第17話 剣と魔法 その2
職人の工房というので葵は陶芸家の窯元のような想像をしていたが、そこはむしろ小さな町工場を思わせるところであった。
室内の一方には未加工と思われるカプリアの薄板らしいものが積み上げられ、広い作業台には手元を照らす照明、拡大鏡や加工用と思われる様々な形の工具などが並べられていた。大きめの升に入った粉末はカプリアを細かく砕いた砂のようだった。
ハントと名乗った職人は四十代と思われる実直そうな男で、葵とヴァルナが王宮から見にきた客ということで少し緊張しているようであった。
「カプリアについていろいろ知りたいことがあって。今日はお忙しいところお邪魔してすみません」
「いんや、かまわんけど、こんなものに興味があるとは珍しいお客さんだね」
葵は指先に例のルフトの光球を出して頼んだ。
「今度三級の試験を受けてみようかな、なんて考えてるもので」
「おお、上手いじゃないか、そういうことなら」
なんでも聞いてくれと言われて気になっていたことをいろいろ質問してみた。
カプリアとルフトの関係が発見されたのはもう五百年以上前のことだという。渋る魔法士たちを説得し、各地で魔法陣の分類整理が始まるまでにはかなりの紆余曲折があったらしい。
だが、百年余の時間をかけて基本的な数十の魔法が霊力なしで使えるようになると暮らしの様々な場面で応用が進み、さらに細かい魔法に分岐、発展していった。機械文明の代わりに魔法による産業革命が起きたとも言えるだろう。
カプリアとのルフトの親和性は小規模なものだったので大がかりな魔法の再現は叶わなかったが、小さな魔法の組み合わせで生活全般は快適になった。人々は魔法とはそういうものだと受け止め、世界はゆるやかに進んできたのであった。
その過程で失われ、忘れ去られた魔法も少なくなかったが、それらは伝統を重んじる一部の魔法士たちの間で秘伝として細々と受け継がれることになったようだ。
カプリアは加工しやすいので薄板にも粉末にもできるが、あまり大きくしても効果は変わらないのでせいぜい小皿程度のものが一般的だという。
「大きいほど強い力が出るわけじゃねえ」
ハントはそう言って加工中の薄板を見せてくれた。
「効果に差が出るのはむしろ魔法陣の精度だな。これが雑だと灯りは不安定だし煮炊きの火加減もままならねえ。そこは職人の腕の見せ所だ」
「簡単なのは判を押すって聞いたけど?」
「そりゃおおざっぱな下絵のことだな。そっから手で修正して仕上げるんだ。もちろん定規やら
「じゃあ大量生産は難しい?」
「質を落としてもいいってんなら。自分はお断りだが」
そう言ってハントは実際に照明用の魔法陣を描いて見せてくれた。様々なサイズの円の
「細かいですね」
「魔法士はこれを心の中でできるからいいが、一般人にその芸当は無理だからな、こうして丹念に仕上げてやらないと使いもんにならねえ」
「ハントさんは何種類くらいの魔法陣を手掛けてるんですか」
「十二、三てところかね、正確な図面がありゃ個別の注文も引き受けるが」
「新しい魔法陣を考えたりは?」
「ひまつぶし程度には。売りもんになるようなものはもうたいてい誰かがやってるだろうけどな」
「あたし今、冷めた料理を温め直す魔法陣が作れないかと思ってるの。王宮の厨房の人に相談されてね」
ほう、とハントは面白そうな顔をした。興味を惹かれたらしい。
「今のところ、湯沸かしと煮炊きの組み合わせでなんとかならないかって考えてるんだけど、職人さんの意見を聞いてみようと思って」
「もう一度火にかけるだけじゃだめなのか?」
「一度できあがった料理でそれをやると味が落ちたり香りが抜けたりするの。お皿の上の料理全体を均等に温めないと」
「なるほど、となると四方から同時に温めて、皿は焼けねえってことだな」
今考えてるのは、といって葵は電子レンジのような箱型の道具を提案してみた。天板と左右の壁に「温める」魔法陣を仕込んで加熱するというものだ。こちらにはタイマーの概念がないらしいので加熱時間はユーザーの経験値にまかせる。
「箱型だって? はっ、そりゃまた面白えな」
「三方同時に発動させなきゃいけないので照明みたいな点けたり消したりの工夫もいると思うし、肉料理とスープじゃ火加減も変わってくるから」
今までなかった新しい道具ということで、ハントの職人魂は大いに刺激されたようだ。あれはどうだ、いや、こっちの方がいいか、などとぶつぶついい出した。
「ちょっと考えさせてくれ、なんか出てきそうな気がする」
来週また来るという約束でハントには開発資金として相応の費用を渡した。何十皿もスープや肉料理を注文しなければならないだろうからだ。
***
「うまくいくといいけどなあ」
「私も楽しみです。アオイさんの国には便利な道具があるんですね」
「魔法の代わりにそういう技術が発達したの。比較は難しいけど、まあ一長一短かな。恭一の家はそういう道具を作って売る商売なの」
「へえ、それなのに騎士さんなんですか?」
「あはは、らしくないかもね」
二人で笑いながら辻馬車を探した。今日はもう一か所回ることになっている。
「ごめんね、つきあわせちゃって。こっちの文字が読めなくて」
そう言いながら葵が御者に告げた行き先は王宮のすぐ隣、先日一度訪れた王立図書館である。前回、図版だけでは細かいところがわからなかった魔法陣の解説書をヴァルナに読んでもらおうと思ったのだ。
細かい個別魔法まで入れるとその数は数百に上るらしいが、葵が借りたのは「基礎編」に相当するもので、向こうでいうなら図版の多い初級参考書といったところだ。
「へえ、こんな本があるんですね。初めて見ました」
「こっちの歴史とか昔話を知らないので絵の意味がわからないの。とりあえずなんの魔法陣か教えて。まずこれは?」
「虫除けですね」
「これは?」
「鳥や獣を呼ぶって書いてあります」
「じゃあこっちは?」
「傘ですね、え、傘?」
「雨に濡れない魔法ってことかな、んじゃこっちは?」
「水源を見つける、だそうです。井戸掘り用ですね」
火や水、光、風といった基本要素は添えられた挿絵だけで想像がついたが、細かな応用技となるとさすがに本文抜きでは意味不明だ。ただ、なんの魔法か聞いた後だと図形の共通点などから「なるほど」と思えるものも目についた。
基本魔法は応用範囲が広く、実用的な魔法の要でもあるので葵は熱心に図版の記憶に努めた。ページを注視しながら広げた左の手のひらにルフトを集める。すると比較的短時間で淡い魔法陣が浮かび上がるのでヴァルナは目をみはって驚いていた。日常的にクーリアの話を聞いている彼女にはそれが尋常なことではないとわかるからだ。
魔法陣は初心者がカプリアの補助もなしに簡単に作り出せるものではない。先日のお茶の時間に葵は見よう見まねで光の魔法陣を再現して見せたが、クーリアによれば霊力があっても初心者があれを再現するには最低でも数年の修行を要するという。
手のひらに次々に光の図像を浮かべては「よし」と小さくうなずいている葵の姿はとても初心者のそれではない。まるで熟達者が遊んでいるように見える。
帰ったら姫さまにお話をうかがってみよう。
一方、葵の方はヴァルナの通訳のおかげもあって少しずつ魔法陣の基礎的な構成パターンがつかめてきた。
「そっか、だんだんわかってきた」
満足そうにつぶやく葵の瞳は美しく輝き、ヴァルナはまるで姫さまのようだわと思った。不思議な少女だという印象はますます深くなっていく。
葵の方は図版と手のひらの幻影を見比べながら徐々にその原則を理解し始めていた。
描き込む図形にも序列のようなものがあり、基本図形に直接作用できるものもあれば、間にもう一段のプロセスを必要とするものもあるのだ。それらの配置は並列であったり重ね書きであったりと多岐にわたるが、葵にはよくできた仕組みに思えた。
如月葵はそうした かっちりした法則性を愛する少女なのだ。
「勉強になるなあ」
「難しいですね、私にはさっぱり」
「けっこう理詰めに考えてあるよ。いろいろ発展できる余地があると思う」
ロジカルで巧妙なパズルというのが葵の印象であり、好みも相性も自分に向いてると感じる。数千年もかけて工夫されてきたものだけあって組み合わせのパターンは非常に奥が深く、その行き着く先は想像もできない。
それでも基本はパズルなので有効な組み合わせを発見できれば自分のオリジナルを作れる可能性もあるのだ。
今思えば「閃光」も「爆音」もずいぶん無茶をしたものだ。制御という中間プロセス抜きで発動させたのだから「近所迷惑」も当然だったろう。
本の後半になると「治癒」「幻」「読心」などというかなり高度な魔法も載っていたが、解説は簡素なものだった。詳しくは上級編を読め、ということだろう。それはまた後日に回してぱらぱらめくっていると末尾近くにいくつか奇妙な図版があった。
「これはなんて書いてあるの?」
「ええと、あぁ、これは実在しない魔法だそうです」
「どういうこと?」
「昔話や神話伝説に登場するけど現実にはあり得ないものってことらしいです」
「あり得ない? 例えば? この目のアイコン、じゃなかった目の絵柄のやつは?」
「遠見って書いてありますね」
「遠見?」
「遠く離れたところにあるものを見る技……と書いてあります」
はっとした。それってもしや、と思ったのだ。あの時の奇妙な視線、あれがそうなのだろうか? 一般には知られていない魔法を知っている何者か。それは誰?
「ふうん、おとぎ話かあ」
「夢みたいな話ですよね」
「だね、じゃあそろそろ引き上げようか」
ヴァルナと並んで王宮への道を歩く葵の顔は少し考え深げだった。
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