第63話 超能力者 その2


(承前)



「ほう、よい狩場があったか」


「はい、東に丘を二つ越えた先にほどよい森が広がっておりまして、多数の鹿が生息しておることがわかりました」


 日課である軽い乗馬から戻った城主ハーラン・デイル伯爵は狩場と聞いてたちまち相好を崩した。


 貴族のたしなみで乗馬だけは達者な伯爵は馬を駆っての狩りにたいそう執心で、暇さえあれば森や丘へ出かけていく。あいにく弓の腕はからっきしなので戦果ははかばかしくないのだが、そこは下手の横好きの言葉どおりで「次こそは」と城を抜け出せる機会をうかがっている。貴族趣味も極まれりといった困った伯爵どのであった。


 昨年セリアへ赴任した時に彼が首都から連れてきたのは家族ではなくコーダックという風采の上がらない中年男であった。実直な軍人上がりで馬・弓ともに達者なので護衛としても側近としても重用されていたが、実質は狩りのお供といった役どころである。


 今では伯爵が単身で着任したのは邪魔な家族に気兼ねなく狩りを楽しむため、というのが城の人々の一致した見方である。ぼんくらと謗られるのも無理はない。


「しかし明日というのはちと急だな」


 そう首をかしげた伯爵にグレンは「なんのなんの」と手を振った。


「目下のところ、政務上の喫緊の課題もございませんし、コーダックどのならすぐさま仕度も整いましょう」


 伯爵はもう行く気満々で期待のこもった目を忠実な側近に向けた。


「はい、それはもうよい馬を選んでおきますのでご城主さまも明日に備えて今夜はよくお休みになってくだされ。仕度はこのコーダックが万全に整えておきますゆえ」


「うむ、頼んだぞ」


 にこやかに居室に戻っていく主従を見送りながら、グレンは「まことに扱いやすいご城主どのだな」と腹の底で笑っていた。


 実は例の二人連れが思いがけず向こうから、しかも明日この城に出向くという報せを受けていささか焦っていたところなのだ。ゲールと相談したばかりでこちらの準備が間に合うかと危惧したのである。肝心の城主が急な誘いに乗ってくれるかやや心配だったのだが、幸い、想像以上に能天気な伯爵は鹿狩りの一言に飛びついてきた。グレンがほくそ笑むのも当然だったろう。


 一方そのころ——。


 繁華な市街から通りを一本裏に外れた端にマレイン商会なる看板のかかった商館がある。店頭で商いを行う一般の商店ではない。大きな倉庫を併設し、塩や穀物の取引を生業とする、いわば問屋や商社に相当する建物だ。


 その二階の最奥、店の使用人も入ってこない一室で今、二人の男が額を突き合わせて密談していた。


 一人はここの主人ルバウト・マレイン。店をセリアでも五指に入る大店おおだなに育て上げた男だ。初老の福々ふくふくとした顔はさすが大商人と思わせるが、今は険しい表情である。


 対するはあの男、カルル・クストーであった。とある事情で城の兵たちにつけ狙われる彼はおおっぴらにセリア市街をうろつくわけにはいかない。ここは彼の本拠であると同時に敵の足元でもあるのだ。彼を匿うマレインはひそかにクストーたちを支援する協力者であった。


「ではあのお方は」


 確認するようにマレインが問うとクストーは小さくうなずいた。


「はい、直接出向いてお会いになるそうです。あの方にもなにか思うところがおありのご様子でした」


「黒騎士と連れの娘、確かに噂は耳にしたことがあります。商談でオルコットに出向いた折、人々の話の中に何度もその名が出てきましたからな。特に首都の職人組合や商人組合の信頼は厚いようでした」


「はて、そう聞くといささか意外の感がありますが?」


 クストーはやや怪訝な顔である。彼が直接対したあの二人はそうした庶民的な有名人とはかけ離れた、もっと厳しく、得体の知れない人種に思えたからだ。


「噂ですからな、クストーどのはどう思われた?」


「正直、判断がつかんのです。私自身は彼らが真実を語っているように思えたが……。ずるいようですがあの方にご見分願うしか。とにかく両名とも不可解な人物で。あの方は『さもあろう』とだけ」


 困惑するクストーにマレインも思案顔だ。彼よりいくつか年下だが統率力に優れ、的確な判断で仲間たちをまとめる器量を持ったこの男がこれほど判断に迷う姿は見たことがない。黒騎士と連れの娘、その噂はこんな地方都市まで流れてきているが、聞けば両名ともにまだ十代の若さだという。王宮や近衛隊は一筋縄ではいかない世界だ。そのような若年で信頼を勝ち得るなど通常では考えられない。そのはずなのだが……。


「そ、それで面談はいつに?」


「あの方のご都合次第ですが、おそらく明後日の夜」


「では万一に備えて人を呼びますか?」


「いえ、目立った動きはかえって危険です。彼らは腕は立つが粗暴な人間ではない。むしろ周囲の警戒に気を配ったほうが。どこに荘園側の目があるやもしれません。私としてもこの対面は邪魔されたくない」


「わかりました。城の動きから目を離さぬよう言っておきましょう」


 マレインは了解してうなずき、すっかり冷めてしまった茶を一口あおった。


「ときにマレインどの、つかぬことをうかがいますが」


「なんでしょう?」


「そちらの手の者に魔法士はおいでか?」


「魔法士? いや、おりません。契約している農民たちに乞われて雨乞いを頼むことくらいはありますが、その都度専門の術者を頼んでおります。この街にも三級程度の魔法士は何人かおりますから——それがなにか?」


 クストーはしばらく黙して答えなかったが、やがて思い出したようにぽつりとこぼした。


「魔法士とは……不思議なものですな」


「まあ、言われれば確かに」


「あの二人は行き倒れていた——それもいまだに合点がいかないのだが——私を助けてくれた、そして別れ際にあの娘はこう告げたのです。『あなたは夜明け前にこっそり出かけるといい。道は一旦東に迂回したほうがいい』と」


「ほう?」


「自分でも不思議に思いながら私はその言葉どおり夜明け前に東の枝道を遠回りしてセリアに戻ったのですが、前の晩からずっと街道周辺に兵が出ていたことを知りました。まともにセリアを目指していたらどうなっていたか」


「ううむ、それがかの娘の占いであると」


 うなずいたクストーはこうも続けた。


「旅の占い師、と彼女は言いましたが、ただの占いでああも正確に言い当てることができるだろうかと。トールセンで射かけた矢がことごとく外れたのも今思えば」


「アオイ・キサラギは魔法士であると?」


「私は魔法士のなんたるかを知らんのですが、そうとしか」


「なるほど、クストーどのが得体が知れないと言われたのは」


 クストーは黙ってうなずき、両者の沈黙は長く続いた。


     ***


「やっぱり変ね、このあたり」


 葵はそうつぶやいて瞳をきらめかせた。


 市街から城壁付近の外周部まで歩き回った二人は今、西側にある大きな市場に来ていた。すでに陽は傾き、夕食の材料を買い求める人や手っ取り早く露店で食事を済ませようという人々で周囲は活気に満ちている。


 その片隅に奇妙に人気ひとけの絶えた一角があった。


 粗末な小屋が十数軒、肩を寄せあうように建ち並んでいるのだが、なぜかすぐ脇の店々の喧騒がここには届かない。日暮れにはもう少し間があるこの時刻に寝静まった深夜のような雰囲気があるのだ。


「確かに。同じ市場の中でこの静けさは妙だな」


「こっちには人も入ってこないよね? 露店もないけど壁があるわけじゃなし、この人通りのなさはおかしいよ、ていうか」

 不自然、と葵は言い切った。


 恭一がスラム化の兆しと見たこの区画がなぜか葵の勘には引っかかる。そこでもう一度よく見てみようとやってきたのだが、改めてこの場に立つと恭一の目から見ても違和感を覚える。賑やかな市場の中にあってここだけが孤立しているのである。


 仮にできかけのスラムだというなら貧しさや退廃といった気配が漂っていても不思議ではないはずだ。なのにここにはそういったうらぶれた雰囲気がない。しんとして住人らしい人影もない。それでいて変だ、なにかあるという感じだけは伝わってくるのである。


「やはりここは妙だな。葵、なにか見えるか?」


「ううん、さっきから透視してるんだけどただの空き家が並んでるだけ。でも——」


 葵は少し言葉を濁した。彼女の遠見の術にも不審なものは映っていない。にもかかわらず奇妙な齟齬の感覚がしきりに瞬いているのだ。


「なにもないのがかえっておかしいって気がする。すぐ目の前になんかありそうなんだけど」


 目の前?


 口にしてから「あれ?」と思った。なにかが心の隅をかすめたのだ。葵にはなじみのある感覚、霊感と呼ばれる「第二の智慧」がきらめいた瞬間であった。それはなんの脈絡もなくふいに訪れる。警告、示唆、解答、そして隠された真実を告げるために。


 心に浮かんだのは扉のイメージであった。


 古風な装飾を施した両開きの大きな扉。彼女の背丈よりはるかに高く、重々しい取っ手が目の前にある。ここまで具象的なヴィジョンを見るのは葵にとっても珍しいことだった。むろん、その意味するところは明らかだ。


 オケイア——隠されたもの、閉ざされたものが目前にあるという暗示である。それが扉のイメージだというなら「開けろ」と彼女の霊感は告げているのだ。


「ちょっと試してみる」


 そう言って葵は数歩前に出ると両手を前に差し出した。先ほどのヴィジョンにあった大きな扉を目の前に思い浮かべる。魔法を独習する過程で身についた心象操作である。アンティークのような取っ手に両手をかける精緻なイメージを心に描くと金属の冷たい感触が伝わってくるようだった。


 重い。だが動く。


 両手に本物の重い扉を開くような負荷を感じながらイメージの扉を押し開くとなにかがはじけた。


 こちらを見ている数十の目、混乱と恐怖、そして拒絶の感情がわっと一斉に押し寄せてきたのだ。それは激しい雨粒のように葵を打ち、強風に乗って降り注ぐ雹や霰の痛みをもたらした。


「痛うっ」


 思わず一歩退いた彼女を恭一が抱きとめた。彼にはなにも見えないが、葵がなんらかのストレスにさらされたことを感じて気配が鋭くなっていた。


「葵!」


「……大丈夫、いきなりでびっくりしただけ」


「なにがあった」


「よくわかんないけど、ここ無人じゃない、少なくとも何十人かの気配がある」


「空き家じゃないのか」


「そう見えるけど違うの。外からわからないように細工してるんだと思う。たぶん魔法、初めて見た」


 葵はひとつ深呼吸をすると一見閑散とした目の前の光景を見やった。実際になにかがぶつかってきたわけではないが、吹き付けてくる無形のプレッシャーはかなり強力なものだった。霊力でもルフトでもない、強いていうなら生々しい感情そのもの、ここにひそむ者たちは葵の侵入を恐れたのだ。


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