第22話 エピローグ


 カーストン家の事件が終息して半月ほどがたったある日のこと——。


 葵と恭一、二人の王女とそれぞれの従騎士、王女付きの侍女たち、さらには王宮の厨房をあずかる料理人たちまでが固唾を呑んで「それ」を見守っていた。


 彼らの視線の先にあるのはなんの変哲もない四角い箱型の物体である。傍らに置いた砂時計の砂が落ちきると人々は緊張の面持ちでその瞬間を待ち構えた。


「じゃあ開けるよ」


 物体を持ち込んだ職人が前面の扉を開く。すると——。


 中から取り出されたのは一枚のスープ皿であった。薄く満たされたスープが今まさにできたてのような熱い湯気と香ばしさを放っている。


 葵が無造作にスプーンでひと匙口に運ぶ。


「うん、合格」


 全員がほうっと詰めていた息を漏もらし、そこで爆笑となった。ハントは自慢げに胸を張り「次はこっちの肉料理な」と用意された冷めきった料理を皿ごと箱の中にしまう。


「肉料理の場合はこっちの砂時計がちょうどいい」


 そう言って砂を落とし始めると手持ちの細い棒に指を滑らせた。待つことしばし——。


 やがて落ちきった砂を確認するとハントはおもむろに扉を開け、料理を盛った皿を取り出した。こちらも湯気と香りができたてそのもので人々の食欲を誘う。


 では私が、と手を出したのはクーリア王女その人である。全員の注視の中、煮込んで柔らかくなった肉のひと切れを口に運んだ彼女から思わず笑顔がこぼれた。


「これは我が王宮誕生以来の画期的な発明ですね」


 おおーと全員の声が唱和した。


「よくやったな、葵、さすが我が社の開発責任者だ」


「ハントさんがいろいろ工夫してくれたおかげだよ」


 ルフト駆動によるカプリア式レンジの誕生にこぎつけた葵とハントはがっちり握手を交わした。三方同時加熱、リモコン、砂時計によるタイマーと工夫を重ねてついに実用段階に達したのである。


「見事だ、試作機でこの完成度はすごいぞ」


「ホームフリージングとセットで宣伝すれば売れるかも」


「あぁ、これで氷の魔法の利便性が周知されるな」


 二人がそんなことを話している間に人々は再加熱した料理に口をつけて目を丸くしていた。厨房の喜びようもひとしおのようだ。


「これで陛下にできたての味をお出しできる」


 そう言って涙ぐむ料理人もいた。彼らの宿願がかなう日がとうとうやってきたのだ。既存の魔法ではどうやっても実現できなかった料理の再加熱。厨房にとっては歴史的な慶事であった。


 細かい改善点を修正したらすぐに王宮に納品されることが決まり、ハントにはクーリア王女名で王宮御用達工房の名誉とこの殊勲に対する報奨金が下賜された。基本設計に当たった葵は完成品を一台提供してもらうことになり、今から侍女たちの驚く顔が楽しみなようである。


 夕刻、自宅に戻った葵と恭一は屋敷のバルコニーから暮れなずむ城下を眺めていた。


 すでにこの世界に来てひと月以上になる。彼らも元の世界に対する郷愁を忘れたわけではないのだが、世界と世界を隔てる壁は厚く、帰還の方策は当分望めそうにない。


 ならばじたばたしても始まらない。


 豪胆な恭一だけでなく葵もそう開き直ってしまった。生存と帰還が当面の目標だが、そのためには日々の努力が必要だ。ここは二人の日常にはなかった剣と魔法が支配する世界であり、よりよく生きるために学ぶべきことは多かった。


 それでも彼らは日常を愛している。


 どこにいようと葵にとっては恭一のいるところが、そして恭一にとっては葵の傍らこそが自分のあるべき世界なのだ。


明日あしたは晴れるかなあ」


「天気予報の魔法、あったんじゃないか」


「そうだけど、ここなにが起きるかわかんないとこだしね」


「天元神社のおみくじでは?」


 葵は目を閉じ「うーん」と唸ってみせてからこう答えた。


「晴れ、ときどき……冒険、かな」


「新婚生活にしては波乱万丈だな」


「きっとあたしたちはこれでいいんだよ」


「そうだな」


 すると葵は向き直って正面から恭一の高い肩に手を伸ばした。


「あのまま神前結婚だとこれはないんだよね」


 伸び上がるようにして恭一の答えを待つ。


 彼の唇がそっと触れてくるまで十秒ほどかかった。



「晴れ、ときどき冒険」第一部 完



     *********


 これにて第一部は終了です。お読みくださった方々には心より感謝を。引き続き第二部「光と影の円舞曲」編へと物語は進みます。


 クーリア姫とともに古城での夜会に誘われた葵と恭一。そこに現れた青い獣は剣がすり抜けてしまう怪物だった。葵たちは姫を守り切ることができるか……みたいなお話になります。

 乞うご期待。

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