第26話 旧世界の影 その3
食事にささやかな満足を覚えた国王は自身の執務室へと戻った。
謁見などに使用される国王の間のすぐ隣に位置する簡素な部屋である。ただし、様々な重要案件や決済書類に目を通す作業はほとんどここで行われるため、王宮内で最も重要な場とも言える。
国王が起床している限り扉の前には近衛の兵が立ち、宰相と筆頭、次席の二名の補佐官が前室で待機しているが、執務室内は国王のみの空間である。彼の思考や決定を邪魔しないためだ。
城下の庶民たちはすでに就寝の時刻だが、広大な執務机にはまだ多くの書類が積まれていた。いったいどこから湧いて出るのかと呆れるほどの紙束の山だ。これでも宰相以下がその権限に応じて処理した結果、残った案件だというのだから勤勉な国王といえどもときに天を仰ぎたくなる。
「誰か代わってくれというわけにもいかんしな」
国王は苦笑し、書類の山に手を伸ばした。腹がくちたおかげでもうひと仕事への意欲は充分に感じていた。誰も気づいていないが葵が工夫した温めの魔法は巡り巡ってこうした形で国政に寄与した格好になっているのだった。
だが、いくらもたたないうちに次席補佐官が申し訳なさそうに顔を出した。
「陛下、近衛第七隊隊長がお見えです」
「おう、イアンか。通してくれ」
通常はこの時刻に面会を申し出る者はまずいない。国王の多忙を慮って遠慮するのが臣下の分というものだ。だが、例外もある。当然ながら国王自身が命じた場合はその限りではない。
補佐官と入れ替わりに現れた男はその場で一礼すると国王の前に進み出た。
イアン・グールドは三十そこそこに見えるがそろそろ四十に近い歳のはずだ。男爵家の次男で近衛隊第七隊、すなわち市街の治安維持や内偵、諜報といった地味な仕事に就いてすでに十五年余、隊長に任ぜられて四年になる。一部では知る人ぞ知る切れ者と言われながら、剣は性に合わない、王宮もめんどうだ、と地回りのような仕事を選んだ変わり者である。
中肉中背、黒髪に灰色の瞳の目立たない風貌はとても近衛の一隊を預かる責任者には見えない。多くの部下に手柄を立てさせ出世に導きながら本人は昼寝を優先させるようなとぼけた個性の持ち主だった。
「陛下、夜分遅く失礼いたします」
「構わぬ、例の件か?」
「はい、いくつかお耳に入れておきたいこともありますので経過報告に」
国王はうなずき、精査中だった書類を脇へ置いた。
「聞こう」
「カーストン男爵の一件は残念ながら尻尾切りで終わりそうです。交友関係は引き続き内偵中ですが、二本目の尻尾はまだ」
国王は無言で先を促す。
「ただ、あの日私は部下の報告を確認してすぐ陛下のご裁可をいただきに参上しました。我々が男爵の捕縛に動いたことを知る者は少なかったはずです」
「だが向こうは先回りして禍根を絶った」
「はい、考えたくはありませんが王宮に出入りする者の中に関係者がいる可能性は拭いきれない。疑いだせばきりがありませんが、だとしても相当周到に気配を絶っていると思われます。むしろ今回は男爵が例外的に軽挙であったと考えた方が妥当のようです」
イアンの言葉に国王は腕を組み、低く唸った。
「
「姫さまが男爵の周囲にあからさまな警護をお付けになったのは上策でしたな。おそらくあれで向こうも動きにくくなったものと思われます。その分、慎重になって息をひそめている、といったところでしょうか」
「今のところ性急な動きはない、と見てよいのか。しかし」
「はい、仮に姫さまへの襲撃が先走った男爵の愚行であったにせよ単なる思いつきで動いたとも思えません。時期尚早であったとしてもいずれはそうした動きがあらわになるような企てが進行していたと見るべきでしょう。となると——」
「やはり次もあると?」
イアンは「おそらくは」とだけ応えた。渋い表情なのは後手に回っている状況が気に入らないということだろう。相手の全貌が見えず、手の内が読めない。しかもこの陰謀らしき動きには通常とは違う一面がひそんでいる。
魔法——。
イアンもその実態をよく知るとは言い難いが、魔法とは日常生活を便利にする都合のいい道具、魔法士とはカプリアのそれ以上に融通の利くきめ細かな魔法の使い手——そう理解していた。おそらく世の一般の人々にとっても同様であろう。
だが、カーストン男爵邸の騒動で目にしたのは彼の常識を覆す光景だった。
居合わせた兵たちは動転してなにが起きたかわからない様子だったが、彼やガーラには衝撃だった。魔法にあのようなことが可能であるとは想像したこともなかった。
公的に上級の資格を持つ魔法士は医術、雨乞い、作物の育成などに目をみはる力を発揮すると言われる。それは彼も承知しているが、炎の魔物を操り、突然の大雨や水の竜巻を呼ぶ力などそれこそお伽話の領分である。
だが彼は見たのだ。魔法と魔法が激突するさまを。
仔細は国王にだけ報告した。魔法を侮ってはならないと。
王宮にも近衛隊にも魔法士はいる。公式の資格を持ち、カプリアの小道具だけでは困難な細かな魔法で様々な作業に従事している。一般人より鋭い感覚を備え、その目でルフトを直接見て魔法陣を操る専門職である。
だが違う。
違うのだ。
魔法にはこれまで知られていなかった一面がある。あの日イアンが痛感したのはその事実であった。世の中を一変させてしまうほどの可能性を秘めた不可解ななにか、それが今の彼の認識である。
あのアオイという娘は自身の魔法については多くを語らなかったが、彼女がそうした特別な力を持つことは明白だ。その彼女は敵がそうした一般には知られていない魔法を使うことを示唆した。一連の騒動には得体の知れない魔法士が関わっていると。
今後イアンだちはこれまで知らなかった類の敵を相手にすることになる。この事実はぜひ国王にも共有してもらわなければならない。
ややあってイアンはそのことに関して口を開いた。
「近衛隊宿舎に仕掛けられた呪いやカーストン邸で使用されたと思しきカプリアについては分析困難との判定が出ておりますが、過日、姫さまより『特定にまでは至らないものの、西国の魔法陣に特徴的な図形が見られる』とのお言葉をいただきました」
「西国……」
国王がわずかに眉をひそめた。西の国境線は平和なこの国において唯一小競り合いの多い緊張地帯であり、国家体制の違いから長年揉め続けてきた。
ここ数年は落ち着いているがいつまた衝突が起きるかわからない。ユグノール山というこの列島随一の高峰が東西を隔てているため全面衝突を免れているというのが実情だ。
「それはありがたくない話だな」
「西といってもインガルからトラムまで多うございますから」
ユグノールが大きな障壁であるがゆえか、列島の文化はそこを境に様相が異なる。国情の違いもあって人々の行き来もそれほど盛んではない。海を伝って往来できる南側の諸国とは交易も盛んだが、陸路しかない地域には国交のない小国も数多い。
「そうだな、一応頭の隅にとどめておこう。他には?」
「それともう一つ。先日キサラギ館にて話をした際、アオイどのから出た意見ですが、近衛隊に小規模な魔法士の集まりが作れればと考えているとのことです。これはクーリア姫さまも同意見とうかがいました」
「魔法士の? しかしそれならすでに」
「既存の魔法士ではなく、今後は悪意ある魔法や呪術に対応できる人材が必要になると。私もその見方に同意します、正直、あの炎の蛇のような化け物が出てきたら剣や弓では打つ手がありません」
「つまり魔法士だけの部隊というわけか」
「部隊と言うよりクーリア姫専属の魔法士集団という位置づけのようです。近衛隊にも王宮にも魔法士は多数おりますが、彼らはいわば常識人であり、此度のように奇怪な術を振るい戦闘にいたる敵の存在など考えもしていません。そうした危機感がないのです。ゆえに姫さまの手となり足となって自らも自由に動けるような集団が欲しいと」
ふむ、と国王は思案する顔になった。イアンの話は彼にある者を連想させたのだ。すなわち——。
「それは……近衛隊における四大騎士のあり方を思わせるな」
「おっしゃるとおりかと」
「四大騎士と……四大魔法士か」
「はい、今後は武力においては近衛隊と四大騎士、魔法や呪術に対しては姫さまの魔法士集団、その両輪が力を合わせることが必要になろう,という話でした」
「ううむ、そこまで考えているのか、あの娘は。これはとうてい凡人の発想ではないぞ」
「確かに。今のところそうした構想を理解し共有できるのは姫さまだけでしょう。まずは人材捜しから始めないといけない。そう申しておりました」
国王は深く考えに沈み、イアンはあの魔法士の娘の言葉を思い返していた。魔法は個人の才能によるところが大きく、地道に探し出さねばならないだろう。既存の魔法の固定観念にとらわれない才能が欲しい——アオイ・キサラギはそう言っていた。そしてまたこうも。
「クーリアのための戦力として彼女専属の魔法士集団を作ってあげたいの」
そしてこう続けたのだ。
「彼女はいずれ戦場へ出ていくことになるから」
そう告げた時のあの娘の瞳は忘れられない。経験豊かな一隊の長であるイアンが気圧されるほど深い光がきらめいていたのだ。彼は天啓を下す神々の意志をそこに見た気がしてぞくりとした。
あの娘はいったい何者なのだろう。
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