第52話 旅立ち その1



 数百の目が見守る中、二人の男が対峙していた。


 ともに剣を持ち、一人は片手に小さな丸い盾を構えている。互いにじりじりと間合いを測りつつ踏み込む機をうかがっていた。


 剣には刃がなく、頭部および下半身への攻撃は禁じられている。だが壮健な男が振り回す剣だ、防具で身を固めていても当たればただでは済まない。規則の下での試合とはいえ、気を抜く余裕など一切ない。


 盾を持つかどうかは当人の自由だ。両手で剣を構える者、片手で振り回す者、それぞれ得意の刀法があり、各人の選択にまかされている。集団で同じ戦法を訓練する一般の兵士と、それ以上を望む騎士との違いはそこにある。


 ここはファーラムの首都オルコット、その一角にある近衛隊の修練場である。


 警察組織に相当する第七隊を除く六つの隊には下部組織として見習い騎士の養成を行う準騎士隊が数隊ずつ存在する。


 所属するのは二十歳前後の若者が大半で、剣、弓、槍、馬術、格闘や兵法などの学習や訓練に明け暮れる。兵士と違って騎士は精鋭主義なのでここから正騎士に昇格すれば一家で祝杯だ。


 その準騎士隊には腕試しとして年に三度の対抗戦が課されている。戦いの技術は様々だがこの対抗戦は騎士の基本である剣の試合だ。弓や馬術を軽視するわけではないが、血気盛んな若者ばかりなのでまず誰もが剣を振ることを好む。結果として毎回燃える一日となる。


 そして今、試合は大詰めを迎えていた。


 団体戦で行われる試合はついに決勝を迎え、七人ずつで争われる決勝も両隊譲らず三対三、決着は大将戦にまでもつれ込んだのである。


 両者ともによい体格で筋肉も発達している。盾の男に比べると相手はやや長身で、長い手足を最大限に利用してより遠い間合いからの斬撃を得意としているようだ。 


 対して盾の男は巧妙に上体を振って相手の懐に潜り込もうとしていた。接近戦が本領というわけだ。


 先に動いたのは盾の男であった。


 左右に素早く動きながら反動を利用して前へ踏み込む。あっという間に長身の男の至近距離に肉薄している。相手も長い腕を器用に折りたたんで躊躇ない一撃を振り下ろしてくるが、左手の盾で受け止める。


 真っ向からぶつけるのではなく、相手の剣をわずかに外側へ受け流したのは巧みだった。目と反射神経を鍛えなければ盾をこのように扱うのは難しい。


 すかさず剣を横に薙いだが、相手も大将、とっさに飛び退いてこの一撃をかわした。一瞬の攻防に周囲から「おおっ」と声が上がる。


 両者は再び距離をとったが、今度は長身の男が攻め込んだ。長い手足と踏み込みの深さを活かして風車のような剣がどこからでも襲ってくる。盾の男は足さばきと上体の動きでぎりぎりの回避を続け、避けきれないときは盾で防ぎ、あるいは受け流す。総じて盾の男は防御に優れ、相手は攻撃にやや長じていた。


 そうした攻防がしばらく続いたところで試合の流れに変化が生じた。盾の男が手にしていた盾を投げ捨てたのである。


 周囲からどよめきの声が上がる。堅固な防御を放棄した男の選択に驚いたのだ。


 だが、男はそこから一気に攻勢に出た。明らかに足のさばきが速くなり、剣の軌跡は短く鋭さを増した。相手はこの変化にとまどい必死に剣を振るうが、その回転は攻めかかる男より遅い。


 しかも盾を捨てた男は先ほどまで盾を使って相手の剣を受け流していた動きを今度は自分の剣で代用している。面積の大きな盾で行うより一段も二段も難しい技である。


 まだ完全ではない。時には受け流すタイミングを誤って肩や小手を打たれることもあったが、筋肉を締めて衝撃を最小限に抑えていた。そして——。


 彼の猛攻に耐えかね、相手はつい苦しまぎれの一撃で跳ね除けようとしたが、この動きは単調過ぎた。簡単にいなされ、たたらを踏んだ。体勢が崩れたところにしたたかな一撃がきて小手を痛打された。


 激痛とともに剣が手を離れ足下を転がっていく。そのガラガラという音とともに相手の剣が喉元に突きつけられ、決着がついた。


 審判の「それまで」の声とともに場内は歓声と拍手に包まれる。勝利した男が盾を拾って一礼すると、わっと駆け寄ってきた仲間たちに囲まれ、背中を痛いほどどやされた。その手荒な祝福の中、男は感極まって涙ぐんでいた。この数カ月の厳しい稽古が報われた一瞬である。


 それも当然だったろう。師範の教えは厳しく、指導は容赦なかったが、日、一日と強くなっていく自分を感じることがなによりの喜びであった。稽古の時間そのものは以前と大差ないのに密度が段違いなのだ。これほど充実した日々は初めてであった。


 その師範は壁際で腕を組んで彼らの奮闘を見守っていた。口元にかすかな笑みが見えるともうたまらず仲間たちとともに駆け寄った。


「師範、おかげでこのとおり初めて対抗戦を勝ち抜くことができました! 心より感謝いたします!」


 涙ながらに深々と頭を下げる男に対し、師範と呼ばれた若い男——高城恭一は短く「まあまあだ」とそっけない。


「まだ剣の見極めが甘い、実戦ならとうに剣が振れなくなっていたぞ。足の運びもだ、懐に入り込む隙は三度はあった。だが——」


 そこで恭一はにやりと笑ってこう続けた。


「この短期間によくここまで持ってきたな、剣も鋭くなった。特に上体のこなしと重心の移動はもう正騎士並みだ。さすがは大将だ、よく鍛練したな」


 この賛辞に男は号泣した。仲間たちも涙を拭っている。


 彼らは近衛第三隊に所属する準騎士隊の者であり、かつて無謀にも恭一に挑んで手もなくひねられ、その鼻っ柱をへし折られた若者たちである。おのれの未熟と近衛の騎士としての心構えを思い知らされた彼らは、自らアロンゾのもとへ出向いて自分たちの非礼を懺悔し、ぜひあの方の教えを受けたいと申し入れたのである。


 以来、恭一の容赦ない指導に悲鳴を上げながらも必死で食らいつき、稽古に打ち込んできた結果が今日の勝利であった。


「今日は街に繰り出したい気分だろうが、戦いの疲労というものは思いのほか体の芯に残る。宿舎で食事と入浴を済ませたら体をよくほぐしてからぐっすり眠れ。明日から当分は自習だが怠けるなよ。俺が帰ってきた時に腕が鈍っていたら破門だ」


 恭一の言葉は厳しいが男たちは「はい!」と声をそろえた。そうして恭一は最後にこうつけ加えて激励に代えたのだった。


「剣に近道はない。一にも二にも鍛錬あるのみだ。いざという時、鍛錬の厚みが勝負の分かれ目になる。励めよ、もし次の対抗戦も勝ち切ったらウィアードどのにも時々稽古を見てもらえるよう頼んでみよう」


 男たちは一瞬言葉を失い、ついで興奮に身を震わせた。四大騎士に直接指導を受けられる機会など準騎士の身分では考えられない名誉である。男たちは拳を握りしめ口々に精進を誓った。


「よし、解散」


     ***


 同時刻——。


 郊外の神殿からオルコット市街へと馬を駆る一人の少女がいた。


 熱心に近衛隊の馬場に通ったおかげで乗馬はもう如月葵の日常である。元々運動神経もよく、ルフトとの親和性がわかるのか馬にも気に入られたようである。親しくなったシュトルム・ダンテス侯爵の持ち城であるラントメリーウェル城や傍のリンクネス湖まで足を延ばすことも度々で、遠乗りにもすっかり慣れた。


 そして今日、葵は旅立ちを翌日に控えて久しぶりに神殿のコアラ・コップス博士のもとを訪れたのであった。


「派手に暴れておるそうじゃな」


 老博士は開口一番、そう言って笑った。


「噂でしょう? 真に受けちゃだめですよ」


 葵は悪びれもせずそう返して手土産のクッキーを差し出した。彼女の手製でフィントのジャムを挟み込んだものだ。


「ほう、おぬしも娘らしいことをするのだな」


 老博士は上機嫌で葵を自室に迎え、運ばせた紅茶でしばらくは雑談に興じた。約束どおり、あれから危ない実験は控えているという。ラントメリーウェルの一件は噂で聞いてはいるようだが、クーリアの演説が効いたのか、一般市民の間に無責任な流言が飛び交うことはなかった。


 葵はかいつまんでことの次第を話したが、老博士は落ち着いて彼女の言葉を受け止めていた。


「ヤグート・ギザ……。確かか?」


「獣は否定も肯定もしなかったけど、あたしはそんな気がしたの」


「おぬしがそう感じたというなら事実かもしれんな。あれ以来、全く消息を聞かなかったが、そうか、生きておったか」


 王女の命を狙ったと聞いても老博士にとっては古い友人だ、単純に嫌悪や憎しみを抱く気にはなれないのかもしれない。ただ、その目には過ぎ去った遠い日々を偲ぶような光があった。


「真実を追い求めた果てがこれとはな、莫迦な奴め」


「立場が違えば一度は語り合ってみたかった……そう言われたよ。あたしもね、あの人とは話してみたいって気持ちはあるんだ」


「物好きな娘だな、相手はもはや妖術使いも同然だぞ。今さら話してなんとする?」


 老博士は呆れた口調だが、葵の言葉が意外でもあったようだ。


「うーん、なんでだろ。あの人は本気じゃないっていうか陰謀に加担していながら陰謀そのものにはそんなに興味がない。面白がっている? 違うな、単に愚行を働く人々を見て冷ややかに笑っている。そんな印象。だから本当はなにを考えているのか知りたい」


 葵自身もうまく言葉にできないようだが、あの時、青い獣から伝わってきた術者の印象が彼女には不思議だったのだ。獣は悪意の塊だった。にもかかわらず、その向こうにいる何者かには邪悪さとは微妙に違う意志を感じた。


 直接話してみることにも意味があるのではないか? そうした漠然とした印象があるのだ。むろん、厄介な敵であることに違いはないのだが。


「なるほど、それがオケイアを見る者の直観か。ならばいつかおぬしとあやつはあいまみえることになるのかもしれんな」


「先生は会いたくない?」


「さて、会いたいとは思うが果たして語り合う余地が残っておるかな。いや、ひとつだけ問うてみたいことがある」


「なに?」


「汝の行いは汝が追い求めた真理に恥じぬか、とな。おぬしが相対することがあったら問うてみてくれ」


「その時がきたらね、でもそれを言うのは先生のほうだと思うけどな」


 老博士はわずかに目を光らせたが、そのことについてはもうなにも言わず、そういえば、と話題を変えた。

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