第80話 インタルード
インタルード(間奏曲)
当代のファーラム国王ワルトナ・ゴドウィン・アリステア二世は周辺諸国にも賢帝として知られた人物である。どちらかといえば文官型といえるだろうが、それはこの王が誠実かつ公平に職務に精励する姿勢から出た言葉であろう。
古典的な貴族趣味に凝り固まった一部の宮廷人たちは王の勤勉さに対していささかの揶揄を込めて「国王が下級官吏のごとく働く必要などあるまいに」などと口にする。
愚かなことである。
スケールが違うのだ。側近たちなら知っている。一国の王が背負う重責はもとより、どのような困難をも退ける胆力、果断な決断、深い思考と広い視野、平時には善政をもって民を治め、戦となれば勇将として全軍を率いる。
王としては人が善すぎる、などという者はそれこそ目が節穴なのだ。
しかも彼は天佑にも恵まれた。
気品と叡智を併せ持つ第一王女はその美しさとともに一級魔法士をすら凌ぐと噂される霊力の持ち主であった。齢十五にしてすでにファーラム統合の象徴として全国民の敬愛の的となっている。
そしてその名も高き四大騎士。
常勝無敗。彼らの前では多勢に無勢という言葉は無意味だ。四人揃えば数千の軍勢であろうとものともせず、敵軍は恐怖のあまり雪崩をうって敗走する。
彼ら彼女らが国王とともにある限りファーラムが揺らぐことはない。
ないのだが……その英邁な王は今、いささか思案顔で首を傾げていた。仕事が手につかず、ああでもないこうでもないと執務室の中を歩き回って何事か考えあぐねているようだ。決断の早い王にしては稀有なことである。
そこで執務室のドアが開いて外に控える補佐官の一人が顔を出した。
「陛下、ダンテス侯爵さまがお見えになりました」
「おお、来たか、二人で話したい。ここではなく応接室のほうへ案内してくれ。茶の用意もな」
「かしこまりました。直ちに」
国王の執務室は彼が一人で執務に集中する部屋である。密談ならここでも問題はないのだが、彼はあえて来客用、それも特に重要な相手を迎える時に使う上級応接室を指定した。
シュトルム・ダンテス二世は国の守護神たる四大騎士の筆頭である。戦時にも平時にも多大な働きで国に貢献したが、生来の生真面目さからか国王からの褒美を辞退し続けてきた。過日、第一王女を通じて半ば強引に伯爵から侯爵へと引き上げたが、それは良い方向へ働いたようで三十に満たぬ若さでありながら最近は
国王が第一王女と並んで頼みとする人物である。
そのダンテス侯爵は国王の
「済まんな急な呼び出しで」
「いえ、ちょうど登城の日でしたので。なにかお急ぎのご用でも?」
何気ない問いだったが国王はらしくもなく肩をすくめ、軽くため息をもらした。万事明快なこの王には珍しいことである。
「急ぎ。というわけではないがよい知恵が浮かばなくてな。公爵の意見を聞きたい」
「ほう、それはお珍しい。私などでお役に立てましょうか」
「うむ、侯爵は当事者でもあるからな。一つ良い知恵を頼む」
「当事者?」
「実は……他でもない、例の夜会での騒動のことだが」
途端に公爵の顔がこわばる。彼の持ち城であるラントメリーウェル城で催された夜会に突如出現した青い怪物は彼を含む四大騎士級三人の剣をもってしても仕留めきれず、第一王女クーリアの持つ不思議な短剣でようやく退けることができた。国王からの咎めはなかったが侯爵は第一王女の命を危険にさらした責任を痛感していた。
「……そのことでしたら娘の病をなおさんがために事情を秘して画策した私に全責任が」
「いや、そうではない、問いたいのはそういうことではないのだ」
「と、申されますと?」
「うむ、実は……そなたアオイどののことをどう思う?」
その名を聞いて侯爵は輝く瞳を思い浮かべた。不思議な少女だ。明朗で物怖じせず頭の回転も極めて早い。しかも——。
「感謝しております。娘に降りかかった呪いは一球魔法士にすら発見できぬほど巧妙なものでした。彼女はそれを見破り姫さまの短剣で打ち払っていただいたのですから。ダンテス家にとっては大恩人であると思っております」
「そうであったな。そして一度ならず二度までもクーリアの命を救ってくれた。王家にとっても大変な恩人であると考えている」
「お気持ちはよくわかります。あの怪物が我らの剣をすり抜けて姫様に襲い掛からんとしたとき、見たこともない魔法の盾でそれを弾き飛ばしたのも彼女でした。最後は姫さまがあの短剣で仕留められましたが、それとてあの危険な瞬間を彼女が凌いでくれたからこそかと」
「聞いている。一級の資格を持つ魔法士に問うてみたところファーラムには盾の魔法など存在せぬそうだ。それにクーリアの短剣だが……」
「王家の秘宝だそうですね。あの怪物を一振りで真っ二つにするとは驚きました」
「それがな、実はそうではない。ここからは絶対に他言無用だぞ? クーリアによるとあの短剣はアオイどのが魔法で呼び出してクーリアに授けてくれたのだそうだ。守り刀としてな」
「なんと!」
思いもよらぬ話に ものに動じぬはずの四大騎士筆頭が目を丸くしていた。
「重ねて言うが他言無用だ」
「むろんですが……だとすると、陛下は超級魔法士というものをご存知ですか?」
「……いや、寡聞にして覚えがないが」
侯爵は少し思い詰めたような表情で彼の想いを語り出した。まだ誰にも話したことのない彼の思いを。
「年配の一級魔法士の間に伝わる伝説だそうです。この世には一級魔法士を凌ぐ霊力を持つ者がおり、超級魔法士と呼ばれていると」
「まことか?」
「全世界で数人しか存在せぬという話でした。そして他ならぬ姫さまもそのお一人ではないかと。私はあのアオイという少女もそうではないかと考えております」
侯爵が言葉を切ると二人はともに黙り込んだ。すぐには言葉が出てこない。ややあって国王は「まいったな」と頭をかいた。
「そんな話を聞いてしまってはますます難しくなったな」
「なにがでございますか?」
「なあ侯爵、貴公にとっても王家にとってもあの二人、アオイどのと黒騎士どのはたいそうな恩人であるということに異論はないな?」
「ええ、間違いなく」
「実はそれで困っているのだ」
一瞬意味が分からず侯爵は怪訝な顔だ。はて? と国王の顔を見返すと彼の主君は本当に困り顔で言った。
「褒美だよ、褒美。考えてもみろ、あれだけの功績に対して与えたのが屋敷一つに過ぎん。釣り合いが取れると思うか?」
「なるほど確かに」
「だろう? ところが城はいらん、金貨もいらん、爵位もいらんと断られてしまってな。これでは他の功績ある者にもなにも与えられなくなってしまう。ここはどうあっても褒美を受け取ってもらわねば困るのだ」
国王の悩みの正体を知って侯爵は失礼と思いながら微笑した。自分も同じような理由でこの王を困らせていたことを思い出したのだ。
「私がいうのもなんですが無欲にも程がありますな」
「そう思うならいい知恵を出してくれ。あの二人はなにを欲しがると思う?」
さて、と考え込んだがとっさにはこれというものが思い浮かばない。あの両名は頭抜けた力を持ちながら堅実に暮らすことを第一としているらしい。居心地のいい屋敷を捨てて城に住むことを喜ぶかといえばそれはあるまい。金貨はあるに越したことはないが、すでに魔法道具の開発でそれなりの収入もあるらしい。自由な暮らしを望んでいる彼らに爵位など与えても気づまりなだけだろう。となると……。
「これは確かに難問ですな。姫さまのご意見はいかがです?」
「彼らが旅から戻るまで待て、だそうだ。おそらくさまざまなものを見、考えを深めて帰ってくるだろうからその時点で望むものがあれば彼らの方から願い出てくるやもしれぬ。そのとき即座に叶えてやればよいと」
「さすがは姫さま。それでよろしいのでは? 無欲な者にはなにを押し付けてもありがた迷惑でしょうからな」
「うまく逃げたな」
「いえ、今のところはよい落とし所かと」
国王は「はあ」と椅子に背を預けた。ありがた迷惑と言われては仕方がない。
「やむを得んな、この件は一時保留としよう。それはそうと、今更だがあの二人は何者であると思う? 国王にあるまじきことだと言われそうだが俺はいまだにそれを知らんのだ。クーリアは何か知っているようだが話してくれん」
「
「それは俺も聞いた。だがそれがどこにあるか誰も知らん。黒髪、黒い瞳、肌の色、どことなく異国風の言葉……確かに異教の地の出身だろうとは思うが」
その点はあまり詮索するなとクーリアに釘を刺されているので国王の声はいくぶん小さい。
「人種的特徴というなら、世界大陸、それも中央の覇者といわれる王天連邦皇国、あの辺りの人々にそのような特徴の者が多いと聞きますね」
「あの大国か。ずいぶん遠いと思うが」
「私も一件以来、少しばかり魔法士というものについて調べてみたのですが……かの国には
「九天玄女……というと女だな」
国王はやや遠い目になってつぶやいた。
「はい、黒髪に黒い瞳の玲瓏たる美姫であるそうな」
「まさかアオイどのがその流れを汲む者と?」
「そうは申しませんがそうであっても不思議ではないとも考えております」
国王は唸ったが、これは容易に触れてはならぬという気がして考えるのをやめた。とんでもないものが飛び出してきそうな予感がしたのだ。
「やめておこう。これ以上の詮索は恩を仇で返すことにもなりかねん。そんなことになってはクーリアにもルシアナにも顔向けができんからな」
同感ですなと答えた侯爵を促して国王は立ち上がった。溜まりに溜まった仕事が彼を待っている。
やれやれとぼやきながら国王は今日もまたその紙束の山に立ち向かっていくのであった。
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