第27話 旧世界の影 その4
「これです」
そう言ってクーリアが差し出したのは直径二十センチほどの薄い円盤だった。
磨きあげられた淡い青緑色の表面は光沢のある細かな模様で飾られていた。四重の円と複雑な幾何学模様、そして古代文字と思しき記号の列が精緻に組み合わされ、美しい装飾品のようである。
ここはクーリアの居室、人払いをして侍女たちも下がらせた室内にいるのはクーリアと従騎士リーン、そして葵と恭一の四人だけだ。
「うーん、これはどうみても同じ物だよ。どう思う?」
渡された恭一もその手触りや表面の装飾などをじっと精査する目で答えた。
「文様については細部まで記憶しているわけではないが、俺にも同じ物に見える」
「まさかとは思ったけど謎は深まったね」
葵は円盤の裏面まで指先で念入りに感触を確かめてこう続けた。
「うちのご神体がカプリアだったんじゃないかって予感はあったけど」
彼女たちが手にしているのはクーリアが夏至祭で使ったカプリアである。聖天の儀に使用されるそれは古くから神殿に保管されてきたものだが、刻まれた魔法陣は単に儀礼用の幻を生むだけの代物だ。
そのはずだったのだが——。
天元神社のご神体が実はカプリアだったのではないかという疑いは最初からあった。こうして実物を前にするとそれが事実であることはほぼ間違いない。
ではなぜ異世界の遺物が天元神社に伝わっていたのか、なぜただの幻を生むだけの代物が不可解な現象を起こしたのか、謎は深まるばかりだった。
「考えられることは」
恭一が思案顔でつぶやく。
「向こうとこっち、移動したのは俺たちが初めてではない、という可能性だ」
「神社の縁起についておじいちゃんが言ってたけど、うちは相当古いよ。天元神社はマイナーだけど歴史は神代の時代にまで遡るって。あたしは話半分に聞いてたけど」
「とすると少なくとも千年かそれ以上ってことになるな。こちらでカプリアが一般に知られる前か」
「魔法や魔法陣が厳重に秘匿されていた古の出来事、ということでしょうか」
クーリアも考え深げだ。聖天の儀で使った魔法陣に特別な力があるとは思えない。それは彼女自身がよく知っている。規模は小さいが、例年、神殿の巫女たちが同じ魔法陣を顕しているのだ。むろん異常な現象など起きた試しはない。
「カプリアが公式に発見される前から一部の魔法士たちはその性質を知ってたのかも。今とは違う魔法と一緒に」
「ありうるな。もしかすると魔法そのものと同じくらい古いのかもしれん」
「古代には召喚魔法みたいな術が存在してたとしたら、誰かが向こうへ渡ってカプリアを伝えた、あるいは残した」
「単に起き忘れただけかもな」
葵も恭一も小さく苦笑をもらしたが、この謎は今すぐ解けるようなものとも思えない。クーリアも神殿の古い資料を当たらせているものの、古文書の類は膨大で結果が出るのはいつになるか定かではない。
「ねえクーリア、これって本当にただの幻を作るだけのものなの?」
「そのはずですが……」
「あの時の挙動からするとそうは思えないんだけどな」
「ですがこれも数百年前から使われてきたものです。その間、一度として異常があったとは伝えられておりません」
「これ一枚では、ね」
そう言って瞳をきらめかせる葵に他の三人は怪訝な表情だった。
「葵、なにを考えている」
うん、もしかしてだけど、とカプリアを手の上で弄びながら葵は言った。彼女にも確信があるわけではなさそうだが、その言葉は恭一たちの意表を突いた。
「これってさあ、二枚で一組ってことはないかな?」
「というと?」
「二枚セットで発動して初めて本当の働きをする、とかどうかな? あの時の状況からすると向こうとこっち、ほぼ同時にこの魔法陣を発動させたんじゃないかと思うの。偶然だけどね、それで」
「本当の力が発動したと?」
うん、とうなずく葵にクーリアも考え込んだ。一枚だけではただの幻、だが二枚同時に使えば……。
「そんな可能性は考えたこともありませんでした。もしそうだとしたら」
葵は「あーあ」とカプリアをテーブルに置いて「まいったな」とつぶやいた。
「アオイさま?」
「だってそうだとしたら向こうで誰かがあのカプリアを発動させてくれなきゃ道が開かないってことでしょ、それもこっちと同時に。ハードル高すぎるよ」
葵はそう言って頭を抱えた。帰還のための唯一の手がかりがこれでは前途多難だ。
「そう悲観したものでもないんじゃないか」
「恭一?」
「さっきの話に戻るが、最初に向こうへ飛んだやつはどうやったんだ? 向こうにカプリアを発動させてくれる誰かがいたわけじゃないだろ」
あ、と三人が顔を上げた。そう、異世界との壁を越えた先駆者がいたのなら、少なくとも最初は自力で向こうへ渡ったことになる。二枚ひと組のカプリアとは別の手立てがあった可能性があるのだ。
「そっか、そう考えれば理屈に合うね」
「可能性はあるんだ、絶望する必要はない」
「となると、ますます古い魔法や魔法陣の研究が必要だなあ。本に出てた実在しない魔法というの、本気で探さなきゃ」
「おとぎ話や神話伝説の、というあれか」
「少なくとも敵はその一部を知ってるのは確かだよ。こっちも早いとこ手がかりくらいは見つけないと」
時刻はすでにかなり遅いが、一筋縄ではいかない話が続いていた。だが葵は話すことで思考が明瞭になるタイプであり、恭一の冷静な示唆が後押ししていた。この時もほんの思いつきだったが、あとで考えれば無意識のロジックが導いたヒントだったのかもしれない。
葵はテーブルの上に置いた円盤に軽く両手を添え、じっと目を凝らした。クーリアが気がついた時にはもうそれは始まっていた。
円盤表面の文様が明るく輝きだしたのだ。
「アオイさま、なにを」
一同がはっと目をみはる中、直径三十センチほどの精緻な光の形象が円盤の十センチほど上の空間に浮かび上がる。円盤の文様と寸分違わぬそれはゆっくりと回転を始めた。金色の光で象られた美しい魔法陣であった。
「もう一度よく観察してみようと思って。これが全ての始まりだった可能性は高いし」
「やはり同じに見えるな。しかしこれでもう発動状態なのか?」
「まだ。今のこれは単にカプリアの働きで自動的に出現してるだけ。術者が本格的にルフトを呼び込まない限りたぶんこのまま」
違う? とクーリアに確認すると彼女もうなずいた。
「はい、ここまではカプリアの力なので微弱にでも霊力があれば誰にでもできます。ここから先が魔法士の力で、どれだけ明確な幻像を心に描けるか、その幻像をどれだけルフトで拡大できるか、というところですね」
恭一とリーンもただの小さな幻像にすぎないとわかってのぞき込んだ。
「きれいですね、この大きさだと光の装飾品のようです」
「細かな部分は記憶にないが中央の文字列も同じなのか?」
「エレ・ツヴァウ・アザト・オルデラン・ミウミル・ハザ・ルミトゥ・ダフネ・ミ・エンタルヴァ・クシ・ラムウ……。我、夏至の太陽の下に立ちて豊穣の神に祈らん、天と地の約定に従いて恵み多き次の
クーリアが「まあ」と目をみはった。
「アオイさまはどこでそれを? 私は幼い頃に神殿の博士たちから読み方や意味を教わったのですが」
クーリアによれば一般の魔法士たちは読み方自体は学ぶがその意味するところを知らず、ただの呪文として唱えているのだという。
「それを聞かれると困っちゃうんだよね、なんとなく浮かんでくるの。理屈はあたしにもわからない」
「驚きました、あなたはやはり特別な才をお持ちなのですね」
「それよりどう? これ、やっぱりあなたが作った魔法陣と同一?」
「そう見えます。この中央の古代文字は
「だけどこれ、やっぱり怪しいよ。ただ幻影を映し出すだけにしてはやけに複雑だと思わない? 基本円は四重だし図形もずいぶん込み入ってる。いかにも高等魔法って感じ」
葵の言葉に他の三人は改めて目の前の美しい幾何学模様に見入った。
「そんな見方をしたことはありませんでしたが……そう言われると」
「確かに。幻影の表示回路にしてはオーバースペックって感じだな」
「でしょ、この図形は今までに見た光や風とかのどの系統とも違ってる。あたしも簡単なやつは自分で解読できるようになってきたけどこれはなにを仕込んであるのかわからない。まあ、お祭り用に単にきれいな図形にしただけって言われたらそれまでだけど」
クーリアも真剣に考え込んでいた。
葵に指摘されるまで目の前の奇妙さに気づかなかったのは迂闊だった。言われてみれば確かにおかしい。
幼い頃から何度も見てきたこの魔法陣にそうした疑問を抱いたことはなかった。それは彼女にとって魔法陣の取扱いがあまりにも日常的であったからだろう。考える、ということに自分が無自覚であった証拠だ。
「おっしゃるとおりですね。なぜこの奇妙さに気がつかなかったのか」
「んじゃ、もうひとつ実験」
そう言って葵がテーブルの上で軽く両手を広げると浮かんでいた魔法陣が一回り大きなものに拡大された。直径にして五十センチほどだろうか。
「これはもうカプリアの幻影じゃなくあたしがルフトで保持してる。規模は小さいけど幻じゃないよ。クーリア、あなたもやってみて」
「アオイさま?」
「この上にもうひとつ同じものを作ってみて」
なるほど、と恭一はすぐにその意味を察したようだった。
「再現実験か」
「うん、せっかく魔法士が二人いるんだからね」
クーリアも葵の意図を知って「それでは」とテーブルの上に軽く目を凝らした。さすがに神官長だけあってものの十秒もしないうちに無数の光点がきらめきだした。みるみる形を整え、正確な四重の円と幾何学模様に成形されていく。中央の文字列が浮かび上がると二つ目の魔法陣が完成し、最初の魔法陣の数十センチほど上でゆっくりと回転を始めた。
リーンが目をみはり、恭一も「ほう」と身を乗り出した。二つの魔法陣は細部に至るまで同一で寸分も違わない。
「これでよろしいでしょうか」
「んー、やっぱなにも起きないか」
葵も都合よくなにかを期待したわけではなかったが、少し残念そうな顔だった。
「二枚セットで変化があれば、と思ったんだけど」
「条件は同じなのか? あの時と違いはないか?」
恭一がリーンに確認すると女騎士は頼りなげに首を振った。
「さあ、あの時は上の魔法陣があまりにも大きくてただただ驚いていましたので……あ、そういえば!」
なにか思い当たることがあったらしくリーンは上の魔法陣を指差した。
「あの時、二つの魔法陣は互いに逆方向に回ってました。これだと上のが逆です」
あら、とそれを聞いたクーリアは瞳をきらめかせた。彼女がルフトの流れを軽く操作したのが葵にはわかった。ほんの数秒でクーリアの魔法陣は回転の向きを変え、葵のそれとは逆回転になった。
そのとたん、二つの魔法陣の間に青白い光が迸った。スパークするような音も聞こえた。明らかにそれまでとは違う挙動だ。
あっと全員が声を上げた。
「葵、ビンゴかもしれんぞ」
恭一が鋭い目でつぶやき、リーンは口元を押さえた。クーリアもまさかという顔だ。
「アオイさま、これは……」
「相互に反応してる、やっぱり二つ同時使用の仕掛けがあるんだよ」
二つの魔法陣の間には糸くずのような細い光が絶え間なく閃き、その都度黄金の幾何学模様や古代の文字列が明滅していた。のみならず、次第に間の空間に不可視の力感が満ち始めた。霊力のない恭一やリーンまでが胸騒ぎを覚えるほどなにかが圧力を高めているのだ。
「葵、一旦解除した方がよくないか、なんかヤバい感じがする」
「同感、これはちょっと」
葵にもその予感はあったのだろう、集中を切って魔法陣を解除しようとした。
だが、その判断はわずかに遅かった。もういいよ、とクーリアに告げようとしたその時、二つの魔法陣が閃光を発して砕けたのだ。全員があっと叫んでのけぞるように立ち上がったが、はじけたルフトの余波で目が眩んだ葵は椅子ごと転倒するところだった。床に手をついてなんとか踏みとどまったものの、軽いめまいに襲われていた。
「大丈夫か、葵」
「あっちち、まずった……ごめんクーリア、そっちは大丈夫?」
「……なんとか」
「ほんとにごめん、ちょっと軽率だった」
霊力を持たない恭一とリーンには一瞬の閃光だったが、葵やクーリアには思いがけない衝撃だった。軽く頭を振ってめまいを追い払う。
「大丈夫です、でも魔法陣が砕けるさまもあの時とそっくりでした」
「これは迂闊な実験はできないね、少なくともこの魔法陣は二つ同時に使うと危ないってわかっただけでも収穫」
「ただの幻影を映し出すものではないこともはっきりしましたね」
クーリアも少し眩しそうに瞬きしながらそう答えた。
「うん、これは取扱注意だよ、当分は他言無用ね」
「はい、リーンもそのつもりで」
ところが返事がない。傍らの女騎士は妙な顔つきで三人を見ていなかった。
「リーン?」
「あの、みなさま……」
そのいぶかしげな声に他の三人が女騎士に注目した。すると、リーンはテーブルの上を指差しこう言ったのだ。
「それ、なんですか?」
それ? と今度は皆の視線がテーブルの上に向いた。
「ん?」
「え?」
「まあ」
期せずして三人同時に声が出た。
先ほどまで魔法陣を浮かび上がらせていたカプリアの脇に見覚えのない物があった。
それは装飾が施された美麗な鞘に収まった一本の短剣であった。
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