第68話 密書 その2
(承前)
カットナー城は平時向きの城なので中世物語のような堀や跳ね橋といった施設は持たない。城壁こそ有しているものの諸手続きのために市民や旅の商人なども出入りする。
だが、その日に限って臨時の高札が掲げられ、夕刻まで一般の出入りが制限されていた。珍しいことではあるが閉ざされた城門を前にしては仕方がない。人々は首を傾げながらも引き返していくのだった。
そして時刻は昼どき——。
門番の前に立った二人連れが懐からなにかを取り出して見せると門番は飛び上がるほど驚き、硬直した。
「話は通してある。取次ぎ願おうか」
黒衣の若い騎士が冷徹に告げるともう一人の門番が場内に駆け込み、いくらもたたないうちに脇の通用門が開いて二人は門の内側に請じ入れられた。
その姿を城の窓から見ていた者がいる。
財務監のグレン・ミース男爵、そして兵部監のゲール・ホーストである。午前中に慌ただしく城主を鹿狩りに送り出した彼らはこの時を待ち受けていた。
「来たか」
グレンが短くつぶやく。傍のゲールはやや硬い表情だがグレンはいくらか嘲る口調である。
「はっ、どれほど油断のならないやつかと思ったら、見ろ、仲よく手なぞつないでおるぞ。仮にも城に挨拶に出向いておいてずいぶんと腑抜けた態度だな。遊山のつもりでもあるまいに」
「確かに。多少腕が立つといってもしょせんは若い男だな」
両名ともに薄い笑みを浮かべ、身内の緊張が薄れていくのを感じていた。
「噂は噂でしかないということだな。ではまいろうか」
グレンは兵部監の肩を軽く叩いてうながした。城内には王宮の国王の間に相当する城主の間があり、普段は謁見などの儀式に使われる。今日はあの二人を迎えるために念入りにしつらえられた広間である。準備に万全を期した自信からか、問題の二人組を前にしてもグレンは余裕の笑顔であった。
「これはこれは、ようこそカットナー城へ」
ゲールは広間の入り口脇に立ち、グレンは一人客人の前に進み出る。他に幾人もの立会人が同席しているが、実は官僚や側近に見せかけたゲール配下の兵たちであった。むろん外から来た二人は知るよしもない。
「初めまして。私はキョウイチ・タカシロ、近衛隊にて剣術師範のお役をいただいております。隣は私の連れで第一|王女クーリア殿下の相談役をおおせつかっておりますアオイ・キサラギ。お見知りおきを」
「お噂はかねがね。本日はよくおいでくださいました」
黒騎士は間近にすると先ほど窓から覗き見た印象より存在感があり、なるほどただ者ではないなと思わせたが、背負った黒い剣はどう見てもただの木剣だ。腕に覚えがあるといっても騎士としての心構えが甘いとしか思えない。剣術とは無縁の自分でさえそう思うのだ、背後のゲールは失笑をもらしているかもしれない。
連れの女もだ。光の強い目が印象的だが「これが謎めいた魔法士? ただの若い娘ではないか」と拍子抜けするほどだった。落ち着いた笑みに多少の魅力があるものの、王女のお気に入りといわれるほど特別ななにかは感じない。あれこれと警戒してきたのがとんだ取り越し苦労だったと思えて自分の臆病さを笑いたくなった。
「お目にかかるのを楽しみにしておりました。私は当カットナー城の城主代行をいいつかっております財務監の男爵グレン・ミースと申します」
「城主代行? というと城主どのは」
黒ずくめの騎士がわずかに目を光らせて質した。
「申し訳ございません、あいにく城主は数日前より州内の巡察に出ておりまして」
「ご不在だと?」
「はい、おふた方の来訪を知らせるべく早馬を走らせたのですが、残念ながら……。やむなく不肖、このグレンめが応接つかまつることにあいなりましたこと、重ねてお詫びいたします」
「なるほど、そういうご事情であればやむをえませんな、しかし」
黒騎士はそこで言葉を切り、少々困ったという表情で連れの娘と顔を見合わせた。
「なにか?」
「いや、実は近衛隊上層部より城主どのへの親書を預かっておりまして」
ここでグレンの眉がちりっと震えたが、態度に変化はない。ただし内心は別だ。親書だと? しかも近衛隊からとは? 城主に中央からの書状が届くことは珍しくないが、大半は予算や通達に関する事務的なものだ。近衛隊からの書状など覚えがない。城主は知らないが、彼宛の文書は皆グレンの手で検閲済みであった。行政文書から細君の私信まですべて知り尽くしている。痕跡も残さず開封し元どおりにする技術は能吏の基本なのである。
「ほう、でしたら私がお預かりしてお戻りになり次第……」
ところがここで黒騎士はやんわりとグレンの言葉をさえぎった。この書状は他人には託せないというのである。
「むろん代行どのを信用しないわけではありませんが、我々も子供の使いではないので直接に、と念を押された以上、責任をもって城主どのにお渡しせねばなりません。それに……」
するとそれまで沈黙していたアオイ・キサラギが一歩前に出ると懐から取り出した一通の封書をグレンの前に示した。
「代行どの、実はこの書状には
「まじない……といいますと?」
怪訝な顔で尋ねたグレンの前で彼女は「このように」と書状の上に手をかざした。すると手のひらほどの小さな魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと回転を始めたのである。日常使われるカプリアのそれとは違って黄金の輝線がまばゆいほどだ。その精緻な形象に彼は思わず目をみはった。
「重要な親書などに時折用いられるものです。私が受取人の前で直接解除することで問題なく閲覧できます。この手続きを踏まないと中の書状はただの白紙に戻ってしまうのです」
「……なんと」
「古臭い魔法なので知る人も少なくなりましたが、昔は恋文などにも使われたそうですよ。術を施した魔法士自身が配達人を請け負うことになるのでさすがに時代遅れになってしまいましたが、王宮や一部貴族の中にはこうしたやり方を好む方もいらっしゃるので」
そう言ってアオイ・キサラギはにっと笑った。
「そ、それはまた……」
思いがけない言葉につい口ごもってしまったグレンに黒騎士は軽くうなずいた。
「申し訳ない。旅のついでに、と預かったものなのでいささか呑気に構えておりました。城主どのの不在を確認しなかった当方の手落ちです。ここはご帰還を待って出直すことにいたしましょう」
噂されていたように目の前の娘が魔法士であることはわかったが、グレンは大急ぎで考えをめぐらせていた。近衛隊上層部からの密書、そう、これは間違いなく密書だ。奇妙な魔法で城主以外の開封を禁じた書状を密書と呼ばずしてなんと言おう。
目の前の二人は旅のついで、などととぼけているが、彼らの来訪の真の目的がこの密書を届けること、すなわち、なんらかの重要な情報を直接城主に伝えることにあったとしたら? いかに凡庸とはいえこの城の最高権力者である。彼にしかもたらされない機密があったとしても不思議ではない。
知りたい。
なんとしても知りたいと思った。彼はすでにこの城の実質的な権力を握っているが、それゆえに彼の知らない情報が頭越しに行き来することが看過できない。この二人が必要以上に詮索じみた態度を示すようであれば密偵の疑いありとして強硬手段に訴えてでもその目的を聞き出すつもりだった。だがあっさりと知れたその目的とは意外な、そして重要なものだった。
魔法士が封印を施すほどの書状がただの親書であるはずがないのだ。発信が近衛隊上層部とあってはなおさらだ。どうあっても中身を知らねば。
「そも、どなたからの書状でありましょうか?」
二人はちらと顔を見合わせたがその程度は明かしてもよかろうと判断したようだ。やや表情を引き締めた青年が小声で答えた。
「諜報や内偵に携わる最高責任者、とだけ申しておきましょう」
「だ、第七隊の……」
黒騎士は目を光らせただけであったがグレンは肯定の意を察した。
噂に聞く近衛隊第七隊の隊長イアン・グールドは一見風采の上がらない中年男に見えてその実恐ろしいほどの切れ者であるという。昼寝を優先させるような凡庸な人柄と言われながら国王が手放さないのがその証拠といえよう。
そこでぎくりとした。
待て。
凡庸に見えて実は切れる人物?
睨まれたら絶対に逃げられないとまで言われる近衛隊第七隊の長。だがその表向きの顔は愚鈍、お飾りとそしられるあの城主を思わせるのではないか?
まさかと思った。
まさかあの城主もまた無能を装っているだけだとしたら?
ありえない。だがそう考えれば近衛隊随一の切れ者が密書をやり取りする不自然さも説明がつく。狩猟三昧のぼんくらのふりをして実はなにもかも見ているのだとしたら?
一度浮かんだ疑いは容易には打ち消すことができなかった。
「黒騎士どの、機密の重要性は重々わきまえておるつもりですが私も城主代行として誠心誠意尽くしてまいったつもりです。補佐として、相談役としてお仕えしてきた日々に偽りはございません。あの方の諮問に答えるためにも概略なりと知っておきたいと考えます。いかがでしょう、黒騎士どのの責任の範囲内でけっこうでございます。多少の示唆でもいただければと」
グレンは精一杯の誠実さと主人への忠誠心を滲ませてそう訴えた。日ごろの横柄さや傲慢な態度は欠片も見せない芝居だったが、こうした仮面などそれこそ彼には日常茶飯事であった。
案の定、相手は考え込む表情になり、傍の娘と何度かうなずき合ってから「ふむ」と言葉を選んだ。
「お気持ちはよくわかります。代行どのの誠意と忠義には感服いたしますが、しかし……」
なおも躊躇する風情である。だがここでアオイ・キサラギがグレンの態度に同情したのか「いいんじゃない?」とグレンにとってはまたとない助け舟を出してくれた。
「あたしたちが聞かされた範囲でならどうかな。代行どのは信頼できるお方だと思うわ。概略程度なら」
どうやらこれで踏ん切りがついたらしく黒騎士も「わかった」とうなずいた。
「しかし人の目があり耳があるこの場で、というわけにはまいりません。人払いをした個室を願いたい」
かしこまりました、直ちに、と恭しく一礼したグレンは内心「しめた」とほくそ笑んでいた。やはりこいつらは若い。あの程度の芝居で動かされるとは。
この広間の周囲には多くの兵たちを潜ませてあった。官僚に化けたこの場の兵と合わせ五十人もの手勢をだ。四大騎士に匹敵すると噂された黒騎士の剣を警戒してのことだったが、どうやら無駄に終わりそうだ。むろん、そのような事態にならぬに越したことはないのだが、グレンは自らの話術とかけひきに自信を持ち始めていた。
すべて聞き出してやる。
そう思いながら彼は財務監の執務室へと二人を案内したのであった。
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