第28話 賢者と愚者、かく語りき その1


 テーブル上の「それ」を全員がまじまじと見つめていた。


「……短剣?」


「だな、ずいぶん立派な造りだが」


 そう言って恭一は手を伸ばした。掴んだ鞘を見分するように確認し、柄を握ってそっと引き抜く。刀身が照明の光をはじいて白銀に輝き、恭一を除く三人はほうっと息をもらした。


「いわゆるダガーというやつだ。見事な代物だと思うが実用性はないぞ」


「どういうこと?」


 すると恭一は刃の部分に無造作に自分の手を当て軽く滑らせた。クーリアが息を呑んだが刃物の扱いに慣れたリーンにはもうわかっていたようだ。


「このとおり、見てくれは立派だが刃がない。昔から観賞用にこの手のものがよく作られていたらしいがこれもその類だろう」


 そう言ってリーンに鞘ごと手渡す。女騎士は慣れた手つきで鞘から引き抜いた短剣を改めながら「本当に立派な造りですね」とつぶやいた。


「装飾品としてなら王宮の宝物庫にあってもおかしくない逸品だと思います」


 鞘も金属製のようだが、彼女の言葉どおり実に見事な出来であった。細かな装飾は金の象嵌であろうか。光をはじく微細な輝きはなにかの宝石を加工したものと思われた。刀身の方も刃がないとわかっているのに触れるのがためらわれるような鋭さを感じさせる。全体の印象は「白銀しろがね」で異論はないだろう。おそるおそる抜いたクーリアもしばらく魅入られたように刀身を見つめていた。


 最後に持たせてもらった葵の印象は「軽いね」だった。短剣を納めた状態でも意外なほど重量を感じない。


「軽金属、みたいな?」


「よくわからん。俺の剣を作った時に素材サンプルはいろいろ見せてもらったが、似ているものというとチタン合金が近い気がする」


「チタンってこんな加工できるの?」


「合金なら加工しやすいと聞いたが、こっちにその技術があるかな? 鉱床は多くても精錬が難しいそうだ」


 葵は「ふうん」と矯めつ眇めつという感じで手にしたそれをながめていたが、そこでとうとう誰もが言い出せずにいたことを口にした。


「で、これってどこから来たの?」


 四人が互いに顔を見合わせ、微妙な沈黙の後、葵に視線が集まった。


「ま、いきなりあんな危ない実験を始めたのはあたしだけどね」


 そう言って肩をすくめる葵も認めるほかはなかった。すなわち——。


「あの魔法陣、やっぱり召喚魔法とか引き寄せの術とかその手の代物らしいってことね。しかもどこに繋がったかもわからない。この剣もどこから引っ張り出したのやら」


「俺たちの世界のものなら、まして観賞用なら職人がアルファベットくらいは刻んでいそうだがな」


「見たところこっちの文字らしきものも見当たらないね」


 葵はぼやくように言ったが、そこでなにかに気がついたのか「あれっ」と短剣に再び目を凝らし始めた。


「どうかしたか」


「うん、ちょっと……ねえ、クーリア、これ見てくれる?」


 傍らのクーリアに手招きした葵は短剣の柄の部分を気にしているようだった。手渡されたクーリアも葵になにか言われてはっと目を瞬いた。


「これは……まさか」


「うん、間違いないと思う。見たことないやつだけど」


「私にも覚えがありません。ファーラムでは使われてない系統ですね」


 二人はうなずき合い、そこで葵が恭一たちに向き直った。手にした短剣をテーブルの中央に置いて「ここ見て」と二人に促した。彼女が指で示したのは短剣の鍔元にはめ込まれた青い宝石だった。


「これがどうかしたか?」


 恭一がいぶかしげに尋ね、リーンも意味がわからない様子だ。


「ルーペでもあればはっきり見えると思うんだけど、この宝石の中の結晶が魔法陣になってる」


「宝石の……中?」


「偶然じゃないと思う。ものすごく細かい細工だけど間違いないよ」


 さすがの恭一も呆気にとられていた。現代の加工技術を知っているだけに宝石の内部組成を魔法陣のような幾何学模様に変成させるのがどれほど困難か実感できるのだ。


「ハイテクどころじゃないな」


「クーリアも見たことないそうだからどんな働きをするのかわからない。でもさっきみたいに迂闊に実験するのはリスクがありすぎ」


「正体不明か、いったいなんでこんなものが飛んできたんだ」


「それも含めてしばらく様子見ね、ということで」


 はい、と短剣を手渡されたクーリアは意味がわからずきょとんとした顔だった。


「あの、アオイさま?」


「これは当分あなたが預かって。魔法がらみならあなたが一番詳しいでしょ」


「私が……」


「魔法陣に手を出さなきゃただの装飾品なんだし、これ、造りも精緻で第一王女が持つにふさわしいと思うよ。謎についてはおいおい調べていきましょ」


 クーリアは手の中の短剣と葵の顔を何度も見比べてようやくうなずいた。


「わかりました。大事に預からせていただきます」


白銀しろがねの短剣、とでも名付けようか。うん、かっこいい」


「しろがね……」


 葵は一人で納得し、クーリアは短剣をそっと胸に抱いた。


     ***


 神殿は首都オルコットの北部、王宮からは馬車で半刻ほどの郊外に位置する。


 一口に神殿と言うが、これは国名の由来である豊穣の神ファーラムを祭神とする国定の組織で、オルコットのそれは地方の小さな神殿を束ねる総本山に相当する。


 もっとも、国情の安定したこの国では歴史的に政教間の軋轢は少なく、人々にとっては信仰の拠点というより日々の糧に感謝する祈りの対象、といったところだ。夏至祭、収穫祭、春告の祭など折々の行事を執り行い、暦と暮らしの緩急リズムを司ることでゆるやかな敬意を抱かれている。


 葵がここを訪れるのはあの夏至祭の騒動以来である。


 馬車に同乗しているのはアルと護衛役のリオの二人だ。恭一は今日も準騎士隊の稽古で留守は執事のローグに任せてある。キサラギ館ではローグが恭一の秘書、二人の侍女が葵のアシスタントの位置付けだが、同居人扱いのアルは書斎の管理以外は自由なのでこうして葵について外出することもある。


 馬車は市街を抜け、北部の森林の脇を過ぎて郊外の一本道を走っていた。


 一般の民家は少ないが、代わりに広い敷地と立派な門構えの屋敷が目につく。このあたりは旧い家柄や高い爵位を誇る名家が多く、新興の小身貴族などにとっては羨望の高級住宅地といったところだ。ただし、どの屋敷も広大な庭園を持っているので遠目には家もまばらな田舎である。


「どこのお屋敷もすごいね」


「そうですね、このあたりは伯爵以上でないと家を建てることもはばかられる、という不文律があるそうですから」


「爵位ってこっちでも公侯伯子男でいいの」


「はい、諸外国でも君主制を採っているところではおおよそ同等のようです。その上位に大公の位が置かれることもありますが、わが国では十五年ほど前から空位になっています」


「空位?」


「現国王陛下の伯父に当たる方がユークリッド大公を名乗られていましたが、ご高齢で身罷られてからは」


「すると今は誰が一番なの?」


「そうですね、現在の公爵家は五つですが、家柄からいうとルードワン公でしょうか。マグナス・ルードワン公爵、陛下のアリステア家とも遠い縁戚関係にある大貴族です。私は遠くからお姿を拝見したことしかありませんが」


 アルには身分が違いすぎて雲の上の人という口ぶりだ。貴族といっても小身から大貴族まで様々であり、家柄、財力、血縁などによる家格の違いも想像以上だという。アルの父親ウルマン子爵のように開明的な人間はむしろ稀な人種に属する。


「そういえばアルくんのお父さんって街のど真ん中に住んでるんだよね。やっぱそういう人は珍しいの?」


「珍しいと思います。爵位の低い貴族に限って見栄を張りたがるのですが、父は名より実をとる人ですから商人や職人とつきあってる方が気楽だと。おかげで街の顔役みたいになってしまいましたが」


 最後の方は苦笑気味だったが、アルには父親の平和な生き方が好ましいようだ。和らいだ表情にその気持ちがよく表れていた。


「いいじゃない、そういうの。風通しがよくて」


「私もそう思います。たまに他家に招かれると少々息が詰まりそうになりますから」


「あはは、そういう時は人間観察でもしてればいいよ、面白いから」


「面白い、ですか?」


「この人は誰と仲良しで誰が苦手で、なぜそんなことを言うんだろう、周りの人はどう見ているんだろう、まてよ、以前会った時にこんなことを言っていたな、理由はこれか、だとすると本音はこうかな、次にきっとこう言い出すぞ、などなど」


 アルの呆気にとられる顔を見て葵はまた快活に笑った。


「ごめんごめん、これじゃ腹黒の陰謀家だね、今の冗談だから」


「……いえ、参考になります。今まで退屈な席では一刻も早く解放されたいと、そればかり考えていましたから」


「ついでに上手にとぼけるふりも心がけようね、こっちは読んでも相手には読ませない」


 そう言ってまたにっと笑う。読めないのはあなたですよと少年は思った。


「そろそろです」


 それまで穏やかに沈黙していたリオが到着を告げた。


     ***


 神殿という呼称は神聖な大伽藍を想起させるが、この地のそれは石造りのアーチを備えた平らな建築物である。柱の多い構造がそれらしいといえばそれらしいものの、宗教施設というより古めかしい美術館を思わせる。


 夏至祭の騒動の際、葵たちはリーンを待つ間ずっと外の広場にいたため内部に入るのは今回が初めてである。


 一般人の立入りを制限しているわけではないので、数は少ないが熱心に祈りを捧げる人や観光で見物に訪れる人もいるようだ。葵の感覚では地方のそこそこ有名な神社といったところだろうか。


 案内は極めて丁重であった。


 事前にクーリアからの通達が届いているおかげだろう、神官長である彼女の言葉は神殿関係者にとっては国王の命令に匹敵する。ましてやその王女を暴漢の襲撃から救った黒騎士と葵のことは様々な噂となってここにも届いている。まさに下へも置かない扱いだ。


「ようこそ、お待ち申し上げておりました」


 深々と頭を下げて出迎えたのはゆったりした白い胴衣を着た中年の男性であった。それほど高齢とも思えないのに髪が真っ白なのが印象的だ。アルカンと名乗ったその人物が神官や巫女を除く管理責任者で、いわば事務方のトップということのようだ。三人が通されたのはその彼の執務室であった。


「姫さまから話は頂戴しております。なんなりとお申しつけください」


「ありがとうございます。今日うかがったのは古代の魔法と神殿との歴史的なかかわりについて、そうした知識に通じた博士の方に直接話をお聞きしたかったからです」


「古い魔法、ですか。それはまた珍しいお尋ねですね」


「カプリアの発見に伴う魔法陣の公開前後、あるいはそれ以前の、今では古い書物をひもとかない限り知られることもない事実。そうしたものに関心がありまして」


「失礼ですが、なにゆえにそのような。歴史を学ぶことにご興味でも?」


「好奇心ですよ、クーリア姫と知り合ったのをいいことに自分の欲求を満たそうとしているんです」


 これは女子高生にしては相当にひねた韜晦だったが、アルカンは気がつかなかったようだ。素直に葵の冗談と受け取ったらしい。小さく笑ってうなずいた。


「なるほど、あなたは魔法士でいらっしゃいましたな。確かに当方ではその種の資料も収蔵しており、研究者もおりますから有意義なお話ができますよ。すぐに詳しい者を紹介いたします」


「ここでは皆さん魔法士でいらっしゃる?」


「いえ、神官や巫女は務めの性質上、多少の霊力を持つ者ばかりですが、本職の魔法士というわけではありません。私たち管理の者はその種の力とも無縁です。神殿は信仰と研究の方が本務ですので」


 アルカンの話によるとカプリア以上の魔法が必要になると、神官や巫女の中の誰かがその任に当たるという。公式の資格持ちではなくとも三級相当の魔法士が務まる者は何人かいるらしい。


「首都近辺では雨乞いを必要とするほどの干ばつはめったに起きませんし、医療に当たる魔法士もおりますから神殿がそれらを代行する必要はなくなりました。百年、二百年と遡れば我々に任されていた時代もあったようですが」


 地方では領主と行政官、守備兵、神殿という体制でおおよそ土地は治まるので、魔法士はよろず相談の便利屋といった存在であるようだ。


「魔法が広く普及して以来、魔法士の位置づけも変わりましたが、長い目で見ると神殿との関わり方にも折々で変化はあったようです。そのあたりもお尋ねになるとよろしいでしょう」


 そうしたことを話しているとノックの音が聞こえ、若い男が冷たい飲み物を持って入ってきた。使用人というわけではなくここの修行者のようだ。


「ああ、すまんね。ときにココ先生はどちらに?」


「はい、先ほど裏の林の方へ。いつものお散歩だと思います。お呼びしますか?」


 アルカンは「それには及ばない」と言って青年を下がらせ、葵たちには「後ほどご紹介します」と告げた。


「コアラ・コップス博士、先ほどのお尋ねには最も適任と思われる方です。もう三十年もこちらで研究に当たられているので皆はココ先生とお呼びしています」


「三十年? ずっと学問に専念されてらしたんですか」


「はい、学問と、その、実験に」


「実験?」


「少し霊力をお持ちなので古文書などを読み解くだけではなく、自分で試してみたがる方でして」


「実証主義ですか、それは是非お話をうかがいたいですね」


 葵の言葉になぜかアルカンの表情がかすかに引きつったのが妙だったが、とにかくこの神殿で最も学識豊かな研究者ということで会わせてもらうことになった。

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