第71話 密書 その5


(承前)



 しばらく沈黙が続いた。特にクストーは言葉を選びかねているようだったが、そこで葵のいささか呑気な声が問いかけた。


「もしかしてクストーさん、ずっとここに隠れてたの?」


「……今は動きづらい状況でな」


 これでやっと口火が切れたらしい。クストーは居住まいを正すと沈黙したままの男を紹介した。クストーと同年輩と思われる上品な装いの人物で、秘密組織の大ボスにしては穏やかな印象である。


「改めて紹介する。名は明かせぬが、わがドーレス商人組合の最高責任者で我らは『しるべさま』とお呼びしている」


「道標のしるべ?」


「さよう、我らを導いてくださるお方の意を込めてな」


「こちらも自己紹介が要る?」


「いや、それには及ばない。ただ、この店やマレインどののことを明かした以上、そちらも腹を割って話してもらいたい」


 クストーやマレインばかりでなく「しるべさま」も素顔を晒しているのは彼らも本気での接触を意図している証拠だったろう。互いに手札を見せ合う段階にきたのだ。


「じゃあ組合長さん、あたしたちはそう呼ばせていただきますね。以前、クストーさんには旅の騎士と連れの占い師、もしくは近衛隊剣術師範の黒騎士と第一|王女最高顧問と名乗ったけどあなたもその証明を要求なさる?」


「……いや、その必要はない。ラントメリーウェルの一件は密かに聞き及んでいるし、こうして面と向かえば君たちが偽物ではありえないことは一目瞭然だ」


 思いのほか穏やかな口ぶりで答えが帰ってきた。それが仮面でないことは葵にも伝わってくる。彼はこの対面に正面から向き合うつもりなのだ。


「アオイどの、黒騎士どの、私もそう呼ばせてもらってよろしいか」


「ええ、どうぞ」


「我々はかなり以前からとある勢力と衝突している。正義はこちらにあると信じているがそれはひとまず置いておくとしよう。穏便にことを運びたいのは山々だが、両者は根本的に違う信条をもって動いている。残念ながら血が流れることも人死が出ることも避けがたい状況が続いている。それゆえ自らを守ることに神経質になる。我々はまず仲間の無事を優先しなければならないのだ。君たちの接近を過度に警戒し、攻撃的に振る舞ったことは謝罪するが、そういう事情も汲んで理解してほしい」


 激したところのない冷静な語り口であった。すでに荘園とドーレスのおおよその事情を知っている葵たちは彼が公平な表現をしていると感じた。


 その上で、と男は続けた。


「もはや君たちの正体に疑義はない。だが私は君たちについてクストーが知らぬいくつかの事情も聞き及んでいる。君たちの存在は看過するにはあまりにも大きいのだ。此度こたびの来訪の目的を尋ねたい」


 葵たちは互いに顔を見合わせ、恭一は例によって「まかせる」と短く答えた。彼は葵の交渉を検討しながら時に短くサジェスチョンを提示する。それが彼らのやり方だ。葵はやや身を乗り出し、おもむろに口を開いた。


「ドーレスと荘園の軋轢についてはあたしたちもおおよそのところは知っています」


 はっとしてなにか言いかけたクストーを軽く制して続ける。


「もちろんあたしたちは密偵などではありませんよ。あちこち歩き回っているうちに古参のさる筋から話を聞く機会があったのです。隣国インガルから人の欲を煽りながら浸透してくる勢力、そして街道を拠点に国内の通商を取り仕切っていた勢力。前者はエンタータ荘園、後者はドーレス商人組合と呼ばれるようになり、両者の衝突は今やのっぴきならない状況であると。この理解でよろしい?」


 クストーは目をみはり、その上司は息を呑んだ。


「それでよければあなた方の来歴などについて説明は省いてもらってけっこうです。その上でこちらからもお尋ねしたいのですがあなた方はこの数か月、王宮周辺でよからぬ陰謀が進行中であり、すでに幾度もクーリア王女、四大騎士、近衛隊をめぐって表沙汰にならない闘争が繰り広げられていることをご存知ですか」


 これには両者とも驚きの声をあげた。思いもかけぬ話で互いに顔を見合わせ、それでも絶句している。さしもの「組合長」も言葉に窮していた。


「そ、そのようなことが……」


「組合長さんはダンテス侯爵の夜会の一件をご存知だそうですが、では青い獣のことは?」


「……噂では。にわかには信じがたいことだが」


「あれもその陰謀のひとつです。重要なのは一連の事件には得体の知れない魔法士、あるいは呪術師の暗躍があるということです。信じがたいほど不可解で強力な術の使い手で、おそらく一般の魔法士では手も足も出ないでしょう。そしてどの事件でも西国のものと思しき魔法陣の痕跡が見つかりました。西国といってもいろいろですが歴史的に紛争の絶えない隣国インガルに対する疑念は拭えません」


 そういうこともあって、と葵は組合長の問いにこう答えた。


「こちらも対抗手段として王女直轄の魔法士の集まりを作りたいと考え、優れた魔法士を探すために旅に出たのです」


「……それが旅の目的だと」


「あたしはそう。彼の場合は地方の民の暮らしと社会のありよう、経済の状態、そういったものをつぶさに見聞するのが目的です。彼は自国では十万人の配下を持つ豪商の後継者なので」


「十万……」


 クストーは目をむいたが、葵は話を戻した。


「そうしたさまざまな事情が果たして関係があるのかないのかまだ不明ですが、インガルからの流れが一筋縄ではいかないことはわかりました。旅の目的からはやや外れますが、今は荘園、ドーレス双方の実情を見極めたいと思っています」


 ですから、と葵はあえて挑発的な言葉を使った。


「あなた方はどうなのです? 不毛な争いを終わらせるための算段は考えていますか? 暗闘はあなた方には向きませんよ。あの下手な剣さばきではね」


 クストーは複雑な表情でなにも言わなかったがその指導者もやや肩を落としたように見えた。


「算段……か。そう、それを探るのが私や幹部たちの務めだ。五年前なら私らも全力でその道を探したろうが……」


「というと?」


「確かに我らと荘園は対立してはいたが、その手段は主に法の不備をついた騙し合いや商売上の権益争い、貴族や官僚を抱き込んでの汚職合戦といった、まあ褒められた話ではないが人の世では普通に見られるものだった。ところが——」


 ここ数年、荘園側の動きがにわかに活発になったというのだ。それも密かに浸透するという彼らのやり方に反して粗暴で荒々しい形で。


「連中の事情はわからん。だが流血をいとわず強引な手段で街道の経済を押さえにかかったのだ。以前から城の官僚や軍に入り込んでいる者もいたが、こんな乱暴な手口で衝突するようなことはなかった」


「ブンデス以外でも?」


「ファーラム全域でだ。我々がとまどったのもわかるだろう? 長年嫌がらせを仕掛け合っていたような相手がいきなり武闘派に豹変したのだからな」


「なにがあったの?」


「それがわからんのだ。荘園はひとつの組織としてまとまっているわけではない。実り多いファーラムへの羨望から発生した意志のようなものだからな。明確な指導者がいて指示を出しているわけではない——そう理解していたのだが」


 そうした荘園側の変貌にドーレスはずるずると引き込まれ、不慣れな闘争を余儀なくされている。それが彼らの現状であるらしかった。


 どう思う? という葵の問いに恭一は考え込みながら「たとえば」と口を開いた。


「荘園は欲に突き動かされた集団の意志として浸透してきたが、その間も少しずつ自らの欲を募らせていっただろう。以前簒奪者の話をしたな? 手を伸ばせば甘い果実をもぎとれる、そう信じた瞬間に抑えていた意志が一気に膨れ上がって自分でもどうしようもなくなる。そういう転換点がくるんだ。これは個人にも集団にも通用するひとつのパターンだ」


 そしてこういう例もある、と続ける。


「刺激のない環境でゆっくり水を冷やしていくと通常なら凍る温度になってもまだ水の状態を保ったままという現象が起きる。過冷却というやつだ。この状態でほんのわずかな刺激を与えてやるとその水は一瞬で氷になる。針で突いたくらいでな」


「あ、それはテレビで見たことある」


「荘園の急な変貌も似たようなもんじゃないかな。長く世の裏側で蠢いているうちに彼らの意思にもじわじわと歪みや軋みが溜まっていったんじゃないか? そこに——」


「なんらかの刺激があったと?」


「ありうる話だと思う。連中の内情はわからんが、もしかするとインガル本国でなにか動きがあったのかもしれん。王女を狙う陰謀や例の魔法士の暗躍もあらわになってきたのは最近のことだ。これらの動きは無関係ではないのかもしれん」


「だとするとインガルの国内事情がわからないと本当のところは見えてこないね」


 そうだな、とうなずいて恭一は言葉を切った。


 ドーレスの二人の顔こそ見ものだった。驚愕、そして驚嘆。目の前の若者たちの考察に呆気にとられていた。所々意味不明な言葉も混じっていたが彼らの知恵の深さに驚きを禁じえないのであろう。


 君たちは、とクストーが言葉を詰まらせ、組合長も「なんという……」と絶句していた。何度か言葉を探してようやく口にした。


「聞けば聞くほど君たちには驚かされる。だがそれが事実だとすると……」


「うん、その針のひと突きがなんだったのか知らないと正しい対応は難しいかも。下手すると戦に発展しかねないよ」


 葵と恭一は深く考え込み、ドーレスの代表者も沈黙した。自分たちの都合で戦争を引き起こすわけにはいかない。だが荘園とドーレスの衝突も放置できない状況だ。ここでの判断は難しい。


 現在の荘園はインガル出身者ばかりで構成されているわけではない。むしろ大半はその思想に染まったファーラム国民だ。このまま自国民同士が争っていては不毛どころか国力を阻害することにもなりかねない。


 荘園とドーレスの争いは両国の代理戦争ではないのだ。自国内の問題として解決しなくてはならない。さもなければインガルに利するばかりである。


 ややあって葵がぽつりと言った。


「組合長さんは——」


「なにかね」


「ドーレスを率いて長いの? もうどれくらい?」


「……それは今ここで重要なことかな」


「そちらのお立場をよく知っておきたいの。責任重大だしあなたが『しるべさま』ならなおのこと」


 ドーレスの指導者は唐突な問いにやや戸惑ったようだが「十年、というところかな」と答えた。


「最初からそのお立場に?」


「なにが言いたい」


「あなた方と荘園のことを教えてくれた人は心情的にはドーレスを支持すると言ってました。元は平和的な調整役だからと。でもあたしたちはまだ全面的にそれを受け入れるには至っていません。あなた方の本当のところを知らないからです。代表であるあなたがなにを考え、皆をどう導いていくつもりか判然としないうちはあたしたちも中立です」


「……」


 沈黙する男に葵はこう続けた。


「あたしたちはさっきカットナー城で城主代行と称するグレン・ミース男爵なる人物に会ってきました。彼が荘園側なのは明白ですがあなたは彼をご存知?」


「むろんだ、この地方の荘園を動かしている厄介な男——そう聞いている」


「聞いている? 直接はご存知でない?」


「それはそうだ、仇敵同士だからな。やつはクストーたち幹部階級を血眼で追っている。顔を合わせるわけにもいくまい」


 男がそう答えると葵はなぜか小さく吐息をもらして乗り出していた身を起こした。


「やっぱり本当のところは話していただけない?」


「なんのことだ」


「ミース男爵、まんざら知らない仲ではないんじゃない? 毎日顔を合わせているのに」


「待て、君はさっきからなにを言ってる」


「大事なことですよ、あなたのお立場の本質を伏せたままでは腹を割っての話などできないということです」


 腕を組んで聞いていた恭一が「待て、葵」と割り込んだ。目の光が鋭くなっている。


「彼と組合長が顔見知りだというのか」


「恭一、あたしが前から城主に会ってみたいと言ってたその答えがこのこと。組合長さんの顔を見た瞬間にわかったよ」


「まさか……それはつまり」


「そう、この人がカットナー城の城主、ハーラン・デイル伯爵だよ」

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