第13話 王宮にて その2


 さぞ絢爛豪華であろうと想像していた国王の間は思いのほか簡素な広間であった。


 絵画や彫刻などの調度類も数点が飾られているだけだ。ただし、一点一点は間違いなく国宝級であろうと思われる逸品である。正面奥にこれは文句なしに豪華な王座があり、そこに腰掛けて葵たちを迎えたのが現国王ワルトナ・ゴドウィン・アリステア二世その人であった。


 四十代半ばと聞いていたが、実年齢よりずっと若々しい印象だ。体格もよく、銀の髪が高貴さと風格を感じさせる。マントや肩に施された金の装飾が光を弾いて豪奢だ。


 空席の王妃の椅子が一抹の寂しさを感じさせるが、穏やかなまなざしのその人は権力者のオーラとは違うものをまとっていた。


 暖かみ、責任感、慈愛といったおおらかな大人たいじんの雰囲気である。あぁ、大人の男の人だ——葵は素直にそう思った。同時に彼が背負う苦悩や痛みもうっすらと響いてくる。当然だ、この人の意思と決断が二五〇万の国民を支えているのだから。


 きっとクーリアにもそれが見えているのだろうな、と思った。あの少女がどこか無理をしている印象があったのは父王の側でそれを見てきたからなのだろう。


「父上、異邦よりのお客人をご案内いたしました」


 クーリアは短く口上を述べた。仔細は既に伝えられているのだろう、国王は鷹揚にうなずき、娘に「これへ」と軽く手を挙げた。


 葵と恭一はクーリアに従って前へ出る。室内にいるのはむろん彼らだけではない。側近や官吏の主立った者であろう、二十名近い人々が左右に立って葵たちを見ている。ある者は興味深げに、ある者は検分でもするように、そしてある者は懐疑的に。暴漢からクーリア王女を救い、昨夜は近衛隊宿舎への不可解な襲撃を退けたという旅の騎士と魔法士の二人組。それがいかなる者たちであろうかと探る目である。


 そして国王の両脇に立つ二人の騎士。


 一方は筋肉の樽のような巨漢、もう一方は対照的に痩せた小男である。葵には恭一が小さく「ほう」とつぶやく声が聞こえた。言われずともわかったのだ。この二人の騎士もまた例の四大騎士なのであろうと。


 クーリアは王の前まで進むと淑やかに膝を折って臣下の礼を示した。葵たちは知らないが、これはかなり珍しい光景であった。この父と娘は公式の場でもそうした勿体をつけないのが常だったからだ。周囲の人々が軽く目をみはったのもそれをよく知っているからだろう。


「お待たせいたしました。遠来のお客人、アオイ・キサラギさまとキョウイチ・タカシロさまのお二人です」


「しかと承った。同道の儀、ご苦労であったな。楽になさい」


 国王は王女に短くねぎらいの言葉をかけると葵たちにこう告げた。


「よくまいられた。高いところから失礼するが、どうもこうしないと威厳がどうの格式がどうのとうるさいのでな、気にせずお楽になさってけっこう」


 隅の方にいた側近の何人かがそっと天を仰ぐ真似をした。


 せっかく王女が慣れぬ形をつけたのにいきなりこれだ。クーリアが思わず口元を押さえるのを葵は見逃さなかった。リーンから聞いてはいたが、この王さまは本当にさばけた人柄であるらしい。


「此度は娘が危ないところを救っていただき、父として、また王として感謝の念に堪えない。また昨夜の近衛隊に対するあやかしの術を退けたことについても同様。このご恩にどう報いればよかろうか」


 葵が一歩前に出るとクーリアを真似て膝を折った。


「お初にお目もじいたします。アオイ・キサラギと申します、隣はキョウイチ・タカシロ、一言では説明しづらいのですが、ゆえあって着の身着のままで当地に放り出され、成り行きで姫さまをお救いすることになりましたが、その日の宿にも不自由していた身を姫さまに救われたのはあたしたちの方です。どうかお礼などと気になさらないでください」


「ほう、謙虚なお言葉であるな。姫は国の宝にも等しい。その命の恩人とあれば城のひとつくらいは当然と思うておったが、なにか望みはござらんか」


「お城って……王さま、それはいくらなんでも大盤振舞いが過ぎませんか」


 いささか砕けすぎの言葉になったが、葵は本気で呆れていたのだ。やっぱ一国の王ともなると庶民感覚とは無縁なのね、という心境である。


「ん、ひとつでは足りぬかと考えていたのだが」


「旅の騎士と連れの娘が望むのはしばらくこの地を歩き回る自由と当座の寝床だけです。早いうちに仕事を見つけて自活したいと考えていますので」


「まことにそれだけでよいのか? 城が要らぬなら金貨で代替してもよいのだぞ」


「働いて糧を得、安心して眠れる寝台があれば十分です。下々の者が望む安心や幸せというのはそのようなものですよ。あたしの国には『働かざる者、食うべからず』という格言があるくらいですから」


 ここで国王は豪快に笑った。体を揺すって膝を叩いている。周囲の重鎮たちは国王陛下と旅の娘の奇妙なやりとりにぽかんとした顔である。王が正確に受け取った葵の冗談が彼らには理解不能だったらしい。大枚の報償を蹴る人間がいるなどとは想像もできなかったのであろう。


 笑いを収めると国王は「あいわかった」と結論を下した。


「そなたたちの処遇については姫の方から任せてほしいと要望が出ておる。当地にとどまる間はその暮らしと自由を保証し、姫の希望に添うこととしよう。よき友人となってくれればありがたい」


「ありがとうございます。このご恩は決して忘れません」


 国王はうなずいてクーリアに「これでよいかな」と質した。ありがとうございます、と答える彼女の笑顔がこの王にとってはなによりの宝なのであろう。父親としての笑みか国王としての笑みか、いずれにしろおおらかな表情であった。


 だが、続いてアロンゾとリーンからこのところの不穏な状況について報告を受けると座の雰囲気に緊張が走った。


「昨夜の騒動といい、夏至祭を襲った連中といい、妙な動きが露わになりつつあるのは確かであろうと思われます。いずれもアオイどのキョウイチどのが食い止めてくださったが、こうなると次があることを想定せざるを得ませぬ。お二人がクーリア姫さまの側近くにあることは頼もしいですが、となるとルシアナ姫の周囲も気がかりです。姫にも護衛の従騎士をおかれることを進言いたします」


 ざわざわと私語が交錯した。全員の顔が曇っているのはこれまで想定もしていなかった危機感を突きつけられたからだ。特に国王の表情は厳しくなった。アロンゾは恭一の指摘が正確に事態の本質を突いていたことを知った。


「いったい何者が……」


「それはまだ。しかし手をつかねているときではありませんぞ」


「あれはまだ幼い。騎士の護衛などつけたらかえって怯えるのではないか」


 父親としてルシアナ姫の笑顔が曇るところは見たくない。だが、アロンゾが指摘した危惧は無視できない。知ってしまった以上、手を打たねばならない。


「陛下、姫を怯えさせず護衛の任を果たせる者に心当たりがございます」


「誰だ」


「エリーザ・マレ。クーリア姫付き従騎士リーン・バロウズとは近衛隊同期であり、現在は南部アルドロウの城勤めですが、女ながら剣も使え機転も利きます。歳の離れた弟と妹がおり、幼い姫との接し方は心得ておりましょう」


「なるほど。その者はすぐに呼び戻せるか?」


「実は所用にて現在当地に滞在しております。今朝任地に戻る予定でしたが昨夜の騒動で一日延ばしになっておりますので陛下のご裁可があれば即座に」


 宰相! と国王の声が飛んだ。一騎士の処遇としては異例のことだが、その場で人事が決定され、葵の提案(その事実は伏せられていたが)は即時実行されることになったのである。


 こうして葵たちの国王への拝謁と報告は無事終了となった。そのはずだった。


 ところがここで思わぬところから待ったがかかった。


「しばしお待ちを」


 突如野太い声が響き、国王の傍らに控えていた巨漢が進み出たのである。


     ***


 なにごとだ、と全員が——国王までが——その巨漢の騎士に注目した。


「そこな騎士!」


 厳しい声で男が指差したのは恭一であった。誰もが怪訝な顔で両者に視線を向ける。


「聞けば風来ふうらいの騎士でありながらたいそうな腕だという。だが何処から来たのかも定かでない者をたやすく信用することは俺にはできん。ましてや姫さまのお側になどもってのほか!」


「よせ、ガーラ、客人に対して失礼だぞ」


 国王がたしなめたが巨漢は譲らなかった。


「いえ、お言葉ながらこの不穏な状況において、得体の知れぬ者を王家に、ましてや姫さまたちのお側近くに出入りさせるなど不用心すぎます。近衛の騎士として、四大騎士の称号を賜る一人としておのがこの目でしかと人品確かなりと認めた者でなくば」


「お前のいうことはもっともだがどうせよと言うのだ。客人は姫が認めた御仁だぞ、その姫の目を疑うか」


「騎士の信用は剣によってのみ証明できます。その者が客人の名に値するか否か、この剣にて検分つかまつります」


 ここに至って全員が理解した。ガーラ・バルムント、四大騎士の一人。この巨漢は旅の騎士に剣をとって立ちあえと言っているのである。通常であれば国王が客人と認めた相手にそのような無礼は許されない。だが、国の英雄として名を馳せた最強の四人だけは王にわがままを言い募ることができる。むろん王にはそれを退けることも可能だが、それによるささやかな軋轢は好ましくない。どちらを立てても痛し痒しなのである。


「王さま困ってるね」


「困ってるな」


「あのガーラって人、さっきの伯爵さまとは別の意味でまっすぐな人だよ」


「壮烈にな。悪い人間でないことも確かだが、どうもこれは逃げられんようだ」


「強い?」


「強いな。力は向こう、足と剣技はたぶん俺、実戦経験は向こう、総じて五分と五分だ」


「しかたがないね、じゃあちょっと煽っていいかな」


「心理戦か? そうだな、この際それもありか、わかった、任せる」


 国王はどうしたものかと頭を抱え、巨漢はなおも吠えていたが、そこに葵のやけにのどかな声が割り込んだ。


「はいはい、お二方ともそこまで」


 なぜかその場の全員がぎょっとした。巨漢騎士の胸までもない葵が平然とその前に歩み出てきたからだ。並ぶと文字通り大人と子供である。


「すべての騎士は国王の臣下である。なのにこの醜態はどうしたことかな」


 巨漢の顔を真下から見上げるようにして言い放つ。両手を腰に当て、逆に見下ろすかのような態度である。


「な、小娘に用はない、下がっておれ」


「おまけにちょっと強いからってちやほやされて場所もわきまえず騒ぎ立てる。君が立っているこの場所がどこだかわかってる? 畏れ多くも国王陛下の間だよ。この意味わかってる?」


「な、なにを言う、そのようなこと自明だろう!」


「自明? ほんとに? ここに立てるのは陛下を尊敬し、衷心からお慕い申し上げる心根の持ち主だけだよ。その陛下の前で駄々をこね、不満だ、許せん、我慢できんと食い下がって困らせている君は何様かな?」


「この、言わせておけば……」


 巨漢は既に顔から蒸気が吹き上がり、周りは唖然とした顔ばかりだ。自分の耳が信じられないのである。いまだかつて四大騎士に向かってここまでの暴言を吐いた者はいない。


「やっぱりあれだね、四大騎士だの無双の英雄だの過分な賛辞でその気になっちゃったのがいけないんだろうね。そろそろ身の程を知ってもいい頃かもね」


 巨漢騎士は怒りで舌がもつれ、まともな反論どころか口をぱくぱくさせているありさまだ。相手が自分の半分もない少女だからかろうじて自制しているが、さもなくば爆発していただろう。


「いいよ、そんなに恭一と手合わせしたいんなら相手してあげる。それで文句ないよね」


「き、き、き、貴様、この俺を愚弄するか!」


「今の君にそんな値打ちあるかな。で、どこでやるの? まさか陛下のお部屋でこれ以上の騒ぎを起こすような馬鹿じゃないよね。姫さま、どこか広い部屋あります?」


 問われたクーリアももし数日前の彼女だったら絶句していただろう。だが、今日の彼女はやや青ざめながらこう答えたのである。


「でしたら宴会用の大広間がよろしいかと。邪魔な柱もありませんし」


「じゃ、そこにしよう。えー、国王陛下、前言撤回。お礼としてこの失敬な騎士さんを懲らしめる自由をお与えください。だめって言われてもやりますけど」


「あ、いや、しかし、それは」


「はい、ありがとうございます。確かに承りました」


 勝手に話を進める葵は最後にこう一同に宣告した。


「ということで決定しました。片や一夜にして騎士三七人を打ち倒した謎の黒騎士恭一、こなた栄えある四大騎士の一人。怪力無双、岩のガーラの対決。どっちが勝つか見物だよ。ただし勝負はお昼を食べてからね。じゃあ解散!」


 それだけ言うと葵はさっさと王の間から退出した。恭一が国王に一礼して無言で続く。クーリアは優雅に、リーンは蒼白な顔で後に続く。残された人々は国王も含め、しばらくそこから動けなかった。


 と、また王の間の扉が開いて葵のだめ押しの声が響いた。


「ガーラのおじさん、怖いからって逃げちゃだめだよ」


 人々は棒立ちになり、ただ一人、巨漢の騎士だけが火を噴いていた。

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