第19話 剣と魔法 その4


 葵だけが馬に乗れないので兵の一人が自分の馬に同乗させることになったのだが、鞍に上るだけで手こずっている。見かねたガーラは舌打ちしながら少女の体を軽い荷物のように自分の馬に引き上げた。


「世話かけやがって、おとなしくしてろよ」


「ありがと、優しいね」


「黙ってろ、舌噛むぞ」


 つい自分の馬に乗せてしまったガーラだが、すぐに後悔することになった。速歩はやあし程度とはいえ、名にし負う四大騎士の巨漢が子供のような少女を自分の馬に乗せて市中を駆けているのである。目立つことこの上ない。慣れた馬の背にいながらガーラは妙に尻のあたりがむずがゆく感じられてしかたがなかった。


 しかも自分がそれを不快と感じていないことが彼を戸惑わせる。


 黒騎士とやりあったあの日からさほど日はたっていないのに、この少女の顔を見ないとなんとなく物足りない。口が裂けてもそんなことは言えないが、アオイというこの少女の溌剌とした姿はすでに彼の日常となっていたのだ。


 自分でも信じられないのだが、他愛もない無駄口を交わしている時間が好ましいのである。


「おぬしも物好きなやつだな、謀反人の逮捕など見て面白いか?」


「顔を見てみたかったんだよ、なにかわかりそうな気もしたし」


「姫さまが言っていたあれか。本当なのか」


 すると少女は少し先を走るイアンの背中を指差して言うのだった。


「うーん、そうだな、あなたがあの人と昔からのつきあいでほんとはもっと出世してほしいのに、なんて考えてることはわかるよ」


 この不意打ちはガーラには思わぬ指摘だったらしく、一瞬目をむいた。


「なぜ……そんなことが」


「わかるかって? あたしに聞かれても困るよ。ただね、なんとなくそうじゃないかって感じるの。たぶんそのとおりなんだろうなってことも」


「魔法士というのは皆そうなのか?」


「さあ、どうだろ。小さい頃から時々そんなことはあったけど、あたしのいたところはルフトがすごく希薄で魔法も魔法士もほとんどおとぎ話の中にしか存在しなかったの。こっちへ来て自分がほかの人とどう違うのか、なんて正直わかんないよ」


「そうか……」


 ガーラの声は少しかすれた。小さな魔法が充満するこの世界においても不思議や神秘は存在する。


 魔法士は国家資格もあるれっきとした職業なのだが、彼の周囲にそうした人間はいなかった。むろんクーリア姫は別格だが、魔法士というのはなにかよくわからない連中だと感じて自ら近づく気にはなれなかった。


 この娘は彼の漠然とした思い込みを覆す人間だった。陽気で物怖じせずよくしゃべる。それでいてどこか吹っ切れた成熟を感じることもある。この娘が魔法士だというならそれもありかと思ってしまう。


 要するに「変な娘」なのだ。


「あの人は昔の上司とか?」


「直接下についたことはないが……あの隊長は俺が駆け出しの頃、いろいろ教えてくれた人だ。馬鹿力にまかせて剣を振り回していた俺に自分でものを考えることをな」


「その結果が『そこな騎士!』って?」


「茶化すな、まあ、俺は剣を振るう道を選んだが、戦で生き延びてこれたのは自分なりにない知恵を絞って戦うようになったおかげだ。恩人と言っていいだろうよ」


「ふうん、暇さえあれば昼寝してる人のように見えたけど?」


 思わず笑ってしまった。飄々としていながら切れる人物であるイアンには、その気になれば王宮で能吏としてのし上がる才覚があった。にもかかわらず部下たちに手柄を立てさせ、次々に上へ押し上げながら自分は昼寝を優先させるような男だった。


「それがじれったい?」


「まあな、その気になりゃ陛下の側近だって務まる人だからな」


 納得したのか少女はふうんと言って話は途切れたが、しばらくして唐突に聞かれた。


「その胸当て、ちょっと変わってるね」


「なんの話だ」


 馬上のガーラは軽装だが、公務とあってマントを羽織った騎士らしい格好をしている。といっても胸当てと薄い手甲に脛当てが目につく程度だ。


 彼の場合は膨大な筋肉が鎧代わりなので戦場ででもない限りこれ以上の重装は必要ない。少女はその胸当てを面白いと言うのだ。


「それ、なんか仕込んであるね、もしかして魔法陣?」


「よくわかるな、まあ気休めだ、頼ったことはない」


「風……じゃないな、流れ? 波?」


「俺もよくは知らん、仕立屋が言うには飛んでくる矢を逸らすまじないだとか」


 首を捻ってガーラの胸をじっと見ていた少女はやがて「わかった、雨除けの応用ね。どうりでどこかで見たような気がしたんだ」と勝手に納得していた。


「雨除け?」


「前に図書館で見たの。降ってくる雨に干渉して雨粒を逸らす魔法。流れを操る術」


「傘で済む話だろう」


「あたしもそう思う」


 あはは、と笑っていた少女だが、なぜかカーストン家に近づくにつれ口が重くなってきた。さっきまでの快活さが影をひそめている。


「どうかしたか」


「……ちょっとね、嫌な感じがしてきた」


「慣れぬ馬で酔ったか」


「悪い予感がする。信じる?」


「……それは魔法士の勘か?」


「たぶん。元々それが気になってついてきたんだけど、さっきから急に強くなってきた。これ本気で危ないかも」


 ガーラはつい黙り込んでしまった。彼は魔法士を身近にしたことがなく、その言葉をどこまで信じてよいものかという疑念もある。以前の彼なら一笑に付していたかもしれない。だが今はそうできないなにかが心の中にあった。それこそ彼をこれまで生き延びさせてきた戦士の勘だったかもしれない。


「……危ねえか」


「用心して。相手は男爵一人じゃないかもしれない」


 ガーラは無言のままうなずき、そこからカーストン家に到着するまで一度も口を開くことはなかった。


     ***


 カーストン家は例の「魔法士の森」のやや北に位置する。男爵という爵位の割にはかなり大きな構えの屋敷である。木々に囲まれた敷地に広い庭、家屋は平屋だが煉瓦造りの年代物だ。男爵と妻、二人の息子、執事の下に住み込みの使用人が四人という住まいである。


 今、その屋敷は二十名ほどの兵で囲まれていた。名目上は警護となっているが、実質は男爵家の「隔離」であった。むろんその意図を知る者は少ない。


 ガーラたちは屋敷の手前で先発のラダルと合流した。


「様子はどうだ」


 イアンが質すと「異常ありません」という答えである。


「朝から家族、使用人ともに一度も外出していないとのことです」


「よし、二人ほど連れて来意を告げてきてくれ。とりあえず話を聞く用意はあるとな」


 警護の兵たちはガーラの姿を見て驚いていた。彼らは単に警護とだけ命じられている一般の兵なので、まさか四大騎士の一人が出張ってくるなどとは思ってもみなかったのだ。ここで初めてただの増員などではないことを知ったのである。


 ガーラはいわば見届け人のような立場なので、馬から降りるとそのまま待機している。イアンが正式に男爵の捕縛に入るまでは第七隊の仕事である。極端な話、ガーラはただ黙ってその場に立ち会うだけでよいのだが、イアンの背に歩み寄ると小声で忠告した。


「隊長、踏み込む時は慎重に」


 イアンが「ん?」と隣に立ったガーラの巨躯を見上げた。


「あいつの勘が用心しろと言っている」


 ガーラが背後に佇む少女をちらと見やって告げるとイアンは一瞬癒そうなあ顔をしたが、すぐに真顔で聞き返した。


「冗談、じゃないんだな?」


「らしい。魔法士の勘というのがどの程度のもんか正直俺にはわからんが……気になる」


 旧知の仲とはいえ、今や四大騎士の一人となったこの巨漢がそうしたものを気にする人間だったとは。意外ではあったが、イアンもまた勘働きに優れた男だ。なにかある、と改めて気を引き締めた。


「しかしなにがあるというんだ」


「わからん、だが相手は男爵一人とは限らず、だそうだ」


「伏兵か」


「それも考えておこう」


 二人は前を向いたまま頷きあった。もうじきラダルが屋敷の玄関から出てくるだろう。そうしたらすぐに乗り込んで男爵の逮捕に踏み切る手筈となっていた。慎重を期すのは当然だが、三十名以上の兵が囲むこの状況で不測の事態が起きるとは考えにくい。


 だが——。


「妙だな」


 イアンがつぶやいた。わずかに眉をひそめる。


「ラダルのやつ、なにを手間取っている」


 当主に面会し来意を告げる。第七隊隊長から沙汰があるのでその場に控えるように。ただそれだけを言い渡すにしては時間がかかっている。ラダルが二人の部下とともに邸内に入ってしばらくたつのにまだ出てこないのだ。なにか騒動があったような気配もなく、屋敷はひっそりと静まり返っている。


 むしろ静かすぎるくらいだ。


 イアンがちらと傍の巨漢と顔を見合わせる。一瞬、まさかという思いが走ったが、その時玄関の扉が開いた。ラダルに続いて同行した二人の部下が姿を見せる。特に変わった様子は見られない。ただ、もう一人の人物がそのあとに続いたのが意外だった。


「ん? どうした」


 ラダルたちに続いて現れたのは問題のカーストン男爵本人だったのである。邸内でおとなしく待つ気になれなかったのか、それとも抗議でもするつもりか、四人はゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。


「なるほど、大いに言い分がありそうな様子だな」


 イアンが苦笑交じりに肩をすくめた。素直にこちらの指示に従うほど殊勝な人間ではないということだろうか。小身とはいえ貴族の誇りがあると言いたいのだろう。


「陛下のご指示だ、言いたいことがあるなら聞いてやるさ」


 あまり見苦しく騒いでくれるなよ。そうイアンが独りごちたその時であった。


「気をつけて!」


 いきなり背後から少女の声が耳を打った。ガーラにもイアンにも誤解しようのない緊迫した響きである。思わず背後を振り向く。


「あの人、ものすごく危ないよ、気をつけて!」


 なに、と再びラダルたちに目をやった二人は瞬時に異変を悟った。


 庭の中ほどまで歩いてきたラダルとその部下が次々と前のめりに倒れたのである。何かを訴えるようにイアンたちに手を伸ばしかけた姿勢のままがくりと膝をつき、そのままくずおれたのだ。


「ラダル!」


 イアンはさっと片手を挙げ、周囲の兵たちに即座の警戒態勢を命じると倒れた部下たちのもとへ駆け寄った。むろん、ガーラもだ。イアンより先に動いてラダルたちをかばうように周囲に目を走らせている。


 倒れたラダルたちの様子も気になるが、目の前の男にはそれ以上にただならぬものを感じていたのだ。


 ラダルたちが倒れてもカーストン男爵は平然とその場に立っていた。


 その無表情な目が異様だった。視線が定まらず、どこを見ているのか眼球が小刻みに震えている。ガーラから見れば片手でひねりつぶせるような相手のはずなのに、無意識に手が腰の剣に伸びた。


 兵たちが一斉に庭に突入し、周囲を取り囲んだ。イアンは手早くラダルたちの様子を確かめていたが、これといった傷はない。ただ完全に意識を失っており、ぴくりとも動かない。鼓動も呼吸も正常に見えるが、三人とも目を見開いたままなのが異様だった。


「急いで手当てを、緊急だ」


 そう部下に告げると立ち上がってガーラの隣に並んだ。


「これはどういうことかね、男爵」


 そう問われてもカーストン男爵は無言で彼やガーラを見ているだけだ。いや、見ているかどうかも怪しい。その表情に一切の動きがないからだ。


 重ねて問い質そうとした時、男爵はいきなり笑い出した。けたたましいほどの大笑いに周囲の兵たちまでがぎょっとした。


「隊長、こいつまともじゃねえぞ」


「……私にもそう見える。いったいどういうことだ」


 すると男爵はぴたりと笑いをやめ、初めて彼らの前で口を開いた。


「まともじゃない? ひどい言い草だね」


 そう言って自分を取り囲んだ兵たちを見回すと口元に皮肉な笑みが浮かんだ。


「大仰なことだな、第七隊の隊長おん自らお出ましとは。おまけに四大騎士の英雄ガーラどのまで。おやおや、それに……」


 男爵の目がちらとガーラの背後を見た。


「魔法士までご同道とはまた珍しい顔ぶれではないか。いったいなにごとかね」


 近づいてきた葵に向けた目がわずかに光った。面識のない葵を知っていることも、ガーラたちを前にしてのこの落ち着きぶりもただ事ではない。


「聞きたいのはこちらの方だ。部下たちになにをした」


「くだらんな、私はこれでも多忙な身でね、近衛隊のお遊びにつきあっている暇はないのだよ」


「遊びで兵を動かすほどこちらも暇ではない。卿には近衛隊まで同道願おうか」


「用向きは?」


「クーリア王女襲撃の容疑だ。暗殺未遂の主犯としてな」


 イアンは低く告げたが、男爵は一切表情を動かさなかった。驚きも反発も見えず、といって狼狽する様子もない。


「ご大層な話だな。私にはなんのことだか」


「話だけは聞こう、近衛隊にも茶の用意くらいはある」


 男爵は答えず軽く肩をすくめたが、そこでまた少女の声が飛んだ。


「気をつけて! その人なにかしようとしてる。時間稼ぎに乗っちゃだめ」


 イアンとガーラが反射的に身構えると男爵の表情がわずかに歪んだ。舌打ちとともに初めて不快な感情が漏れた。


「小賢しい魔法士の娘が、だがもう遅い」


「足元!」


 葵の警告と同時にガーラたちの足元からいきなり炎が吹き上がった。ガーラとイアンはとっさに飛び退いて炎の直撃を避けたが、人頭大の火の玉がいくつもはじけて周囲の兵たちの中に飛び込んだ。悲鳴を上げる者、慌てて飛び退く者など、混乱で囲みが崩れる。だが男爵は逃げるでもなくその場にとどまっていた。まるで自らが炎をまとっているかのように冷めた目で混乱する周囲をじっと見ているのだ。

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