第12話 王宮にて その1



 前回会ったのはほんの数日前のことだというのに、王宮で再会したクーリア王女の印象はよい意味で別人だった。


 繊細さに強さが加わった。年齢が自分たちに追いついた。頼もしくなった。すなわち一言で言えば「図太くなった」というのが葵の印象であり、恭一はこう評した。


「男子三日会わざれば、というが女子も同じだな。なにがあったんだ?」


 今二人がくつろいでいるのは王宮の一角に用意された彼らの部屋である。この国にこれ以上豪華な建物は存在しないので近衛隊宿舎の立派な客室を凌ぐ空間である。


「前のがセレブ用リゾートならここはまさに王侯貴族のVIPルームだな」


「こんなのに慣れちゃうと帰ってから大変だよ。六畳一間のアパートで新婚生活」


「うちにくればもう少しましだぞ。十LDK程度だが」


「うちの本殿よりお掃除大変そう」


「問題ない、我が社の掃除ロボットは優秀だ」


 そんなことを言って笑っていると軽いノックの音が聞こえてリーンが迎えにきた。


「ご夕食の支度が調いましたので姫さまのところへ」


 そう、既に時刻は夕刻、もう陽は西に沈んでいる。今朝方リーンが馬車で迎えにきてまだ半日だが、実に慌ただしい時間が流れていった。


 それは国王との謁見から始まった。


     ***


 馬車に乗っているのは四人、迎えのリーンに葵と恭一、昨夜の騒動の報告に向かうアロンゾも同乗した。


 騎士上がりのアロンゾは王宮へは馬か徒歩というのが日常だったらしくクーリア姫御用達の馬車に誘われたことがなんとも面映ゆいようであった。


「その、どうにも尻が落ち着きませんな。私などが乗せていただいてよろしかったのですかな」


 姫さまの馬車になどとてもとても、と固辞するアロンゾを「どうせ登城するんですから一緒に」と誘ったのは葵である。リーンも「ご遠慮なく、隊長どの」などと笑っていた。


「やっぱり気になるんですか、そういうの」


「私は無骨な日々を送ってきた者でしてな、貴公は馬で参れ、と言われた方が落ち着きますな、正直」


「乗馬なんて一度も経験ないんですけど、覚えた方がいいですか」


 無邪気に尋ねる少女にひげの元騎士は破顔した。


「覚えておくに越したことはありませんな、馬車は気楽ですが自在に乗り回すような代物ではありませんし、手間も準備も要る。折を見て経験なさるがよろしかろう。近衛隊の訓練用馬場が郊外にありますのでいつでも手配いたしましょう」


 葵はもうその気になったらしく恭一にも「どう?」と水を向けた。


「いいかもな、いざという時に機動力が辻馬車だけでは心許ない」


「恭一は乗馬の経験あったんじゃない?」


「親父に言われてな、たしなみだと。おふくろは学生時代に乗馬クラブだったとかで達者なもんだった」


「あたしは遊園地のポニーにさえ乗ったことない」


「馬はかわいいと思うぞ、ちゃんと手をかけて世話してやるとこっちのこともわかってくれるからな」


 恭一の言葉が気に入ったのかアロンゾは「いかにも」とうれしげだった。リーンも馬なら自分にも教えられます、と言うのでそれじゃあ落ち着いたらぜひ、という話になった。


「まあ自転車でもあったらとは思ってたんだけどね」


「あれは分解してみるとベアリングやらの精密部品がけっこう詰まってるからな、できたとしてもそうとう原始的なものになるぞ。この際馬を覚えろよ」


「わかった、楽しみにしてる」


 リーンによるとクーリアも乗馬の心得があるらしい。一度落馬して周りは青くなったが、当人はそれで火がついたのか、熱心に馬場に通ったのだという。


「ルシアナさまはまだ小さいので馬に近づくのが怖いようです」


「妹さんだったっけ」


「はい、先日七歳になられたばかりです」


「かわいい盛りだよね、もしかしてお父さんデレデレ?」


 リーンが珍しく声を上げて笑ったのでどうやら父王の溺愛ぶりは有名らしい。だがあまり空気を読まない恭一の一言で一同はぎくりとした。


「その妹姫に護衛は付けてあるのか?」


「は?」


「姉が襲われたばかりだ。裏で糸を引いてるやつがいるなら妹が狙われない保証はないぞ」


 リーンが一気に青ざめ、アロンゾも唸った。


「どうなのだ、リーン」


「今は特には。ですが至急姫さまに」


「それがいい、昨夜の一件といい、ここへきて急に騒がしくなった。油断はできんぞ、私も陛下にそう進言してみるつもりだ」


 現国王が溺愛し、クーリアの妹でもあるルシアナ姫の存在は確かに危うい。なにかあったら国王一家にとっては耐えがたい痛手になるだろう。リーンは恭一の一言でその可能性を知ったのだ。そのルシアナ姫が護衛も付けずに王宮の中を歩き回っているのだと考えると急に落ち着かなくなった。


 昨夜、その正体はわからないものの、何者かが呪いを仕掛けてきたのはよりにもよって近衛隊の宿舎である。王宮だから安全とは言い切れないのだ。

アオイどの、ルシアナさまはご無事でしょうか」


「せっかちね、急に心配になった?」


「あなたになら見えるのでしょう」


「誰かに未来を保証されないと安心できない? それじゃ自分の足で一歩も先へ進めなくなるよ」


 それは葵自身の信条でもあった。たとえ未来のことが手に取るようにわかったとしてもそれに頼りきってはだめなのだ。霊能や超能力がなくても人は知恵と理性で正しい道を選べるはずだ。自分で考え、推測し、最善の手を探す。それを忘れたらその日で自分の歩みは止まる。だから——。


「アオイどの……」


「そんな顔しないで。んー、じゃあ妹姫の護衛役、あの人はどうかな?」


「あの人?」


「赤い髪のお友だち。どうせいずれはここに戻ってくるんでしょう? それが少しくらい早くなってもいいんじゃないかな」


 リーンの顔が一気に明るくなった。思いもよらぬ名前であり、頼もしい名前でもあった。そうだ、彼女なら!


 アロンゾもなるほどと膝を叩いた。


「名案だ、エリーザなら機転も利くし剣も使える。お前とも気心の知れた中だ。その件も併せて進言するとしよう」


 これで車内の空気が活気づき、葵はまた感謝されることになった。


     ***


 遠景も美しかったが、直下で仰ぎ見る王宮は絶景であった。


 四方に尖塔を持ち、中央に優美なドーム状の宮殿が鎮座する。そのすべてが華麗な装飾と彫刻で細部に至るまで埋め尽くされている。こちらにも大理石があるのかと思わせる白亜の宮殿である。確かに城というよりは王宮だ。


「大きい。それに……なぜだろ、ここすごくルフトが濃いよ」


「二百年ほど前に一度大規模な改修があったそうです。その時にカプリアを細かく砕いた砂を壁や天井に塗り込めたとか」


「カプリアの宮殿かあ、どうりで」


 そこでなにかに気がついたらしく、葵は黙って目の前にそびえる王宮のあちこちに目を凝らしていた。リーンたちが怪訝な顔をするのにもかまわず「ふうん、そういうことか」などとつぶやいているのだ。


「葵、どうかしたのか」


「うん、このお城、面白いなあと思って」


「面白い?」


「ここね、あの丸屋根とか壁の装飾とか建物全体が魔法陣になってる。カプリアで壁を塗ったのもそのためだと思う」


 リーンとアロンゾが「えっ」という顔になったところをみると彼らにも初耳だったのであろう。これが、という表情で眼前の巨大建築を見上げていた。


「なんの魔法なんだ」


「さあ、大きすぎて全体が見えないけど図書館で見たどれにも似てないね。具体的なものじゃないのかも」


「というと?」


「国の安泰を願うとか五穀豊穣とか漠然と『よい国でありますように』っていうおまじない、みたいな?」


 葵がそう答えると横合いから聞き覚えのある声がかかった。


「よくおわかりですね、さすがはアオイさま」


「姫さま!」


 リーンとアロンゾの驚く声が重なった。いつ現れたのか、クーリアが笑顔でこちらを見ていたのである。


「そろそろお見えになる頃だろうと思いましたので」


 そう言って微笑む少女に葵は「まあ」と目をみはり、恭一は「ほう」と感心したように目を向けた。


 たった数日で中学生が高校生になったような印象を受けたのだ。元々の繊細な美しさに加えて内面の強さのような雰囲気が垣間見える。前回には感じられなかった線の太さとでもいおうか。


「びっくりね、なんかあった?」


「私も細かいことで一喜一憂するのはよそうかと。強いて言うならお二人のおかげです」


 首を傾げる葵に「そのお話はまた後ほど」と言ってクーリアは王宮正面の大門を示した。


「どうぞこちらへ。まず父のところへご案内します。アロンゾどのもどうぞ」


 リーンとアロンゾが慌てて前に立ち、クーリア、葵、恭一がその後に続く。門を守る衛兵がかしこまって開いた大門の向こうは巨大な吹き抜けになっており、壮麗な天井画はこの国の歴史画であったろうか。戦場の風景や、神々、聖人と思しき人物画などで彩られていた。まさに大伽藍である。


 顔が映るほど磨き上げられた中央の回廊を抜け、屋内とは思えない広い階段を昇る。飾られた彫刻や絵画はどれも素晴らしく洗練されており、この国の文化的水準が極めて高いことを示していた。


「内装はちょっとプラハ美術館を思わせるな」


「やっぱり基本は欧風なのかな」


「仮に同時期に人類が発祥したとしても、その後の大移動まで同じだったとは限らんだろう。ゲルマンやアングロサクソンが東洋に定着するコースをたどったのかもな」


「じゃああたしたちの系統がこっちのヨーロッパに国を作ってるのかな」


「ありうるな、あの世界地図にはもうアメリカ大陸が描き込まれていた。こっちのコロンブスが日本人だって可能性も」


 二つの世界のどこが共通でどこが異なるかは面白い話題だったが、誰かが歴史をレクチャーしてくれないと全貌は掴みようがない。ルフトと魔法が発見された時点でこの世界のコースが大きく変わったであろうことは確かだからだ。


「魔法が便利すぎて機械文明が発達し損なったとすると、産業革命以降のひたすら富を追求する資本主義経済のようなものは主流にならなかったと考えられる」


「それが社長候補のお考え?」


「まあ演習課題みたいなもんだ。地方も見てみないとわからんが」


「ずいぶん難しいお話ですね。キョウイチさまは学問にご興味が?」


 クーリアが面白そうに口を挟んだ。固有名詞は不明でも話の流れはわかるらしい。彼女が高い教育を受けていることの証だったろう。


「あぁ、ごめん。恭一は向こうでは、うーん、なんていうか豪商の跡取り息子だからそういう勉強させられてるの。退屈でしょ、こんな話」


「いえ、面白いですよ。政治まつりごとにもそういう一面がありますので。でもちょっと驚きました。キョウイチさまはてっきり騎士の家系の方だとばかり」


「一人息子ではあとを継がざるをえんからな、剣は……まあ、俺に許されたささやかな自由だ」


 複雑な建物なので単純に何階建てとは言いがたいが、第三層がどうやらメインのフロアであるらしい。片側がバルコニーになっている広い回廊のその先が国王の間であると案内された。


 途中、こちらへ歩いてくる一人の騎士とすれ違った。アロンゾとリーンが丁寧に頭を下げたので名のある人物と思われた。歳は二十代後半といったところで、身長は恭一とほぼ同じくらい、広い肩幅と発達した筋肉が鍛錬を感じさせる。肩口までの葵の髪よりもずっと長い黒髪と品のある顔立ちが印象的だった。足を止めて王女に一礼すると恭一にちらりと視線を走らせ、そのまま無言で歩み去る。


「何者だ?」


 恭一が短くつぶやくとクーリアが振り返って教えてくれた。


「シュトルム・ダンテス二世、ダンテス伯爵家の現在の当主で風のシュトルムとも呼ばれるファーラム四大騎士の一人です」


「なるほど、納得した」


「恭一はどう見た?」


「そうだな、強い」


「それだけ?」


「二十代後半と見たが、それで伯爵家の当主なら才覚も一流だろう。葵は?」


 葵はちらと遠ざかる背中を見て「まっすぐな人だね」と答えた。


「あの人は信用できるよ、でもなにか悩みごとがありそう」


「悩みのない当主なんているか?」


「信用できるけど味方とは限らない。馴れ合いは好まず。道理を尊ぶけど本音はなかなか明かさない。待ち人あり。北へ向かえば小吉。以上、天元神社のおみくじ」


「覚えておこう」


 聞いていたクーリアが小さく吹き出した。


「アオイさまには天の声が聞こえるのですか。今の人物評、リーンもアロンゾどのも冷や汗を感じたみたいですよ」


 言われた両名がどことなくぎこちなく歩いていくのは、思い当たる節があったのであろうか。あえて聞かなかったふりをしている。


「うちは神社といって古い神さまを祀る個人経営の神殿みたいな家だからね、おみくじといっておおざっぱな占いで日銭を稼ぐの」


 葵の父が聞いたら嘆息して天を仰ぎそうな台詞だ。ニュアンスはクーリアにも通じたようで、まあ、と口元を押さえる。


「父もアオイさまに『信用できる』と言っていただけるとよいのですが」


 大丈夫だよ、それはあなたから伝わってくるから——それが葵の答えだった。

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