第62話 超能力者 その1
カットナー城内の職階において主に城の財政をあずかる責任者、いわば金庫番に当たるのが財務監である。軍を率いる兵部監、法制と司法を受け持つ法務監と並んで城内の実務を担う要職である。
今その地位にあるのはグレン・ミース男爵。弟のゴルタ・ミースを財務監穂に据え、事実上、城内の実権を握っている人物だ。巨大な執務机は彼の権力の象徴であった。
「突きとめたぞ」
そう言いながら無遠慮にドアを開け、室内に入ってきたのは兵部監のゲール・ホーストである。
「わかったか」
「うむ、城下に走らせた兵どもの一人がそれらしき二人連れを目撃した。食い物屋の二階の安宿に入っていくのを確認したと言ってきた」
「ちっ、そんなところに潜んでおったとは」
「ああ、見るからに怪しいな。やはり密偵の線も捨てられんぞ」
「そうだな、油断はできん。となるとさっそくお招きするとしようか」
グレンは何やらほくそ笑む顔で顎を撫でた。
「それはいいが、城主はどうする。ぼんくらといえども中央からの客に会わせぬわけにはいくまい。あれで妙に弁の立つ男だからな、下手なことを口走って痛くもない腹をさぐられてはかなわん」
ゲールのささやかな危惧は彼の慎重さのあらわれでもあったが、グレンは一笑に付した。
「心配には及ばん、なにしろ当日は城主どののお好きな狩場行きだからな。今度は鹿狩りをご所望だ。最敬礼でお見送りすればよい」
そう聞いてゲールは失笑した。城主のハーラン・デイル伯爵は政務にはとんと興味を示さず、暇を見つけては狩りを楽しむというまことに都合のよい性格のお飾り城主だったのである。
「鹿狩りか、さすが伯爵どのは優雅だな。では」
「ああ、客人の来訪に合わせて俺から狩場のほうへ追い出してやる。鹿でも猪でものんびり狩ってきてもらおう」
グレンもゲールも声を上げて笑った。城主の弓の腕前がからっきしなのをよく知っているからだ。
「それはそうと、こっちの狩りのほうはどうなっている」
笑いを収めてそう尋ねたのはグレンである。その目が意味ありげに光っていた。兵部監を務める男はやや表情を改め「順調だ」と答えた。
「クストーは先日仕留めた。できれば生きたままとらえたかったがやむを得ん。ほかの三人もこの近辺に逃げ込んだことは間違いない。やつらも慎重になっているだろうが末端までは行き届くまい。いずれ必ずボロを出す」
「商人風情に手こずらされたがそろそろけりをつけねばな」
「わかっている。それよりあの二人はどうする。あまり表立ったことはできんぞ」
ゲールは気がかりを捨てきれぬ様子だったがグレンは「別に」と皮肉に笑った。
「話をして丁重にお引き取り願うさ。ただし、危険と見たらしばらく場内に逗留願おう。牢に空きもあることだしな」
「おいおい、そんなことをして大丈夫なのか。相手は四大騎士を退けたほどの腕だぞ」
「なあに、弓でぐるりと囲めば身動きもできんさ。いざとなったら女のほうを人質にすればいい。王女のお気に入りを見殺しにはできんだろう」
ゲールはわずかに目をみはった。くされ縁のこの男がそこまで腹をくくっていることに驚いたのだ。それは同時に彼にも同じ覚悟を要求しているということでもある。
「わかった。兵どもの配置はこちらで考えておく」
多少気圧されるものを感じながらゲールはうなずいた。
***
「まだちょろちょろしてるね」
窓から外の通りをちらと見て葵が言った。
あれから三日、クストーたちからの接触はまだない。代わりに城の兵らしい姿が宿の周りをうろつくようになった。最初は軍服、すぐに平服の連中と交代したようだが葵や恭一の目はごまかせない。街を発つ前にあいさつに寄ると言ってあったが、高位の身分証を持つ二人である。城側としても放ってはおけないというわけだ。
「居所くらいは知っておかないと落ち着かんということだろう」
予想された成り行きなので驚きはしないが、出歩くたびにつきまとわれるようになっても鬱陶しい。ドーレスの件もあり、いつまでここにとどまるかわからないので葵たちも一度は城に出向いておこうかと考えていた。
クストーが城の兵士に襲われたという事実やドーレス商人組合と名乗った彼らの警戒ぶりからして両者は敵対関係にあるらしい。その軋轢の理由は不明だが、かかわるつもりなら双方の内情を見ておく必要があるのだ。
「じゃあ明日にでも行ってみようか」
「そうだな、あれではドーレスの使いの者も近づけんだろう。宿の前で鉢合わせになるほど間抜けとは思えんが」
ここはこちらが動くところだろう。そう恭一も同意したので葵はすぐにドアに向かった。
「明日の昼ごろでいいかな?」
恭一がうなずいたので軽い足取りで部屋を出ていった。そのまま階段を降りて通りへ出る。白鹿亭は今日も繁盛しており、そろそろ昼に近いので客の出入りも頻繁だ。
街のど真ん中なので多くの人が行き来しているが、たとえこの場に何千人が歩いていようと葵が異質な気配を見逃すことはない。通行人を装って所在なさげに通りを行きつ戻りつしているその男にまっすぐに近づいていった。
目立たぬよう商人風の格好で溶け込んだつもりだったらしいその男は、目を逸らして少女をやり過ごそうとして失敗した。にっと笑って目の前に立った葵に足が止まってしまったのだ。どうやらこうした仕事には慣れていないらしい。
「お仕事ごくろうさま」
「な、なにか……」
とぼけ方が下手だなーと思いながら葵はひと息に言い渡した。
「一度しか言わないからよく聞きなさい。明日、昼過ぎに城にあいさつに出向くので帰ってあなたの上官にそう伝えなさい。なお、宴席などの気遣いは無用です。以上」
普段はこんな高飛車な物言いなどしない葵だが、使い走りの下級兵にいちいち説明などしていてはめんどうだ。男の目には見えないが、その周囲にルフトを凝集させた。これは高圧の気配となって彼を圧迫する。霊力はなくとも得体の知れぬ威圧感が押し寄せ、目の前の少女が王侯貴族のような大物に感じられてしまうのだ。魔法士ならではのちょっとしたハッタリである。
隠れて葵たちを監視していたはずの男は思わずその場で直立不動となり「か、かしこまりました」と答えてしまった。
だが、その時にはもう相手は背を向けて離れていくところだった。男は呆然と立ち尽くしていたが、やがて大慌てで城の方向へ吹っ飛んでいった。
葵が部屋に戻ると恭一は外出の支度をしていたので二人はそのまま出かけることにした。城の見張りは追い払ったのでドーレスの連中も近づきやすいだろうが、じっと連絡を待つだけで時間を潰す気はないのだ。
二人は連日、街を精力的に歩き回っていた。元々、地方の様子をつぶさに見て回ることが恭一の希望だったし、首都とは別の大きな街の風景も興味深かった。他の都市を訪れてみないと断言できないが、この街には確かにオルコットとは違う個性があり、吹く風も人の気配も違う。
それが面白い。
交易や商売の街だからというだけではなく、明確な地方色がある。中心に王宮や王族といった絶対的な求心力がないせいで気ままに成長したような趣がある。
市街は賑わっているが、やや混沌としており、外縁部は雑然としている。行政はいくぶん大雑把で治安、衛生、福祉といった都市機能には目が行き届いていない印象だった。
「雑だな」
数日歩き回っての恭一の結論がそれだった。
「経済の勢いがいいので浮かれている、という感じだ」
「バブル?」
「おそらく。今は国が安定しているから目立たないが、そろそろほころびが目につき始める頃だ。市場の隅にスラムができかけてただろ? 冷静な行政官がいないとちょっとヤバいかもな」
街の西部にはかなり大きな市場があり、朝から晩まで賑わっている。人々の喧騒で活気にあふれているのだが、その片隅に粗末な小屋が連なる一角があった。まだ小規模だが恭一はそれをスラム化の兆候と見て街の繁栄に危うさを感じていた。
「あそこはあたしもちょっと気になってるんだ」
「というと?」
「嫌な感じってわけじゃないんだけど、妙に引っかかるっていうか。変な気配がちらついてる気がする」
「それが葵の見立てなら確かめてみたいところだな。行ってみるか?」
「そうだね、今日はそのつもりで見にいくよ」
葵の勘はこちらの世界へ来てから一段と鋭敏になっている。彼女が行き当たりばったりのように指し示す旅程が確実になにかを拾い上げつつあることを恭一は疑わなかった。
なにかある、と葵が言えばそこには必ずなにかがあるのだ。
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