第81話 盗賊の二つの顔 その1
第七章 盗賊の二つの顔
あの奇妙な茶会から五日ほどが過ぎた。
ダリルは稀有な経験の記憶を胸に秘めたまま父の秘書的業務という日常を取り戻していた。葵や恭一たちへの蟠りが解消されたことで一時の苛々した様子はもう感じられない。このところ荒れ気味だった娘の落ち着いた様子にスタッグス伯爵は気づいていたが、特段、言葉をかけることはなかった。
彼には城での業務がすべてであり、それ以外は些事に過ぎなかったからだ。ただダリルの機嫌がよくなったことは彼女に応対を任せたあの二人との関係には問題がないとみてよいのだろうと解釈していた。
そんなことより城主である彼には頭の痛い問題があったのだ。頭の痛い、というより腹立たしいといった方が適切かもしれない。
今のところ、それは目の前の男の渋い顔と重なっていた。
男——第五守備隊を任せたガトー・ダンはスタッグス伯爵家の縁戚にあたる下級貴族の三男というおいたちの男だ。当然家督を継ぐことはできないので両親に泣きつかれたスタッグス公が少年時代から時折目をかけてやっていた。
やがてひとかどの騎士に成長したガトーは頭もよく剣も巧みで指揮・統率の能力にも優れていることを幾度かの実戦で証明した。隣国との小競り合いが絶えない デッカは男を鍛えるには格好の地であったのだ。
息子に恵まれなかったスタッグス公は内心ダリルの婿にと望んでいたが、彼の薫陶のせいかガトーもまた頑固な性格に育ち、彼と衝突することもしばしばだった。結婚などという浮ついた話を切り出すには両者ともに硬すぎたのだろう。
スタッグス公がもう少し娘の気持ちを察することができれば事情は違ったであろうが。
ともあれ、スタッグス公は今、これ以上はないほど不機嫌な顔でガトーの報告を聞いていた。傍にはダリルが立っているが、城主の
「また逃したか」
城主の声は冷たい。
「済みません、急報を受けて直ちに向かったんですが襲われた馬車の残骸と斬られて虫の息の商人や護衛が転がっていただけで」
「追跡は?」
「残念ながら。北か南へ向かったのは確かですがどのみち州境は目の前ですから無駄でしょう。現場を押さえでもしないと」
忌々しさに城主の顔がゆがむ。傍のダリルには父の歯ぎしりが聞こえそうな気がしたが今は城主と側近の立場だ、無用な口出しは控えた。
しばらく前から街道に盗賊が出没するという噂があった。事実、何件かの被害届も出されていたが、それらは二、三台の馬車と護衛が数人という小規模な案件だったため、守備隊も通りいっぺんの捜査しかしなかった。城主の耳にも届かなかったほどだ。
事態が急変したのはふた月ほど前からだ。
成功に味をしめたのか盗賊たちは徐々に大胆になり、日中にまで堂々と出没し、あまつさえログワント城に納入されるはずの物資まで奪われるようになったのだ。
城主は烈火のごとく怒り、街道の巡回警備と盗賊の捕縛を厳命した。現行犯は斬り捨ててもよいとまで命じたのはデッカとそこへ通ずる街道は文字どおり彼の庭であり、そこを土足で踏み荒らそうとする者たちなど絶対に許すことはできなかったのだ。
だが、相手は思わぬ強敵だった。
神出鬼没にして用意周到、しかも狡猾でやり口は残忍な彼らは常に守備隊の裏をかき、獲物を襲っては迅速に逃走する。街道の地理を知り尽くしているらしく、追跡の網にかかったことは一度もなかった。
守備隊は常に彼らの後塵を拝し、城主はその度に煮え湯を飲まされていた。
そして今日もまた——。
馬車十数台を連ねた隊商はログワント城への納品ということもあり、二十人もの護衛を用意して街道を進んでいた。夕刻までにはまだ間があったが、重い荷駄を運ぶ馬たちを酷使はできない。街道のほぼ中間地点にはかなり大きな宿場町があり、一行はそこに一泊して休養を取る予定であった。すでに先ぶれは出しており、到着まで半刻もかからないであろう。だが——。
いきなり襲われた。
どこにこれだけの人間が潜んでいたのか不思議なほどの集団であった。叫ぶでもなく怒号をあげるでもない。茂みの奥、木々の陰、草むらの中、そんなまさかと思うような場所から数十人の男たちがわらわらと湧きだしたのだ。
男たちは無言のまま護衛たちに斬りかかり、あっという間にこれを打ち倒すとどこからともなく十人ほどの騎馬の一隊が現れ、数台の馬車を奪い取ると疾風のごとく立ち去った。
奪われたのは城に納入するはずだった武器、貴重な香辛料、宝石と高価な装身具、取引用の金銀を詰め込んだ金庫、さらには国からデッカに対して下賜されるはずだった多額の慰労金など最も金目のものが積まれた馬車であった。
まるでどの馬車に貴重品が積んであるか初めから知っていたかのように、他の馬車には目もくれなかったという。
ここに至って城主も考えざるを得なかった。
いくら連中が手際がよいといっても限度がある。今回の襲撃はあまりにもできすぎていた。守備隊も決して無能ではないのだ。とすれば——。
誰かが情報を流したか、あるいは手引きをしたか。
スタッグス公もガトーも明言は渋ったがダリルは彼らの内心の疑念を察することができた。この厳しい城主のもとにそのような不届き者がいるとは考えたくないが、もはやその可能性に目を瞑ることはできない。
現状、最も厄介なのは連中の動きが読めないことであり、ガトーたちでさえ舌を巻くほどの機動力だった。訓練された兵士のように手際がよく、状況判断も正確だ。正体どころか尻尾さえ掴ませない。ただの野盗にできることではなかった。
知らせを受けてから出動しても手遅れなのだ。
ではどうするか?
「奴らに内通していそうな者に心当たりはないのか?」
「密かに探ってはいるんですが今のところは」
「簡単に尻尾は出さんか」
「連中もこちらの動きが本格的になってきたことには勘づいているでしょう。裏切り者がいるにしてもかなり慎重になっているかと」
「ちっ、こうも動きが読めんとは腹立たしい限りだ。なにか手はないのか」
「そうですな……おとりの商隊を出すというのは?」
「悪くはないが内通者がどこまで食い込んでいるかわからん。下手するとこちらの意図を読まれるやもしれん」
こちらからも謀を仕掛けるのは確かに一案だが、秘密というものが実際には何人の手を経て処理されるか、城主もガトーもよく知っていた。誰が内通しているかわからない現状では穴がありすぎる。
「せめて連中の次の狙いがわかればこっちから待ち伏せなり急襲なり手の打ち用もあるんですがね」
「ふん、それがわかれば苦労はせんわ」
「ごもっとも。しかしそうなると……」
手の打ち用がない。内通者を抱えたままではどんな手を打とうとも万全とはいえないのだ。
室内に沈黙が降りた。城主もガトーも妙案を探して懸命に考えているがもれるのは悔しさに満ちた唸り声ばかりだ。
と、その沈黙を破る者がいた。
「あの、父上、ちょっと宜しいですか」
この場の沈黙にそぐわぬ華やいだ声に城主もガトーもはっとした。両者とも傍にダリルがいたことをすっかり失念していたようだ。
「ん、どうした」
「その、笑わないでいただきたいのですが一つ提案が」
普段は問われるまでよけいな口を挟まね彼女にしては珍しいことだ。
「提案とな?」
「はい、お話を聞いている限り、いささか手詰まりのご様子」
「確かにな、なにか妙案でもあるのか?」
「藁をも掴む、といては叱られそうですがこの際、使えるものはなんでも使うべきかと」
「そんなことはわかっとる! その柵がないから苦労しておるのだ」
城主の声は厳しい。普段のダリルならこれだけですくんでしまっただろう。だが今日の彼女は踏みとどまった。
「でしたら一つ試してみたい手があります」
なんだと、と城主は娘を睨みつけ、ガトーも訝しげな顔である。
「ここはひとつアオイ・キサラギさまに相談されてみてはどうでしょう」
よほど意外な言葉であったらしい。一瞬、理解に苦しむという表情で城主は娘の顔を凝視した。
「あの娘に相談? お前は何を言っているのだ」
「冗談を言ってるつもりはありません。父上はアオイさまの真価をご存じないようですが、彼女はあのクーリア姫さま付きの一級魔法士です。国内にたった七人しかいないといわれる一級魔法士、それも姫さま付きですよ?」
「しかし……あの者らは一応査察官として逗留しておるのだぞ」
「若手随一の治癒魔法士のメルが今や彼女に心酔しきっているのですよ? メルに言わせるとアオイさまの霊力はとてつもないものだそうです。話だけでもされてみてはいかがでしょう?」
ダリルが父親に対してここまで強弁するのは珍しい。その真意を図りかねて城主はガトーに目を向けた。魔法について人並みの知識を有してはいても娘の言い分は突拍子もないものに思えたのだ。
「お嬢さんにはそう言い切るだけの根拠があるんですかい?」
「詳しいことは話せないけど、メルと一緒に彼女の魔法の一端を見たわ。力を借りるに値すると思うの」
むう、と男二人は唸った。あまりにも予想外のことに咄嗟に判断がつかない。
「よろしければ私が今からお呼びしてきます」
正直、スタッグス公もガトーも判断がつきかねているのだがこうまで言われてはあやふやにうなずくしかなかった。
***
ほどなくしてアオイ・キサラギは黒騎士を伴って現れた。
スタッグス公はいまだに不審げな顔だが、代わってガトーが事態のあらましを説明した。こちらも半信半疑の表情は隠せない。
「——という状況だ。客人方に面倒はかけたくないが、正直に言って決め手になるような策がない。可能であればなんらかの力添えを願えまいか」
アオイ・キサラギは軽く黒騎士とうなずきあって一歩前に出た。
「ご事情はよくわかりました。そちらとしては次の襲撃の日時と場所、そして彼らの組織の実態、あるいは根城が分かれば、ということですね」
「ああ、そこまでわかれば御の字だが、流石にそこまでは期待していない。ただ、せめて次の襲撃地点と日時が推測できるなら是非とも頼む」
アオイ・キサラギはちらりと城主を見、ついでダリルに軽く微笑してから答えた。
「そうですね、いくつか手はありますが……もう一人応援を呼んでもかまいませんか?」
「というと?」
「この依頼に最も適した魔法を使えるのはメルさんです」
「メルが? しかし彼女は治癒が専門だろう」
「いえ、占いの魔法の方もなかなかどうして潜在的には一級魔法士に近い才能を持っていますよ」
ガトーだけでなく城主も意外なことを聞く、という顔だ。
「ただ、彼女はまだ霊力が才能に追いついてません。ですからそこはあたしが手伝います」
思い当たることがあるダリルは「ああ」と納得顔でうなずいた。「じゃあ呼んでくるわ」と男たちの許諾も聞かずに駆け出していく。
メルは城内にいるときはたいてい図書室に入り浸って所蔵された魔法書を読み耽っているらしい。ダリルはすぐに彼女をつかまえて戻ってきた。
一瞬、室内の顔ぶれにぎょっとして立ちすくむ。
「こんにちは、メルさん。ちょっとお仕事手伝って」
「え? あの……」
「ええとね、最近街道を騒がせている盗賊たちの次の狙いが知りたいの。この間の要領でやってみて。もちろん、魔法陣はあたしががっちり支えるから」
「盗賊、ですか?」
「うん、メルさんは見ることに集中して。ご城主さまやガトーさんたちの相手はあたしがやるから」
魔法士同士の会話だ。戸惑いながらもメルはすぐに事態を飲み込んで了承した。またアオイ・キサラギの力を借りて魔法が使えるのなら大歓迎だ。
ダリルにうながされて来客用の大きな長椅子に腰を下ろす。まだ事情が飲み込めない城主とガトーも戸惑いながら着席する。全員が席についたと見るや、葵は軽く手を振った。
ほぼ瞬時に長椅子の前のテーブルに直径が一メートルほどの魔法陣が出現した。まぶしいほどに輝く黄金の魔法陣である。息を呑む城主たち、そして別の意味でメルも驚愕していた。
それは彼女が
「この魔法陣……」
「うん、こないだ見て覚えちゃった」
「でもアオイさまが作った魔法陣なら私はどうやって使えば……」
「大丈夫。心の手で触れてしばらく気持ちを同調させればすぐに自分のものだって実感できるよ。あとはいつものように術を発動させるだけ。あなたの力は本来、
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