第65話 超能力者 その4
(承前)
「気をつけて! 上から来る!」
叫ぶと同時に反射的に盾を広げた。葵の危機感を反映して魔法陣が黄金に輝く。だが、攻撃は彼女ではなく恭一を狙った。鋭い笛のような音が鳴り、見えないプレッシャーがすぐ傍を通り過ぎた。あまりにも高速で飛来した「それ」は恭一の反応速度をもってしても完全には避けきれず、彼の頬に細い傷を残した。
「恭一!」
「かすり傷だ、それより今のはなんだ? まるで見えなかったぞ」
「この前の飛行機雲の正体、たぶん鳥、一瞬だけど影が見えた」
「鳥? まさか」
ありえん、と恭一は顔色を変えたが葵の目はそれが事実であると告げていた。ジェット機並みの速度で飛ぶ鳥がこの世界には存在するのだ。あの少女がそれを操っている。彼女は真の切り札を悟らせないためにあの炎の矢を縦横に操って全力と思わせていたのだろう、いや、このひらけた空間に葵たちを誘い込んだのもこの攻撃を意図してのことだったに違いない。十二、三の少女とは思えないほどしたたかで周到な戦い方だった。
かなり危険な状況だというのに葵は妙に心が浮き立つのを感じた。戦いの興奮? 違う、彼女はそんなものを好む性格ではない。ただ、年若い相手の頭脳、しぶとさ、明確な意志といったものに感心していたのだ。言葉にすれば「この子は使える!」という感嘆の思いであった。
この子が欲しい。
正直にそう感じた。葵が探していたのはまさにこういう人材だったのだ。
「また来る! 三、二、一、今!」
恭一は葵の声でかろうじて避けたが、今度もきわどい瞬間だった。彼の視力ではこの暗さの中を飛行機並みのスピードで突っ込んでくる目標はとらえきれない。だが、それでも高城恭一は冷静であった。葵に駆け寄ると素早く何事かを耳打ちした。
「できるか?」
「まかせて、合図はあたしが」
切り札の邪魔になるからか、少女の手元に炎の矢は見えない。厳しい視線だけが葵たちに向けられていた。二度までも鳥の襲撃をかわされたことは彼女にとっても意外だったはずで、葵たちがわずかにでも体勢を崩せばすかさず打ち込んでくるに違いない。
鳥はすでに高空に達し、急降下に移ろうとしていた。鷹なのか隼なのか、葵には区別がつかないが遠見の視界の中でなければとらえきれないほどの速さであった。その周囲にうっすらとルフトの輝きが見え、ああ、そうかと思った。
あの鳥も魔法を使っているのだ。
むろん、魔法士のそれとは違う。そういう種族なのかそれともあの個体に限ってのことか、本能でルフトを操り、周囲の気流を操作しているのだ。飛行運が発生するほどの高速の秘密は超常的に生み出された空気の渦がなせる技であった。
そして今、その白い航跡はこちらへ向かってまっすぐに伸びてくる。
葵の足元に新たな魔法陣が浮かび上がった。
「来るよ、正面よりやや右、準備して」
恭一は足を止め、右手の件を無造作に下げたままその瞬間を待った。
「五秒前、三、二、一、今」
葵の合図の直前、恭一は両目を固く閉じた。
同時に凄まじい光が炸裂した。一秒にも満たない一瞬の閃光だったが百万本のフラッシュにも等しい白光が夕闇を消し飛ばした。
濡れ雑巾を激しく叩きつけたような音とともに跳ね飛んだ小さな土塊が恭一の顔をかすめた。少女の悲鳴と地面を転がってもがく羽の音が重なった。
彼が剣を振るったわけではない。突然の閃光に視力を奪われた鳥が地面に激突したのである。なまじ高速だった分、減速する間もなかったのだ。
「ルーク!」
叫んだ少女自身も閃光で目がくらんでいるはずなのに魔法士の勘か、まっすぐに地面でもがく鳥の元へ駆け寄った。鳥の名であろうか、ルーク、ルークと呼ぶ声が悲痛だった。よほど大切な相棒だったのだろう、弱々しく羽を震わせる鳥を抱いたその姿にはさっきまでの鮮烈さはもう見えない。傷ついた仲間の姿に涙ぐむ普通の少女だった。すでに戦意は失われ、葵たちが近づいてもその場にしゃがみこんだままだ。
「その子はあなたのお友だちだったの?」
返事はなく、また一筋、涙が頬を伝う。
葵が手を伸ばすと身を固くしてぎゅっと目をつぶる。だが、ほんの数秒で驚いたようにその目をみはった。自分が金色の光に包まれていることに気づいたのだ。
思わず顔を上げた少女は頭の上でゆっくりと回転する光の文様を見た。円と幾何学模様が複雑に絡み合った美しい幻影である。
「これ……まさか」
思わずそう声がもれたそのとき、腕の中に動きを感じた。さっきまで弱々しくもがいていた「ルーク」が勢いよく羽を動かしたのである。もうこのまま死なせることになると思っていたルークは力強く羽ばたき、一旦飛び上がると彼女の肩に舞い降りた。
「うそ、羽が折れてあんなに血も出ていたのに」
そこで目の前の葵と目が合ってはっとなった。とっさに言葉が出てこない。
「……あなたが助けてくれたの?」
「人間以外にも効くのね、よかった」
「信じられない、治癒の魔法はこんなにあっという間に大けがが治るようなものじゃなかったはず……」
「まあ、いいじゃない、その子も無事だったんだし。立てる?」
葵が魔法陣を解除しながら手を差し出すと少女ミリーは素直にその手を取った。
「どうかな、話を聞かせてもらえる?」
「それは……」
ミリーはいくらか迷っていたがそれでもうなずいた。
「こんなところに突っ立ってるのもなんだからどこかでお茶でもどう?」
そう誘うとミリーは肩の上のルークを空に放って「うん」と答えたが、そこで誰もいないはずの背後から声がかかった。
「待ちなされ、娘さん」
それまで全く気配がなかったので葵も恭一もぎょっとして振り向いた。
「その子が知らぬ事情もあるのでな、わしから話そう」
声の主は黒っぽいローブのようなものをまとった老婆であった。その顔は深いしわに埋もれているが、穏やかな表情で口元には品のよい笑みが浮かんでいた。ただし——。
その姿は地上一メートルほどの高さにあぐらをかいた格好で浮かんでいた。
***
先ほどの市場の奇妙な一角——。
その子が
わずか五十メートルにも満たない路地の両側に粗末な空き家が並んでいる。肉眼はおろか葵の透視でもそのように見えるのだが、うっすらとした違和感は相変わらずである。
「あたしが歩いたとおりについてきて」
少女ミリーはそう言って葵たちの先を歩き出した。少し歩いては道の反対側に渡り、更に少し進むとまた道を渡る。かと思うと道の中央を歩き出す。まるで見えないあみだくじを伝っているようだ。恭一がそうもらすと「そうね、それで正解だと思う」と葵が肯定した。
「というと?」
「からくり箪笥っていう家具があるんだけど知ってる?」
ある決まった手順で開け閉めしないと隠された奥の引き出しが開かないからくり仕掛けの家具は洋の東西を問わず職人たちの知恵と遊び心で工夫されてきた。古いものが多いので現在では立派なアンティークとして扱われている。
「つまりここの結界も一定の経路で歩くことで本当の入り口が開くんだと思う」
「なるほど、立体パズルのようなものか」
「たぶんね」
そこでミリーが立ち止まり、葵が「ほらね」と笑みをもらした。
「こいつは……」
周囲の光景が変わっていた。驚いた恭一が思わず目をみはり、背後を振り返る。
路地の両側には粗末な空き家ではなく、ちゃんと明かりの灯った家が建ち並んでいた。人の気配もある。目立つものではないがごく普通の街角の光景だった。しかも先ほどまでより明らかに面積が増大していた。十数軒に見えた家屋が三十軒ほどに増えているのである。
「たまげたな、こいつは目くらましってレベルじゃないぞ」
「うん、これじゃ外からはわからないはずだよ。よくできてる」
見ると路地の入り口あたりに淡い光がひび割れのように立っていた。家の屋根ほどの高さがあり、その前で数人の男女がなにかの作業をしていた。小規模な魔法陣の光も明滅しているようである。
葵は「あちゃー」と頭をかき、恭一にそっと耳打ちした。
「あれ、さっきあたしがこじ開けようとした跡だよ」
「俺にもひびが見える。あれでは確かに不法侵入を咎められても文句は言えんな。修復できるのか?」
「あとで謝っとかないとね」
ごめんねえ、とミリーに頭を下げると少女は肩をすくめて「仕方ない、婆さまたちがなんとかするよ」とだけこぼした。
案内されたのは平屋の古い住居であった。結界の「外」からもそれらしい家が見えていたが、ただの朽ちかけの空き家にしか見えなかった。実態は生活者の気が感じられるごく一般の民家である。どのような原理で外側からの視覚をごまかしているかは不明だが、恭一は「まさに光学迷彩だな」としきりに感心していた。
広い家ではないので玄関を入るとすぐに居間らしい広間である。待っていたのはソファに深々と沈み込んだ三人の老人であった。葵たちから見てくだんの老婆は左端に座り、中央と右端は老爺である。
「ようこそおいでなさった」
老婆は落ち着いた声で向かいの椅子を勧め、対面する形で腰掛ける。ミリーは奥に引っ込み、すぐに茶の支度をして中央の低いテーブルにカップを並べると自分も葵の隣に腰を下ろした。
「こんばんは、落ち着いた上品なお宅ですね。鍋は見えないけど」
「鍋?」
「魔法使いのおばあさんが囲炉裏で中身のわからない鍋をかき回しているんじゃないかと」
唐突な葵の言い草に老人たちは一瞬怪訝な顔をしたあと軽く笑った。ともに高齢だが、おとぎ話めいた怪しげな風体ではない。どちらかといえば神殿のココ先生を思わせる。老いてはいるが現役の知性を感じさせた。
例によって恭一は黙って頭を下げるだけで挨拶に代え、話は葵にまかせることにしたようである。
「初めまして、如月葵と申します。隣は黒騎士こと高城恭一。先ほどは大変失礼いたしました。結界を傷つけてしまってごめんなさい」
「それはお互いさま、ミリーはまっすぐな娘ゆえ抑えを忘れたのじゃろう。許されよ。わしはレーネウ、隣はカウテ、そしてヒラガじゃ、見知り願おうか」
「お三人がここの
「わしらには明確な指導者はおらぬ。ただ、年の功でこの爺婆が相談役、という扱いであろうかの」
老レーネウはもったいぶるでもなく淡々と告げた。
「もしかしてここのみなさんって全員魔法士でいらっしゃる?」
「そういうことになるかな、かりそめにダルフリンと名乗っておこう」
「ダルフリン?」
「古語で『影の城』とでもいうほどの意味じゃ。今ではその名を知る者も少なくなった。まあ、いささかわけありの魔法士たちをゆるく囲った集まり、とでも言っておこうか」
「わけあり? するとそれがあなたたちが隠れひそむ事情ってこと?」
「まあな、魔法士は一般の民とは少々生き方が違うゆえまっすぐな人生につまづく者も出てくる。初めはそうした者たちの心休まる居場所として自然発生的に生まれた集団であったと聞く。それが時を重ねるうちに方々に根を張り、ある種の互助組織として今の形になった、というところかの。何事かを為すために、というわけではない。そうした生き方のほうが性に合うという者も少なくないのでな。共通しておるのは世にかかわることを避け、静かに生を送ることを望んだ者たち、と言えようか」
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