第59話 出会いと交錯 その3


(承前)



 ブンデスの州都セリア——。


 ファーラム西部を北から下ってきた街道はここで分岐し、一方はローリエ、ブージュ、カヌートの南部三洲へ向かい、もう一方は首都オルコットへ通ずる。いわば国内西部地区における道路網の拠点のひとつであり、交易の要所ともいえる主要都市である。


「人口八万強か、さすがに大きいな。風景が違う」


「賑やかなのが一目でわかるね」


「交通のジャンクションが栄えるのはどこも同じか」


 葵と恭一はセリアへ流れ込む古い道の一本から街へ入ろうとしていた。


 あれから二日、予想より少し早めの到着だった。カルル・クストーと名乗ったあの男やその仲間らしい気配を感じることもなく、二人は相変わらず寄り道しながら馬を歩ませてきたのである。


 交通の要所だけあって街道を外れても人の行き来は活発で、すれ違う人、馬、馬車の数はトールセンの近辺とは段違いだ。まだセリアの街外れといったところなのに二人の黒ずくめの格好がさして目立たない。田舎道ではよく振り向かれたものだが。住民が皆顔見知りばかりという村や町とは違ってここは都会なのだ。


「ほう、城壁があるな」


 恭一が面白そうに目を細めた。首都オルコットは開放型の都市だったので城壁らしいものは王宮の周りにしか見られなかった。州都クラスの都市にはそれなりに堅固な城壁があることは聞いていたが、間近に望むセリアの外周は高さ五メートル近い壁で囲まれていた。


「なんか中世ファンタジーっぽくなってきたね」


「国境付近の小競り合いに備えてか? ここはまだ内地のはずだが」


「ここにも戦国時代があったんじゃない?」


「なるほど、そういやそんな話も聞いたな。ブンデスとブージュがあまりに揉め続けるので間に細い緩衝地帯を作ったのがローリエの起源だと。今の形で落ち着くまでは隣国どころか隣の州にも備えが要ったわけだ」


 今では歴史の遺物とはいえ壁で内と外を分けている以上、街に出入りするには「門」を通過することになる。明らかに不審な人間は排除するのが道理であるからここで身分証、手形、紹介状といったなんらかの証明書を提示して街へ入ることになる。ただ、すでに国内が安定して久しいので形ばかりのゆるい審査でしかなく、顔なじみらしい商人などは挨拶だけで出入りしていた。


 だが恭一が懐から取り出したあるものを見て門の係官は飛び上がるほど驚いた。王宮から直に発行された身分証は近衛隊最高士官クラスに相当する最上級許可証であったのだ。肩書きは近衛隊剣術師範となっており、王宮を含む国内の公的施設はどこであろうと立ち入ることができる。


 ついで葵が差し出した書状を見て係官は今度こそ目を回した。こちらは宰相名で発行された第一|王女最高顧問の証明書である。王宮官吏の最高位職印が押捺された書状など地方で見る機会は十年に一度でも幸運といえた。


「あ、あの、此度はどのような、そ、その、城内に逗留なされるのでしたら直ちに手配を」


「いや、それには及ばない。南へ向かう途中、数日足を休めたいと立ち寄っただけだ。公務ではないのでな、あまり賑々しくされるのは困る」


「でしたら城へは」


「そうだな、あいさつもなしではご城主に失礼だろうから発つ前にでもうかがおう。そう伝えておいてくれればけっこうだ」


「かしこまりました。では滞在はどちらに」


「寝床にまで顔を出す気か? 野暮は言うな」


 恭一がそう言って葵を抱き寄せると係官は勝手に誤解して勝手に恐縮した上で丁重に送り出してくれた。


「あれでよかったか?」


「うん、これで黙っていても城には入れるし」


「城主は裕福な地方貴族の出だが凡庸な人物だと聞いている。珍しいな、葵のほうから顔が見たいとは」


「まだ漠然としてるけどそうしとくべきだって感じるの。なんかいろいろ繋がりそうな気がする」


「わかった。覚えておく」


 街は昼どきで賑わっていた。古典的な城塞都市なので面積はさほどでもないが、人口はオルコットの六分の一に達するので人口密度はかなりのものだ。交易で繁栄しているとあっては当然の賑わいだ。


 ファーラムの七つの州にはこの規模の都市が九つ存在するという。それ以外は千人から一万人ほどの村や町が散在している形なので州都クラスの規模は突出しているといえよう。


 ゆっくり馬を進めていくと交易の中継地らしく荷物を積んだ馬車が頻繁に行き来しているのが目につく。物資が集まるところは繁栄する。ここは観光や文化ではなく商業の街なのである。行き交う人に旅慣れた格好や装束が目立つのもそのためだろう。


 街の中央やや南に内壁で囲まれた城があった。名をカットナー城という。巨大な煉瓦をそのまま置いたような無個性な外観はこの城が公城こうじょう、すなわちこの地を治めるべく建てられた官庁と軍の拠点としての城であることを意味している。たいていは王宮からほうじられた貴族が城主を務める。県知事、もしくは領主といえば近いだろうか。


 城には主にふたつの性格がある。ひとつはこのカットナーのように公的な施設としての城、もうひとつはダンテス侯爵のラントメリーウェルのように個人または一門に国王から下賜されたいわばプライベートな城だ。後者は大変名誉なことであるから末代までの誉れとなる。


「どうりで実用一点張りの造りなんだ」


「まあ役場と軍の詰所ってところだな。葵の言うとおりなら昔はもう少しいくさめいた構造だったかもな。それより昼にしよう」


白鹿亭しろしかていだったね、行ってみる?」


「ああ」


 通行人に「中央北の通り」を尋ねると街のど真ん中、繁華街の一角であった。


 白鹿亭しろしかていは黒鳥亭の系列店かと思うほど雰囲気の似た店で、店の横に二階へ通ずる階段があった。宿はそちらということだ。


店の裏手に厩舎があるのはレストランの駐車場のようなもので、こちらでは珍しくない造りである。馬を預けて店内に入ると昼どきとあって賑わっていた。隅のテーブルに陣取って注文する。この時間の繁盛店はどこも大忙しなのでたいていメニューはひと皿のみである。


 肉と野菜、それに葵が「にせスパゲティ」と呼ぶ細麺のパスタらしきもの。これがけっこうなボリュームで出てくる。むろん食の細い旅人などいないから葵たちも勢いよく腹に詰め込んでいく。繊細な味とは言い難いがこれはこれでうまかった。


 満足して店を出ると、荷を満載した馬車が列をなして目の前の通りを過ぎていくところだった。荷駄を積んだ馬も十数頭は従っていてちょっとした隊商である。脇を兵士が固めているので城へ運ばれる荷なのかもしれない。


「景気よさそうね」


「経済が回っているのはよいことだが、さて、流通や物価のほうはどうかな」


「お城の悪代官が牛耳っているとか?」


「発展は腐敗の友だからな。両者の比重が逆転する分岐点が必ずくる。それを見逃すとあとは急坂だ」


「それは高城家の経営哲学?」


「一般則だ。名を馳せる経営者はそういう視力が優れている、だそうだ」


「たいへんだねえ、帝王学」


 二人同時に吹き出す。そのまま脇の階段を昇って二階の扉を開けると小さな鈴の音が鳴った。


     ***


 カットナー城はなんの変哲もない平城である。 城壁こそあるものの戦を想定した砦ではなく、統治のための実用品としての城だ。内部もいたって均質かつ簡素で華美な装飾などとは無縁である。それでも権力が集中する場所なのでそこを本拠とする人々にとっては最重要施設である。


 今、一人の官吏が城の回廊を足早に歩いていた。なにやら慌てている様子が一目でわかるうろたえぶりで、ノックも忘れてとある重役の部屋の扉を引き開けた。


 そしてしばし——。


 室内では一報をもたらした男がもう一人の男と深刻な顔で額を寄せ合っていた。


「確かか?」


「確かだ、城主に報告が上がるのをしかと聞いた」


「このような時期になにごとだ。春まで中央の監査が入る予定はなかったはずだぞ」


「公務ではないと申したそうだ。女連れの私的な旅と称していたそうだが」


「そのような戯言、真に受けるわけにはいかん。にしても解せんな、抜き打ちの査察なら中央の連中から早馬で報せが届くはずだが」


 両者はそこで沈黙し、部屋の主人がぼそりともらした。


「よもや密偵、ということはなかろうな?」


「わからん、目つきの鋭い男だとは聞いたが」


「近衛隊剣術師範だと? どんな男だ」


「黒ずくめの若い騎士だそうだ。見るからに腕の立ちそうなやつらしい」


 そう聞いた男の眉がちりっと跳ねた。


「黒ずくめの騎士だと?」


「連れの女もだ。黒いマントで宰相名の書状を持っていたというぞ」


「名は?」


「男のほうは聞き損ねた。女は確かアオイ、アオイ・キサラギと名乗ったそうだ」


 それを聞いたとたん、男は思わず大声を上げた。


「なんだと!」


 愕然としたその様子に報せを持ってきた男は驚いた。めったに声を荒らげたりしない男の顔色が変わっているのだ。


「それは……事実か?」


「あ、ああ、そう聞いた。どうしたんだ兄上、いきなり」


「これは由々しき事態だ、ゲールたちと策を考えねば」


 男は血相を変え、相手は呆気にとられた顔だったが、どうやらただならぬ事態であるらしいと察して言葉を呑み込んだ。話はそこで打ち切りとなり、兄弟らしい二人は緊張もあらわに部屋を出ていった。


 二人は回廊を行き交う人々が思わず前を空けるほど難しい顔で歩いていく。兄と呼ばれた男はこの城の重鎮であったので誰もが頭を下げるのだが見向きもしない。足音を響かせて向かった先は兵部監と札のかかった部屋であった。やはりノックもせずに扉を開けて入っていく。


 室内には二人の男が待ち受けていた。


 ともに険しい顔つきである。入ってきた兄弟を見る目はすでにその用件を心得ていると告げていた。


「来たか、こちらから出向こうと思っていたところだ」


「たった今、弟から聞いたばかりだ。ゲール、これは捨ておけんぞ」


「わかっている。私もマダレーも同意見だ」


 そう答えた男は傍の男とともにうなずいて自らの執務机を離れた。四人とも部屋の中央に立ったまま互いの顔色を確認した。先ほど弟と呼ばれた男以上に他の三人の表情は厳しい。


「グレン、この事態をどう思う?」


 尋ねたのはゲールと呼ばれたこの部屋の主、そして答えたのは来室した「兄」のほうである。


「正直、唐突な話で意図は計りかねる。だが女の名がアオイ・キサラギと聞いてはただ事とは思えん。事実なら男のほうは間違いなく黒騎士だ」


「私もそう思う。まさかここでその名を聞くことになろうとは」


 するとマダレーと呼ばれた男が口を挟んだ。でっぷりと太った中年男で、ゲールが同年輩ながら均整のとれた体つきなのと比べると十歳は老けて見える。


「オルコットでは知られた者たちという噂は聞いているが、それだけではわからん。そいつらはそんなに厄介な連中なのか?」



     ***************



 本年最初の更新です。2024年もどうぞよろしく。

 この第三部、今読み返すと葵も恭一もずいぶんのほほんと旅をしているなあと感じます。現在手元で進行中の第六部などは大変な事態になっていて隔世の感があります。

 いずれストーリーがそのあたりまで進めば作者のその実感もおわかりいただけると思いますが、ともあれ、今は二人の旅路にお付き合いください。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る