第64話 超能力者 その3
(承前)
「誰かがここに閉じこもっているということか?」
「印象としてはね。あたしがいきなりドアを開けたからびっくりしたんじゃないかな。かなりパニクってる感じだったから」
「数十人と言ったな、何者だ?」
「わからない、ちゃんと話をしてみないと。でもあの様子だと」
もう警戒されて難しいかも、と感じた。葵は神社の娘なので「結界」という言葉はすんなり浮かんだ。実際にそれらしいものを見たのは初めてだが、よくできているなと感心した。
遠見の術のように「見る」ための魔法があるなら「見られない」ための魔法があっても不思議ではないということだ。むしろないほうがおかしい。遠見の術が生まれたとき、対抗するためのカウンタースキルも工夫されたのだとしたら?
「奥が深いなあ」
葵はそうつぶやいたがこの場をどうするかは考えどころだった。
相手の正体は不明。できれば穏便に交渉してみたい。ただし、相手にその気があるかどうかは微妙だ。さっきのあの一瞬で葵が感じたのは拒否や拒絶の感情だった。彼らはここに閉じこもって外部との接触を拒んでいるのだ。結界のような稀有な魔法で自分たちの気配を消し去り、誰にも気づかれないようにひっそりと。
だから葵のように壁を押しのけ侵入しようとする相手を恐れてもいるのである。
あの扉は結界に対して葵の心が作り出したイメージであろう。それが大きく重々しい扉に見えたのは無意識に結界の強固さを感じ取ったからではないか。ならば——。
「もう一回やってみる」
「危険じゃないのか。俺では魔法は防げんぞ」
「さっきはノックもなしにドアを開けたから向こうも慌てたんだと思う。今度はできるだけソフトにやるよ。敵意がないことが伝わればいいんだけど」
葵はもう一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、恭一はそのすぐ後ろに立った。なにがあろうと彼女を受け止め、手にした剣は瞬時に反応するだろう。
先ほどの重厚な扉を想起して葵は「待てよ」と考え直した。そもそもこのごつい扉がいけないのかもしれない。これを押し開けるイメージが結界を強引に破ろうとする意識を反映しているのだとしたら? 相手が葵をぶしつけな侵入者と感じても不思議ではないだろう。
これではだめなのだ。
ノックもなしに、という自分の言葉を思い出して目の前のイメージを改変した。もっと礼儀正しく、穏やかに。そう考えて大仰な扉をキサラギ館の玄関に置き換えてみた。獅子のノッカーがついた立派な作りだが、人を寄せつけない障壁とは違う。礼儀正しく来客を迎える接点である。
そう、これだ。葵はそのイメージを保持し、見慣れたノッカーに手を伸ばした。
落ち着いて二度、ノックする。
反応なし。
ではもう一度、と心の手を伸ばしかけたその時であった。
——よせ——
——やめろ——
——いかん——
大勢の制止する声が心に響いたのと同時に前方でなにかが光った。オレンジ色の光が夕闇を切り裂いて一直線に伸びてきたのである。
あれはこの前の!
ひらめく危機感の中で心が警報を発したが、葵の反応はわずかに遅れた。盾の展開が間に合わない。
当たる! と全身が緊張した瞬間、光はなにかにぶつかって激しい火花を散らした。
飛び出した恭一の振るった剣が寸前で光を打ち払ったのである。飛び散った火の玉は地面に小さな炎を生んだ。
きわどい瞬間であった。矢をしのぐ高速で飛来したそれを剣で受け止めた恭一の目もすごいが、光が一本だったことが幸いしたともいえる。前回のように三本同時に放たれていたら危なかった。
「葵」
「ありがと、もう大丈夫」
それを証明するように一歩前に出た葵の盾は続けて飛んできた二本の光条をはじき返した。そして前方で動いた人影に葵は気づいていた。この不可解な一角の反対側、路地の向こうに走りこむ姿があったのだ。
「あそこ!」
二人は同時に走り出していた。
結界で覆われた領域はすぐに抜けた。いきなり大勢の人々が行き交う通りに飛び出したからだ。市場の本来の姿である。さすがにまっすぐ走ることはできず追跡の足は遅くなったがそれは相手も同じだ。細身で足が速く身も軽い。器用に人ごみを縫っているようだが、それでも途中で何人もの客とぶつかり、露店の棚を派手にひっくり返しながら逃げていく。
「女か」
「だね、市場を抜けるよ!」
市場としてまとまった地区はセリアの西の外縁部近くに位置している。二人が走り込んだそこはすでに城壁に近い。人家は少なく、前回とは別の神殿跡や茂みが点々と散らばる場所だった。このまま街が発展すれば新たな商業地区が生まれるかもしれないが、今は人の気配もない。
意外なことに相手はそこで足を止めた。
ゆっくりと振り返り、追いついてきた葵たちをじっと見ているのである。残照はまだ西の空にあり、その顔ははっきりと見えた。
恭一は無言で目を光らせ、葵は短くつぶやいた。
「あのときの……」
記憶にあるよりずっと厳しい目が葵たちを見返していた。
名はミリーという。ブガの食堂で働いていたあの少女であった。
***
十メートルほどの距離を置いてしばらくにらみ合いになった。
「どういうこと?」
葵が一歩踏み出してそう口を開いたが、少女は黙って軽く腕を振った。とたんにその手元からあの光条が伸びて葵の足元で爆ぜた。わずかに土塊が飛んだが最初から当てる気はなかったようで威力もさほど感じられなかった。
続けてさらに一発、これはもう少し近いところに飛んできたが葵の盾が難なくはじき返した。金色の魔法陣が一瞬だけ浮かび上がって消える。
「問答無用か、にしてもあの攻撃はなんだ? さっき剣で受けた衝撃はかなりのものだったぞ」
「基本は火と風じゃないかな? チューブみたいな極細の空気の渦の中に炎を発生させてるんだと思う」
「なるほど、さすがにビーム兵器ってわけじゃないか」
「これだけ見てればおおよその仕掛けはわかるよ。ただ——」
魔法陣が見えない、と葵は首を傾げた。彼女にとってはそちらのほうが驚きだったのだ。来るのがわかって目を凝らしていたのに魔法陣らしいきらめきが見えなかったのである。
「ねえ、ミリーさんだったっけ? どうしてあたしたちを襲ったの」
少女はじりっと目を光らせたが答えはない。葵はもう一歩前に出た。
「あなたに狙われる覚えはないと思うんだけどな」
「……おじさんに近づくな」
「なんのこと?」
「あんたたちはおじさんをいじめようとした。理由はそれで十分だろ」
「おじさん? もしかしてクストーさんのことかな。あなた、あの人とどういう関係なの?」
うるさい、と少女は短く叫んで三本の光が飛んできたが、これはなぜか葵たちを大きく外れた。感情が先に立って狙いがつけられなかったらしい。
「落ち着いて、あなたと争う気はないよ、ただ話がしたいだけ」
「話? じゃあ、なんでいきなりみんなの家に押し入ろうとしたの。あの壁を作るのにみんながどんなに苦労したと思ってるの?」
家? 壁? なんのこと、と思った端から答えが浮かんだ。するとこの子も……。
「無礼だったことは謝る。あそこに人が住んでるとは知らなかったから。あなたもあの人たちの友だちなの?」
「あたしは!」
少女は勢い込んでなにか口にしかけて言葉を呑み込んだ。
「そんなことどうだっていいだろ、もうおじさんにもあたしたちにも近づかないで!」
少女は深く息を吸い、その目にこもった力を感じた葵は「来るよ!」と短く警告を発した。少女の拒絶の意志は本物だ、今度は本気で撃ってくると直感したのだ。
三本の光が放たれまっすぐに飛来する。
高速だが、撃ち出すタイミングさえわかっていれば葵の盾は難なくこれをはじくことができる。恭一もだ。厄介な術だったが、彼の目と足、剣技をもってすれば脅威とはいえない。そのはずだった。だが——。
「うおっ」
豪胆な恭一が思わず叫んで飛び退いた。その脇をかすめるようにひらめきすぎた光が小さな茂みに命中して炎が上がる。
光の軌道が途中で曲がったのだ。屈折するように折れ曲がるのではなく蛇のようにぐにゃりと曲線を描いて予想外の方向から襲ってきたのである。彼のフットワークでなければまず避けきれなかったろう。それほどきわどいタイミングだった。
葵は盾を広げることでこれをしのいだが、判断が一瞬遅ければ対応が追いつかなかったかもしれない。それほど意表をつく攻撃だった。
「今のはヤバかった。まさか変化球もあるとはな」
「あの子、頭がいい。何発も単調な攻撃に目を慣らさせてストレートしかないと思わせたんだよ」
そう言っている間にも立て続けに光が飛んでくる。初弾を外して向こうも全力なのだ。直線、曲線入り混じって放たれる攻撃は葵と恭一でなければしのげない多彩さであった。
「空気の渦がガイドだから曲げるのも自由なんだよ」
「センスがいいのは認めるがこれでは近づけんぞ、どうする」
機敏に攻撃を避けながらそんな言葉を交わしているのはさすがだが、このままでは埒があかないのも事実だ。明らかに魔法による攻撃なのに少女は魔法陣というプロセスなしに術を発動しているように見える。魔法士の技とは思えないほど術の立ち上がりが早いのである。
葵の盾も青い獣に対したときより進歩しているのだが、彼女自身は攻撃的な術を持っていない。それは自分の領分ではないというはっきりした意識があったからだが、このような魔法士同士の直接対決は今後もありうるだろう。なんらかの手だては必要だ。
これは今後の課題だなあ。頭の隅でそんなことを考えながら葵は遠見の視界を広げていた。全周囲をカバーする視力がなければ縦横に変化する攻撃の軌跡が読みきれない。
そこで「おや?」と思った。
引っかかったのは少女の表情であった。厳しい顔、輝く瞳、そして口元に浮かんだわずかな笑み。笑み? 笑ってる? この状況でなぜ?
答えは瞬時にひらめいた。
彼女はなにか企んでいる!
これだけ激しい攻撃を仕掛けながら、さらに次の一手のタイミングをはかっているのだ。あの笑みはその瞬間が近づいていることを予感させた。
それはなに? どこから来る?
葵は一気に視界をスキャンした。遠見の多重的な視覚情報に慣れてきた彼女にもめまいがするほどの高速処理で危機感に触れるものを探した。
空、と心が警告を発した。
すでに夕闇が深まりつつあるが、葵の目は視野の端に奇妙な光景をとらえた。
雲の合間を貫く一本の白い筋、この世界ではありえないはずの飛行雲がこっちへ伸びてくるさまを。
あれはあのときの、と思ったとたん、天啓が危機の理由を組み立て、けたたましい警報を発した。
「気をつけて! 上から来る!」
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