第21話 剣と魔法 その6


 葵が魔法陣を解除しても小降りの雨がしばらく残ったが、立ち尽くしたガーラは柄にもなく大きなため息をもらした。彼も葵も川から上がったようにずぶ濡れである。


「やったな、すげえじゃねえか」


 だが少女の目がまだ厳しいのを見て首を傾げた。


「どうした」


「……まだ気配を感じる」


「なに」


 たちまち巨漢の表情が引き締まる。向こう、と指し示す少女を慎重にかばいながら焼け落ちた屋敷の跡に踏み込んだ。


 猛火に焼き尽くされ、煉瓦で固めた壁や天井もすでに残骸である。瓦礫の間には遺体の一部らしいものも見えたが、少女は無言でその脇をすり抜け、屋敷の中央付近で足を止めた。


 元は広い居室の跡だと思われたその一角に炎が残っていた。


 青白い炎である。床に落ちた小さな円形の薄板にか細い炎が揺れていた。


「これね」


「カプリアか」


「そう、たぶんこれが目印」


「どういうことだ?」


「推測だけど、遠く離れた場所から魔法を届かせるためにはなんらかの目印が要るんじゃないかな。標的の位置を特定するような」


 二人が見ている間にその小さな炎は揺らめいて消えた。


 葵はそっとそのカプリアを拾い上げた。表面に魔法陣らしい模様の痕跡が見えるが、焼け焦げて判別はできそうにない。心を研ぎ澄ませても伝わってくるものはなかった。


「残念、クーリアに解読してもらおうと思ってたのに」


「そいつが目印だとすると敵は先回りして男爵を消しにかかったってことか」


「ついでにあたしたちに被害が出ればなおけっこうってとこかな」


「まるでイアン隊長みたいな台詞だな。ときどきおまえいくつだと言いたくなるぞ」


 葵はにっと笑って場違いな冗談を口にした。


「おぬしがおまえになったのは格下げ? それとも格上げ?」


「茶化すなと言ってるだろうが。別に他意はない」


「あたしは葵、如月葵。さっきみたいに名前で呼んでくれると嬉しいんだけどなあ」


 ガーラはまたぐっと詰まったが「行くぞ、後始末もある」とごまかした。イアンたちが駆け寄ってくる気配が伝わってくる。


 並んで庭でイアンたちを待ち受けながらガーラはぼそりと言った。


「俺は魔法士を身近にしたことがないのでよくわからんのだが、アオイ、おまえの魔法はどえらい代物じゃないのか」


「どうしたの、いきなり」


「さっきのあれはどう見ても天変地異に匹敵するんじゃないか? 魔法士なら誰にでもあれができるとは思えん」


「初心者だから手加減が下手なんだよ。あんなの近所迷惑なだけでしょ」


「手加減? それで済む話か?」


「少なくともあんな危ない魔法を平気で使うやつが相手だってことは確かだよ」


 その思いはガーラにもある。あの火の化け物は剣を頼りに生きてきた彼には衝撃だったのだ。


「あれでは……剣ではどうにもならん」


「魔法だけでもね。あたしと恭一が二人一組でここに来たのにはきっと意味があると思う。剣と魔法、ここにはそのどちらも必要なんだよ」


「剣と魔法か」


「だからね、あたしたちが力を合わせることには意義があると思うよ」


「四大騎士と……四大魔法士か? あとの三人はどうする」


「クーリアがいるからあと二人だね、探してみようか」


「おいおい、姫さまにあんな危ねえ真似をさせる気か」


 すると少女はガーラの顔を見上げてこう言った。


「あたしが感じたあの子の本質は戦士だよ。彼女はいずれ戦いに身を投ずることになる。お姫さまの役を妹に託して自分は戦場へ出ていく。きっとね」


「それは……天啓か」


 たぶんね、と答えた少女に巨漢騎士は言葉を呑み込んだ。


 午後の陽が西に傾く頃、後始末をイアンらに任せた葵はガーラに伴われて王宮内の自室に戻った。事後報告となった恭一には独断で動いたことを詫びて事件の顛末を語った。


「いや、無事だったのならそれでいい。怪我はしなかったか?」


「うん、大丈夫。でもびしょ濡れになったから先にお風呂いただくね。クーリアにも報告しとかないと」


「黒騎士よ、おまえの相棒はとんでもねえな。おかげで俺もイアン隊長も命拾いしたぜ」


「葵が世話になったな」


「馬鹿言え、 世話になったのはこっちの方だ」


 いずれ借りは返す、と二人に頭を下げガーラは国王の間へと向かった。今夜は報告と 事情聴取で大騒ぎだろう。


     ***


 結局、事後処理には七日を要した。


 犠牲者はカーストン家の家族と使用人で八人、加えて当のウィレム・カーストン男爵は庭先で発見された髑髏をもって死亡と認定された。兵に若干の負傷者が出たが、他に人的被害がなかったのは場所が郊外であったことが幸いした。


 ラダルと二人の部下はほどなく意識を取り戻したが、邸内に入って以後の記憶がないと証言した。葵が持ち帰ったカプリアはやはり焼損が激しく、近衛隊内の魔法士にも分析不能と判定された。ただ、クーリアは断片的な記号から国外の呪法のいくつかを連想すると語った。


「これだけではなんとも言えませんが、ファーラムに伝わる魔法陣には見られない図形が使われていますね」


 古の文物に詳しい神殿の学者たちに調べさせましょう、ということになったようだ。


 カーストン男爵の一件は、その奇怪な死を含めて深刻な陰謀の存在を知らしめることになった。平穏を尊ぶ国王もことここに至っては事態を看過するわけにはいかず、ごく少数の信頼に足る者たちを集めて密かに対応戦力とした。


 暫定的な顔ぶれは四大騎士、クーリア王女、リーンとエリーザの両従騎士、アロンゾとイアン、そして葵と恭一といったところである。本来なら葵と恭一だけは部外者だが、その働きは目覚ましく、国王はためらうことなく二人を加えたのだった。


 なお一度だけ設けられた顔合わせの席で葵たちは四大騎士の残る一人、火のベルリーンことベルリーン・イーネスに初めて会った。剣と魔法を併せ持つこの国唯一の魔法騎士と言われる若者はほとんど口を開かない寡黙な人物で葵の直感は珍しく「よくわからない人」と告げていた。


 いずれにせよ、これが当座の戦力である。ここしばらく周辺諸国との小競り合いが絶えているのはありがたい、と国王はもらした。四大騎士は常に二人以上が首都にあること、というのが不文律らしいのだが、戦となればそうも言っていられない。不穏な動きがあらわになりつつある今、頼もしい戦力を分散させたくないというのが国王の本音であったろう。


 葵はカーストン事件の功績で改めて「城は要らぬか」と問われたが、これは謹んで辞退し、恭一と相談の上、王宮の近くに家を一軒欲しいと申し出た。


 国王は快諾し、王宮まで徒歩三分という好立地にささやかな屋敷を提供してくれた。ただし、国王の言う「ささやか」とは十人で住んでも部屋が余る庭付きの豪邸で、葵を呆れさせることになった。


「ここに二人で住めっての? お掃除だけで一日が終わっちゃうよ」


「侍女と使用人をつけますのでアオイさまはお命じになるだけでけっこうです」


 クーリアはそう言って笑うのだが、恭一が苦笑しつつ「まあ、大に小を兼ねてもらおう」と受け入れたので葵も気にしないことにした。この位置なら近衛隊のアロンゾや二人の従騎士、侍女のヴァルナなども気軽に顔を出せるし、作戦会議に使ってもいい。


 葵と恭一は一室を書斎とし、可能な限りの書物と読み書き教養に優れた侍女を希望した。文字の習得を手伝う教育係として、またそれまでの本の朗読係としてである。恭一は主にこの世界の歴史と経済、社会体制に興味があり、葵は魔法と魔法陣の研究が主な目的である。


 家財道具や書物の搬入が始まるとヴァルナが二人の侍女を含む七人の男女を連れてきてそれぞれ挨拶を交わした。


 中に一人、葵たちより若く、端正な顔立ちの少年がいて彼だけは下働きではなくむろん若年の執事でもない。歳は若いが王宮付属の高等学院の優等生だと紹介された。


「ライン・アルト・ウルマンと申します、どうぞよろしく」


 そう名乗った少年はその名から推測されるとおり、貴族階級の子弟である。ウルマン子爵の三男で、学院では文句なしの秀才を謳われていた。ただ気弱な性格が災いしてか常に人の後ろに隠れているようなところがあり、並み居る貴公子たちの中にあって目立たない存在であったようだ。


 姫の客人としてすでに噂になっている葵たちの屋敷には「少し社会勉強をして図太くなってこい」という子爵の妙な親心から推挙されたらしい。


「ええっと、あなたのことはなんて呼べばいいの? ラインくん?」


「友人たちはアルと呼ぶことが多いです。自分もそのほうが慣れておりますが、アオイさまのお好きなように」


「じゃあアルくん、あたしのことも葵でいいから。恭一は呼びにくければキョウでかまわないよ。言っとくけど『さま』は要らないからね」


「しかしお仕えする相手を呼び捨てというのは」


「同じ家に住むんだからそのくらいでちょうどいいの。気になるならお客さまが来た時だけ形をつければいいんじゃない?」


「はあ、ではそのように努力します。アオイ……」


 さまをぐっと呑み込んだアルにはしばらくくすぐったい日々が続くかもしれない。


 三日がかりの掃除や片付けが終わると葵と恭一は全員を居間に集め、改めて挨拶を兼ねた茶会を催した。


「噂はいろいろ耳にしていると思うが、俺と葵は自宅で肩肘張る気はない。来客の時でもない限り諸君も気楽に頼む。その方が俺たちもやりやすい」


「あとね、便宜上あなたたちは侍女であったり使用人であったりするけど、あたしたちは人にかしずかれるような大貴族の生まれでもないからね、だから食事はなるべく一緒に食べましょう。手が空いてる人はちゃんと同じ食卓についてね」


 クーリア王女の命を救った客人の住まいに奉公するということで緊張していた彼らは驚くと同時に心底ほっとしたようだ。噂には早くも様々な尾ひれがつき始めており、どんな怖いご主人さまだろうと内心は戦々恐々だったらしい。


 構成としては執事のローグが使用人頭でもあり、貴族の子弟であるアルは別格の同居人扱い、侍女はリナとベリンダの二人、ジェシカ、リオ、クルトの三人が家事全般で男性であるリオとクルトは剣も使えるので護衛兼任である。


 恭一の指示で全員の前に一杯だけ果実酒が並んだ。

「俺たちは酒はやらんが今日は記念だ。皆の明日にさち多かれ」


「それいいね、我が家の合言葉にしましょう、皆の明日に幸多かれ」


 幸多かれ、幸多かれと皆のはずんだ声が交錯した。


 葵と恭一がこの世界に来てから三週間が過ぎようとしていた。



     *********


 この後、エピローグをもって第一部終了となります。エピローグは短めなので本日中にアップします。ここまで読んでくださった方々には感謝を。なお引き続いて第二部「光と影の円舞曲」編に突入する予定です。そちらの方もどうぞよろしく。


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