第37話 幻影の牙 その1



 四大騎士の一人、ガーラ・バルムントは岩のガーラの通り名のごとく怪力無双の巨人である。


 身長は優に二メートルを超え、膨大な筋肉が全身を鎧っている。丸太のような両腕が生み出す膂力は人間離れしており、彼が真っ向振り下ろす剣は相手を甲冑ごと真っ二つに両断する凄まじさだ。


 その雄大な体躯が王宮の回廊を闊歩するさまには見惚れるほどの安心感があり、すれ違う誰もが敬意と憧れのこもった視線を向ける。


 ところがこの夏、王宮ではその巨人が自分の胸までもない少女と並んで歩く姿がたびたび目撃されるようになった。両者のあまりの対比に唖然とした人々から以前とは別の意味で視線が集まる。


 むろん、少女とは葵のことである。


「もう慣れたがな」


 そう苦笑するガーラも実はまんざらでもない様子だ。彼は貴族出身ではなく地方の貧乏騎士の家の出である。葵のように遠慮のない話のできる相手が気楽なのだ。


「意外ね、てっきり由緒ある騎士の家系かと思ってた」


「誰もがダンテス公のようにはいかんさ。うちの親父もかろうじて地方の城勤め、俺が近衛隊に入れれば上出来、くらいのもんだった」


「じゃあウィアードさんも?」


「あそこは昔から剣術師範として有名な家だから俺とは違うが、それでも貴族ってわけじゃない」


「ふうん、じゃベルリーンさんは?」


 するとガーラは「奴は騎士としてはとびきりの変わりダネだな」と笑った。


「変わりダネ? よくわかんない人だなとは思ったけど」


「ふふん、こればかりはおまえの霊感でもわかるまい。聞いて驚くな、奴は元は絵描きだそうだ」


「ええっ? まさか芸術家だったの」


「らしいぞ、なんで絵筆を剣に持ち替えたかは謎だがな」


 葵の勘には初対面でも相手の本質が響いてくる。だが火のベルリーンことベルリーン・イーネスに関しては今ひとつつかみどころがなかった。複雑、というより混沌とした印象の持ち主だったのだ。


「無口な人だよね、話してみたいけど」


「なにを考えているかわからん奴だぞ、まあ、それはおまえも同じか」


 とたんに脇腹に一発食らった。いつものことだがガーラにはこれがくすぐったい。彼はこの娘と知り合って初めて筋肉が笑うという体験をした。


「四大騎士ってやっぱ変。ウィアードさんがいちばんまともなのは年の功か。だから王さまはあの人をそばに置きたがるのね」


「変人扱いとはけしからんな、俺は常識人だぞ」


「はいはい、で、その常識人さんは明日の伯爵さまの夜会には?」


「参上する。俺は客寄せになるそうだ」


 くすっと吹き出した葵はふと傍らの巨漢を見上げてこう言った。


「それを言ったのはもしかしてイアン隊長?」


「俺はまだ独り身だが、絶対に魔法士とだけは一緒にならんぞ」


 こんな奴が同じ家の中にいたらたまらん、とぼやいて葵をまた笑わせた。だが何気なく続けた一言にガーラはぎょっとした。


「でもまあ心強いよ、戦力は多いに越したことないし、さすがは隊長さん」


「おいおい、また剣呑なこと言ってねえか」


 すると葵はふいに黙り込み、前を向いたままこうつぶやいたのである。


「騎士の出番も来そうだよ。そのつもりでいたほうがいいと思う」


 む、とガーラの表情が引き締まった。


「……なにがある」


「あてにならない占いでよければ森に注意、かな。今はそれだけ」


 ほんの刹那、二人の間になにかが散った。ガーラも葵もそこからまた軽口に戻ったが、巨漢の騎士は今のがささやかな天啓であったことを肝に銘じた。


     ***


 近衛隊はその名のとおり国王直轄の戦力であり、同時に国内の全軍を統括する組織でもある。第一隊から第七隊まで王宮直下に隊舎を構え、王家の警護とともにそれぞれの任に当たっている。


 中でも第七隊は首都の治安維持や諜報、内偵といった警察組織に相当する任を負っている点で他の隊とは異なる組織と言えようか。


 現在、その長はイアン・グールド。切れる男だが、出世より昼寝を優先するような変人である。だが、そういう人材に限って厄介な仕事が次々に降ってくる。そして見事にそれをこなしてしまうから本人の「王宮うえは面倒だ」という本音とは裏腹に上が手放さない。結局、ぼやきながらも職務には精励する羽目になる。


 今、彼は直属の部下とともに密談の最中であった。


「さて、厄介な名前が出てきたな。信じていいんだろうな?」


 イアンがやれやれといった顔で念を押すとラダルは「確証といえるものはまだ」と正直に声をひそめた。


「ですが、例の事件前にカーストン男爵と交流があった中ではこの両名が最も気になる顔です。一件以来、日頃の過激なご発言がぴたりと止み、別人のように穏当な言動に豹変したとか。ことあるごとに陛下のご執政に皮肉と嫌味で応じていたご両人がですよ。薄気味悪いと思いませんか」


「改心したのかもしれん」


「隊長!」


「冗談だ。ただそれだけではいかにも弱い」


 気色ばむラダルを制してイアンは思案顔で応じた。部下の直感を信じていないわけではないのだ。ただ、カーストン事件のように裏が取れるだけの事実がなければ動きづらいのも確かだ。


「内心、陛下に反発している人間なら他にもいる。だが、王女を非合法に排除しようとまで企むからにはそれ以上のなにかが必要だ。この二人にはそこまで大それたことをなそうとする動機があるか?」


 ラダルはわずかに言葉に詰まったが、イアンが直属に選んだほどの男だ、言葉を選びながらも思い切ったことを口にした。


「恐れ多いことですが、陛下を退けんと考える愚か者、ということは? 姫さまの霊感が邪魔で先に」


 実に不敬な台詞だったが、イアンは平然として応じた。


「それは俺も最初に考えたよ。だがなあ、他国ならともかくこれほど国情の安定したわが国でその手が有効かな? 万一アリステア王家を倒したところで貴族や軍が唯々諾々とついてくると思うか?」


「それは……」


「貴族が最も嫌がるのはそうした劇的な変化だ。万事穏やかに、と望む連中は謀反人の立てた王権などには見向きもせんよ。軍を掌握すれば別かもしれんが騎士たちの精神的支柱である四大騎士がある限りそれもない。とすれば……」


 目の前の部下に理を説いていたイアンはそこでふと宙に視線をさまよわせた。


「待てよ、まさかとは思うが……」


「隊長?」


「ラントメリーウェルの警備には何人出す?」


「二百です。小さいといっても城ですから」


 イアンは顎に手を当て「ふうむ」と考える顔である。


「今年になって姫さまが神殿以外に遠出なさるのは初めてかな」


「そうですね、他は外出といっても目の前のキサラギ館だけですから」


「不届き者にとっては千載一遇の好機というわけだ。ガーラに伯爵、黒騎士。四大騎士級が三人、それに二百の兵。通常なら仕掛ける方が馬鹿だ。そのはずだが……」


 イアンにはなにか気になることがあるらしく、しきりに自問自答のようにつぶやいていたが、ふいにラダルに向かって兵の増員を命じた。


「三百で行け、ついでに第三隊から正騎士五十を出す」


「……戦でも始めるおつもりですか?」


 さすがにただの宴の警備にそこまでの戦力は、とラダルも目を丸くしていた。確かに城の周囲をがっちり固めるならそれくらいの数は必要だろう。正面から敵軍が攻めてくるとでもいうのなら、の話だが。


「空振りでも構わん、ただし表向きは二百で出かけたことにしておけ。第三隊には俺から話をつけておく」


 ラダルにはこの大仰な体制の理由は今ひとつ不明だったが、イアンの指示に誤りがあった試しはない。うなずくとすぐに部屋を出ていった。


 警備の兵三百と騎馬の正騎士五十は早朝に出発した。ラントメリーウェルまでは通常の馬車でも一時間程度の行程なのでほどなく到着し、ラダルの指揮で配置についた。兵たちは城外各所、近くの森やリンクネスの湖畔にまで目を光らせ、城の屋上からも周囲の警戒に当たらせる。


 正騎士の方は城側と打ち合わせてあえて目立つ位置に立たせた。戦支度の無骨な重装ではなくマントを羽織った公式の騎士装束なので警備と同時に城の威厳を際立たせる形になるからだ。訪れる客たちの目にはダンテス家による重厚な演出と映るだろう。


 昼間の園遊会では息抜きに湖畔を散策するなど適当に中座する人も多い。どこにいても厚い警護の姿が見えれば客たちも安心するはずだ。


「ほう、予想以上に警備が厚いの」


 城の窓から警備陣の動きを眺めながらエレオン子爵が感心したようにつぶやいた。


「姫さまがお越しくださるのですから当然ではありますが、さすがにイアン隊長の部下だ、手際がいい。兵たちの動きもよく訓練されています」


「これなら宴席の方はなんの心配もあるまい、伯爵どのは心おきなく」


「感謝いたします。私一人ではとてもここまでことを運ぶことは叶いませんでした」


 義父の傍らで伯爵は頭を下げた。


「なんの、かわいい孫のためと思えばいかほどでも。ジーナの方は?」


「今朝はレニの具合もいくぶんよいようで昼までは付き添っていると」


「そうか、あれもよく辛抱したな」


「誰よりも心痛を抱え込んでいたのは彼女ですからね、母親として、当主の妻としてこれ以上は望めないほどに尽くしてくれました」


「そう聞くと父としても誇らしいの。さ、あと少しだ、心してな」


 うなずいたシュトルム・ダンテス二世はかつてのどの戦いよりも奇妙な一日に向けて一歩を踏み出した。


 一方、警備の指揮に当たるラダルの元には配置完了の報告が続々と届いていた。


 正午までにはイアンも到着する。それまでに警備の体制を固め、付近の見回りなどひととおり済ませておくことが彼の仕事である。ああ見えてイアンの目は一切の手抜きを見逃さない。のんびりしているようでも仕事には全力を要求する男だ。最善の報告ができるようラダルは周囲に目を配りながら昨日の指示を思い返していた。


 警備任務であるからには不審者などには容赦なく対応することは兵たちにも告げてあった。だが、それにしてもあの人は正騎士まで投入するほどのなにを警戒しているのだろう。


 ここは首都近傍、時に隣国との小競り合いが起きる国境付近とは違うのだ。このような内陸で数百単位の兵を要するような騒乱は事実上ありえない。


 そのはずだが——。


 そこまで考えてふと頭をよぎったのはカーストン事件の記憶である。彼自身は意識を失っていたのではっきりとは覚えていない。イアンは多くを語らなかったし兵たちの言葉も曖昧だったが、大変な騒動になったらしいことは聞いていた。事実、検分した男爵の屋敷は焼け落ちて完全に瓦礫と化していたのだ。それでいて事件の顛末は詳細不明とされているのである。


 そしてラダルは直感していた。事件の真相は不明なのではなく、上層部以外には伏せられているのだと。あの日以来、イアンはキサラギ館にアオイ・キサラギをしばしば訪ねるようになった。あの少女がことの真相に深く関わっているらしいのだが、イアンはそれについては一言も語ろうとしない。


 あの少女は何者なのだろう。


 あの時、本当はなにが起きたのだろう。


 もしかするとイアンはまた不可解な事態の勃発を警戒しているのだろうか。


 イアンほどぬかりなく思慮を巡らせる男が危惧するからには相応の理由があるはずだ。それはなんだ?


 わからない。


 だがいずれにせよ、本来なら平和なひと時であるはずの宴の席が、油断ならない緊張の場となるかもしれないのである。


 これは明らかに通常の警備任務とは違う。ラダルはそう気を引き締め、部下たちの動きに一層の注意を払った。

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