第60話 出会いと交錯 その4


(承前)



 グレンの弟も兄の動揺が今ひとつぴんとこなかったのでこれには同感だったようだ。


 密偵の可能性のある中央からの旅人、それは確かに警戒を要するが、常にふてぶてしい兄たちがなぜここまで動揺するのか解せない。


「ゴルタもマダレーも今年の夏至祭での騒ぎについて聞いたことはないか」


「夏至祭? なんのことだ」


「聖天の儀が行われている場に暴漢たちが乱入し、祭祀の最中だったクーリア王女に斬りかかったのだ」


 ゴルタと呼ばれた弟も、尋ねたマダレーも目をむいた。初耳だったらしい。


「……まさか、それでどうなったのだ」


「その場に突如現れた黒ずくめの旅の騎士が暴漢たちを一瞬で打ち倒してことなきを得た。その騎士は誰言うともなく黒騎士と呼ばれるようになり、連れの娘とともに国王陛下から褒賞として王宮直下に屋敷を賜ったそうだ。その娘の名がアオイ・キサラギ。屋敷はキサラギ館と呼ばれ今では近衛隊の重鎮やクーリア王女自身も出入りするという」


「……つまりその女は」


「ああ、今やクーリア王女の懐刀と言われているらしい。恐ろしいほどの切れ者だそうだ。魔法士だという噂もあるが本当のところはわからん」


「信じられん、そのような大物がなぜ……」


「男のほうも恐ろしいぞ。陛下の立会いのもと、あの岩のガーラと剣を交え見事にこれを退けたという」


「ばかな、四大騎士の一人ではないか!」


「事実だ、試合は数百人からの見物人の前で行われた」


 四人全員が沈黙した。噂も多分に含まれているとはいえ、そのような大物が首都を離れてこんな地方の一都市を一体どのような理由で訪れたのか。考えだすと不安がつのってくる。そう、彼らはそれだけの事情を抱えていたのである。それは——。


「とにかく情報が足りん、連中の目的を探らねば」


 グレンが沈黙を破り、皆が顔を上げた。


「噂に怯えても仕方あるまい。居所を突き止め、名目をつけて城内においで願おう。どのような人物かこの目で確かめんことには手の打ちようがない」


「城主に断りもなく勝手にそのようなことをして大丈夫か」


 マダレーが危惧をもらしたが、グレンは嘲る口調で言い捨てた。


「あのようなぼんくら城主、どうとでもごまかせる。それより——」


 男たちの密談はそれからしばらく続いた。


     ***


 少し街をぶらついて宿に戻ると葵あてに伝言が届いていた。


「誰から?」


「主人に頼まれたとかで名乗られませんでしたが旅商人風の若い方でしたよ。署名は中にあるからとおっしゃっていました」


「そ、ありがと」


 受け取って部屋に戻ると封を切って軽く目を通す。そのまま無言で恭一に手渡すとこちらも一瞥して「ほう」ともらしただけだ。文面には簡潔にこう記されていた。


 ——過日借用した明かりを返却いたしたく候。今宵、海神の刻、西南の神殿跡にて商人若干名とともに待つ。行き倒れの店主より——


 海神の刻というのは例のエルムに倣った時刻の表し方である。多少気取った言い回しとして使われるもので午後八時を意味する。


 恭一は署名を見て「意外と洒落のわかるやつじゃないか」と笑い、葵も「開き直ったかな」とこちらも瞳をきらめかせた。


「思ったより早かったね」


「ここが連中の地元なら街のあちこちに目配りはしてるだろうからな。ちゃんと話のできるやつが出てきてくれるといいんだが」


「あの人は中ボスって感じだったけどそれ以上の人が出てくると思う?」


「どうかな、お互いまだ正体不明だ。とりあえず話をして探りを入れてみようって気になったんだろう」


 あの男たちが何者であるにせよ、ブガのような小さな町にまで根を張っているからにはかなりの勢力を持っていると思われた。それも城の兵士に狙われるような連中だ。非合法の犯罪組織には見えなかったが、なんらかの理由で表には出てこれない者たちらしい。


 かかわるにしてもまず相手を知らねばならない。カルル・クストーという接点ができた以上、その先の情報がほしいところだった。それからどうする、というのはまだ白紙だ。


 王宮や近衛隊と良好な関係にあるといっても葵たちは彼らに仕えているわけではない。むろん密偵などではないし、頼まれても引き受ける気はない。なにをどう判断し、誰とかかわるかはすべて自分たちの裁量で決める。そこに自由というものの価値があるのだ。


 葵の勘は今「踏み込め」と告げていた。


 あの男とかかわることにはなんらかの意味がある。そう感じたからこそ瀕死の男を救ったのである。男の命をつなぐことが望ましい道へとつながるのだと。


 如月葵にとって道とは未来の同義語である。時として彼女を導く不可視の示唆はその道の彼方から響いてくる時の声なのだ。


 葵はもう一度書状を手にして目を閉じ、心を済ませた。期待はしていなかったが伝わってくる印象はやはり希薄だ。あの男の顔、墓石の前にたたずむ数人の影、カットナー城の殺風景な外観、そして顔のわからないもう一人……。


 情報として意味がありそうなのはそのくらいだ。漠然として相互の関係も意味も不明である。


 占いに無理な意味づけは禁物だ。無意識の思い込みがミスリードを誘い、解釈を誤る。葵は経験上それをよく知っていたので今のところは判断保留のままにしておく。どのみち今夜になればなんらかの知見が得られるはずだ。考えるのはそれからでも遅くはない。


 夕食にはまだだいぶ間があったので恭一は風呂に入り、葵は例の本を取り出して日課になっている魔法の独習に取りかかった。


 遠見の魔法に関してはおおよそのコツは掴んだのでもっぱら使いこなしの工夫を考えているところだ。本に書かれているのはもう何百年も前の技術で、そこから先の進展については書かれていない。術そのものが途絶えてしまったので当然なのだが、この魔法にはもっと多様な可能性があると葵は直感していた。


 見ることは知ることにつながる。知ることは理解につながる。理解できれば操ることも可能だ。ゆえに見ること、そこから想像することは魔法にとって大きなファクターなのである。


 両手の間に遠見の術の魔法陣を浮かべてみる。最初は五分近くかかったものだが今では数秒にまで短縮できている。発動の鍵はイメージの喚起力なので慣れればさほど困難ではない。


 ここで視界を外に広げれば魔法陣の上に投影することができるのだが、ふと思い立って一度解除し、今度は心の中に思い浮かべた魔法陣にそのままルフトを呼び込んでみた。


 一瞬で視界が変わった。


 まるで足下の床が抜けたかと錯覚したほどで思わず小さな声が漏れた。肉眼で見ている室内の光景に外の景色や一階の白鹿亭の店内が重なって見えるのだ。前後左右、いや上下も含めた全周囲の視界が広がっているのである。しかもCGのような異様な鮮明さである。とうてい人の視界とは思えない。


 おっかなびっくりでそろりと立ち上がってみる。床は見えるが、同時に足下の白鹿亭の店の様子も重なって見える。こうした映像に慣れてない認識のほうが混乱して足下がおぼつかない。慎重に元の寝台に腰を下ろしてほうっと大きなため息をもらした。


「もしかしてとは思ったけど」


 まさかここまでとは想像できなかった。


 魔法は霊力とルフト、イメージで造形した回路である魔法陣、この三つが揃えばいいのだから心の内側だけで処理できても不思議ではないはずだ。葵はそう考えて試してみたのだが、結果は予想を超えていた。


 魔法陣は必ずしも外部に投影する必要はなく、魔法は自身の内側に発現させることも可能なのだ。 


 見上げると天井を透過して青空が見えた。少し視線に意識を込めると光点をばらまいたように星が輝き出す。まだ陽の高いこの時間にだ。視線を戻すと浴室で気持ちよさそうに風呂につかっている恭一の姿が見えてくすっと吹き出してしまう。周りを見回せば、といっても意識を向けるだけだが、セリアを囲む壁の向こうまで見通すことができた。


 もう魔法陣の上に幻影を浮かべる必要はなかった。遠見の術にはまだ先があったのだ。葵は自分が次の一歩を踏み出したことを知った。同時にこの光景を恭一にも見せてあげたいと思った。


 あたしたちは夫婦だ。二人で同じ世界を見ていたい——。


 そのまま深く考え込んだ葵は恭一が風呂から出てくるのを待って呼びかけた。


「恭一、ちょっとこっちに」


「ん?」


 ここに座って、と寝台の自分の隣を示した。髪をタオルで拭きながら上半身裸の若者は葵の隣に腰掛ける。発達した強靭な筋肉のキレが素晴らしい。ガーラの剛剣をまともに受け止める膂力は恭一の鍛錬が尋常ではない証拠だ。


「どうした」


「ちょっとした実験」


 いたずらっぽく笑って右手を差し出し「手を」とうながす。恭一がなにげなくその手を取ると同時に「うっ」と小さく声がもれ、体が緊張で硬くなった。


「ちょっと待て、葵、これはなんだ」


「落ち着いて、足下の白鹿亭の様子が見えてる?」


「……見える、いったいどうなってるんだ」


「ぐるっと周りを見て。街の様子が見える?」


「……見える」


 そうつぶやいた恭一の驚きが手のひらを通して伝わってくる。葵はイメージの中の魔法陣のコピーを恭一の中に投影したのである。理屈はカプリアと同じだ。霊力のない人間でも発動している魔法を体内に持つことで同じ視界を共有できるのでは、と考えた結果がこれだった。


「さっきね、気がついたの。遠見の術は自分の中に発動させてもいいんだって。そのコピーを恭一の中に投影できたらと思って」


「……たまげたな、目が回りそうだ。人間の視界じゃないぞ、こいつは」


「漠然と見てると目が回るからどこか見るポイントを固定すると楽だよ」


 そのアドバイスが効いたのか、恭一の緊張が徐々に解けていく。


「……少しわかってきた。しかしこれは葵が見せているんだろう? なのに俺が視点を自由にできるってのはどういう仕掛けなんだ」


「あたしも初めてトライしたからそのへんはまだよくわからない。この状態だと視界全体は同じだけど視点は別々ってことでいいみたいね。恭一、今、昼にくぐった城壁の門を見てるでしょ」


「わかるのか?」


「なんとなく。そっちはどう? あたしがどこを見てるかわかる?」


 少し間を置いて恭一が「城か」と答えると葵はピンポーンと笑った。


「なるほど、そういう感覚も共有されるのか」


「いろいろ試してみないとわからないことだらけだけど、これは特訓の価値あるよ」


 葵は楽しげにそう言うのだが、恭一はまだ少し目が回る気分だった。借り物とはいえ自分が魔法を使っているという感覚、目の当たりにした広大な視界の驚異、そしてこの術の持つアドバンテージの大きさに。


 葵が魔法を解除し、視界が通常に戻ると恭一はこの豪胆な若者には珍しく大きなため息をもらした。


「まさかこんなことが可能だとは」


「目を回さないために恭一も明日から魔法の訓練だね」


 葵は明るく笑い、恭一は苦笑して肩をすくめた。


「しかしこの術は大昔に途絶えたと言ってなかったか? だとするとほかの魔法士たちはあの光景を知らないのか」


「たぶん。あの本にもここまでは書かれていなかったし」


「いよいよ前人未到か」


「二人並んでね」


 輝く葵の瞳が映し出すのは二人揃っての未来だ。恭一は隣に座った少女をそっと抱き寄せた。


 伴侶の唇はこの上もなく温かく、そして柔らかい……。

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