第66話 超能力者 その5


(承前)



 おだやかに老婆が語ったのはこれまで葵たちがあまり意識してこなかった魔法士たちの生であった。


 ここは魔法の国だが、誰もが霊力を持って生まれてくるわけではない。またその才があっても皆が魔法士となるわけではない。魔法士はやはり希少な存在なのである。


 師について学び、国家試験を通過して正業に就く者は一国に千人とはいまい。そうした者たちはいわば恵まれたエリートであり、最下級の三級魔法士でも在野の自称魔法士とはステータスが違う。


 だが中には道半ばで志を見失う者も出てくる。


 修行にくじける者もいれば仕事に落ちこぼれる者も出る。なまじ人にない才を持つがゆえの慢心、自惚れ、過ぎた野心で身を滅ぼす者もいたであろう。人の道を踏み外す者、生に疲れて歩みを止める者、この世から去りたいと願う者さえいたはずだ。


 ダルフリンはそうした者たちの吹きだまりとして誕生した。


 魔法士として挫折を抱えた者たちにささやかな慰めと休息を与え、再起する者には激励を、そして静かな生を望む者には結界に包まれた安息の日々を。それが彼らダルフリンの在り方であった。


 ゆえに——。


 彼らは積極的に世にかかわろうとはしない。言うなればそこから逃げてきた者たちの集団だからだ。


「世捨て人の生がなにも生まぬことは心得ておるよ。それは人の生き方としては落第じゃからな。だが人生には山もあれば谷もある。そのようにしか生きられぬ者もおるのだ。若い者には納得し難いであろうが」


「いえ、あなた方の生き方を否定するつもりはありません。ただ——」


「なにかな」


「この子——ミリーはどうなの? とても隠遁生活に甘んじる歳でもないと思うんだけど」


 少女はわずかに表情をゆらしたが、あえて口を開くことはなかった。


「うむ、そのこともあったな。そなたはミリーの魔法をどう思った?」


「そうね、風変わりだとは思いました。見たことのない術だったし、なにより魔法士の技とは思えないほど術の立ち上がりが早かった。あたしの勘だけど、もしかしてこの子は魔法陣を使ってないんじゃない?」


 葵が正直な感想を述べると老レーネウはにやりとし、カウテ、ヒラガの両者も「ほう」という表情になった。それまで老婆に話をまかせていた老カウテが初めて口を開いた。


「娘さん、アオイどのと申されたか、よい目をしておられるな」


 老カウテはやや身を乗り出し、組んだ両手の上に顎を乗せて語り出した。


「ミリー——ミリアム・サンドは魔法士以前の魔法士、いわば『古き民』の裔じゃ」


「古き……民?」


「喩え話だ、実際にそのような民族がいたわけではない。アオイどの、そもそも魔法というものの起源について考えたことはあるかな?」


「魔法の、ですか? さあ、どうやら南大陸が発祥の地であるらしいとは聞きましたが」


「さよう、あそこは人類発祥の地。人にとっては最も古い土地だからな。しかるに原初の魔法についてはどう考える?」


 老カウテの話しぶりは最初の印象どおりココ先生の語り口を思わせた。生徒に講義する学者の趣がある。問われた葵は短く、だが高速に考えをめぐらせた。


「人が最初から魔法陣を知っていたわけはないからなんらかの形でその前段階が存在した、ということになりますね」


 老カウテの目がわずかに光って無言で先をうながす。


「魔法陣はあとから人が工夫したもの、と考えると最初にあったのは、もっとプリミティブな……、原初の超自然現象とそれを引き起こす人間の存在。すなわち……、霊力で……、直接ルフトを現象に転換する者がいた……。その力をわれも、と欲した人々は……、模倣から始まり、原理原則の発見と考察……、そして……、幾多の試行錯誤を経てごく初期の魔法に到達した……」


 抑揚の失せた声で途切れ途切れに語る葵の様子にその場の全員が瞠目していた。恭一ばかりでなく三人の長老たちにも少女がそれまでの彼女ではないことが伝わった。


「待て、そなたはいったい……」


 老カウテが唖然として声を上げた。かつてのコアラ・コップス博士がそうであったように彼もこの少女の知的な目を見て軽い問答のつもりで問いを投げたのだ。だが、少女はふいに雰囲気を変え、まるで古い書物を紐解くようにひとつの答えを提示したのである。それはまさに隠された真理の開示であった。


 葵はいつしかうつむきがちだった顔を上げ、どうでしょう、と結んだ。


「そのように考えたけど、だとしたらあなたがミリーを『古き民』と称した理由もわかる気がします」


「……驚いたな、それは確かにわしが言おうとしていたことだが、そなたなぜそれを」


「深く考えをめぐらせると響いてくるものがあるの。彼女はつまり魔法士以前の、天然の魔法使いということですね」


「いかにも。今では霊力を自覚した者は魔法陣を学ぶ道へ進もうとするのが普通だからな、この子のように自然な形のままその才を成長させる者は滅多におらん。おらんが、よもやオケイアを見る者を眼前にするとはな」


「葵、要するにこの子は何者なんだ?」


「自分の意思をダイレクトに力に変える存在、つまり超能力者だよ」


「超能力者……。だからあれほど攻撃の発動が早かったのか」


「魔法陣という中間プロセス抜きだからね、一般の魔法士じゃどうしてもワンテンポ遅れをとると思うよ」


 納得して恭一もうなずいたが、なんでもありだな、と小声でもらすのが聞こえた。


「それゆえにこそ——」


 再び老婆が引き取って言葉をつないだ。


「その子は危うい。他の者であれば魔法陣を知らぬ限り誤って魔法を振り回すようなことはない。だが、ミリーにはそうした枷がない。感情が昂ぶれば魔法もたやすく発動する。まっすぐな性根のよい子じゃが、喜怒哀楽が魔法と直結しておる。その子自身も自らの才をもて余し、幼いころより事故も多かった。わしらがダルフリンのあり方に反してまでその子を迎えたのも見るに見かねてのこと。そこはわかってほしい」


 そのとき、少女はまだ七歳だった、と老婆はつけ加えた。


「あのままおのれを知らずに身をもち崩すのはあまりに不憫ゆえな」


「それだけ大きな才能があるってことね」


「目をふさいでいてもわしらの仲間がその存在に気づくほどにな。少なくとも霊力は一級魔法士並みであろう」


「そんなに……」


 自分について交わされる会話をミリーは黙って聞いていた。そうしたことは彼女も承知済みなのであろう。だが少し考え込んだ葵はあえて疑問を呈した。


「その判断は正しかったと思いますが、そろそろ時間切れじゃないでしょうか」


「時間切れ?」


「人は成長します。心が育って自分で考え、判断するようになる。現にこの子はもうそうしているでしょう? 言葉は悪いけどいつまでもここに閉じ込めておくことはできませんよ」


 老レーネウは静かにうなずき、カウテ、ヒラガの両氏も深く息をもらした。おそらく長老たちにもその思いはあったのだ。ダルフリンはその性質上、年長者ばかりで構成されている。生につまずいた者たちの集団だからだ。


 その中にあってミリーの存在は異質である。若さと覇気と可能性に満ち、これから人生の大海に乗り出してゆくべき魂なのだから。


 だがミリーは言葉少なだった。老婆がなにか言う前に「あたしはいいよ……別に」とこぼした。葵たちとぶつかったときのあの火のような気迫は影をひそめ、声にもかすかな諦めの響きが滲んでいた。


「あたしは、ブガのあのお店でおじさんたちと静かに暮らしていけたら……それでいいんだ」


「クストーさんはあなたとどういう関係なの?」


「……親代わり、みたいな。あたしのことはなにも知らないのに」


「知らない?」


 怪訝な顔の葵に老レーネウが引き取って教えてくれた。


「その子の両親は事故や病で不運にも早逝しておった。といって世捨て人の里では育てることもできぬ。旅の商人に親戚の娘という仮の記憶を与えて育ての親としたのじゃ。そういう術は使いたくはなかったが。代償として陰からささやかな援助を施し、片田舎に店を持たせおだやかな日常を送れるように仕向けた」


 まるでおとぎ話のようだ、と葵は思った。現在の家電品のような日常的な魔法とは全く異質な魔法の姿がそこにあった。ミリーとの対決の場に現れた老婆の幻も、この一帯を囲む結界も葵の知らない術である。いや、むしろファンタジーやおとぎ話で知る魔法のイメージに近い。


 魔法の歴史にはやはり断絶があるのだ。遠見の術が存在した時代の魔法は今とはまるで別物だ。ここの長老たちはそれを知っている。


 でも、だとしたら——。


「ブガのお店は? おばさんはどうしてるの?」


「おばさんはお留守番。おじさんは商談でセリアに、あたしは一緒に連れていってもらったことになってるから」


 そう思わされている、とは言わなかったがミリーの表情は固かった。


「マインドコントロールか……」


 恭一のつぶやきに含まれた否定的な響きに老カウテがうなずいた。


「そなたの言いたいことはわかる。他者の心に介入し思いどおりに動かす。一歩誤れば邪道なじゅつであることはわしら自身も自戒しておる」


「あくまで特例だったと?」


「この十年、わしらが外に介入したのはこの一件のみじゃ」


「ではなぜあの男を選んだ? 商人とは別の顔を持ち、危ない橋を渡っている。その子を巻き込むことを考えなかったのか」


 そう、葵が気になったのもそこだ。ドーレス商人組合とやらがどんな組織か知らないが、ミリーに穏やかな暮らしをさせたいというならあの男は不適格だ。ここの長老たちなら容易に思い至るはずである。なのになぜ——。


「そのことについてはミリーに謝らねばならん。わしらの考えが足りなかったのは確かじゃ」


 恭一の指摘に老婆は頭を下げて意外な事実を語った。


「ミリーを不自由なく養えるようにとわしらは陰から手を貸した。程よく金が回るようにし、些細な事故や不運も未然に防いでやった。ところが——」


 皮肉なことに、そうした援助のおかげでクストーは周囲の揉め事を防ぎ、仲間内の問題を解決する頼れる人物と慕われるようになった。人脈を広げ友人を増やし、やがてその人望を買われてある特定の人々の集まりに誘われた。持って生まれた才覚もあったのか、すぐに頭角を現し幹部として活動するようになった。それがドーレス商人組合だったのである。


「よくない傾向だと思ったが、もうミリーのために放り出すことはできなんだ。人生とは一筋縄ではいかぬもの、操ろうなどとしてもこのありさまじゃ」


「そもそもドーレスの人たちってなんなの?」


 葵が率直に尋ねた。結局そこをはっきりさせないとミリーの問題は解決しない。老レーネウは少し言葉を選ぶように沈黙したあと、その前に、と語り出した。


「彼らと対立する者たちについて述べておこう」


「お城の人たち?」


「それは結果に過ぎぬ。ファーラムは現国王の善政もあって国情は安定しておるが、それでも西の国境付近では隣国インガルとの小競り合いも絶えない。かの国はほとんどが山岳地帯、わずかな平地も痩せて実りは少ない。となれば多産のファーラムは羨望の地じゃ、執拗に進出を試みてきた歴史がある」


 そしてそれは今なお続いている、と老婆は語った。


「国交そのものが断絶状態であるし戦に直結するような大きな流れではなくとも隣国からの浸透は続いてきた。その原動力は豊かさへの渇望、すなわち欲じゃ。彼らは欲を煽ることで素朴な人心を掌握し、徐々にのし上がっていった。目立たぬよう人々の間に溶け込み、裏から権力や富を操るやり方でな。自身は『荘園』と名乗って団結しながら表向きは城の官吏であったり軍の重役、はたまた貿易の仲介人などとして根を張っていった」


 ありがちな話だな、と恭一はうなずき「新興国の進出モデルに似ている」などと感想をもらした。


「周到だが……、裏で糸を引いているのは国か」


「いや、そうではない。わしらに似て『荘園』もまた自然発生的に形を成した。いわば民族の意志のようなものであろうな」


 その歴史はすでに百年を超えるという。各地に伝播した『荘園』は今では古い領主の名をとって『エンタータ荘園』という名の下につながっているという。定まった指導者はいないが、いざ敵対するものにはあたかもひとつの組織として全体が牙を剥く。


「その敵対するものというのがドーレス商人組合?」


「ある勢力が力を持てば必ずそれに対抗するものが生まれる。これは世の真理じゃ。彼らは国内の街道を拠点に通商を取り仕切っていた者たち、商人組合という呼称はその名残じゃ」


 老レーネウは冷めてしまった茶で舌を湿らせて続けた。


「利権をめぐって新旧勢力が衝突する。よくあることじゃが両者とも表立っては動かんから裏での争いは根深く、終息の兆しは見えぬ」


「中央はこのことは?」


「さて、王宮や近衛隊も馬鹿ではないが、正直なところ目に見える軍勢との争いでそれどころではなかった、というところであろう」


 つまり、隣国との争いは騎士や兵士のぶつかり合いだけではなく、イデオロギーや経済、目に見えぬ権力闘争といった様々な背景で進行中ということだ。


「王さまもたいへんだね」


「俺にはやたらリアリティーのある話だった。わが社もいずれは企業体コングロマリットへ進むだろうからな」


 葵は短く嘆息し、改めて老レーネウに尋ねた。


「結局どっちもどっちってこと?」


「そうさな、心情的にはドーレスと言っておこうか。ミリーの養い親のこともあるが、彼らは本来平和的な調整役として存在していた。荘園側は欲と力を背景に無体な所業も目立つ。血を流すことも厭わぬ連中ゆえ」


「お城は? お偉方はみんな荘園側?」


「そうでもないが——」


 老婆はやや口を濁し、隣の長老二人と目配せを交わしてからこう答えた。


「それは自分の目で確かめるがよかろう」


 最後は微妙にはぐらかされた感もあったがこうして古い魔法使いたちとの奇妙な語らいは終わった。

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