第20話 剣と魔法 その5
「アオイ、こいつは!」
「たぶん、単純な火起こしの魔法だよ。ただ時間をかけて魔法陣を強力に仕上げたんだと思う」
「あいつが魔法士だなんて聞いてねえぞ!」
「やってるのはあの人じゃないよ!」
「なんだと」
葵も口ほどに落ち着いているわけではない。ただ、さっきから気になることが頭の隅でちらついて仕方がないのだ。立ち上る炎と異様な男爵の様子、この状況はあの時に似ているのだ。近衛隊の宿舎で遭遇した呪いの発動に。
だがこの場にはあの時のような呪いの媒介となったカプリアらしきものはない。それなのになぜ?
葵は必死に目を凝らしてルフトの流れを見定めようとしたが、立ち上る炎が邪魔でうまくとらえきれない。ただ、炎から顔を背けると陽光の下でも風に吹かれるような光点の流れが感じられた。流れ? どこへ?
ルフトは霊力や魔法以外の力でその動きに干渉することはできない。唯一の例外はカプリアだが、その効果は小さく、足元にそれらしい物体も見えない。
葵は目を凝らすのではなく、周囲のスピリチュアルなエナジーそのものを探した。ルフトの光点のさらに根元の姿を感じようとした。
形のないなにか、言葉にできないなにかが浸透するようにどこからか流れ込んでいる。その流れいく先は……。
葵は卒然と悟った。流れは男爵その人に直接向かっているのだ。
「あの人は眠ってる。宿舎を襲った呪いに似てるけど、呪いはあの人個人に集中してる。喋ってるのも火を出したのも別の誰かだよ」
「んな真似ができるのか?」
「下がって! また来るよ!」
同時に先ほどの数倍もの火柱が男爵の周囲に吹き上がった。しかも男爵の体そのものまでが火を発している。たちまち衣服が燃え落ち、髪は松明と化した。
にもかかわらず男爵は笑っていた。
信じがたい光景に豪胆なガーラでさえ息を呑んで足が止まった。男爵は生きたまま炎と化していた。悲鳴も苦悶もなく、その高笑いだけが聞こえてくるのだ。
「下がれ、後退しろ!」
イアンが命じると兵たちは一斉に逃げ出した。その背に無数の炎の腕が伸びる。男爵を中心に燃え盛る炎は見る間に巨大化し、すでに炎の巨人と化している。いや、巨人ではない、それは幾十もののたうつ巨大な蛇だった。炎の蛇は屋敷に巻きつき、庭の木々を舐め、兵たちに追いすがろうとしていた。
葵もガーラも、イアンや兵たちも、大慌てでその場から逃れて屋敷を遠巻きにする位置まで撤退した。だが炎の蛇はさらに巨大化し、すでに男爵邸は炎の海に没していた。
「ちっくしょう、化け物め」
さすがのガーラも毒づくのがやっとだ。剣を振り回してどうこうできる相手ではない。
「アオイ、魔法ってのはあんなこともできるのか」
「さあ、あたしはここの魔法は素人だから」
「ちっ、気楽に言いやがる」
「クーリア姫が言ってたよ、本来の魔法は荒々しくて危険なものだって。ただその本質を知ってる人間はもうほとんど絶えてるって」
「じゃあれはなんだってんだ?」
「敵はそういう古い魔法を知ってる誰かってことかな」
葵も確信をもって話しているわけではない。彼女自身、こちらの魔法については初心者同然なのだ。敵は魔法士として相当な経験値を持った相手だ。同じ土俵に上がっては勝ち目は薄い。
「おい、のんびり話してる暇はなさそうだぞ!」
割り込んだイアンが荒れ狂う炎の蛇を指差した。
「あいつ、どんどんでかくなっていくぞ、なんとかしないと街に火が広がる!」
数十本の首をくねらせる炎はすでに周囲の樹木を見下ろす高さであり、炎のひと舐めで木々は巨大な松明に変わる。自然の炎にはあり得ないその動きにはなんらかの意思があるとしか思えなかった。あの炎の蛇は何者かの呪いを受けて生まれ出た魔物なのだ。このまま街に出ていけば大惨事は必至だ。
ガーラもイアンも焦ったが、傍の葵は伸び上がるようにして蛇を観察していた。
「すごいなあ、いったいいくつの魔法を組み合わせてるんだろう。火と風と、流れ? あとは……あっ、木の葉を誘導に使ってる」
「アオイ、お前も魔法士だろう、手はないのか」
「無茶言わないで、あんなの見たの初めてだし。でも仕組みはだいたいわかったよ」
「なんとかできそうか?」
「さあ、やってみないと。どっちにしろもっと近くまで行かないと」
ガーラは「このままでは埒があかん」と即断した。イアンに撤退と付近住民の避難を急ぐよう頼むと「行くぞ」と葵を促した。
「とにかくやるだけやってみてくれ。どうせ俺たちの手には余る。少しでもあいつを足止めできれば儲けもんだ」
うなずいた葵とガーラが再び男爵邸のほうへと走り出す。たちまち炎の熱気が吹きつけてきたが、怯んでいる余裕はない。葵は周囲のルフトを呼び集め、自分たちの前方にささやかな魔法陣をイメージした。つい先ほどガーラの胸当てに見たものである。どのくらい効力があるのかわからなかったが、ガーラが「ほう」と声を上げた。
「なにをした?」
「火の粉が周りをすり抜けるように。あなたの胸当てのおまじない」
「なるほど、こんな使い道もあるのか」
「見よう見まねだけどね、さ、もう少し」
二人は暴れまわる炎の蛇を見上げるほどの距離まで近づいた。火のついた木々の枝葉が周囲を舞って葵の魔法陣でも避けきれないほどだが、ガーラがマントを振って防いでくれた。
「このマントも役に立つことがあるんだな」
「帰ったら新調しないとね、じゃ、もうちょっとだけがんばって」
「おう、急げよ」
葵はひとつ深呼吸をした。火の粉よけの魔法を解いたので熱気が胸の中にまで入ってくるようだ。ぐずぐずしてるわけにはいかない。
火には水。
それは道理だが、得体の知れない魔法に後押しされた炎にはおそらくそれだけでは不十分だ。もっとパワフルな水のイメージが欲しいと思った。自分の知る数少ない魔法陣を組み合わせて「それ」に手が届けば——。
葵は周囲のルフトに「来て」と呼びかけた。
たちまち無数の光点が周囲に満ちてくる。彼女の強い呼びかけに呼応するように光点はより濃密な光の渦となって彼女の周りを同心円状に巡り始めた。より大きく、より明るく、霊力を持たないガーラにさえ明瞭に見えるほどの光の渦である。
息を呑むガーラにかまわず、葵はその濃密なルフトの輝きを絵の具のように押し広げて三重の円と無数の幾何学模様を形成した。工房で見たハントの緻密な作業をイメージしながら精密な
ガーラが思わず目をみはる。彼も何度か典礼用の大型魔法陣を見たことはあるが、これはそのどれよりも大きく輝かしかった。円も図形も、そして不思議な記号も全てが金色の輝線で形作られているのだ。
「じゃ、始めるよ」
魔法陣に記された古代文字は必ずしも声に出して唱える必要がないことは経験でわかっていたが、葵はあえて心の中で詠唱した。この世界の魔法や魔法陣の本質は霊力によるルフトの制御だ。そして媒介となるのは個人の
「来たれ、ついでに記録的短時間大雨情報発令!」
頭上の魔法陣がまばゆいほどに輝いた。
晴天の空にみるみる黒雲が湧き出ると、その雲の中に一瞬、巨大な魔法陣が浮かび上がった。次いで立て続けの稲妻とともにざあっと雨粒が落ちてきた。
まるで天の底が抜けたような凄まじい降り方である。葵が使ったのは基本的な雨乞いの魔法にすぎないが、前回までの経験からあえて制御のための中間プロセスを省いて発動させたのだ。意図的な「近所迷惑」である。
雨には葵の知る東京のゲリラ豪雨のイメージが反映されていた。単位時間に百ミリを超える災害級の集中豪雨である。数歩先の視界さえ奪われるほどの凄まじい水の壁だ。
「やったな! これなら」
「まだ! 魔法の火と水同士でまだ五分五分」
まさかと振り仰ぐとこのとてつもない豪雨の中、炎の蛇がいまだにのたうっていた。
「とんでもねえな、どうする?」
「ここまでは想定内、後半戦いくよ」
「なんだと」
葵はすでに作業にかかっていた。右手を宙に伸ばすと頭上に保持している魔法陣に向かって指先を滑らせる。ルフトを介して魔法陣のイメージに改変を加えようとしているのだ。制御なしの雨乞いに「風」と「流れ」を書き加える。さらに流れには「螺旋」を付け加えた。
うまく発動してくれるかはやってみないとわからない。だが自分のイメージどおりならいけるはずだと思った。ただしぼやけたイメージではだめだ。葵は「それ」を実際に見たことがない。だからこそ想像力が魔法の鍵なのだ。
それは天と地をつなぐ一本の道、そしてなにもかもを巻き込んで彼方の空に吹き散らす
そして今、 葵の心におぼろげに現像されつつあった「それ」は明瞭にその姿を現した。
見えた!
葵は叫んだ。
「来たれ、ウォータードラゴン!」
「竜巻か? いや、これは……」
戦い続けていた炎と雨がともに大渦に巻き込まれ、地上から引き剥がされようとしていた。数十もの炎の蛇はねじれ、引きちぎられながら空へと吸い上げられていく。周囲から巻き取られるように水柱が何本も生まれ、それらもねじれながら大渦とひとつになって空へと昇っていくのだった。
遠望すれば一頭の巨大な神獣がかぼそい炎を飲み込んでいく様が目撃できたろう。燃えるものがなにもない空の高みに吹き上げられた炎はたちまち四分五裂して消滅した。
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