第82話 盗賊の二つの顔 その2


(承前)



「盗賊……」


「あまり先の未来へ飛びすぎないでね。たぶん次の襲撃はせいぜい十日以内くらいだと思うから」


 うなずいたメルはそっと心の手を伸ばして魔法陣に触れた。


 前回のような爆発的な幻影の乱舞は感じない。指先に感じるかすかな律動。それは徐々にゆっくりとした動きに変わり、やがて遠い潮騒のように静かに心を震わせた。


 その時にはもうメルはこの強固な魔法陣と自分の確かな繋がりを実感していた。


(……これは私の魔法陣だ。作ったのはアオイさまだけど、今は私に委ねられている。これなら……)


 周囲を取り巻く幻想世界は前回とは比較にならないほど穏やかで、彼女は落ち着いて一つ一つの幻影に接触アクセスすることができた。


 室内の光景はほとんど気にならない。それはきっとアオイさまがうまくやってくれるだろう。自分は言われたとおり見ることに専念すればいい。


 盗賊……盗賊……盗賊……。


 メルの集中が深くなったことを察した葵は両手を胸の前で広げて目の光を強めた。


「!」


 城主とガトー、そしてダリルが目をみはった。広げたアオイの両手の間にゆらりと蜃気楼のような幻が揺れたのだ。恭一だけが直感したそれは葵が遠見の術でメルの視界を投影しようとしているのだ。


 幻はやがて乱舞する光となにかの形象を形作ろうとしていた。と、その時——。


「見えてきました」


 激しい精神集中のせいかほとんど抑揚のないメルのつぶやきが聞こえた。


「たぶん……盗賊の一団、だと思います」


 城主たちがはっとして身を乗り出すと同時に葵が浮かべた幻影も急速に明瞭になった。三十名ほどの男たちが木々や岩陰などに隠れ潜んで街道と思しき道の両側に散っていた。


「いつ頃かわかる?」


 そっと尋ねた葵にメルはこくんとうなずいた。


「三日後……陽が最も高くなるころ」


「場所はどうかな?」


「わからない……見えてるけど私の知らない場所……」


「うん、それじゃゆっくり周りを見て」


 またメルがうなずくと葵が浮かべた映像がゆっくりと周囲の光景を映し出していく。 するとそこで息を呑んで幻影を見ていたガトーが叫んだ。


「あれは……ムタイの丘だ。間違いねえ、西側の崖に見覚えがある!」


「むう、デッカとは目と鼻の距離ではないか! しかも真昼間だと? 調子に乗りおって」


 両名ともに愕然としていた。この城から馬でわずか半刻足らずの近場なのである。よりにもよって大胆にもほどがあろうというものだ。二人とも初めて目にする一級魔法士の術に完全に呑まれていたがすでにその信憑性を疑う気は失せていた。


 そして激昂した。


 まさかデッカの郊外といってもよいこんなところで犯行に及ぼうとしている連中は絶対に許せない。


 城主もガトーも勢い込んで立ちあがろうとした。だが—ー。


「待て!」


 恭一の鋭い声に全員がぎくりとした。


「葵、さっきの映像、巻き戻せるか?」


「ん? どの部分?」


「隠れている盗賊たちの姿だ、気になる顔があった。俺の勘違いかもしれんが」


「わかった、やってみる。メルさん、さっきの盗賊まだ見えてる?」


 答えはない。だが葵の幻像にはすぐに隠れ潜んでいる男たちの姿が反映された。ゆっくりと視点が動いていき、やがて——。


 城主を除く全員が「あっ」と驚きの声を上げた。それまで半覚醒状態で術に没頭していたメルまでが声をあげ、一気に術が破れた。


「まさか……」


「信じられん、どうなってる」


「びっくりだね」


 ダリル、ガトー、葵の驚きは三者三様だったが、メルは言葉もない。事情がわからぬ城主が焦ったようにガトーに質した。


「どうしたというんだ、お前たちいったいなんの話をしている!」


 ガトーがこの男にしては珍しく唖然とした顔のまま口を開いた。


「こいつですよ、何日か前にお客人に喧嘩をふっかけたあげく返り討ちにあった大馬鹿野郎は」


 一瞬何を言われたかわからなかったらしい城主は絶句していた。


「ばかを言え、守備隊の人間ではないか!」


「ですがあれからたった数日ですよ。俺たち全員がこいつの顔を見忘れると?」


 城主の顔色がみるみる変わっていく。


「ばかな、あり得ん!」


 まさか守備隊の中に裏切り者がいたなどとは到底信じられない。いや、信じたくないというのが城主の心境だろう。


「気持ちはわかるが事実だ。見ろ」


 恭一の冷徹な声が城主の心情を打ち砕いた。


 葵の目配せで術を立て直したメルは再び予知の幻影を呼び出し、葵の両手の間にはまたも盗賊たちの姿が映し出されていた。今度は先ほどとは別角度からの映像であった。


「ドラカン……信じられん……」


 呆然とした城主の声は乾ききっていた。


「まさかあやつまで……これはまことなのか」


 城主のうめきに全員が沈黙した。第三守備隊隊長ドラカン・クーンツ——覆面こそしているがそのいやな目つきをこの場の全員が見間違うはずもなかった。ここまでくるともはや「信じられない」などと言っている場合ではない。


     ***


「いや、ほかにもどこかで見たような顔が混じっている」


 ガトーのつぶやきは城主を絶望の淵に叩き込んでいた。こうなっては認めざるを得ない。盗賊たちが異様に手際がよかったのも当然だった。訓練を積んだ守備隊の正規兵が盗賊一味に混じっていたのだ。それではこちらの手の内など筒抜けだ。


「どうやら思った以上に根は深いようだな」


 容赦ない恭一の指摘に城主は肩を落とした。怒りと失望でしばらく声が出ない。きつく握られた両の拳は無念の思いに震えていた。


 そこから少し話は揉めた。


 襲撃の現場を抑えることで意見の一致を見たのだが、当然「俺たちも行く」と言い出した恭一に対し、城主とガトーはそれを拒んだのだ。


「世話になっておきながらこんなことを言うのは心苦しいのだが、ここは我らにまかせてくれ」


「……なぜ?」


「査察官の立場上、首肯し難いのはわかる。だがこれはデッカと守備隊の名誉の問題だ。不始末の責任は俺たちにある。王宮への報告に手心を加えてくれとは言わん。ただ、やつらの成敗はこちらにまかせてくれ。むろん、顛末は報告する。頼む」


 極めてプライドの高い城主とたたき上げのガトーがここまで頭を下げることは滅多にあるまい。恭一はそれでも拒否するつもりだったが、そこで葵が口を挟んだ。


「お気持ちは理解できますが、ならば一つ心に留めておいてください」


「なんだ」


「占いで未来を知ることは未来に干渉することにつながります。あなた方が襲撃を防げば彼らがどう反応し、そこからどのように事態が転ぶかはわかりません」


「ではそれもまた占いで対処すれば良いではないか」


「それは占い師にとっては禁忌なのです」


「禁忌? わからんな、どういうことだ」


「たとえば盗賊側にも腕のよい占い師がいてこちらの打つ手に対して罠を張る、待ち伏せをするなどの対策を立てたらどうなります?」


「それは……」


「では更に、インガルが、近衛隊が、ほかの諸勢力がこの機に乗じてそれぞれの思惑で未来をねじ曲げようと動き出したら?」


 城主とガトーは想像しようとして……できなかった。多くの者が一斉に占いで未来のことに対処しようとしたら、未来は混沌として物事の因果関係さえ不明になるだろう。それでは占いの意味がない。


「ですから同じことを続けて占うのはどんどん占いの精度を下げていくことになります。それどころか予測不能の事態が引き起こされることにもつながるのです。ゆえに占い師を重用した為政者は昔から多くいましたが満月のたびに、とか季節が変わるたびに、と言った規則をおのれに課して世の混乱を招かぬよう占いの濫用を厳しく律してきたのです」


「では……わしらはどうすれば」


「襲撃計画はあなた方二人で立案し、出動は兵たちにも知らせず電撃的に。要はなるべく単純にということです。城側でなんらかの動きがあれば私たちで対応します」


 葵は恭一に同意を求め、恭一は一つだけ葵に確認した。


「城で何かが起こると?」


「細かいことまではわからないけど黒騎士の剣が必要になりそうな気がするの」


「わかった。覚悟しておく」


 城で何かが起こると聞いてガトーはやや不安げだった。守備隊の裏切り者がどれだけいるかわからないのだ。


「大丈夫。でも現場で偉そうなやつは逃さないでね。城側の仲間と連絡を取らせるとめんどうだから」


「わかっている。まず指揮官をふんじばるのは戦の鉄則だからな」


     ***


 あれから三日、ガトー率いる第五守備隊は日課の訓練に汗を流していた。


 デッカの守備隊は第一から第十まで、各隊約三百の兵で構成される。訓練内容は各隊の長に任されているため、騎馬戦を得意とする隊、白兵戦を得意とする隊、奇襲に特化した隊といった隊ごとの個性が出る。


 それでも兵の基本は体だ。兵法や戦術指揮はもっと上位の者の領域で、一般兵は筋肉を鍛え、馬術、剣、弓、槍などの直接的な戦闘技術を磨く。むろん集団としての素早い陣形展開、偵察、伝令、監視といった比較的専門性を要する訓練も必要だ。


 訓練は反復が基本なので雨が降ろうが風邪が吹こうが休むわけにはいかない。一日休めば動きが鈍り、三日休めば練度が低下する。


 ゆえにこの日も朝からいつもと変わらぬ訓練が続いていた。


 だが、もし彼らの様子を注意深く観察する者があれば奇妙なことに気がついたかもしれない。訓練が進むにつれ、いつの間にか兵の数が減りつつあるのだ。


 一人抜け、二人抜け、という具合に目立たぬようどこかへ消えていくのである。ある者は騎馬の隊列から逸れ、またある者は斥候の訓練に出たまま帰ってこないという具合だ。


 無論ガトーは気がついているが素知らぬ顔である。


 結局、午前の訓練が終了する頃には三分の一の兵が何処いずこかへ消えていた。手のひらにすくった砂が指の間から少しずつこぼれ落ちるように他者に気付かれることなく別動態を生み出す「流砂の陣」はこうして静かに進行していった。

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