第14話 王宮にて その3


「もう一押ししたほうがよかった?」


「十分だ、脳が沸騰してそうだったからあれ以上やっても聞こえなかっただろう」


 葵は相手が直情型だと見て冷静さを失わせようと企んだ——わけではない。恭一は避けられない戦いなら受けて立つ。強敵相手に勝ちを拾うために全力を尽くすだろう。葵の場違いに見えるパフォーマンスもその一部である。それが功を奏するかはやってみなくてはわからない。それでも蒔ける種は蒔いた。昼食と称して時間をおいたのはその種を実らせるための算段である。


 王宮内にはレストランが店を出しているわけではないのでリーンに案内されて厨房の片隅で食べさせてもらった。まさか第一王女とその従騎士が厨房に顔を出すなどとは思ってもみなかった。他国の王宮では絶対にあり得ない事態である。


 同席しているのは見ない顔で、どうやら姫の友人らしい。厨房の片隅だというのに楽しげに談笑している姿がひどく印象的であった。


 料理人たちは腰を抜かすほど驚き慌てふためいたが、死に物狂いで腕を振るい、なんとか形をつけた。


「知りませんでした。ここへくるとこんなに温かくて美味しいものが食べられるのですね」


「それはあれだよ、王さまや王女さまの口に入るものだから相応に勿体つけなきゃいけないし、立場上毒味もしっかり済ませてからでないと出せないでしょ、そりゃあスープだって冷めるって」


 それは恨めしいことですね、と言いつつクーリアの方も場所を気にせず食べている。葵は今度、黒鳥亭に連れ出してやろうか、などと考えていた。


「直前に再加熱できるものを作ればいいんじゃないか。電子レンジがなくとも魔法でいけそうだが」


「恭一としては自社のレンジを売り込みたいところね」


「風呂の温度調節が可能なんだ、工夫すれば実現可能だろう」


「真面目に考えればなんとかなりそうな気もするね。できたら事業化してみる? 高城エレクトロニクスファーラム支社」


「開発責任者は葵だぞ」


「六百ワットで二分間、なんてどうやって再現するんだろ」


 決戦目前だというのになにやら楽しげな様子にクーリアも微笑んでいる。リーンには彼女たちのその余裕が不思議でならない。自分でさえこんなにも胸がどきどきして料理の味もよくわからないのに。


「落ち着きなさい、リーン」


「ですが姫さま……」


「勝てばよし、たとえ遅れをとってもそれで扱いを変えるような父ではありません」


「はあ」


 恭一が負ければ形の上では彼らを客人として招いたクーリアの顔に泥を塗ることになる。だが、この王女はもうそうした些末なことで気を揉むのはやめにしたらしい。その変わりようがリーンにはひどく新鮮で好もしく感じられる。


 姫さまはお強くなられた。


 理由はよくわからないが、きっかけが目の前の二人、異境から現れたという若者と少女であることだけはわかる。


 彼らは本当に何者なのだろう。


     ***


 対決の舞台となった大広間は国賓を招いての大宴会や戦勝祝賀会といった大規模な催しに使われる広間である。宴のための場所なので壁も天井も華麗な装飾で埋め尽くされている。軽く数百人は収容できる大空間であった。


 その広々とした床が今は詰めかけた大勢の人であふれかえっていた。


 謎の黒騎士と四大騎士の一人、岩のガーラ。その両者が国王立ち会いの下で剣を交えるという噂はあっという間に広まった。王宮内はおろか付近の貴族、騎士、手空きの官僚たちまでが押しかけ、その時を待っているのである。王女を救った旅の騎士の噂はすでに城外にまで浸透し始めており、押しかけた見物人の興味は尽きなかった。


 国王も事ここに至っては二人の試合もやむなしと決断したのだが、なぜこんなことになってしまったのか首をひねっている。しかたなく側近たちを引き連れ対決の場に赴いた。その結果、現場は国王陛下から厨房を抜け出してきた料理人までが立ち会うという前代未聞のありさまとなっていた。


 国王の隣にはクーリア王女も涼しい顔で座っていた。


「すまんな、こんなはずではなかったのだが」


「いいえ、これも強者の宿命というものでしょう。見守るほかはありません」


「信じているのだな、あの客人の勝利を」


「キョウイチさまは素直に相手の強さを認めておいででしたよ。勝敗は五分と五分だと。勝ちを信じるというよりこの対決から生まれるものの価値を信じたい、そう思っています」


「今更ではあるが、あの二人、何者なのだ」


「さあ、でも面白い方々ですよ。側にいると飽きるということがありません」


「楽しそうだな」


「ええ、とても」


 そう言って微笑んだ娘の横顔に国王はなぜか胸を突かれた。十五歳になったばかりの少女にふと成人のような成熟を感じたのである。以前のどこか背伸びをしているような気負いが感じられなくなっている。この落ち着きはもう少女のそれではない。


 父王は「そうか」とだけ答えて言葉を飲み込んだ。


 そしてその時はきた。


     ***


 両者ともに平服である。一応は「稽古」の名目だからだ。防具は胸当てと革張りの籠手こてだけの軽装である。


 見届け人は国王の間で同席していたウィアード・マクス、四大騎士の一人、水のウィアードその人である。すでに四十歳を過ぎた痩せた小男だが、夢幻とも評される剣の名手で、剣技だけに限れば四大騎士中随一と噂される人物である。


 建前上、見世物ではないので試合の口上などはないが、恭一とガーラは広間の中央で対峙した。巨漢騎士が持つのは訓練用に刃を潰した剣だが、むろん当たればただでは済まない。恭一は愛用の黒い剣だ。


「見たところ木剣であろう、それでは一合ももたんぞ。おぬしも剣を持て」


「いや、これは木剣に似せてあるが中身は鉄剣だ。気遣い無用」


「なるほど、そういうことか、ならば遠慮はせん」


 そこで見届け人のウィアードが「両者よいか」と確認し、五メートルほどの距離を置いて互いに剣を構えたと見るや、一言「始め!」と開始を宣言した。


 見物人が固唾を呑んで見守る中、両者ともにじりじりと間合いを計る。葵はこちらへ来て以来、初めて恭一が両手で剣を構える姿を見た。剣道の最もオーソドックスな中段の構えだ。立ち姿の自然な美しさに見入ってしまいそうになる。


 対してガーラは型らしい型はなく、間合いを詰める機をうかがっているようだ。彼はすでに相手が並々ならぬ力量を持つことを実感していた。勢いに任せて飛び込むことができないのだ。


 二人は互いに相手の左側に回り込もうとし、半周したところでガーラがだんっと床を踏み鳴らして飛び込んだ。真っ向から振り下ろされた剣の迫力は見物人たちが思わず目をつぶるほどだった。


 金属が激突し、激しく擦れ合う音が響いた。飛び散る火花が誰の目にも見えた。


 ガーラの迫力も凄まじいが、それを真っ向受け止めた恭一の膂力も尋常ではない。並の剣なら容易く折られていたところだ。


 最初の激突が契機となったのか、そこから激しい打ち合いになった。肝が冷えるほどの剣戟の音、飛び散る火花、ぶつかり合った剣を押しのけようとする耳障りな金属音が交錯する。すでに見物人たちに声はない。戦場でさえお目にかかれない激烈な戦いで、とてもしゃべる余裕などないのだ。手に汗を握り一瞬たりとも目が離せない。


 間近で見る強豪騎士同士の戦いというものがこうまですさまじいとは想像もできなかったのだ。


 やがて真っ向からのぶつかり合いは徐々にガーラが押し始めた。


 膨大な筋肉が生み出す怪力は人間離れしており、恭一の鍛錬をもってしても正面からの激闘には限界がある。ガーラが打ち込み、恭一が受け流す展開が増えてきた。ほぼ予想された光景である。


 だが、恭一の速さと足さばきも驚異的だった。押している、と勢いに乗るガーラの剣を決して正面から受け止めず、巨漢騎士の力は微妙に右へ左へと流されているのだ。目と力と技術のすべてがそろわなければできない技である。見届け役の小男が感嘆したように目をみはっていた。


 ガーラは今や全力で剣を振るっていた。


 最初に対峙したときから一切の油断を捨てた。構えに隙がなく、立ち姿から感じられる柔らかさと強靱さは水のウィアードのそれを思わせた。


 こいつはできる。それも尋常ならざる腕だ。


 案の定、ぶつかってみて素直に相手の強さ、しぶとさに舌を巻いた。戦場で出会ったどの敵よりも強い。こんな男が今までどこに隠れていたのだろう。


 だが、勝機は徐々にこちらに傾いている。相手の抵抗はまだ強い。だが自分は押し、相手は下がっている。押し返すだけの力は残っていないのだ。


 当然だと思った。自分は四大騎士が一人、岩のガーラなのだ。全勝不敗、ファーラム国王の最強の盾として重責を担い、そして果たし続けてきた。破れることなど許されない。近衛の騎士として、四大騎士としての誇りにかけて。


 俺は勝つ、必ず勝たねばならない。なぜなら俺は勝つことを運命づけられた存在なのだから……。


 彼はすでに自分がなぜ戦っているのかさえ忘れていた。あるのは四大騎士としての誇りと責任だけであった。腕が重い、息が上がる、足下が乱れる、それでも勝たねばならん、見ろ、相手はもはや防戦一方だ、あと一撃、あと一撃で勝てる……。


 巨漢騎士は足を止めた。大きく息を吸い、両腕に全霊を集中した。


 この一撃で終わらせる。国王陛下よ、照覧あれ!


 振り下ろした両手に衝撃が走った。やった! と刹那の歓喜に心が燃え上がる。


 だが、そこで信じられない現実が彼を襲った。


 無い。全力で振り下ろしたはずの剣が。鍔先から折れて消失しているのだ。


「ばかな……」


 唖然とする彼の喉元になにか冷たいものが触れた。のろのろと動かした視線のその先に男が立っていた。黒い剣を片手に持ち、切っ先が彼の喉元に突きつけられていた。


 ガーラは信じられないという顔でおのれの手に残った剣の残骸に目を落とした。


「俺の剣を……叩き折ったのか」


 それまで、と声がかかってガーラはその場に膝を折った。数百人の見物人が一斉に声を上げ、興奮の大波が大広間を繰り返し襲った。熱狂する人々の声と拍手はしばらく鳴り止むことがなかった。


 ふと気配を感じて顔を上げると傍らにあの少女が立っていた。先ほど彼を挑発した時とは別人のように静かな表情である。


「気が済んだ?」


「……負けた」


「今はそうだね、でも次もそうとは限らない」


「次、だと?」


「そうだよ、騎士は常に腕を磨き、明日は今日よりもっと強くなろうとするものだよ。恭一はそうだし、あなただってそうじゃない?」


「む、むろんだ、どんな時でも鍛錬をおろそかにしたことはない」


「だったら次はどっちが勝つかわからないね」


 ガーラは呆然としていた。そんな単純なことが今の今まで頭から抜け落ちていたことに気づいたのだ。騎士を志した時からわかっていたはずなのに。


 俺はいつの間にかそんなことさえ忘れていたのか。


「まいった……」


 そして彼は少女の最後の言葉にいい知れぬ衝撃と感動を覚えた。彼女はこう言ったのだ。


「じゃあ、また明日」


 今日は負けても明日はくるのだ。彼が折れず、立ち上がる限り。


「やられたな」


 ウィアード・マクスが穏やかに笑っていた。


「はい、完敗です」


「黒騎士は最後、明らかにおぬしの剣を折りにきていた。気づかなかったか」


「正直、そこまでの余裕がありませんでした」


「最後の一閃は凄まじかった。あの黒い剣が自らおぬしの剣を喰らいにいったように見えたほどだ。あれではどんな剣も耐えられぬ」


 ウィアードは感に堪えぬというように目を細めた。


「お恥ずかしい、自分が軽々しく挑発に乗って冷静さを失ったのが敗因です」


「いんや、そうではない。あの娘はおぬしの冷静さを削ぐために挑発したわけではないよ」


 意外な言葉にガーラは「は?」と首を傾げた。


「あの娘はおぬしの中にある四大騎士の立場と誇り、そして責任を問うてみせたのだ。案の定、立ち合っている間中、おぬしの頭はそのことでいっぱいのように見えた。それは予期せぬ重圧となっておぬしの肩にのしかかり、腕を縛り、足にからみついた。いつものおぬしらしくもなく動きが単調であったぞ」


「そんなことが……」


「今日のところは向こうの作戦勝ちだな。だがこれを小細工と侮るなよ、おぬしの弱点を見抜いて周到に勝ちにいった結果だ。恐るべし、と言うべきであろうな」


 ガーラはどすんとその場に座り込み「まいったな、俺はまだ甘い」と頭をかいた。


「それを知っただけでも収穫であったな」


「精進します」


 ウィアードは巨漢の肩を叩き、その健闘をねぎらった。


     ***


 リーンはまだ心臓の鼓動が静まらなかった。


 なんという凄い戦いだったろう。騎士同士のあんな激しい打ち合いを見たのは初めてだ。


 岩のガーラはただの怪力自慢ではない。鍛え上げた剣の鋭さ、戦いの駆け引き、そしてなによりも凄まじい勝利への執念。四大騎士が掛け値なしの英雄だということを痛感した。


 そのガーラの全身全霊を真正面から受け止め、打ち破った恭一の剣に痺れるような感動を味わった。力も、技も、速さも、そして冷静な判断と絶対に勝ちきるのだという断固たる意思。あれほどの英雄が不可思議な因縁で姫さまの前に現れた奇跡に言い知れぬ戦慄さえ覚える。これが偶然などということは絶対にあり得ないと思った。


 天の助力。


 そんな言葉がさしたる抵抗もなく浮かぶ。露わになり始めた不穏な兆し。その渦中に立たされようとしている十五歳の少女に天は頼もしい助力者としてあの二人を授けたのだ。それはとりもなおさず波乱の時代の到来を暗示している。


 ファーラムは大きく動く。その時自分はどうあらねばならないか。不安と興奮がないまぜになったおののきが背中を駆け上る。


 さあ、リーン・バロウズ、すっくと立って前を向きなさい。あなたの未来はその先にあるのよ。迷ったら友の手を探しなさい。彼ら彼女らはいつだってあなたの側にいるのだから。


「リーン」


 クーリア王女の呼ぶ声が聞こえた。笑顔で手を振るその傍らに葵と恭一の姿がある。


「はい、ただいま」


 女騎士リーン・バロウズは今日、なにかが変わったことを知った。

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