第69話 密書 その3


(承前)



 応接用の長椅子をすすめられた黒騎士は「長居のつもりはありませんので」と首を振った。この若い騎士は見た目どおりかなり硬い性格のようだ。こういう相手はたいてい交渉ごとが苦手でグレンには御しやすい。


 すると今度はアオイ・キサラギのほうが「お手間をとらせてすみません」と口を開いた。どうやら細かいやりとりはこの娘の担当らしい。書状に封印を施した当人であり内容も彼女のほうがよく心得ているのかもしれない。そう理解してグレンはできるだけ誠実な側近の演技をもって一礼した。


「こちらこそご無理を申し上げて恐縮しております。して此度の書状については?」


「そうですねえ、私たちは中身を見ておりませんので詳しいことは。でも数十人の名と身分、居所などが記されていると伺いました」


「……はて?」


「察するに名簿のようなものかと」


「名簿……ですと?」


 娘の答えにグレンは怪訝な顔だったが、彼女の次の言葉でぎょっとした。


「代行どのは『荘園』あるいは『エンタータ荘園』なる勢力について耳にされたことは?」


「エンタータ? さて寡聞にして……。それはどういう」


 まさに心臓が跳ね上がる瞬間だったがグレンはかろうじて耐えた。二人はちらと互いを見交わしてうなずき合い、アオイ・キサラギは心持ち声を潜めて続けた。


「詳細については私たちも承知しておりませんが、隣国インガルから密かに浸透してくる勢力があり、これが方々に根を張り、わが国を内部から侵食しつつあるというのです」


「なんですと? ではそれが……」


「かりそめに『エンタータ荘園』と呼称されているこの一団を第七隊はかねてより探索していたのですが、ついにその勢力を構成する者たちについてかなりの情報を掴んだとのことです」


 グレンの顔は二重の驚きの表情を浮かべていた。表向きは初めて知る事実に驚愕する城主代行の演技、そして内心は近衛隊がそこまで肉薄していると知っての動揺である。


「ぞ、存じませんでした。まさかそのようなことが」


「近年、四大騎士の活躍もありインガルの侵攻はことごとく排除されております。彼らとしても武力衝突以外の手段を講じているということでしょう。ですがイアン隊長はそうした気配を見逃す方ではありませんからね」


「すると城主への書状というのはまさか」


「ええ、おそらくこの地方の『荘園』のおもだった者の名簿でしょう。これをもって一斉に摘発がなされるのではないかと……」


 そこで黒騎士が「アオイ」とさえぎり、小さく首を振った。はっとした彼女はやや気まずそうな様子で言葉を切った。明らかに「しゃべり過ぎた」という顔だ。だがグレンの内心では急速に膨れ上がる焦りと動揺で混乱が生じていた。


 まずい。これはまずい。


 予期した以上に由々しき事態である。


 まさか近衛隊がそこまで掴んでいるとは。急いで仲間たちに連絡を、いや、それでは遅い、もし密書に自分やゲールの名が書かれていたら? ぐずぐずしている暇などなくなる。近衛隊はこちらを一網打尽にする気なのだ。


 どうする、どうする。


 目まぐるしく考えをめぐらせた。城主にこの密書を渡してはならない。それは確かだ。名簿の中身も確認しなければ仲間たちのどこまで累が及ぶかも不明だ。また仮に密書を奪ったとしても魔法による封印という難題がある。これをどうするか?


 魔法、魔法士……。


 そこでふと思い立った。そうだ、あの者らなら!


 グレンは全速力で事態を検討し、ひとつの結論に至った。


「実にその、思いがけない話でいささか混乱して……。城主の帰還までに少々頭を整理する必要を感じております」


 黒騎士が大きくうなずき「さもありましょう」と肯定した。


「城主どののご帰還の予定は?」


「七日の予定で出立されたのであと四日というところでしょうか」


「了解しました。ではこちらも旅を続ける予定がありますのでその帰路にでも伺うことにします」


「ど、どちらに?」


「ローリエに。州都リラを経てデッカへ向かおうかと。この国唯一の国境の城塞と聞いておりますのでぜひ訪れてみたいと」


 グレンはまたしてもぎくりとした。ローリエの西端の城塞都市デッカは最も小競り合いが頻繁な国境の傍に位置し、数千の兵が常駐する。そして同時に荘園が深く食い込みつつある地でもあるのだ。まさかそれを知ってデッカに向かうつもりかと疑心が湧く。


 だが好都合でもある。かの砦にはグレンたちの仲間も潜んでおり手駒も多い。黒騎士の剣を制圧することも容易なはずだ。ならば……。


 短く逡巡した上で彼は決断した。


「承知いたしました。今度こそ城主ともどもお待ち申し上げます」


「くどいようですが今話したことは」


「も、もちろん他言はいたしません。城主の帰還まで決して」


 黒騎士はそれまでにない眼光でグレンを見、無言で念を押すとアオイ・キサラギをうながして声をかける隙もないほどあっさりと背を向けた。ふいに態度が硬くなったような気がしてグレンは思わず退出する二人に追いすがった。


「い、いかがなさいました。なにかご不快なことでも……」


 すると回廊を早足で歩いていく黒騎士に代わってアオイ・キサラギが軽く肩をすくめてみせた。小声でとりなすように「いえ、お気になさらずに」と答える。


「ご城主どのとの面会はまた後日に、と決まったのでさっさと辞去しようと。至って実用的な人なので時を無駄にするのが嫌いなんです」


 そういう性格なんですよ、と笑う彼女の言葉も聞こえているはずだが青年は構うことなくこの場をあとにしようとしていた。グレンは歯切れの悪い表情で「は、はあ」と言葉を濁した。彼らの態度も言葉も妙に唐突で意表を突かれる。娘の次の一言もそうだった。


「それはそうと代行どのは慎重でいらっしゃいますね。常に警戒をゆるめないそのお心構えには感服いたしました」


「は? なんのことでありましょう?」


「五十人からの兵に見守られていると知って安心し、感心もしていたのです。王宮でも陛下の謁見の場には常に四大騎士の誰かが控え、お側を固めております。主君たる者の当然の心構えですが地方の領主などにはそうした緊張感のゆるい方々もいらっしゃるとか。代行どのの真摯なお心がけ、尊敬に値します」


「五十……」


 自分でも顔色が変わるのがわかった。なぜそれを、という声が喉元まで出かかった。城主の間の複数ある隠し扉の向こうにはゲール配下の兵たちが息を潜めて忍んでいたのだ。グレンの合図ひとつで一斉になだれ込み、剣と弓で二人の周囲を囲む手筈になっていた。なのに——。


「そ、それは……」


「わかっています。警護というのは地味で報いの少ない務めですからね」


「お、恐れ入ります、無用な気遣いと思いましたが」


「いいえ、馴れ合いはせぬという矜恃を大事になさったのでしょう? ご立派です」


 グレンは内心の動揺を隠せなかった。アオイ・キサラギはどうやら職務に忠実な城主代行の配慮と誤解しているようだが、そうでなければ彼の自制心はここで破綻していたかもしれない。


「……失礼いたしました。そうした物々しさをお客人に気取らせぬよう指示したつもりでしたが兵たちの訓練もまだまだのようです。それにしてもさすがですな、よくおわかりに」


「精霊がささやいて教えてくれるんですよ」


「な?」


「冗談です。優れた騎士の洞察力とはそうしたものですから」


「で、では、あの、黒騎士どのが」


 それには答えずアオイ・キサラギはほのかな笑みとともにグレンがどきりとするほど深く瞳をきらめかせた。最初の印象とはまるで違う。なにもかも見通すような不思議な目の色だった。黒い瞳の奥から光がもれ出てくるようだ。一瞬、言葉に詰まった。


「……」


「では代行どの、また近日中に」


 そう小さく会釈すると無言のまま玄関の大門を出ていく黒騎士に続く。声もなく立ち尽くすグレン・ミースはしばらくその場を動けなかった。


     ***


「さて、蒔ける種は蒔いてみたが……葵はどう見た?」


 城門をあとにした恭一は先程までの冷ややかな態度とは違って至ってのんびりした口調である。なにやら面白がっているようでもある。


「疑念が半分、動揺が半分ってとこかな。代行どのは荘園側で確定ね」


「とすると今ごろは額を突き合わせて対策中というところか」


「どのみち放置はできないだろうしね。デッカの名を出したときにかなり動揺してたから道中なにかあるかも」


 葵たちも好んで乱を起こしたいわけではない。ただ、荘園にしろドーレスにしろその性格をはっきり見届けるためには多少刺激的な餌を投げてみる必要がある——恭一はそう考え、近衛隊からの「密書」などというブラフを演出してみたのである。ダルフリンでの話を思えばあのイアンのことだ、実際にそうした内偵が進行中であってもおかしくはない。


「信頼できるルートがあればな。ここらで第七隊に一報しておく手もあるんだが」


「連絡手段が手紙だけってのはどう考えてもセキュリティー甘すぎだよね。代行どのは検閲する気満々だったし」


 これには二人とも苦笑をもらすしかない。魔法による封印というもっともらしいハッタリが有効なのもこの世界らしいといえばらしいが、案外そうした術も実在したのかもしれない。


「通信のための魔法、やっぱ欲しいなあ」


「実現できれば便利だが試作機はなかなか進展がないらしいな」


「古い魔法と現代魔法の間には明らかに断絶があるからね、失われたテクニックが多くて埋められないんだと思う。優先順位上げて考えてみるかな」


「あてはあるのか?」


「レーネウさんの幻はそれに近いよね。あれはたぶん古代の魔法でカプリアでの再現は無理だと思う。でもせめて声だけでもやりとりできればね。だって魔法なんだよ? そのくらいできて当然、むしろできない方がおかしいって気がするの」


 そう口にする葵には漠然としたイメージがあるらしい。彼女が例の書物で習得に努めていたのは遠見の術だけではない。恭一にはよくわからないが、毎晩葵が手元に浮かべる魔法陣が同一のものではないことに彼も気がついていた。


 葵が魔法士として日々進化していることを恭一は疑わなかった。


「課題山積だな」


「カレーも作らなきゃならないし」


 笑いながら通りに面した小さな食堂に向かう。白鹿亭よりは小さいが、昼どきとあって客で混雑していた。旅商人らしい装束が目立つのはここが交易と商売の街だからだが、雑多な話題が飛び交い、彼らの情報交換の場にもなっているようだ。端で聞いているとこれはこれで興味深い情報源であり、恭一はそしらぬ顔で「なるほど」などとつぶやいているのだった。


「——ミントじゃ塩の相場が少し上がったようだ」


「——なんでもオルコットじゃフィントの実が人気だとよ」


「——どうも近ごろのローリエは物騒でいけねえ、この間も街道に盗賊が出たとか」


「——カフカで新しいカプリア石の鉱山が見つかったらしいな」


「——エコーズの港は拡張工事で人手不足だと」


 事実か噂かさえ判然としないがこれらの総体が人の営みであり、いっときも止まらずに動き続けている。それを丸ごと抱え込んでいるのが国というものなのだ。


「惜しいな」


「うん?」


「いや、ああした情報を集約して確度の高いものをすくい取って生かす仕組みがあれば、と思ってな」


 恭一は実業家の跡取りらしくそう口にしたのだが、葵は「うーん」と少し首を傾げた。


「それは効率や合理性を重んじる向こうの考え方だよね。あえてこっちに持ち込む必要性があるかな」


「もったいない、と思うんだが」


「それを押し進めた先にあるものがこっちの世界になじむと思う? ドーレスだって元々は平和的な調整役というのが事実ならそれに近いことをやってたかもよ。こっちの世界なりに」


「こっちの世界なりに、か。なるほどな、過度な効率化で余裕を削るのは『らしくない』ということか……」


 恭一は考え込む顔になり、もう一度「なるほど」とつぶやいた。ふたつの地球の文明は目指す方向がまるで違う。異質な方法論を過度に持ち込むのは考えもの——葵の直感はそう言っているのだ。


 葵と恭一は一心同体のようにかみ合っているが、常にこうして考えをぶつけ合っている。そこに一歩先の理解が生まれる余地があるからだ。それこそがアル少年が憧れる彼らの知恵の源泉であった。

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