第44話 白銀の女騎士 その2
(承前)
夜会は盛況だったが、恭一に言わせると「セレブのパーティーはどこも変わらんな」ということらしい。
「うわべと本音が九対一、その一を拾い出すのが社交の技術、だそうだ」
「それもおじさまが?」
「まあ、そんなところだ。ここは葵にまかせる」
人々は笑い、さんざめき、時には群れ、時には散る。楽士が軽い調べを奏で、酒を酌み交わす。広間全体の空気が活気を帯び、高揚する雰囲気が満ちていく。
この夜会はダンテス家の先祖の武勲を讃えるものでもあるので軍服や騎士装束の参加者も目につく。今夜は恭一も同様である。所々に銀でアクセントをつけた黒の上下に黒のマント、いつもの黒い剣を今日は腰に帯びた長身は「あれが噂の黒騎士か」と誰もが瞠目する。
一方の葵はドレス姿の多い貴婦人たちの中にあってかなり異彩を放っていた。基本は袖の広い上着と裾を絞ったゆったりとしたパンツという上下である。
葵はいたって活動的な少女なので「慣れてない、動きにくい」と最初からドレスを却下していた。侍女たちと城下の店を回って彼女が選んだのは結局カンフースタイルに近いこの衣装だった。
淡い光沢のある深い紫色の上下は襟元と袖口に金の刺繍が施され、胸に咲いた明るい薔薇は小さな銀細工である。こちらでは紫は魔法士のイメージカラーらしく、葵がそうであるという噂を印象づける格好になっていた。
ウルマン子爵一家とも挨拶を交わしたが、上の兄弟二人の印象があまりにもアルの言葉どおりなので葵は吹き出すのをこらえるのに苦労した。
いたって陽気で人あたりもよく、裕福な貴族の家に生まれた身を謳歌している。ただし、その意味も深く知らず考えたこともないという顔だ。子爵の本質的な思慮深さや合理的精神といったものはひとかけらも受け継がれていない。
善良ではあるが賢くはない。そう言っては身もふたもないが、これが平均的な貴族の子弟の姿でもある。子爵もそのことはわかっているらしく、今は三男の成長と自立に期待しているようであった。
そこからウルマン家の三兄弟はそれぞれに友人らしい若者たちに誘われ人々の中に散っていったのだが、上の兄たちにはどうやらお目当ての令嬢がいるらしい。どうやって誘うかと算段している様子がいっそ微笑ましいほどだった。
そして見るとはなしに見ていると末弟の方が面白いことになっていた。
あれほど社交の場を敬遠していた少年が、今は明らかに同世代の友人たちより大人に見えるのだ。顔見知りらしい少女たちからも逃げずに談笑している。かつての彼を知る仲間たちはさぞ驚いたことだろう。
「あんなこと言ってたけど余裕じゃない」
「経験値の差だろう。今は第一王女とも普通に話してるんだからな」
「第二王女には走り回らされてるけどね」
そう言って吹き出したところでこちらに近づいてくるイアンの姿が目に入った。そのまま二人の傍まで来るとさりげなくこう耳打ちした。
「伯爵とガーラには伝えたが、姫さまの馬車が今、城門をくぐった。支度が整えばすぐにお見えになるだろう。それと……」
そこでさらに声をひそめてこう続けた。
「捕虜たちの様子がおかしい」
葵が軽く目をみはり、恭一は短く「というと?」と質した。
「急に眠り込んだ。全員がほぼ同時に」
「眠り込んだ? 死んだのではない?」
「呼吸も心臓も問題ない。だが叩いても揺さぶっ
ても起きん。昏睡といってもいい」
「なにがあった?」
「わからん、周囲で見張っていた兵たちには異常がない」
捕虜は三十人近い数だった。けが人に応急手当てだけ施して縛り上げ、城の裏側の城壁の外に天幕を張って転がしてある。百人近い警備の兵が厳重に目を光らせているので逃亡はおろか、いかなる異変も見逃すことはないはずだった。
ところがその捕虜たちが一斉に首を垂れ、昏睡に陥ったというのだ。
「ラダルが慌てて知らせてきた。捕らえてから水だけしか与えておらんから毒を盛られたとも思えん。元々少しおかしなところはあったんだが」
「ガーラさんが言ってたあれ?」
「そう、連中はものも言わず襲いかかってくるし、斬られてもほとんど悲鳴も上げなかった。一般の兵ならありえんことだ。戦いの興奮のせいかとも思っていたが」
最初に聞いた時から奇妙だと感じてはいたが、葵も恭一も戦の現場というものを知らない。そういうものかと思っていたのだが、ことは単純ではなさそうだ。
「なんらかの薬物を使っていたという可能性は? 俺たちのところでも兵士に興奮作用のある薬物を与えて戦場での恐怖を抑える、という話があった。真偽はわからんが」
恭一がそう意見したが、彼も軍事の専門家ではない。こちらの世界の戦の常識を心得ているわけではない。
「いくつかの薬草は知られているが、正直まだそこまでの調べは」
とにかく監視は一段と厳重にする、と言い残してイアンは離れていった。クーリアが到着したのでそちらへ向かったものと思われた。
「わからんな」
恭一は解せないという表情で首をひねっている。奇妙なことが連続しているのにそれらがどう繋がるのか見えてこないのだ。傭兵と思しき連中との戦闘、奇怪な青い獣、怪しげな三人の客、そして一斉に眠り込んだ捕虜たち。偶然のはずはない、だが——。
「無関係なはずはないんだが……」
その疑いは葵の勘にとってはより明白な警告として響いてくる。いくつもの出来事がこの夜会の場に向けて集中し始めている。なにかが近づいている印象は確かにあるのだが、それはまだ彼女にも見えてこない。確実にその時は迫っているのに……。
ふと、あの三人に目がいった。
デュトワ子爵のにやけた貴公子ぶり、ラウド伯爵の嫌な目つき、そして宴の中でも厳しい表情を崩さないルードワン公爵の冷ややかさ。まだなにかを企んでいる様子は見えないものの、彼らが一様に「待っている」という印象だけは伝わってくる。なにを? それとも誰を?
その時、それまで優雅に楽の音を鳴らしていた楽士たちの演奏がぴたりと止み、広間に口上の声が響いた。
「第一王女クーリア姫さま、おなりでございます」
さあっと潮が引くように人々のざわめきが静まり、広間の入り口から警護の兵が素早く入場すると左右に分かれて整列した。その場の全員が居住まいを正して迎える中、金髪の従騎士を従えたこの国の第一王女が姿を現した。
期せずして人々はどよめいた。
そこにいるのは清楚で優雅な姫君でもなければ神秘的なたたずまいの神官の長でもなかった。
白と銀を基調に腰を絞った細身の男装は付き従う女騎士のそれと似ている。左右に張った白銀の肩当て、鮮やかな緋色のマントに胸当と薄い革の手甲、足元は軍用の
人々の中には昼間の園遊会でその噂を耳にした者もいたが、目の当たりにしたクーリアの姿は想像を超えて凛々しく、威厳に満ちていた。わずか十五の少女のはずなのに大軍を指揮する将軍の風格を感じさせるのである。
「まさか姫さまがこのような……」
「なんと凛々しい」
「素晴らしい、神々しささえ感じるぞ」
一斉に私語が交錯したが、最も多かったのは驚きで声もないという反応だった。
ガーラは広間の隅に控えていたが、この様子を見る彼の思いは複雑であった。
獣に切り裂かれ血で汚れた服にはなぜかその痕跡さえ見えない。化学繊維が存在しないこの世界では衣類は全て生物由来の糸で作られている。葵の強力な治癒魔法はその欠損部分に残存したなんらかのスピリチュアルな情報を復元したものと思われた。
便利なもんだな、と笑うガーラに葵の方が首をかしげていたが、その葵はかつてこうも言っていたのだ。
——あの子の本質は戦士だよ。彼女はいずれ戦いに身を投ずることになる。お姫さまの役を妹に託して自分は戦場へ出ていく。きっとね——
今、彼が見ているのは葵が告げた未来のクーリア王女の姿なのかもしれなかった。
***
十五歳という年齢は大人たちの社交の場ではまだ若年の部類である。
確かに数か月前のクーリア王女は聡明な少女であるとともにどこか背伸びをしているような未熟さも感じられた。若いがゆえの性急さとでも言おうか、彼女の責任感は自身に「早く、もっと早く」と成長を促し、緩むことのない一途さに急き立てられていたのだ。
だが、そうした印象が変わったことに多くの人が気づいた。
すでに王宮では囁かれていたことだ。クーリア王女に若年らしからぬ落ち着きが見られるようになったと。
国王の傍に立ち、時に求めに応じて短い助言を口にする。それは以前から見られた光景であったが、今ではそこに賢者の深みが加わった。優雅さや可憐さはそのままに、成熟した知のひらめきが瞳に宿る。
若き第一王女はひそやかな開花の時を迎えていたのである。
その静かな、だが確かな存在感に人々が瞠目するさまが広間を満たしていった。正面に立って王女を出迎えたダンテス伯爵夫妻が深々と一礼する。
「ラントメリーウェルへようこそ。姫さまのご臨席を得て光栄至極にございます。我ら一同、今宵この時を心よりお待ち申し上げておりました」
「ありがとうございます、伯爵。
「もったいなきお言葉、いたみいります。ささやかな宴にございますが、しばしごゆるりとおくつろぎください」
鷹揚にうなずいた王女が側に控えた従騎士にちらと目配せすると、そのリーンの軽い合図で警護の兵たちがさっと退場した。扉が閉じられ、静止していた夜会が再び動き出した。
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