第36話 古城の騎士 その5
(承前)
軽いノックの音とともに顔を出したのは執事のローグであった。
「キョウイチさま、ダンテス家の使いの方より書状をお預かりしました」
「ダンテス家、というと昨日クーリア姫が話していた件かな?」
「おそらく。封筒にダンテス家の紋章がございますので」
恭一は差し出された封筒を開き、中の書状に目を通した。鷹と思われる鳥を図案化したダンテス家の紋章と細かな飾り罫で縁取られた便箋はいかにも貴族の書状らしい高級品である。内容は思ったとおり、正式な招待状であった。
「ラントメリーウェル恩賜記念ジェルムの夜会、か。この手の催しはよくあるんですか?」
「さほど珍しいことでは。ですがジェルムの式典となるとそうそうはございませんからダンテスの方々も力が入るでしょう」
「貴族にとって国王から城を頂戴するというのはやはり大変な名誉ということですね」
「それはもう、末代までの誇りとなりますから。それがジェルムの式典を催せるまで維持できたのですからご一門の喜びもひとしおでしょうな」
ふうむ、と恭一はその上品な書状を手にしたまま昨日の話を思い返していた。
こちらの暦は神殿が管理しているものが公式だが、その他に民間に広く普及している非公式な「年」の通称がある。エルムという黄道十二星座や十二支に相当するものだ。
水晶、美神、天馬、帝王、聖人、火竜、騎士、飛魚、海神、竪琴、白鯨、雪狼の十二年でひと回り、これを一エルムとし、十エルム百二十年をもってジェルムと称する。ジェルムは単に長い歳月という意味でも使われるが、祝い事などの大きな節目としても尊重されている。
今年はダンテス伯爵家が時の国王からラントメリーウェル城を賜ってちょうどジェルムの節目ということで盛大な宴が催されることになったのである。
「百二十年か、確かに由緒ある貴族ならではですね」
「十年続いた隣国との争いに終止符を打ったと言われるほどの武勲であったとか」
「さすがは四大騎士の家柄、というわけか」
「リンクネスは美しい湖ですよ。ラントメリーウェルはその湖畔に建つ気品あるお城でございます。アオイさまも喜ばれることでしょう」
その記念の宴に葵と恭一はクーリアの友人という名目で招待されたのである。小なりとはいえ城であるから貴族とその関係者を中心に数百名もの客を招いての大規模な
城内の広間での夜会が本番だが、催しそのものは日中から始まる。三々五々、城に到着する人々がそのまま庭園での社交のひと時を繰り広げる。雨天にならないよう魔法士を雇って晴天を確保するというのだからこの世界ならではの対応である。
「お城で園遊会かあ、素敵ね」
葵はそう言って喜んでいたが、そこではたとなにかに気づいたらしく「あぁー」と声を上げた。
「こっちのドレスコード、どうなってるの? あたしドレスなんか持ってないよ」
「そういわれると俺も礼装なんて持ってないな」
同席していたクーリアやリーンはきょとんとしていたが、葵が「着ていく服がない」と言うと「そういえば」と教えてくれた。
「今度の宴は当時のダンテス伯爵の武勲を祝うものでもありますから、男性は軍服のような武張ったものをお召しになる方が多いと思いますよ」
「女は?」
「ドレスが主体でしょうけど、指定はありませんでしたからリーンのような格好でいらっしゃる人もいるんじゃないでしょうか」
「女騎士? どっちにしてもうちにはないよね?」
葵は侍女のリナやベリンダに確かめたが「ドレスなら自分たちのものならありますが、お貸しいたしましょうか」という返事だった。いずれにしろ恭一用の騎士の礼装はない、ということで結局、ヴァルナも含めて女たちで都合をつけましょうということになった。
「アルくんは? 行くんでしょ?」
「はあ、私など場違いな気もしますが」
アルはウルマン子爵の枠で招待されているとのことで、両親、上の二人の兄ともども出席するのだという。
「大丈夫、人を眺めてるだけで退屈しないよ」
「そうだといいんですが」
「どうしたの、なんかノリが悪いね」
キサラギ館で暮らすようになってずいぶん積極性が増したアル少年にしては歯切れが悪い。うん? という顔で葵が覗き込むと「実は」とこぼした。それによると賑々しい宴の雰囲気よりもその場で顔を合わせることになる同世代の貴族の子弟たちが苦手なのだという。
つまり、陽気で社交的な貴公子たちにからかわれているばかりでいつも居心地の悪い思いをしているというわけだ。
宴に誘われるたびに「アル、おまえ壁の彫刻か」「ほら、あの令嬢を誘ってみろよ」「情けねえな、そんなことだからいつまでも坊やっていわれるんだぞ」などと冗談半分、軽侮が半分といった具合でいたたまれなくなる。
「いつも人の後ろに隠れていた自分のせいなんですが」
「クーリアとだって平気で話してる君がそんなこと言う?」
「それは、そうなんですけど、その……」
他意はないとわかっているのにクーリアの視線がまぶしい。
「今のアルくんなら大丈夫だって。それよりあたしはこの機会に貴族の人たちの顔を覚えてしまいたいの。一緒について回ってくれる?」
「は、はい、もちろんです!」
これは半ば本気の誘いだったがアルは大いに安心したようであった。クーリアがくすっと小さく吹き出し、少年は頬が熱くなるのを感じていた。
「じゃあ恭一の分もあたしたちでみつくろってくるからまかせて」
「頼む、騎士の格好といっても俺には本物とコスプレの違いがわからん」
「向こうじゃスーツばっかり?」
「タキシードもあったな。中一の時、イングランドで起業家連合のパーティーに紛れ込んだときは燕尾服だった」
「ええー、今どき?」
「紳士のお国柄だからな。親父のやつはさまになるんだが俺は恥ずかしかったな」
クーリアたちがなんの話だと尋ねるので葵が身振り手振りで話して聞かせると一同が爆笑になった。女たちは黒騎士のかわいい少年時代(今だって少年なのだが)の逸話がたいそう気に入ったようであった。
当日は多少の荷物もあり、葵の身の回りの世話もあろうということで侍女のベリンダも同行する。よって葵と恭一、アルとベリンダの四名が馬車で出かける。
葵はアロンゾの紹介で三日に一度は近衛隊の馬場に通っているが、まだ遠乗りには少々心許ない。ただ、運動神経はよいので上達は早いようだ。馬に好かれる幸運もあったが、これは彼女とルフトの親和性が動物たちには感じられるせいのようだ。それでも一度は落馬して「これでクーリアと同じね」などとうそぶいていた。
ともあれ、そんなことを話したのが昨日のことであった。恭一は女たちのにぎやかさを思い出して苦笑していたが、そこでふと頭の隅をよぎったものがあった。
クーリアたちが城に戻る時になって葵はすいっと王女に近づき、顔を寄せてこう囁いたのである。
「クーリア、夜会ではあなたも女騎士の格好をした方がいいよ」
「アオイさま?」
「その方が白銀の短剣を身につけても不自然じゃないから」
クーリアはぱちりと目を瞬いたが、葵の目を見てはっとなった。
「あの短剣を……」
「なぜだかわからないけどそんな気がするの、あれを忘れないで」
二人はつかの間、互いを見つめ合い、やがてクーリアが無言のままうなずいた。このやり取りに気づいた者はいなかったが恭一にだけは聞こえた。葵はなぜあんなことを言ったのだろうと思ったが、問い質しても彼女自身、わからないと答えるような気がした。
覚えておこう——恭一はそう心の隅にメモを挟んだ。
***
薄明かりがひとつ灯っただけの室内にいくつかの影が揺れていた。
都合四人であろうか、中年、青年、老人、そして年齢不詳のもう一人。いずれもこの薄暗い部屋にあってさえ
「これはまた意外な成行きではありませんか」
青年と思しき影がやや呆れたように言うと中年男の影が「くくく」とうなずいた。
「まことに。謀ったわけではないのにこうもあつらえたように好機が巡って来ようとは思いもせなんだ」
床に胡座をかいて座り込んだ老人が片方の目だけを光らせてぼそりと応える。どうやらもう片方の目は傷ついて光を失っているようだ。
「あのような小さな駒がのう、まさに人の世の綾というものよ。策を弄してもなかなかこうはいかぬであろう」
「将来へのささやかな布石のつもりであったが、まさかこうもうまくことが運ぶとは」
「運はこちらに向いているということでしょう」
ほくそ笑む中年男に青年が応じる。沈黙しているもうひとつの影は腕を組んだまま思案に集中しているようである。
「どうする?」
座り込んだ老人が誰にともなく問うた。
「機はこちらにある。だがそれは同時に予測不能の綱渡りも意味する。仕掛けるならこの機を逃すは悪手、されど危機と好機は紙一重だ。心臆せば逆に運に見放されるやもしれぬ」
「私は時が来たのだと思います。今こそ動くべきです」
青年の声は逸っていた。影に潜む日々に焦れてきているのだ。
「だが王女自らが足を運ぶのだ、警護も厚い。しかもその場に
中年男の影がややためらう。すると、床の老人が「否」とつぶやいた。
「三人、と見ておくべきだろう。黒騎士を忘れてはならん」
期せずして舌打ちが響いた。四大騎士級が三人、それは優に騎士百人を凌駕する戦力である。それをかいくぐって仕掛けるとなると生半可なことではなしえまい。
「あの連れの娘もだ、あれは侮れんぞ。見たであろう、あの水の竜を。もしかすると我らとは別種の魔法を使う者やもしれん」
そこでそれまで沈黙していたもうひとつの影が初めて口を開いた。
「確かに四大騎士も得体の知れぬ魔法士も厄介だ。だが宴にはざっと三百からの人間が集まるのだ。仕掛けるに都合のいい目くらましになってくれよう。やつらも王女に張り付いてばかりはおれんだろうからな」
「おお、では!」
「次にこれほどの好機がいつ巡ってくるかわからん。ここは王女を仕留めることを第一とする。兵は捨て石で構わん、騎士どもや魔法士を足止めできればそれでよい」
重々しく権威のこもったその声に影たちは息を呑み、次いでうなずいた。床の老人がかすれた喉を鳴らす。
「わしの占いは『次はない』と告げておる。心してな」
そうして誰にも聞こえぬ声でこうつぶやいた。
「さて、異邦の娘よ、呪術国家の手並み、見せてくれようぞ」
まるで本物の松明の炎のように壁の灯りがふいに揺らぐと、そこにはもう誰の姿もなかった。
***
リンクネス湖畔にたたずむ優雅な城、ラントメリーウェル。夕陽に映えるその気品ある姿はさながら一幅の名画のようである。
設計者は対称性の美を旨としたらしく、広い庭園も方形に広がった城の建物も美しい対称をなしている。そればかりか周辺の緑にも細かな手が入っており、訪れた人は森と湖までがこの城の風景の一部であることに気づいて感嘆するのである。
今、そのバルコニーに城主であるダンテス伯爵夫妻の姿があった。二人して暮れなずむ西の空を見つめている。ともに言葉少なであったが夕陽を映した瞳には秘めた思いがある。
ややあって伯爵がつぶやいた。
「ようやくここまできた」
おのれに言い聞かせるようでもあり、傍らの妻に語りかけたようにも聞こえる。
病に伏せる娘を救う唯一の希望、自国の第一王女の霊力にすがるため彼らが打った最後の手は大きな角を曲がった。
王女をこの城に招くための名分としてジェルムの式典を思いついたのは義父のエレオン子爵である。不自然と思われぬよう貴族たちや王宮への周到な根回しに奔走したのも彼だ。義父にはどれほど感謝しても足りない。
さりげない顔で国王に謁見を申し出た時にはわが身の「嘘」がいたたまれず心苦しかった。それを後ろめたく感じるのは彼の貴族としての矜持や律儀さのせいでもあったろう。本来、クーリアの性格なら率直に「お力をお貸しください」と頭を下げるだけで済んだことかもしれない。
だが、彼の立場と王家への忠誠心がそれを許さなかった。
「心苦しくはあったが陛下は破顔して許可をくださった。滞りなく夜会を済ませて姫さまに御礼のご挨拶を述べる機をもって私からお願い申し上げるつもりだ」
「姫さまはお許しくださいますでしょうか」
「お優しい方だからな、私は姫さまのお慈悲を信じる。このような時に宴など、そなたには気が気ではないだろうが今少しの辛抱だ」
「わかっております。宴の女主人がふさいでいてはお客さまも戸惑われることでしょうからね」
クーリア王女に助力を願い出る——その一言を告げるためだけの大きな夜会である。しくじるわけにはいかない。
「少し風が出てきたようだ」
伯爵はそう言って妻の背を軽く抱いた。彼らが希望を託したその日は五日後に迫っていた。
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