第35話 古城の騎士 その4
(承前)
オルコット中央街の商人たちにとってエルンスト・ウルマン子爵の信用度は絶大である。
その子爵が間に入ったことで例の擬似電子レンジの取扱いを希望する商人は二十人を超えた。むろん現在の生産体制ではとうてい対応できない。そこで恭一が企画した分業による町工場の稼働に向けて商人組合と職人組合がそれぞれ人を出して有志による連合が生まれた。
職人組合からはハントがこれと認めた腕のよい職人を少数精鋭で集め、精密なカプリアの製作のみに専念することとし、技術指導にはハントが直接あたることになった。
一方、商人組合側は工房街の外れの倉庫を使い、数十人が同時に作業できるスペースを確保するとともに、組立て、製品検査、出荷とアフターサービスのための二次職人をを揃えた。これに商人組合から数人が加わって金と物の流れを管理する。
それらを統合してマネジメントするのは恭一をトップにローグ、葵、アルで構成された「高城エレクトロニクスファーラム支社」である。主に数字とスケジュールを管理するのが当面の仕事だ。全体を効率的に運用するための意思決定機関でもある。
最後に、ウルマン子爵が事実上の監査役に就任して組織の仮組を済ませ、しばらくこの体制で運用してみようということで話がついた。
電話のない世界なので、連絡は人と人が直接顔を合わせるか文書のやり取りになるが、これはアル少年が散々走り回ってこなした。おかげで少年はこの一連の流れと仕組みを総体として把握する機会を得た。
「すごく勉強になりました」
そう語る少年の言葉は掛け値なしの本音であろう。世の中を動かしている人、物、金、知識の流れを初めて具体的に見たのである。元々知的好奇心旺盛な彼にとってはたいそう刺激的な学びの機会であった。
ここまでの準備で商人組合側はそれなりの資金を投じているが、なにかを始めるためには元手が必要である。富裕な貴族の子弟であるアルにはこの「資本金」という概念は初めて接するものだったらしく、ローグに説明されてしきりに感心していた。
「どうだい、よい勉強になるだろう」
「本当ですね、父がどれだけ細やかにウルマン家を営んでいたのか少しだけわかったような気がします。お金で苦労しないって自慢できたことじゃないんですね」
「お父上のなされることもよく見ておくんだね。最良のお手本だろうから」
「はい、今後はそのように心がけます」
などと話して数日、工場はいよいよ動き出した。恭一がマネジメントに注力したおかげか、ハントの工房でコツコツ作業していたのと比べるとほぼ五倍の効率で製品が仕上がる。彼が連れてきた七人の職人はいずれも正真正銘の職人気質の連中で、雑用は一切やりたくないという本来なら面倒な顔ぶれであった。
葵はそれを見越してカプリアの製作以外は一切やらずに済む体制を条件に勤務シフトを考えたので、その分、二次職人側のスケジュール管理に気を使った。
カプリア班の倍以上の人手があるので仕事の振り分けで流れが滞ったり遊びができては非効率だからだ。といって効率一辺倒でもない。根を詰めるカプリア班には多めの休憩を、汎用作業班には交代で順次休憩を取らせた。
ハントは「技術主任」なので両方の作業場を行ったり来たりして指導にあたっているが、彼に言わせると二次職人側にも腕のいいやつが何人かいる、もう少ししたらカプリアの方も任せられるかもしれん、とのことであった。
当初懸念された分業による仕上がりのばらつきはハントが目を光らせている限りは問題なさそうであった。というのも、作業開始にあたって彼がこう檄を飛ばしたおかげで職人たちも気合が乗って作業しているのだ。
「いいか、こいつはいつもの請負仕事とはわけが違う。この四角いかまどは今の受注残がはけたら本格的に売り出されることになる。不出来なものを作ったら王宮御用達の名誉をくださったクーリア姫さまの名に傷をつけるだけじゃねえ、この街の商人組合と職人組合の名も馬鹿にされる。あんたらも職人、商人の意地があるだろう? 下手なもんは作るんじゃねえぞ」
挨拶としてはなかなか堂に入った台詞で、あとで葵から「職人頭の貫禄あるんじゃない」とからかわれて頭をかいていた。
そして彼の激励が効いたのか、これまで工房で抱えていた受注残はみるみる半減し、三か月待ちの納期は十日足らずですべて解消される見通しとなった。そこまでをこの体制の試用期間と想定していたので恭一たちは商人組合の代表を招いて本格運用についての会合を持った。
まず現況について報告したのはアルであった。
「現在のところ、一日に十五台から二十台の製作が可能で、もう少し慣れれば二五台までは持っていけそう、とのことです。ただし、ハントさんによると品質を確保するためには二十台以上の量産は責任が持てないと」
「すると月に六百台か、充分じゃないかね」
そう発言したのは商人の一人だ。
「いえ、アオイさまは職人たちの労働は月に二十日まで、とおっしゃっています。理由はカプリアの製作に多大な気力と集中力を要するため長時間労働は厳禁なのです」
「では多くて月産四百台か。やむを得ん、その数でやりくりしよう。参考までに、職人を増員したら増産も可能だろうか」
そこで恭一が軽く手を上げて発言した。
「将来はともかく、現状ではこの体制が最も無理がない。投入する資金と人員、体制維持の費用と収益を勘案すると今の規模が最も収益率が高い」
そこで葵がそれぞれの席に一枚ずつ書類を配布した。そこには事業規模とコストと収益率の比較が大雑把なグラフで示されていた。一目瞭然とはこのことだ。プリンタもコピーもない世界なのでアルと二人で手書きしたものである。このような形の資料を見たことがない商人たちは驚き、同時に感心していた。
「確かに。当分は現状規模でよろしいでしょう」
「驚きましたな、このようなやり方があったとは」
「なるほど、これはわかりやすい」
プレゼンの初歩の初歩といったところだが、商人組合側もこれで納得した。無理なく初期投資を回収し、黒字化への最短コースとして認めたのである。そこから本格運用後にこの商品をどう売り出し、どう周知させていくかといった具体的な方策へと話が移った。
王宮御用達の名はほぼ公認のステイタスなので、ハントや葵が絡んでいる限り商売に使うことも許される。これは商人たちにとっても大きな強みであり、最初から宣伝文句に使うつもりであった。
生産効率が上がったのでハントが手作りしていた時に比べると価格は下げられるが、まだ安価な品ではない。初めは富裕層や飲食店へ売り込み、普及するにつれ量産効果に期待する。
宣伝として簡易な冷凍食品をいくつか用意して店頭で加熱してみせたり、葵の知る電子レンジ用メニューを使って「こんなこともできますよ」といったプロモーションをかける等の提案がなされた。
「あと簡便なマニュアルも作りましょう」
「マニュアル? なんですか、それは」
「取扱説明書です。卵を丸ごと加熱してはいけないとかカプリアの魔法陣を傷つけない清掃の仕方とか、食べ物を扱う道具なのでいくつか注意点があります。今まではハントさんが納品の際に直接説明してましたけど今後はもう無理なので」
「なるほど、それはそちらにお願いできますかな」
「そのつもりです。よい印刷屋さんを紹介してください」
新しい道具なのでユーザー層が広がればどうしてもマニュアルの必要性は出てくる。まだ原始的だがこちらにも活版印刷に近い技術はあるので利用するつもりだった。
そこで一人の商人から素朴な質問が飛んだ。
「ときに、この道具の名前はなんというのでしょう? 先ほどから『四角いかまど』だの『温めの魔法』だのと言われておりますが、なにかこう、商品としてはっきりした呼び名が欲しいところです」
これには全員が「ごもっとも」とうなずき、様々な案が飛び交った。さすがにこちらで「電子レンジ」では意味不明なので葵たちも首をひねったが、いざとなるとなかなかこれはというものが出てこない。
ルフトのかまど、温めの箱、箱鍋、四角い料理人、火精の箱等々。残念ながらどれもしっくりこない。
「うーん、商品名って難しいのね」
「商品化の段階で考えておくべきだったな、どうする?」
恭一が開発責任者の葵にそう水を向けたので商人たちの視線も彼女に集中した。お任せしますということだ。
「そうだねえ、魔法のかまどというのは親しみやすいと思うけど、もうひとつなんか欲しいかな」
そう言ってしばらく考え込んだ葵は「それじゃあ」と提案した。
「ええとですね、あの手の道具はあたしたちのいた所ではレンジと呼ばれていたの。皆さんには馴染みのない言葉だと思うけど『魔法のかまど、ルフトレンジ』でどうかな」
「ルフトレンジ……なるほど、すっきりしてていいかもしれませんな」
「魔法のかまど、ルフトレンジ。うん、それなら意味も通じる」
「それがいい、呼びやすいしぜひそれでいきましょう」
やや苦し紛れの提案だったが、語呂がよかったのかそれで話がまとまった。
「いい名じゃないか、わが社の製品第一号として社史に残そう」
肩をすくめる葵に恭一はそう言って笑った。
***
職業としての「国王」の存在意義は当人の資質次第で大きく変わる。
国家の最高権力者であり、彼の自由にならぬものなどほとんどない。仕事をしようがしまいが彼の自由だ。ただし、その代償として背負う責任の重さも最高である。責務に忠実であれば限りなく多忙となり、怠惰であれば国は傾く。
どちらの王が立つかで国の運命も左右されるのだ。それを民が選べないところが君主制の最も危うい天と言えよう。その意味で現在のファーラム国民は幸運である。彼らの王は今日も忙しさにぼやきながらも職務に精励しているからだ。
午前中および夕方以降は執務室にこもって案件の処理、昼間は王の間で人と会うというのがおおよその日課である。大半の仕事は宰相以下の官僚機構が片付けてくれるが、王の裁可に委ねられる事柄も多い。
人と会うという行為もそのひとつだ。
まず身分と公平という点に気を使う。王たる者が公式に他者と接する際には最も心がけねばならないことである。謁見の場に多数の側近や上位の臣下が立ち会うのもそのためだ。王の間という空間が執務室とは別に存在するのもそうした理由からである。
今、彼は王の間に一人の貴族を迎えていた。日中なので多くの側近たちも同席している。王の傍にはクーリアと四大騎士の一人ウィアードの姿もある。ごく日常的な光景であり、相手も毎日のように顔を合わせている人物なので王もくつろいだ様子だ。
「改まって謁見を申し出るとはどうした。卿ならば遠慮の必要もない場所だぞ」
貴族——シュトルム・ダンテス二世は恭しく一礼した。国王が親しく声をかけてくれても決して馴れ馴れしい振る舞いには及ばない。ダンテス
「恐れ入ります。本日は陛下に御礼申し上げたく参上致しましたので」
「というと?」
「先日来、義父であるギリク・エレオン子爵を通じてお願いいたしました件につき、快くお許しをいただき、まことにありがたく、ダンテス家当主として是非御礼申し上げねばと」
王は破顔して伯爵にもくつろぐように促した。ダンテス家から許諾の伺いが出された一件はなんの問題もない案件だったので根回しに当たっていたエレオン子爵には早々と「許可する」と告げてあった。改まって礼を言われるほどのことではないのだが、その固さがこの男らしいと王は笑った。ちらと隣の第一王女を見やって続ける。
「クーリアにも申しておいた。喜んで参上するとのことだ」
クーリアは特に口を挟まなかったがいつもの笑顔で伯爵に会釈した。
「ありがたき幸せ。私事にて恐縮しておりましたが、陛下にも姫さまにも心より感謝いたします」
そのように頭を下げる男の心臓が実は跳ね上がったことを知る者はいない。彼は義父の知恵と周到な根回しに心から感謝したい気持ちであった。
「私は立場上、出向くことができんがダンテス家への祝意は変わらぬ。良き宴となるように願っている。あぁ、それとひとつ」
「はい」
「クーリアが友人としてアオイどのと黒騎士どのも同道いたしたいとのことだ。かまわぬか?」
「むろんです。早速招待の旨、キサラギ館に一報差し上げることといたします」
彼は内心ではあの二人を奇妙な連中だと感じていたが、不審人物と疑っていたわけではないのですんなりと了承した。クーリア王女の招待に成功した喜びでそれどころではなかったのである。
シュトルム・ダンテス二世が一人娘のために巡らせた「作戦」はここに大きく前進したのだった。
彼が再度一礼して王の間を辞すると国王は「相変わらずだな」と苦笑した。
ああまで肩肘張らんでもよかろうに、と思うのだが、名門貴族の当主ともなれば逆にああした律儀さが尊敬される所以かもしれなかった。その証拠に見送った人々も「さすがはダンテス家の若き当主」とうなずいていた。
「あの折り目正しさは父上には真似できませんね」
まるで王の心情を読んだかのようにクーリアが笑う。
「まったくだ。侯爵の位は要らぬか、とそれとなく問うたこともあるのだが、自分はまだそれに見合う働きをしておりませんと断られた。あの働きで不足と言われたら他の者たちの立つ瀬がないのだがな」
「あの方らしいですね。公平を絵に描いたような立派なご矜持」
「国王が『頼むから出世してくれ』と言っておるのだがな」
王のぼやきに居並ぶ人々も思わず口元を押さえた。
「では当日は父上がそう申していたとお伝えいたしましょうか」
「おう、ぜひ言ってやれ、さもないともうひとつ城を押し付けてくれるぞ、とな」
吹き出すのをこらえていた一同がとうとう声を上げて笑い出した。
「では私はこれからアオイさまのところへ。こちらの夜会は初めてでしょうから」
そう言ってクーリアも笑顔で王の間を辞した。
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