第16話 剣と魔法 その1
黒騎士との対決から数日が過ぎた。
ガーラ・バルムント、通称「岩のガーラ」は戸惑っている。どこがどうとはいえないのだが、人々の彼を見る目が変わったのだ。自分でも信じられないのだが、敬意や賞賛、憧れといった光が人々の目に浮かんでいるのである。
そんなことはあり得ないはずなのに。
自ら黒騎士に挑んで完敗したというのに、誰もが尊崇の目で彼を見る。敗北者への哀れみでも軽侮でもない。いったいどういうわけだと不思議でならない。かつて四大騎士である彼には畏敬と恐怖の入り混じった目が向けられていた。
それは圧倒的な強者に向けられる当然の反応だった。だが、今の彼にはそれ以上の敬意がこもった視線が向けられるのだ。
自分は負けたのに。四大騎士の名に初めて敗北の不名誉をもたらしたのに。
「わかりません、皆はなぜ自分をあのような目で見るのでしょう」
すると並んで歩く小男、水のウィアードは目を細めて笑った。
「意外か? むしろなるべくしてこうなったのではないかな」
「俺は負けたんですよ?」
「それはたいした問題ではない。おぬしと黒騎士の激闘がそれだけ凄まじいものとして人々の心に焼き付いたのだ。あれは並の人間にとっては一生に一度見られるかどうかという戦いであった。人々は騎士と騎士が渾身の力でぶつかり合うとはどういうことか目の当たりにしたのだ。男なら血がたぎり、女なら胸が震えたことだろう。勝った黒騎士への賛辞は当然だろう、だが、対するおぬしの全身全霊もまた伝わった。英雄たる四大騎士の強さと頼もしさ、圧倒的な騎士の力というものに深く打たれたのだ。誰もが尊崇の念を抱いたとしても不思議ではなかろうよ」
淡々と語る騎士の言葉はガーラには面映ゆく、照れくさかった。そんな大それたことをしたとは思えないのだが、この夢幻とまでいわれる剣技の先達がそう言ってくれるのであれば信じてもよさそうであった。
そう、今や彼は四大騎士《随一の人気者なのだ。
国王は「よいものを見せてもらった、これからも励めよ」と彼の激闘をねぎらい、称えてくれた。わがままを言って王を困らせたのは彼の方なのに、だ。
結果的に無礼を働くことになってしまったクーリア王女は「これからも父のためにその力を役立ててください」と微笑んでくれた。恐縮して身の縮む思いだった。
あれからというもの、とにかく誰も彼もが彼を敬い、彼を慕うのである。こんな事態は想像もできなかった。
そして彼を戸惑わせる最大の不思議がこれだ——。
たたた、と背後から軽い足音が聞こえてきて彼は思わず「来やがった」と天を仰いだ。
彼の胸までもないその少女の溌剌とした笑顔がまぶしい。
「なによう、そんなに身構えなくてもいいでしょ」
脇腹に少女の小さな拳が当たる。むろん、蚊に刺されたほどにも感じないが、彼には毎朝のこれがどうにもこそばゆい。樽のような膨大な筋肉が「笑う」のである。
「お、おう、おぬしか。誰かと思ったぞ」
「まーた、とぼけちゃって。そんなにあたしの顔が見たかった?」
「なにをいうか、俺は陛下への朝のご機嫌伺いにまいるところだ」
「そうかなあ、一瞬嬉しそうな顔しなかった?」
彼は「誰がするか」と吠え、同時にウィアードが「したな」ととぼけて少女を笑わせた。
激闘の翌日、アオイと名乗ったあの少女は前日の騒動などどこ吹く風といった顔で現れ、おはようございます、と駆け寄ってきたのだ。
「な、なんだ、俺になにか用か」
「ただの挨拶だよ、ほら、おはようございます」
彼はぐっと詰まったが「お、おう」とごまかした。少女は屈託のない笑顔で「三十点だね」と言って彼と並んで歩き出した。
「こんな朝からどこへ行く」
「ちょっとエリーザさんをお出迎え」
「エリーザ? あぁ、ルシアナ姫の従騎士に決まったのだったな。もう来たのか?」
「うん、その方が王さまも安心だしね」
「確かに。近衛隊にまで手を出すような輩となると油断はできん。敵の呪術を破ったのはおぬしだと聞いたが?」
王の傍らに立つことを許された騎士だけあって重要なことはちゃんと聞いていた。彼にとっても現在の不穏な兆しは捨て置けないのだ。
「公にはしてないけど、東の公園を歩いてる時に誰かが離れたところからこっちを見ていたの。そういう魔法があるみたい」
「……事実か?」
「同じ相手かどうかわからないけど、どうも魔法士がからんでるっぽいね。そのつもりでいた方がいいと思う」
正直、この娘の言うことをどこまで信用していいか疑問ではある。だが聞き捨てならんという気がしたのも確かだ。この娘といい黒騎士といい何者だと訝しむ気持ちはまだある。だが昨日の立ち合いが教えてくれた。
こいつらは信用してもいいのではないかと。
じゃあまた、と軽い足取りで去っていく少女の後ろ姿が妙に気になった。——以来、毎朝こんな感じでガーラは葵の不意打ちを食らっている。
真剣なのかふざけているのか、とにかくつかみどころのない相手で彼は翻弄されているような気分になるのだが、不思議と不快ではない。
「今日は一人か、黒騎士はどうした」
「恭一はアロンゾさんに頼まれて今日からしばらく準騎士隊の稽古を見るんだって」
「師範か、なるほどな。おぬしは?」
「西の工房を見学に。ちょっとカプリアの職人さんに話を聞きたくてね。じゃあまた」
「おう、気をつけてな」
少女が振り返ってにんまりと笑った。ウィアードがくっくっと笑っても彼は自分がなにを口走ったか気づいていなかった。
***
首都オルコットの東部は古くからの住民が多く住む、いわば下町に当たる地域だ。比較的富裕層が多い中心街に比べると路地が入り組み、家々が密集する庶民の街である。雑然としてはいるが、それでも治安は悪くない。というのも、この地域はいわゆる小身貴族が多く邸宅を構える土地でもあったからだ。
王宮に出入りが叶うだけでも名誉と感ずる爵位の低い家柄の者たち。大貴族が屋敷を構える王宮周辺や、由緒ある旧家の一族が多い北部地区は彼らにとっての羨望の地だ。
今そのひとつ、カーストン家では当主のウィレム・カーストン男爵がうろうろと自室を歩き回っていた。彼はこのところひどく機嫌が悪いので使用人たちも浮かぬ顔である。それでなくとも彼らは不安なのだ。
ひとつには先日から始まった屋敷周辺の物々しい警備がある。いったいなにごとかと思うほど厳重な警備で、兵たちが昼夜交代で屋敷の周辺を警戒していた。
そして乱れ飛ぶ様々な噂。
旦那さまはもしや命を狙われてでもいるのだろうか。たちまちそんな噂が使用人たちの間に広まった。この警備は第一王女クーリア姫さま直々の命令であるらしい、などという噂まで聞こえてくるに及んで使用人たちは戦々恐々としていた。
そして当のカーストン男爵は混乱の極にあった。
焦りと後悔、そして不安が心に渦巻いている。自分が功を焦って早まった真似をしたことはわかっていたが、それがなぜこのようなことになるのかが解せない。
もしやあれがまずかったのではないか。いや、それともあそこで判断を誤ったか。待て、あの時は確か……。
堂々巡りで考えがまとまらない。いったいなぜこんなことになってしまったのだろう。自分はどこで間違えてしまったのだ?
あんな邪魔さえ入らなければ。そうだ、あいつらだ、あいつらが現れなければうまくいったのに。すべてはあの得体の知れない二人組のせいだ。あいつらさえいなければ、あいつらさえ……。
そこでまた心は飛ぶ。仲間たちの態度が妙によそよそしいのはなぜだ? まさか自分を疑っているのか? この忌々しい警護のせいか? 王女はなぜこんなことをする?
わからない。
そこで彼の思考はまた元に戻る。くそう、あの時仕留めておけば。あんな邪魔さえ入らなければ。
そして——無限の焦慮に苛まれる男を密かに覗き見ている者たちがいた。
「これはいけないな」
「うむ、この様子では早晩また馬鹿をしでかすぞ」
「どうする? 妙な火の粉が飛んでくるようでは困る」
「案ずることはあるまい、どうせやつはなにも知らぬ」
声の主たちは窓のない部屋で陰気に笑った。一人床に座り込んだ老人はどうやら右目の光を失っているようだ。目の前に浮かぶ幻影を見据える左目に妖しい炎が踊る。
「だが予期せぬ動きも出てきた」
「あの二人か。わずか数日でもう王宮に入り込むとはな」
「娘の方が魔法士であるというのは事実か?」
片目の老人が忌々しそうに答えた。
「おそらくな。それも容易ならぬ使い手だ。おぬしらも見たであろう。遠見の目を閃光で潰しにくるとは……。見くびると厄介なことにもなりかねんぞ」
「男の方もだ、よもや四大騎士の一角を倒すとは。この目で見ても信じられなかった」
「やはり王女が密かに呼び寄せた切り札に違いない。幼い娘と侮っていたが」
「王女の霊力は一級魔法士を凌ぐという噂もある。まだどんな手を隠し持っているかわからぬぞ」
「警戒は怠るな」
「この男はどうする?」
「捨て置こう、いや案外よい捨て石になってくれるやもしれん」
男たちがまた薄く笑った。片目の老人がかすれた声でつぶやいた。
「ではひとつ仕掛けてみようかの」
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