第70話 密書 その4


(承前)



 城の近くとあって通りには多くの人や馬車がひっきりなしに行き来している。この賑やかな商業都市の中でも最も繁華な一帯、まして昼どきとあってはなおさらだ。人々が足早なのもこの活気のゆえであろう。


 その中で店を出た葵たちの足取りはむしろのんびりしていた。


 先を急がず談笑しながら、時には露店で足を止め、小さな飾り物を買い求めたりしている。その姿に違和感はない。


 商売の街であっても訪れる人間が皆旅商人というわけではなく、遊山の客も少なくないのだ。トールセンのような観光資源はなくとも豊富な文物が流れ込む街道の要所である。訪れて楽しくないはずはない。


 城の周囲から市場へ向かう大きな通りがいわばこの街のメインストリートで白鹿亭しろしかていもその傍にある。いつもはこの時間、街を精力的に歩き回っている二人だが今日は急ぐ様子もなく、その足は少しずつ大通りから逸れ、裏通りへ入っていった。


「そろそろか」


 さりげなく恭一がつぶやく。


「どう思う?」


「案外有能じゃない? 昨日の見張りと違って目立たないし違和感ないよ」


「ではもう少し細い道に入ってやるか」


「そうね」


 裏通りとはいえ街の中央である。人通りは絶えることがない。それでも何度か角を折れるとさすがに通行人の姿もまばらになってきた。


 背後から足音が近づき、「もし」と声がかかったのはその時だ。


 振り返ると四十代半ばと思われる小柄な男が足を止めた。商人の街といっても職種はまちまちでそれぞれ風体も異なる。大店おおだなの主人と商隊の長ではまるで別の人種だし、露店の主と行商人も空気が違う。今、二人の前に立った小男は旅人の身なりではない。むしろ商店を構える人間の雰囲気があった。


「少々お待ちを」


 男はやや腰をかがめて丁寧に一礼した。いかにも商人らしいもの慣れた態度である。


「恐れ入ります。オルコットからみえられたキョウイチ・タカシロさま並びにアオイ・キサラギさまとお見受けいたしましたが」


 二人が黙っていると男はもう一度頭を下げ、手前は、と腰を低くした。


「さる大店おおだなの使用人でコリノと申す者です。恐縮でございますが少々お話をよろしいでしょうか」


「……ご用の向きは?」


 応じたのは葵である。恭一は表情を消して無言のまま男を見ている。


「はい、実は当方の主人がぜひともお二人をお招きしたいと。お差し支えなければこれからご同行いただけませんでしょうか」


「どちらまで?」


「中央通り裏のマレイン商会でございます。主人の名はルバウト・マレイン、当地で五指に入る豪商ですが、ゆえあってぜひともお二人をお連れ申せと」


理由わけは聞いてる?」


「いえ、子細は。ただ失礼のないよう丁重にお迎えせよとのことでした」


 葵はちらと恭一の判断を求め、彼がうなずくのを見て男の申し出を了承した。


「わかりました、伺うことにしましょう」


「ありがとうございます。ではどうぞあちらへ。ご案内させていただきます」


 男はほっとした表情で二人をうながし、先に立って歩き出した。年季の入った商人らしく腰は低いが、歩きながらさりげなく周囲に注意を払っている様子が感じられる。宿を見張っていた城の兵士とは明らかに気の配りようが違う。食堂を出たあたりから人混みに紛れつつ二人の後をつけてくる手際はかなり巧妙で、使い走りの下っ端とは思えなかった。


 なるべく人目につかないルートを選んでいるのだろう、道は元の大通りのほうへ近づいているはずなのにコリノが案内する路地や脇道にはほとんど人影もなく、彼がよほど界隈の事情に通じていることをうかがわせた。


 やがて周囲の建物に変化が見え始めた。


 一般の商店や飲食店などより一回りも二回りも大きく、窓の少ない建物が目につくようになったのだ。むろん住居とも違う。


「倉庫街といったところか」


「みたいね。小口の商いじゃなくて商社とか卸しとかかな」


 短く交わした言葉にコリノがちらと振り返ったが、小さくうなずいただけで「まもなくです」と前方を目で示してみせた。


 そこは大きな倉庫がいくつも連なり、広い敷地を塀で囲んだ一角であった。これがマレイン商会なる豪商のものだとするとなるほどセリアで五指に入るというだけのことはある。葵たちはその裏側の倉庫群のほうから近づいたことになる。一般客が出入りする店ではないので人通りが少ないのも当然だった。


 二人が「こちらへ」と案内されたのは物資の搬入口らしき幅広の門扉からだった。大勢の男たちが荷を運んだり馬車を招き入れたりしながら忙しなく働いている。驚いたことにコリノの姿に気がつくと男たちは一斉に背筋を伸ばして「お疲れさまです!」「おかえりなさいませ!」と口々に挨拶し、頭を下げるのだった。


「コリノさんて偉いんだ」


「番頭クラスか」


 葵たちの軽口が聞こえたのかコリノは苦笑気味に「人足たちを任されております」と小さく頭を下げた。番頭などという呼称が通用したことも意外だが、実際それに近い身分らしい。大店おおだなというイメージがなんとなくわかった気がした。


 マレイン商会の本拠は三階建ての見るからに富豪の邸宅らしい洋館であった。一般客を相手にする商売ではないので店構えなどは見えない。おそらく商談それ自体が業務の大半なのであろう。


 ここもまた裏口から招じ入れられた。館内はいたって静かで、人の動く気配はあるもののコリノに案内されて進む間、誰ともすれ違うことはなかった。


 通されたのは二階の奥まった部屋である。応接間にしては質素な造りだが調度類は年季の入った骨董品アンティークばかりで、上客との商談に使われる部屋なのではと思わせた。曲線的な脚の長椅子はファーラムではあまり見ない様式で、いわゆる輸入物の高級家具といったところかもしれない。腰を下ろすと王宮の品にも劣らぬ座り心地であった。


「ではすぐに主人を呼んでまいります」


 そう言って出ていくコリノと入れ違いに若い女が二人、茶器を乗せた丸盆を捧げ持つようにして入ってきた。


 実に優雅な手つきで「いらっしゃいませ」と笑顔を浮かべ、二人の前に紅茶が出された。葵が小さく笑みをもらしたのは添えられていた焼き菓子にフィントのジャムが挟まれていたからだ。もうこんなところにまで広まっているらしい。


「どこかの店で商品化されてるのかな」


「今、しまったと思っただろう?」


「……少し」


「欲をかくなよ」


 軽く吹き出す二人を歳若い商談相手とでも思ったのか、女たちは丁寧な応対で「ではごゆっくり」と頭を下げて出ていった。


 二人だけになると葵は「この部屋さあ」とつぶやいた。


「ん?」


「密談用っぽいね。建物の他のブロックから分離されてる。さっきの裏口だけが直行ルートで表からだと一旦別室の内扉を通らないと入れない構造になってる」


「ほう、どおりで誰とも会わなかったわけだ。慎重だな」


「お城の隠し扉よりずっと巧妙ね」


「民間のほうが洗練されてるのはどこも同じか」


「おじさまの会社にもこんな施設がある?」


「いくつかある。会社の別荘を装っているがセキュリティーは厳重だ。主に海外の取引相手との商談用だからな」


 つまりオフィスに通されて話をしているうちはまだまだ小物というわけさ、と言って恭一はにやりと笑った。やがて——。


 軽いノックの音とともに扉が開かれ、お待たせいたしました、とコリノが三人の男を案内して入ってきた。見知らぬ二人の男とそしてもう一人、あのカルル・クストーを。


     ***


 立ち上がった葵と恭一に驚きの声はなかった。


 二人にも予感めいたものがあったのかもしれない。黙って相手の三人と対峙する形になる。コリノがなにか言いかけたが、男の一人が短く「あとはいい」と制して彼を下がらせた。ドアの外にはもう一人男の気配があったが入ってくるつもりはないようだ。


 室内が五人だけになるとコリノを下がらせた男が「どうぞお楽に」と着席を促した。五十がらみの恰幅のいい男で他の二人にも腰を下ろすよう勧めて葵たちには丁寧に頭を下げた。


「私がここを営んでおりますルバウト・マレインでございます。本日は不躾なお呼び立てに応じていただきありがとうございます」


 恭一は無言で先を促した。葵も瞳を光らせ沈黙している。


「もうおわかりと思いますが、私もいささかドーレスと関わりのある立場で本日はこちらの両名のご依頼により便宜を図らせていただきました。私は座を外させていただきますのでお話はご納得のゆくまで」


 これでもう一人の男についても察しがついた。恭一が短く応じる。


「なるほど、するとそちらが『組合長』だというご仁か」


「さようでございます。子細は直接」


 そう答えるとマレインは「では私はこれにて」と双方に頭を下げ、また茶を運んできた二人の女と入れ代わりに退室した。なにか言われているのか女たちは先程の親しげな笑みを消したまま男たちの前に茶を出してそそくさと出ていった。

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