは全く異なる様式で、この世界にあっては極めて珍しい高層建築である。絡み合った曲線的な構造が上へ上へと伸びるその姿はさながら天を支える伝説の巨樹であった。


 頂上には皇国を支配する帝の座す御所がある。蒼天宮の雄大な規模からすれば意外なほど小さいが、この世界樹の上に建つ優美なツリーハウスこそが大陸に君臨する皇国の中心なのだ。


 御所の足下は文字どおりの空中庭園である。


 一年を通して美しい花々が咲き乱れ、色鮮やかな鳥たちが妙なる調べを競い合う。大滝のしぶきが薄霧となって陽のある限り虹が絶えることはない。


 御所の傍にはささやかな離れがあり、一本の渡り廊下でつながっているのだが、今そこを歩く一人の女の姿があった。


 帝は皇国の最高権力者だが、その彼をもってしても自由にならないものがこの国にはある。離れへと向かう玲瓏たる風情の女こそがその稀な例外だった。


 歳の頃は二十歳くらいであろうか。腰までの長い黒髪に黒い瞳、絶妙に整った美しい顔立ちとえもいわれぬ雰囲気は俗人ではありえない。


 足下にまで届く衣を重ねたきらびやかな衣装をまとい。一歩ごとに微細な光点が周囲に舞い散るさまには雲を踏む天女の趣きさえあった。時にルフトと呼ばれ、時に気と称することもある霊気のきらめきである。女が並々ならぬ霊力の持ち主である証だ。


 離れの扉は触れてもいないのに女の前で開いた。


 短い廊下の先にあるのは意外なほど簡素な広間である。むしろ殺風景とさえ言える。中央の円形のテーブルを囲むように椅子が五つ、他にはほとんどなにもない。調度の一つさえ飾られていないのだ。ここが居住や憩うための空間でないことは明らかだった。


 女はそのままテーブルに歩み寄り、椅子の一つに腰を下ろした。


 軽く手を振る。


 すると目の前に細い光の帯が何本も浮かび上がり、瞬く間に円と幾何学模様を組み合わせた精緻な形象へと変化した。言うまでもなく魔法陣である。女は特に古語で詠唱することはなかったが、顕現呪は自動的に綴られていく。出現した魔法陣はやや赤みを帯びた白色に輝いていた。


 図形は複雑精緻だが、輝線ははっきりとした五芒星を描いており、星のそれぞれの頂点が椅子の位置を指し示していた。やがて——。


 蜃気楼のように部屋の空気が揺れると空いていた四つの椅子にそれぞれ人の姿が浮かび上がった。


 百歳を超えると噂される老爺、厳しい表情の壮年男性、闊達そうな若い男、そして最年少は十歳そこそこに見える少女だ。いずれも実在の人物としか思えない鮮明さである。


 魔法陣の女は小さく吐息をもらし、楚々とした雰囲気を解いて口を開いた。


「さて、仰せのとおりにいたしましたよ」


「相変わらず見事な手並み、感服いたすよ、玄女どの」


 老人が柔らかく微笑むのへ軽く会釈して玄女と呼ばれた女が続けた。


「拙い技で恐縮です、老師」


「あたしならもっと上手くやれるよ、四人分の道を開くだけじゃない」


 そう口を挟んだのはまだ童女と呼ばれそうな少女である。こちらも金銀の豪華な衣をまとい、テーブルに頬杖をついてみせる。幻影にしては器用な仕草だ。


 まあまあ、となだめたのは青年だ。ほがらかな笑顔で「大人には大人の挨拶があるのさ、そこんとこわかってあげなきゃ」ととりなす。


「めんどくさー、あたしもう帰りたいんだけど」


「お嬢、もうしばらくじゃ、捨て置けぬ話なのでな、聞くだけ聞いていけ」


 老人も孫、いや、ひ孫のような少女を笑顔でなだめる。若者は「そうそう」とうなずき、こちらは幻影だというのに椅子に背を預ける真似をした。魔法陣の女は無言だ。


 それまで沈黙していた壮年男性がここで「よいかな」と重々しく口を開いた。その一声がひきがねになったのか、軽口がぴたりと止み、全員の表情が引き締まった。


「あれからすでにかなりの日が経つが、各人、進展はないのか」


 全員がちらりとお互いの顔に視線を走らせる。老人は腕を組み、少女はつまらなさそうな顔だ。青年は軽く肩をすくめて首を振った。


「いまだ『エリ・エリ』の行方はつかめず、か……」


「あたしだってさぼってるわけじゃないよ、でもどうしても見えてこないんだ」


「あれほど占いに通じたそなたがか」


 男の目は険しいが、それで臆する少女ではない。


「占いには時と機があるんだよ、それを無視して強引にやっても精度が落ちるばかり。そんなことおじさんだって知ってるでしょ」


 男は青年に顔を向けた。


「貴公はどうだ、我らと違ってなんのしがらみも持たない身の上だろう。その天眼はなんと言っておる」


「じゃあ、一言だけ。僕は今ライラッハの東の端にいるけど、アレは少なくとも大陸のここより西には存在しない。何度試してもそう感じる」


 男はふうむと唸って青年に同意した。


「我も同感だ。我がサバナがしろしめす南大陸にその気配はない」


 少女が「それってあてになるの?」と茶化したが、男の無言のひと睨みで「ふん」とそっぽを向く。老人がやれやれと頭をかいた。


蒼球五芒星ナイラ・ペントゥスなどと勿体をつけてもこのありさまではな。ものがものだけにやむをえんとは言えるが」


「まあね、僕らがいかに優秀だといっても所詮ただの魔法士だからね、超級だの絶級だのとえらぶっても失せ物一つままにならないのが実情さ」


 この中で唯一重責とは無縁の青年だけにその言葉は自由であり、辛辣でもあった。


 蒼球五芒星ナイラ・ペントゥス——それはこの世界にたった五人しか存在しない超級魔法士の集まりである。一般の魔法士と比べてさえあまりに突出した存在である彼らは立場も国も超えてその力で世界の裏側に君臨していた。


ある者は魔法士連合の長として、またある者は大国の為政者として、さらにある者は流浪の旅人としてそれぞれの生を歩んでいるが、時にこうして幻影同士で会議を行うのである。むろん、一般の魔法士には及びもつかない術だ。この部屋にはそのために特化した結界が構築されており、玄女と呼ばれた女が場を提供することが多かった。


「ここしばらく、わしも月が出るたびに試みておるが答えは常に一つじゃ」


「ほう、というと?」


 男が質すのへ応えて老人はぽつりとつぶやいた。


「光は東方にあり」


 東方だと、と男の声がいぶかしげにかすれた。


「うむ、おぼろげではあるが西に手がかりはない。若いのの直感にわしも同意する」


「しかし、ただ東方と言われても世界は広い。それでは特定のしようがなかろう」


 落胆の空気を押して男が続けた。


「だがいつまでも放置しておくわけにはいかん。我にも責任があるし、あれの存在自体が我らの支配体制を崩しかねない。探索にはもう一段の強化を望みたい」


 男——ジン・ダダは五十がらみの壮健な政治家である。南大陸の北部諸国をまとめるサバナ連合を盟主として統治する身だ。南大陸はいまだに古の呪術的伝統を保持し、多くの才能ある魔法士を擁している。その地を束ねる彼は表の顔として連合の大統領、裏の顔はそうした魔法士たちの長として事実上、南大陸の大半を制していた。


 その彼が他の四人から託された秘宝があった。


 南大陸中央部の古代遺跡から発掘されたそれは『エリ・エリ』と呼ばれ、彼の手で厳重に封印され秘匿されていた。


「我に油断があったことは認めよう、だが象に匹敵する重金属の金庫、しかもが宮殿の地下四層に埋められ四重の結界で固められていたのだ。我の足下にな」


 だが、その秘宝が盗まれた。


 盗まれた? いや、それはありえない。魔法士の頂点に立つ彼の超常的な感覚を出し抜いて物質的にも魔法でも堅くガードされたそれを盗み出すなど不可能だ。にもかかわらず秘宝は跡形もなく消え失せたのである。


 なぜ彼らが持てる秘術を駆使してまで秘宝の行方を探さねばならないか?


「ジンよ、焦るでない。あれを扱えるのはわしらだけじゃ、たとえ他人の手にあったとしてもただの飾り物に過ぎぬ」


 じっくり捜索すればよい、老人はそう宥恕の意を示したのだが、そこで玄女と呼ばれた女が疑念を呈した。


「それでいいのでしょうか」


 全員の視線が彼女——サクラ・アマミヤに向いた。


 玄女とは皇国での魔法や呪術、その他あらゆる霊的なるものを司る女魔法士たちの呼称である。彼女はその筆頭であり、九天玄女きゅうてんげんじょと讃えられる存在、すなわち皇国における超自然の管理者であった。控えめだがその意思には帝でさえ逆らえない。


「それはいささか自惚れが過ぎるのではありますまいか」


「自惚れ、とな?」


「わたくしたちにできて他の誰かにできないとは限らぬでしょうし、他の誰かにできることがわたくしたちにできない場合だって考えられますわ。霊力の発現は一筋縄ではいきませんもの」


 老人は「さて」と首を傾げた。サクラの言うことは道理ではあるが、誰よりも長くこの道を歩いてきた彼は実感として「それはない」と考えているのだ。漠然とした印象だがこの世に超級魔法士は彼ら五人のみという感触がある。それは彼の超常的な勘が囁く真実であり、霊感とともに生きてきた彼には動かぬ事実といえた。


「理屈はそうじゃがわしの勘はお嬢が最後と告げておる。これ以上『仲間』が増えることはない、とな。それとも玄女どのにはそうした心当たりでも?」


 するとサクラは「これを」とその黒い瞳をきらめかせた。


 他の四人が一斉に「それ」に注目する。テーブルの上に新たな幻影が浮かんだのである。


 それは十代後半と思われる一人の少女の姿であった。肩までの黒い髪と黒い瞳、一目で意志の強さが伝わってくる眼の光は彼らに通ずるものがある。幻影のはずなのに不敵に彼らを見返しているような口元の笑みが特徴的だった。


「これは?」


 ジンが厳しい目で幻影の少女を見ながら問う。


「わたくしは考えてみました。『エリ・エリ』はわたくしたちの魔法による探査も無効化してしまう。五人がかりでいまだに成果が出ないのもそのためでしょう。ですから『エリ・エリ』そのものではなくその周辺を探ってみようかと。そうしたら」


「この娘が浮かんだと?」


「ええ、どこの何者かは知れずともあれとかかわりがあることは伝わってきました。三度試して同じ結果です。案外この娘を探し出すのが近道ではないかと」


 ふむうと老人が唸り、ジンは一段と目が鋭くなった。


「可愛い子じゃない? 僕の印象じゃ間違いなく魔法士だね、それもとびきりの変わりダネだ」


「なんかサクラ姉さんに似てない? まさかの妹とか」


 少女の意見に老人もうなずいた。


「なるほど確かに。皇国の民と共通した人種的特徴が見えるの。お嬢の言うとおり髪を伸ばせば玄女どのの妹で通用する」


「わたくしもそれは感じましたが、幻影の出所が国内とは思えません。ずいぶん遠いという印象でしたから」


「方角はどうじゃ」


「おそらく東」


「やはり東か……」


 老人のつぶやきとともに全員が沈黙した。これが有効な手がかりかどうかは不明だが彼らの超常感覚は一つの道筋をとらえたのかもしれなかった。


「わかった。我もこの幻像を追ってみることとしよう」


「そうだね、幻影でもこれだけ特徴的な子だ。意外と早くたどり着けるかも」


「ではわしもそうするか」


「あたしも。東ならまずあたしの領分だし。見つけたらどうするの? あれを返せって迫るの? やっつけてもいい?」


「待て待て、この子が持ってるとは限らないんだし、まずは穏便に話をしようよ。出方を決めるのはそれから。それでいいだろ」


 青年の言葉に少女はおとなしくうなずいたが、小さく「つまんない」とつぶやく声はいささか不満げであった。


 ではそのように、と老人がその場を収めて幻影の会議は終了した。


 玄女サクラは一人残された室内で思案顔であった。彼女には皆には告げなかった一つの危惧があるのだ。あの少女の幻影が自らの千里眼に浮かんだその日から感じている胸騒ぎである。


 それは変動の予感であった。


 あの少女にかかわることはサクラやこの皇国の運命に大きな変動をもたらす——なんの脈絡もなくそれがわかってしまったのである。並外れた魔法士である彼女にはすでにそれは未来に待つ確定した事実であったのだ。


 あの少女はいったい何者なのだろう……。


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